元神の少女に恋を教えたら、その愛が世界を救う力に。変人だらけの仲間と紡ぐ、終焉に抗う僕らの日常と奇跡の物語

papa

文字の大きさ
19 / 34
第二部:絆の証明 - 仲間と守るべきもの

第20話:この気持ちの名前

しおりを挟む
「カフェ・アルカナ」を後にした帰り道、夏の夜の生温い空気が、やけに肌にまとわりついた。あれほど心地よかった蛙の合唱や、草いきれの匂いも、今はどこか遠い世界の出来事のように感じられる。玲子と大輝が明かした「パンドラ計画」の全貌は、都市伝説研究会の面々から、能天気な日常という名の薄皮を、容赦なく剥ぎ取ってしまった。

テーブルの上に残された、冷めきったコーヒーカップ。誰もが押し黙り、自分の無力さと、これから対峙するであろう悪意の巨大さに、静かに打ち震えていた。あの場所を満たしていたのは、もはや「温かい騒音」ではない。世界を守るという、途方もない覚悟が生み出す、張り詰めた沈黙だった。

雄斗のアパートに戻っても、その空気は変わらなかった。
部屋の電気もつけず、雄斗は一人、古びたベランダの手すりに寄りかかった。眼下に広がる、故郷の町のささやかな灯り。数ヶ月前、都会の喧騒と、心を蝕む灰色の日常から逃げてきた時には、退屈で、色褪せて見えたこの風景が、今はどうしようもなく守りたい、かけがえのない宝物のように思えた。

(本当に、守りきれるのか……俺に)

敵はあまりにも巨大だ。かつて自分の心を、尊厳を、未来への希望を、いとも簡単にへし折った、あの組織。アルゴ・インダストリー。効率。成果。数字。その言葉の前に、人間の感情は、ただ生産性を下げる「ノイズ」として処理された。心をすり減らし、誰もが同じ灰色の顔になっていくオフィス。あの場所で雄斗が失ったのは、健康やキャリアだけではない。「自分」という存在そのものだった。

あの会社がやろうとしていることは、かつて自分たちがいた、あの小さなオフィスで起きていたことの、世界規模での拡大に過ぎない。パンドラ計画。それは、非効率で、無駄で、時に人を傷つける「感情」というバグを、全人類から除去しようという、歪んだ救済計画。喜びも、悲しみも、怒りも、愛しさも、全てを均一な「灰色」に塗りつぶし、管理された平穏を与える。それは、雄斗が一度、身を投げてしまった地獄そのものだった。

だからこそ、引けなかった。
これはもう、ソラだけの問題ではない。健太、大輝、翼、リナ、玲子、静、そしてマスターの桜花。彼らが作り出す、あのどうしようもなく騒がしくて、温かい場所。非効率で、無駄だらけで、しかし、だからこそ尊い、あの人間らしい混沌。それを守ることは、かつて灰色の世界に敗れた自分自身を、救い出すための戦いでもあった。

「……できるさ。いや、やるんだ」

誰に言うでもなく、雄斗は呟いた。恐怖よりも、その覚悟の方が、今はわずかに、しかし確かに、強かった。

ふと、背後に静かな気配を感じて振り返る。
いつの間にか、網戸がそっと開けられ、パジャマ姿のソラが、すぐ隣に立っていた。
彼女は何も言わない。ただ、雄斗から少しだけ距離を置いて、同じように夜空を見上げている。瞬く星と、ゆっくりと流れる雲。その瞳には、問い詰めるような色はなく、ただ、雄斗が見ているのと同じものを見ようとしている、そんな純粋な意志だけが宿っていた。

以前、雄斗が元気をなくした時に、彼女が見よう見まねでお茶を淹れてくれたように。
翼が傷ついた時に、ただ黙ってベッドのそばに座っていたように。
静かに「寄り添う」。それが、今の自分にできる、一番の思いやりだと、彼女は学んでいた。
その健気で、あまりにも優しい気遣いが、張り詰めていた雄斗の心を、ふわりと軽くする。彼は、思わず苦笑した。いつからだろう。この、からっぽだったはずの少女に、自分が救われてばかりいるのは。

