元神の少女に恋を教えたら、その愛が世界を救う力に。変人だらけの仲間と紡ぐ、終焉に抗う僕らの日常と奇跡の物語

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第三部:恋という名のバグ - 天使と心

第26話:鉄の心臓を持つ男

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夏の太陽がアスファルトを容赦なく炙り、逃げ水が遠くで揺らめいていた。カフェ・アルカナの店内は、クーラーの低い唸り声だけが奇妙に大きく響いている。テーブルの上には、ほとんど手つかずのアイスコーヒーが汗をかき、氷がカラン、と溶けてはグラスの底で力なく静止する。その音ですら、今の彼らにとっては心臓を直接叩くような不協和音に聞こえた。

いつもの「温かい騒音」は、そこにはない。

健太は押し黙り、大輝はノートパソコンの画面に意味のない数式を浮かべたまま指を止め、翼は窓の外の景色に現実逃避するように視線を投げている。リナも、その整った顔から表情を消していた。天使の襲来、そして雄斗が明確な「排除対象」と宣告されたという残酷な事実は、彼らの日常から彩りと音を奪い去るには十分すぎる威力を持っていた 。無力感という名の分厚い湿った毛布が、サークル全体を覆い尽くしている。


その重苦しい沈黙を切り裂いたのは、氷の刃のような怜悧な声だった。

「いつまで、そうやって湿気た顔をしているつもり?」

氷川玲子だった。彼女だけが、いつもと変わらぬ冷徹な表情で腕を組み、テーブルの向かいから全員を見渡している。

「いいこと、よく聞いて。あの『天使』とかいう存在が、法や常識の埒外にあることは、この前の件で確定したわ 。ならば、法で戦うのは悪手。正面からぶつかるのは自殺行為。なら、答えは一つしかない」

玲子は人差し指を立て、静かに言い放った。

「逃げるのよ。それも、神様の目ですら追いつけない速度でね」

「逃げる、ったって……」

健太がようやく絞り出した声は、ひどくかすれていた。

「どこへ逃げても、アイツは空から来るんだぞ!」

「物理的に、よ」と玲子は健太の言葉を遮った。「超常的な脅威ではあるけれど、標的はあくまで高橋雄斗という物理的な肉体。ならば、その肉体を誰よりも速く、誰よりも遠くへ運ぶ『足』を確保するのが、今、私たちが取るべき最も合理的な選択。違う?」

玲子の情報網は、すでに次の手を指し示していた。警察や裏社会ですら、その腕前だけは一目置かざるを得ない、一人の男。町の外れにあるガレージで、法と物理法則のギリギリの線上を猛スピードで駆け抜けるマシンを組み上げているという、孤高の天才整備士 。

「その名は、鉄平(テッペイ)。通称、『鉄の心臓(アイアンハート)』」



町の中心部から車で三十分。アスファルトの道が途切れ、砂利と雑草に覆われた脇道を進んだ先に、その場所はあった。錆びついたトタンで覆われた巨大な倉庫。ペンキが剥がれ落ちた壁には、辛うじて「IRON HEART」という文字が読み取れる。そこは、町の穏やかな時間の流れから完全に取り残された、油と鉄と、そして男の汗が染み込んだ独立国家だった。

ドアを開ける前から、グラインダーが金属を削る甲高い音と、インパクトレンチがボルトを締め上げる断続的な打撃音が、彼らの鼓膜を激しく揺さぶった。むせ返るようなオイルの匂い、オゾンが焼ける独特の香り、そして言いようのない熱気。それは、文明の匂いというよりは、巨大な鉄の獣の巣穴に迷い込んだかのような、原始的な迫力に満ちていた。

「ごめんくださーい!」

健太が、周囲の騒音に負けじと声を張り上げる。すると、ガレージの奥で煌めいていた火花が不意に止み、騒音が嘘のように静まり返った。暗闇の中から、ゆっくりと姿を現す人影。逆光で表情はよく見えない。ただ、がっしりとした体躯と、肩に担いだ巨大なレンチだけが、その男が只者ではないことを物語っていた。

「……何の用だ」

低く、不機損な声だった。顔中にオイルの汚れをつけた、ツナギ姿の男。鉄平(テッペイ)。その目は、客人を品定めするというよりは、自分のテリトリーに侵入してきた害獣を睨むような、鋭い光を宿していた。

雄斗と健太が、必死に事情を説明した。天使、世界の危機、狙われる仲間。常人なら一笑に付すか、頭がおかしいと判断するであろう、荒唐無稽な物語。鉄平は、腕を組んで黙って聞いていたが、やがて、心底くだらないというように、鼻で笑った。

