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第三部:恋という名のバグ - 天使と心
第25話:標的は「君」
しおりを挟む橋の一件が解決し、ソラの胸の奥にあった「チクチク」とした棘は、完全に消え去っていた。彼女は、雄斗への「ふわふわした温かい感覚」が、時として「チクチクした痛み」に変わることを知った。そして、そのどちらもが、彼を大切に想う心から生まれた、かけがえのない宝物なのだと、少しだけ理解することができた。
そのおかげで、サークルの日常には、眠りの村へ行く以前のような、穏やかで温かい空気が戻ってきていた。
「というわけで、今回の『嫉妬深い女の幽霊橋』事件の解決を祝し、乾杯!」
健太の威勢のいい声が、「カフェ・アルカナ」の店内に響き渡る。テーブルには、マスターの桜花が腕によりをかけた料理と、人数分のクリームソーダが並んでいた。シュワシュワと弾ける炭酸の泡と、カラフルなサクランボが、彼らの心を映しているかのようにキラキラと輝いている。
「乾杯!」
グラスを合わせる音と、仲間たちの楽しそうな笑い声。ソラは、その「温かい騒音」に包まれながら、心の底から幸せを感じていた。隣に座る雄斗の横顔を見つめる。そのたびに、胸の奥で、あの「ふわふわ」が、優しく、でも確かに膨らんでいく。もう、その感覚を疑うことはない。怖がることもない。
雄斗もまた、そんなソラの自然な笑顔を見て、心から安堵していた。カイという男が残した呪いから、彼女は完全に解放されたのだと、そう信じていた。
その時だった。
突如、世界の音量が、ゼロになった。
健太の熱弁も、大輝の相槌も、リナの笑い声も、店の外を走る車の音さえも、すべてがぷつりと途絶えた。まるで、分厚いガラスの向こう側の景色を眺めているかのように。
前回よりも、さらに強大な圧力。空気が、まるで鉛にでもなったかのように重く、肌に張り付く。
「来た……!」
翼が呻く。
その言葉を合図に、サークルメンバーは即座に行動を開始した。健太と翼がテーブルを盾にし、大輝がノートパソコンで何かのデータを起動させる。静は、懐から取り出した御札を構え、玲子とリナは、ソラを庇うように彼女の前に立つ。
そして、店の入り口に、それは音もなく舞い降りた。
純白の翼を持つ「天使」。その瞳には、相変わらず何の感情も宿っていない。ただ、この世界の秩序を乱す異物を排除するためだけに存在する、完璧で、無慈悲なプログラム。
「ソラ!」
雄斗が叫び、ソラの腕を引いて自分の背中に隠す。誰もが、天使の標的はソラだと信じて疑わなかった。
しかし、天使は、彼らが作った即席のバリケードや、庇われるソラには、一瞥もくれなかった。その無機質な瞳は、一直線に、何の力も持たない、ごく普通の人間ただ一人を、正確に捉えていた。
高橋雄斗を。
天使が、ゆっくりと右手を突き出す。その動きには、何の躊躇も、何の殺意もなかった。ただ、そこにあるエラーを削除するような、淡々とした、事務的な動き。
「しまっ……!」
雄斗が、自分に向けられた絶対的な存在の圧力を前に、身動き一つ取れずにいる。
その攻撃が、雄斗の胸を貫く、寸前。
甲高い金属音と共に、天使の一撃は、まるで透明な剣で受け止められたかのように、激しい火花を散らして弾かれた。
「だから言っただろうが」
聞き覚えのある、気だるげで、皮肉に満ちた声。天使と雄斗の間に、いつの間にかカイが立ちはだかっていた。
「天使ってのは、とことん合理的な掃除屋なんだよ。バグそのものを一つ一つ消していくより、そのバグを生み出す大元の『原因』を排除する方が、ずっと効率的だと判断したのさ」
カイは、攻撃の手を止めない天使と対峙しながら、サークルの面々に向かって、吐き捨てるように叫んだ。
その言葉の意味を理解した瞬間、サークルメンバーの顔から、血の気が引いた。
ソラという、元・神様のシステムに、「感情」という名のバ-グを教え込み、ついには「恋」という、最も予測不能で、最も厄介なエラーを生み出す、直接的な原因。
それは、他の誰でもない。
高橋雄斗、その人だったのだ。
ソラは、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
頭が、真っ白になる。
(……私の、せい?)
胸の奥にある、あの「ふわふわした温かい感覚」。
世界で一番、心地よい場所。
私が、雄斗の隣にいたいと願う、この気持ちが。
雄斗を、殺す?
(うそ)
信じたくなかった。信じられるはずがなかった。
胸の中の、あの温かくて、キラキラしていた宝物が、一瞬にして、鉛のように冷たく、重い塊へと変わっていく。それは、一番大切な人を、ゆっくりと死に至らしめる、呪いの塊。
カイが、どうにか天使を退けたのか、空間を押し潰していた重圧がふっと消え去る。しかし、カフェ・アルカナには、先ほどまでの祝祭の空気は、もう欠片も残っていなかった。誰もが、衝撃の事実に言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしている。
ソラは、震える手で、雄斗を見つめることしかできなかった。
自分の「好き」という気持ちが、一番大切な人を危険に晒している。
この「心地よい感覚」を抱きしめることは、雄斗の命を奪うことと、同じ意味を持つのか?
恋がもたらす最高の幸福と、それが故の、あまりにも絶望的な恐怖。
その二つを同時に突きつけられたソラは、どうすればいいのか、もう何も分からなくなっていた。
彼女の「愛」は、今、最も過酷で、最も残酷な試練に、その身を晒されていた。
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