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第一章 出会い編
出会い編 8
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8.
ここ最近、柊一郎は心ここにあらずといった様子だった。仕事も手に付かず、というわけではないが明らかにボーッとしている。
朝起きて出かける準備をしていたはずが、いつの間にか会社の自席に着いていて仕事をしているということもしばしば。常である出勤経路は体が覚えているのだろうが、仕事はルーティン的に基本的なやる事はあっても、毎日同じ事をするというわけでもない。柊一郎は営業であるため書類仕事ばかりではないし、客先へ出向くことが殆どだ。それにもかかわらず無意識に仕事をこなしていて。そしてまた気が付くと古書店の前でニャーを腕に抱いている。柊一郎は会社にいたのにと首を傾げるが、折角のニャーとの逢瀬を満喫しなければと思い、ニャーを撫で頬をすり寄せ、いつも通り癒やされつつ、それでも意識は店内へと向ける。そうしてまたふと気が付くとニャーと別れ、いつの間にか自室でカップラーメンを食べている、という状況が当たり前になりつつあった。
もちろん柊一郎の思考を占領しているのはあの古書店の店主で。意識して考えているのではなく、無意識にあの店主のことを考えている。これではいけないと思いながらも意識しているわけではないので柊一郎にはどうすることもできなかった。
「……い……かい、犬飼!」
自分を呼ぶ声にハッとして声の方へ目を向けると木村の飽きれたような視線とぶつかった。
「あ……呼びました?」
「あ、呼びました? やないわ! 呼んだわ! 何回も!」
そうだった仕事中だった、と思いながら木村の形相に苦笑して素直に謝った。木村が本気で怒っているわけではないと分かる。柊一郎を見る目が心配だと言っていて、柊一郎はフッと笑う。
「すみません。ボーッとしてたっす」
「……お前なんかあったんか? 最近いつもそんな調子やん」
溜め息を吐きつつも、こうして気に掛けてくれる木村に柊一郎は温かい気持ちになった。犬飼柊一郎という個人を見てくれて、気に掛けて心配してくれる本当に優しい人だと心底思う。
「なんかあったというか……なにもないというか……」
珍しく口篭る柊一郎に、木村はわけが分からないと言いたげな表情をしながら手にしたボールペンを指で回して弄んでいる。
「なんやねんそれ……」
「……いや、なんでもないっす。ほら、さっさと仕事してくたさいよ」
一瞬、話してしまおうかとも思ったが、仕事中だし、となんとなく躊躇い誤魔化した。しかし、こうしていつもの軽い調子で話せた事に安堵する。木村の、優しさを押し売りをしないところや、外見を気にせず後輩として接してくれるところが本当に心地いい。真の友達とはこういうものなのかもしれない、と思った。
「お前なぁ……それはこっちのセリフやろ」
「はいはい。じゃあ仕事仕事」
「何でお前が偉そうに言うねん! 納得でけへん!」
そう言って言葉から連想するほど大声を出すわけでもなくブツブツと愚痴らしき事を呟きながらパソコンに視線を戻す木村に笑い、午後からは客先まわりだしさっさと書類仕事を片付けてしまおうと手を動かす柊一郎の頭の中には、やはりあの店主の顔が浮かんでいた。
最近では脳が勝手に色々な表情を作り出し、笑顔の店主まで出てくる始末。四六時中店主の事を考えているにもかかわらず、やはり柊一郎の仕事の手が止まることはなかった。
そしてこうした日常が続いていたある日のこと。ふとこのままではいけないと、柊一郎は急に自分の気持ちを再確認しようと思い立ち、休日に古書店へ行ってみることにした。というのも今まで古書店に通っていたのは平日だけだったのだ。
会社からさほど遠くない古書店は柊一郎の住んでいる家からは距離がある。しかしそうも言っていられない状況だと判断した柊一郎は決心して、相変わらずあの店主の事を考えて木村に叱咤され心配されながらも平日の仕事をこなしていった。
そして現在週末、金曜の夜。いよいよ明日は休日。今度こそはあの麗しい店主と話をしてみたい。いつも通りに帰りに古書店へ寄り、ニャーと遊んでから帰宅した柊一郎は一片の無駄もなく帰宅後から就寝までのルーティンを終わらせて既にベッドに潜り込んでいた。
そして明かりを消した暗い部屋の中で見えない天井を見つめながら明日のことを考える。ニャーの事を話そうか、それとも本について話そうか。とても賢い猫ちゃんですねそれとも、綺麗な猫ちゃんですね、がいいか。でも本屋だし、ミステリーのお勧めを教えてください、とかの方がいいのか。
柊一郎は話のネタを探しながら何度も脳内シミュレーションをして、まるで仕事でプレゼンテーションの資料を作っているかのように、あーでもないこーでもないと最善を目指して考え込む。そして気が付けば鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる時間になっていた。
「……マジか……一睡もできなかった……」
柊一郎はそう呟いたが、眠れなかった事よりもこれから古書店へ行ってあの店主と顔を合わせる事に緊張と高揚感を覚え、のそのそのとベッドから起き上がった。
洗面台へ向かい鏡を見る。イケメンだなんだと言われ、自惚れているわけではないが、事実として女にはモテていると思う。しかしイケメンの定義が分からない。まじまじと自分の顔を見るが、別に普通の顔だと思う。
「……よく分からんな」
