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しおりを挟む崩壊坑道は深淵監最古の竪坑網が崩れた後、応急に閉鎖された成れの果てだ。壁は黒曜質の礫で脈打ち、ところどころに湧く冥界蒸気が霧となって足元を滑らす。三人が辿り着いた坑口は岩盤に膨大な亀裂を抱え、上方から微かな風音だけが地上の存在を告げている――だが目視できる出口は無い。
「岩肌を柔らかくし梯子を錬成する。時間は八十秒、灰羽符を惜しむな」
ノクスは灰銀髪を払って壁へ掌を当て、影紋呪符の束を滝のように貼り付けた。墨の蛇が浮かんでは石へ染み込み、岩が生き物の皮のごとく脈動し始める。バルドーが原本を背負って後方警戒し、カミラは写本を胸に冥示の照度を上げ、岩の奥に潜む亀裂の走向を導く。やがて呪符の列が白熱し、壁は粥のように溶けて吹き上がり、螺旋の梯子が宙へ隆起した。
絶望の縁に梯子は夜明けの糸のように伸びる。だが一段目を踏む刹那、坑道下で鎖と軍靴がこだました。近衛誓騎士団──白鎧に黒章の「救援」小隊が深淵監内へ突入して来たのだ。指揮官の短号が響くと同時に、冥界鎖弾が閃光を引き坑道を薙いだ。弾丸は鎖を編んだ黒煙を尾に、着弾点で小さな血色陣を爆ぜさせる。
「援護する!」
峡谷列車で別れたガブリエルが、坑道支線から駆け込む姿が見えた。胸甲に新三誓の白紋を刻み、剣を素手で撫で護誓結界を展開する。白鎖の楕円盾が冥界鎖弾を包み、爆裂を無力化。熱風と黒炎の渦が結界表面を蠢くたび、彼の肩が軋む。
ノクスは灰羽札を裏返し、影紋爆の印を摘む。「一発限定。礼金は地獄の為替で払えよ」 札が空間を跳ね、追撃隊の足元で黒蓮の花火を咲かせた。鎧ごと吹き飛ばされた騎士たちが混乱し、坑道全体が赤い砂埃で霞む。
その隙にカミラは螺旋梯子を駆け上がった。腕の刻印は消えたが、寿命を刻んだ焼痕だけが熱を残す。背後でバルドーが甲高く笑いながら銃撃を跳ね返し、ガブリエルが最後尾の鎖弾を受け止めた。螺旋の頂に達すると、岩肌が薄翳の天幕を裂き、夜風が頬を打った。
外界――帝都下層の裏街屋根群。星空は煤で見えず、赤い光だけが雲を染めていた。遠目に王宮区の尖塔が火の帯を巻き、行政区の魂色検査所が炎柱を上げている。空気は契約香と焦土の混合臭、そして民衆の怒号。魂色検査塔の残骸から黒煙が立ち上り、街路を走る人々の魂鎖が恐怖で灰色に濁るのが冥示に映った。暴動はすでに各区へ連鎖している。
バルドーが原本を背負ったまま瓦礫へ転げ出、荒く笑う。「地上も地獄も変わらねえ火の海! 皇帝の影はもう隠れてねえ!」
ノクスは灰羽の羽根を一枚空へ放ち、風向きを読む。「混乱を起こしたのは〈魂色検査所破壊〉だ。改竄波長と同じ黒煙、連中が町中で撒いたらしい」
ガブリエルが剣を突き立て、護誓結界を天幕の形に延ばす。「まずは写本と原本を安全へ。皇子がいるなら臨時政府区画へ急ぐ!」
炎の都を見渡し、カミラは鎖の痛みを無視して立ち上がる。絶望の坑道を抜けた奮闘は自由へ辿り着いたが、その先に待っていたのは衝撃の戒厳。写本と原本を抱える腕に、冥示の瞳が赤く反射する。
「夜明け前がいちばん暗いなら、今こそ冥示の光を掲げる時――炎都の闇を照らせるかは、次の一手にかかっている」
四人は瓦礫の軒を飛び越え、赤い夜空の下へ消えた。背後では深淵監の開口部が静かに閉じ、奈落の夜明けが地上の夜明けと重なり合った。
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