「ありがとな」

その、たった一言が、夏の夜の静寂の中に、ぽつりと落ちた。
そして、ソラの内なる宇宙に、静かで、しかし、決定的な波紋を広げていく。

仲間たちと一緒にいる時の、あの感覚。
カフェ・アルカナの、あのテーブルを囲んでいる時の、陽だまりのような、全体を優しく包み込む、あの温かさとは、何かが違う。あの感覚を、ソラは「ポカポカ」と名付けた。それは、まるで春の日の光の中にいるような、広くて、穏やかな心地よさ。

翼に「ありがとう」と言われた時の、あの感覚とも違う。
自分のしたことが、誰かの喜びになった。その事実が、胸の中の重たい石を、ふわりと軽い光に変えてくれた。あの感覚を、ソラは「フワフワ」と覚えた。それは、タンポポの綿毛のように、心をどこまでも軽くしてくれる、晴れやかな心地よさ。

しかし、今、雄斗の隣にいる、この瞬間の「温かさ」は、そのどちらとも似ていなかった。
もっと特別で、もっと限定的で、もっと……複雑だった。

胸の中心、ただ一点に、小さなカイロをそっと当てられたような、集中した、じんわりとした熱。
その熱は、ひどく心地よいのに、なぜか少しだけ胸を締め付ける。ふわふわするのに、少しだけ、泣きたくなるような、切ない感覚が混じっている。

(なんだろう、この感じ)

ソラは、自分の胸にそっと手を当てる。
心臓が、いつもより少しだけ速く、そして丁寧に、血液を送り出しているのが分かった。

(みんなといる時の『ポカポカ』とも、違う)
(翼くんに『ありがとう』って言われた時の『フワフワ』とも、違う)

(でも……)

ソラは、そっと雄斗の横顔を見上げた。町の灯りが、彼の決意を秘めた顔の輪郭を、ぼんやりと照らしている。強いようで、どこか儚げで、放っておけない、不思議な光。
その横顔を見ているだけで、胸の奥のカイロが、また少しだけ、温度を上げる。

(雄斗の隣は……世界で一番、心地よい場所)

彼女は、その不思議で、甘くて、少しだけ痛い感情に、まだ名前をつけることができない。
ただ、これから始まる途方もない戦いのことなど忘れて、この時間が、永遠に続けばいいのに、と、そう願っていた。
この世界は常に移ろいゆく、諸行無常の理(ことわり)に支配されている。その法則に真っ向から逆らう、人間らしくて、ささやかな、しかし、どうしようもなく強い願い。

それは、ソラという元・神様のシステムの中に、最も予測不能で、最もパワフルな「バグ」。
「恋」という感情が、静かに、そして確かに芽吹いた瞬間だった。
その小さな光が、やがて世界の運命さえも左右することになるとは、まだ誰も、彼女自身さえも、知る由もなかった。
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ

のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
 リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。  目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

ガチャで領地改革! 没落辺境を職人召喚で立て直す若き領主

雪奈 水無月
ファンタジー
魔物大侵攻《モンスター・テンペスト》で父を失い、十五歳で領主となったロイド。 荒れ果てた辺境領を支えたのは、幼馴染のメイド・リーナと執事セバス、そして領民たちだった。 十八歳になったある日、女神アウレリアから“祝福”が降り、 ロイドの中で《スキル職人ガチャ》が覚醒する。 ガチャから現れるのは、防衛・経済・流通・娯楽など、 領地再建に不可欠な各分野のエキスパートたち。 魔物被害、経済不安、流通の断絶── 没落寸前の領地に、ようやく希望の光が差し込む。 新たな仲間と共に、若き領主ロイドの“辺境再生”が始まる。

転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする

ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。 リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。 これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...