ため息混じりにそう呟いて、あの店主がこの顔を好きならいいのにと思いながら歯を磨き始めた。
ここ最近、柊一郎は心ここにあらずといった様子だった。仕事も手に付かず、というわけではないが明らかにボーッとしている。
朝起きて出かける準備をしていたはずが、いつの間にか会社の自席に着いていて仕事をしているということもしばしば。常である出勤経路は体が覚えているのだろうが、仕事はルーティン的に基本的なやる事はあっても、毎日同じ事をするというわけでもない。柊一郎は営業であるため書類仕事ばかりではないし、客先へ出向くことが殆どだ。それにもかかわらず無意識に仕事をこなしていて。そしてまた気が付くと古書店の前でニャーを腕に抱いている。柊一郎は会社にいたのにと首を傾げるが、折角のニャーとの逢瀬を満喫しなければと思い、ニャーを撫で頬をすり寄せ、いつも通り癒やされつつ、それでも意識は店内へと向ける。そうしてまたふと気が付くとニャーと別れ、いつの間にか自室でカップラーメンを食べている、という状況が当たり前になりつつあった。
もちろん柊一郎の思考を占領しているのはあの古書店の店主で。意識して考えているのではなく、無意識にあの店主のことを考えている。これではいけないと思いながらも意識しているわけではないので柊一郎にはどうすることもできなかった。
「……い……かい、犬飼!」
自分を呼ぶ声にハッとして声の方へ目を向けると木村の飽きれたような視線とぶつかった。
「あ……呼びました?」
「あ、呼びました? やないわ! 呼んだわ! 何回も!」
そうだった仕事中だった、と思いながら木村の形相に苦笑して素直に謝った。木村が本気で怒っているわけではないと分かる。柊一郎を見る目が心配だと言っていて、柊一郎はフッと笑う。
「すみません。ボーッとしてたっす」
「……お前なんかあったんか? 最近いつもそんな調子やん」
溜め息を吐きつつも、こうして気に掛けてくれる木村に柊一郎は温かい気持ちになった。犬飼柊一郎という個人を見てくれて、気に掛けて心配してくれる本当に優しい人だと心底思う。
「なんかあったというか……なにもないというか……」
珍しく口篭る柊一郎に、木村はわけが分からないと言いたげな表情をしながら手にしたボールペンを指で回して弄んでいる。
「なんやねんそれ……」
「……いや、なんでもないっす。ほら、さっさと仕事してくたさいよ」
一瞬、話してしまおうかとも思ったが、仕事中だし、となんとなく躊躇い誤魔化した。しかし、こうしていつもの軽い調子で話せた事に安堵する。木村の、優しさを押し売りをしないところや、外見を気にせず後輩として接してくれるところが本当に心地いい。真の友達とはこういうものなのかもしれない、と思った。
「お前なぁ……それはこっちのセリフやろ」
「はいはい。じゃあ仕事仕事」
「何でお前が偉そうに言うねん! 納得でけへん!」
そう言って言葉から連想するほど大声を出すわけでもなくブツブツと愚痴らしき事を呟きながらパソコンに視線を戻す木村に笑い、午後からは客先まわりだしさっさと書類仕事を片付けてしまおうと手を動かす柊一郎の頭の中には、やはりあの店主の顔が浮かんでいた。
最近では脳が勝手に色々な表情を作り出し、笑顔の店主まで出てくる始末。四六時中店主の事を考えているにもかかわらず、やはり柊一郎の仕事の手が止まることはなかった。
そしてこうした日常が続いていたある日のこと。ふとこのままではいけないと、柊一郎は急に自分の気持ちを再確認しようと思い立ち、休日に古書店へ行ってみることにした。というのも今まで古書店に通っていたのは平日だけだったのだ。
会社からさほど遠くない古書店は柊一郎の住んでいる家からは距離がある。しかしそうも言っていられない状況だと判断した柊一郎は決心して、相変わらずあの店主の事を考えて木村に叱咤され心配されながらも平日の仕事をこなしていった。
そして現在週末、金曜の夜。いよいよ明日は休日。今度こそはあの麗しい店主と話をしてみたい。いつも通りに帰りに古書店へ寄り、ニャーと遊んでから帰宅した柊一郎は一片の無駄もなく帰宅後から就寝までのルーティンを終わらせて既にベッドに潜り込んでいた。
そして明かりを消した暗い部屋の中で見えない天井を見つめながら明日のことを考える。ニャーの事を話そうか、それとも本について話そうか。とても賢い猫ちゃんですねそれとも、綺麗な猫ちゃんですね、がいいか。でも本屋だし、ミステリーのお勧めを教えてください、とかの方がいいのか。
柊一郎は話のネタを探しながら何度も脳内シミュレーションをして、まるで仕事でプレゼンテーションの資料を作っているかのように、あーでもないこーでもないと最善を目指して考え込む。そして気が付けば鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる時間になっていた。
「……マジか……一睡もできなかった……」
柊一郎はそう呟いたが、眠れなかった事よりもこれから古書店へ行ってあの店主と顔を合わせる事に緊張と高揚感を覚え、のそのそのとベッドから起き上がった。
洗面台へ向かい鏡を見る。イケメンだなんだと言われ、自惚れているわけではないが、事実として女にはモテていると思う。しかしイケメンの定義が分からない。まじまじと自分の顔を見るが、別に普通の顔だと思う。
「……よく分からんな」
ため息混じりにそう呟いて、あの店主がこの顔を好きならいいのにと思いながら歯を磨き始めた。
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