俺この戦争が終わったら結婚するんだけど、思ってたより戦争が終わってくれない

筧千里

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この男は、異常だ

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 アリオス王都、王城の屋上。
 そこまで綱に引っ張り上げられた暗部の女――レオナは、あまりにも訳の分からない存在である目の前の男に、戦慄すら覚えていた。
 レオナの所属しているガーランド帝国の暗部は、その総数がたったの九名という限りない少なさの構成員である。それは、幼い頃より修行を積み重ね、人間を超越した力を得た異常人しか所属することができないからだ。
 だが、そんな異常な力を持っているはずのレオナからしてさえ、この男――ギルフォードは、異常だった。

「やっぱり、さぼってる兵士がいたよ。とりあえず、声を出せないように始末しておいた。ここからどう進むんだ?」

「……次はこのまま降りて、まず屋根裏に忍び込む。そこから通気口を通って、廊下に出る。廊下に出てからは、常に隠れながらの移動になる。私は吊り照明を渡っていく」

「ってことは、俺は廊下で隠れながら移動、ってことか。警備兵は始末してもいいんだろ?」

「無論だ。今から合図をする。その合図で、逆方の廊下で兵士同士の諍いが起こる予定だ。警備兵はそちらへ向かうし、メイドたちには部屋で待機の命令が出される」

「了解」

 まず、レオナが先に時計台から天井裏へと侵入する。これは、壁を二重にすることで日光による熱さの蓄積を押さえるためのものであり、その中身はがらんどうだ。代わりに、大人だと匍匐前進で進まなければならない程度の大きさしかない。
 暗部であるレオナには、当然ながらこの程度の侵入は慣れている。
 だがギルフォードも、特に何事もない様子で匍匐前進を進め、レオナのうしろをぴったりとついてきた。

「……」

 そもそも、最初は期待などしていなかった。
 レオナが先にアリオス王都に潜入していたように、他の暗部の面々も他国に潜入している。その事実を知っているのは、将軍であるデュランと第三師団長のマティルダだけだ。
 そんなマティルダから、作戦に一人の人員を加える、と話が来たのは先日のことだ。元々は、レオナだけでやり遂げる予定だった任務だというのに。
 だが暗部も軍人である以上、上官の命令に逆らうことはできない。どうせ足手まといが来るだろうし、適当な場所で捨てて、レオナ一人で任務を完了させようとそう考えていたのだ。
 その予定だった場所が、王城の外側だ。
 跳躍して壁を乗り越えろ――レオナはそうギルフォードに告げて、そのまま捨てるつもりでいた。

 だが、ギルフォードは本当に壁を飛び越えてきたのだ。
 レオナは確かに、「跳躍して壁を乗り越えろ」と言った。それは「飛び上がって王城の壁の上を掴んで、そのまま体を持ち上げて壁を越えて飛び降りろ」ということである。
 だがギルフォードは、まさしくそのまま飛び越えてきたのだ。
 まるで、路傍にある石を飛び越えるかのように。
 なんという身体能力――そう、戦慄することしかできなかった。

 そして何より驚いたのは、壁をたった一人で登る、などと言い出したことだ。
 そもそも壁にはろくに凹凸などなく、事前にレオナも調査に入ったが、不可能と判断して次善の策になったのだ。それが矢を放ち、その矢に括り付けた縄で昇る、というものだ。
 ギルフォードから「音が出ないか?」と指摘は受けたが、それは分かってのことだった。壁を登ることができないのだから、それも仕方ない――そうレオナが判断したはずだったというのに。
 この男は、登った。
 ろくな凹凸もない、平面の壁を、身一つで登りきったのだ。それも大した時間をかけず、全く音を立てずに。
 さらに、上でさぼっていた兵士をあっさりと縊り殺したというのだから、その手腕に関しては最早疑う必要もないだろう。

 最強の身体能力を持つ人間たちが集まった、暗部。
 その自信が、たった一人の男によって崩された瞬間だった。

「……もう間もなく、廊下に出る。そこから、三つ目の扉が国王夫婦の部屋だ。私はその向こう、四つ目の扉から入り、王子と王女を拘束する。できるな?」

「ああ、大丈夫だ」

 そして、これだけの手腕を見せられたのだ。既にレオナとしても、ギルフォードを足手まといなどと疑ってはいない。
 戦場で名を馳せる男など、大したことがない――そうレオナの中で凝り固まっていた認識すら覆す、凄まじい男だ。英雄、悪魔、死神、などと謳われていることに、納得がいくほどの。
 だからこそ、この作戦の肝――王族の捕縛も、より功績の高い方を任せる。
 アリオス王国の王族は、国王とその妻である王妃、第一王子と第一王女の四名だ。そのうちいずれかでも逃がせば、その王族を旗印として再起する勢力が現れるだろう。
 だからこそ、一人も逃がすことはできない。

「――っ!」

 通気口から外に出て、レオナは腕による体の動きだけで、吊り照明の金具を掴む。
 この照明は本来、夕方になるとメイドが一つ一つを、梯子でランプに火を灯して回るものだ。そして、まだ朝方の現在は、ランプには全く火が灯っていない。
 さらに、日中に照明を気にする者もいないため、この広い廊下における完全なる死角の一つだと言っていいだろう。
 眼下――廊下には、今のところ人影はない。
 それを確認して、レオナの後に続いてギルフォードも廊下へと降りる。

 ギルフォードがこちらを見て、頷く。
 ただ、少しだけ頬を赤く染めながら。さすがに、埃っぽい通気口は息苦しかったのだろうか。

「……」

 だが、驚愕すべきはその後の動きか。
 レオナの視界からギルフォードは一瞬で外れ、おそろしく素早い動きで廊下にある調度品――その影に隠れる。前方から警備の兵がやってくることに気付いたのだろう。
 レオナもなるべく音を立てず、二つ目の照明へと飛び移る。本来ならば照明を支えるだけの弱い金具だが、レオナはそのために体を十全に絞り、身につけるものですら最低限にしているのだ。
 ギルフォードが懐から短い棒のような何かを取り出し、口に咥える。その棒の先を徐々に近付いてくる警備兵――そこへ向けて、ふっ、息を吹いた。
 恐らく、神経毒の塗ってある吹き矢――その先端が警備兵へと突き刺さり、そのまま倒れた。

「……」

 なんという、鮮やかな手腕。音の一つも立てることなく、あっさりと警備兵を無力化したその動きは、賞賛に値するものだ。
 レオナは、次の吊り照明に飛び移る。

 これだけの、鮮やかな手腕を見せられたのだ。
 この戦争が終わったら、暗部にギルフォードを推薦しよう――レオナは、そう誓った。
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