「……ガキの都市伝説ごっこか」

彼は、雄斗たちの横を通り過ぎると、再びグラインダーを手に取り、耳をつんざくような火花を散らし始めた。

「そんなもんに付き合ってるほど、こっちは暇じゃねえんだよ。帰れ」 

それは、交渉の余地など一ミリも存在しない、絶対的な拒絶だった。

「なっ……! 人が真剣に話してるのに!」

食い下がる健太を、鉄平は一瞥すらせずに無視する。その時、一歩前に出たのは大輝だった。彼はノートパソコンを開き、冷静に告げる。

「あなたのメインサーバーに、外部からアクセスさせてもらいます。こちらの要求が、あなたにとって無視できないものであることを、データで証明しますので」

カタカタカタ、と凄まじい速度でキーボードを叩き始める大輝。しかし、数秒後。彼の動きが、ぴたり、と止まった。パソコンの画面には、ただ一つ。ドクロのマークと共に、赤い文字が点滅している。

『素人がイジるな。死ぬぞ』 

「……な……」

大輝の顔から、血の気が引いていく。自らが構築したプログラムが、相手のシステムに触れることすらできず、逆にカウンターで警告を叩きつけられたのだ。完膚なきまでの敗北だった。

「忠告はしたぜ」

鉄平は、なおも背を向けたまま、火花を散らし続けている。その姿は、まるで交渉を拒む、分厚く冷たい鉄の壁そのものだった。健太の熱意も、大輝の論理も、この男にはまったく通用しない。万策尽きた。誰もがそう思った、その時だった。

ずっと黙って成り行きを見つめていたソラが、おずおずと、その鉄の壁へと歩み寄っていった。



ソラには、健太の言葉の正しさも、大輝のPCに何が起きたのかも、よく分からなかった。彼女に分かるのは、ただ一つ。目の前の、油と鉄の匂いがする大きな背中が、自分たちの「お願い」を、とても強く、冷たく、拒絶している、ということだけだった。

そして、その拒絶が、雄斗の周りの空気を、またあの「灰色」に変え始めていることも。

ソラは、鉄平のツナギの袖を、そっと、小さな指で掴んだ 。びくり、と鉄平の肩が揺れる。火花が止み、再びガレージに静寂が訪れた。

鉄平が、訝しげに振り返る。そこには、大きな瞳で、ただじっと自分を見上げる少女がいた。その瞳には、恐怖も、計算も、媚びも、何も映っていなかった。ただ、水が満ちた湖面のように、静かで、どこまでも透明だった。

ソラは、自分の胸に手を当て、ゆっくりと言葉を探すように、話し始めた。それは、誰かから教わった言葉ではない。彼女の内側から、生まれて初めて湧き上がってきた、切実な、魂の響きだった。

「お願い」

か細い、けれど、凛とした声だった。

「この人がいないと、胸のところが、ぎゅーってなって、冷たくなるの。息ができなくなるみたいに、苦しいの」 

それは、あまりにも純粋で、あまりにも飾り気のない、剥き出しの感情の告白だった。

その言葉が、鉄平の耳に届いた瞬間。彼の時間が、止まった。

脳裏に、フラッシュバックする。忘れたはずの記憶。守ると誓ったのに、守れなかった、誰かの笑顔。自分の無力さを呪った、雨の日の匂い。後悔という名の、錆びついて動かなくなった歯車が、ギシリ、と音を立てて軋む。ソラの、曇りのない瞳が、彼の心の最も深い場所にある、決して誰にも触れさせなかった傷口を、容赦なく抉り出す。

鉄平の、常に皮肉な光を宿していた瞳が、ほんの一瞬、大きく見開かれ、そして、激しく揺らいだ。

長い、長い沈黙が流れた。

やがて、鉄平は、この世の全ての面倒を背負い込んだかのような、深くて大きなため息をついた。

「……チッ」

舌打ち一つ。彼は、乱暴に頭をガシガシとかくと、作業台に無造作に放り投げてあったキーを掴み、振り返りもせずに、雄斗に向かって放り投げた。

「一度だけだ。二度はねえぞ」 

吐き捨てるような、ぶっきらぼうな声。しかし、その声には、先程までの刺々しい拒絶の色は、もうなかった。雄斗が慌ててキーを受け取ると、それはずしりと重く、冷たい鉄の感触がした。

ガレージの外に出ても、まだ誰もが現実を飲み込めていなかった。雄斗がキーを見ると、それは見たこともない外国車のものだった。

ソラが、ふと足を止め、ガレージを振り返る。

鉄平は、また背を向けたまま、グラインダーの火花を散らしていた。その大きな背中は、まるで自分以外の全てを拒絶するように。

けれど、ソラの目には、その背中が、今まで見たどんなものよりも、寂しそうに、そして悲しそうに、見えた。
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