上 下
25 / 33

釣り

しおりを挟む
 ゲイルが用意してくれた竿は、竹の先に糸が結ばれ、その先端に針がついているだけの簡素なものだった。
 しかも、針は金属製ではなく、恐らく骨を加工したものである。鋭く先端が尖り、ちゃんと抜けないようにかえしをつけているものだ。それは、かつて帝国の入り江でラルフが使っていたものとよく似ていた。

「族長は初めてか? 初めてならば教えるが」

「いや、初めてじゃない。俺に教える必要はない。それより、タリアに教えてやってくれ」

「わかりました」

 人数分――とはいえラルフ、ゲイル、タリア、ジュリの四人だけだが――用意してくれたゲイルが、一応そう言ってくる。だけれどラルフは初めてというわけではないし、帝都近くにいた頃には休みの日に行っていたものだ。休みの日といっても、帝都に戻って二日後には次の戦場へ向かっていたから、ほとんど無いに等しかったけれど。
 だがそれでも、ラルフは自分で釣った魚を夕食にする程度に、釣果はあった。
 むしろ、ラルフよりもタリアとジュリに教えてやった方がいいだろう。二人は、釣りをしたことがないだろうし。

「ふむ……妙な棒だな。この垂らしてあるのは、糸か? 糸などを垂らしてどうするのだ」

「これは……針ですか? この曲げてある針は、一体どういう役割なのでしょう」

「まずは、私と族長がやってみせる。お前たちは、それをまず見てくれ」

 流暢な島言葉で、タリアとジュリにそう告げるゲイル。
 一緒にゲイルが用意してくれたのは、小さな桶の中に入れてある沙蚕ごかいのような紐状の虫だ。うねうねと桶の中で動いている。
 普通、女性はこういう虫を見れば困惑したり、悲鳴を上げたりするものだが――。

「ふむ。虫を使うのか?」

「そうだ。この虫を針の先につけて、そのまま海へ放る。そうすれば、餌を求めて銀の恵みが食らいついてくる。食らいついてくれば、針がそのまま銀の恵みに刺さる」

「なるほど。考えられているのだな」

 ふむ、と沙蚕の一つを手に取り、納得したように頷いているタリア。この島に住む女性に、そういう可愛らしさは期待しない方がいいのかもしれない。
 そして、タリアがラルフの方を見る。

「どのようにつけるのだ?」

「ああ。この頭の部分を、針にこうやって刺すんだ」

「なるほど」

 そして元々釣りが趣味のラルフにとって、沙蚕を針先につける作業など慣れたものである。もっとも、帝国でやっていた頃は金属製の針だったし、ここまで太くはなかったが。
 恐らく、この島にやってきたゲイルが、手ずから作った針なのだろう。
 手早く餌を針先につけて、そのまま海へ向けて垂らす。

「ゲイルは、どうしてこれを持っていたんだ? 白い肌の一族でも、銀の恵みは食べない様子だが」

「まだ東の獅子一族と取引をしていない頃は、肉も調達することができなかった。そのとき、銀の恵みを食べていたんだ。今は東の獅子一族と肉を取引することができているから、誰も使わなくなった」

「ああ、なるほど」

 確かにそう聞けば納得だ。
 使いもしない釣り竿が何故あるのか疑問だったけれど、過去には使っていたものだったのだ。
 そこで、ラルフは逆に楽しみになってくる。
 誰も釣りをしていないということは、この島周辺の魚は、警戒心が薄いということだ。帝国の釣り場はどうしても人が多かったため、魚も警戒してなかなか食いついてこなかった。
 それに加えて、釣り人が多く訪れる場所というのは、釣った魚が多少小さくても、持ち帰って食べる場合が多い。そうなると海の中で魚が育たず、小さいものしか釣れない。その点、この島の周辺は誰も釣りをしていない様子であるため、大物が育っている可能性もある。

「おっ……」

 そこで、くいっ、とラルフの竿に走る感覚。
 今まさに、海の中で餌へと食いついているのだ。暫し待ち、その感覚が強くなってきたあたりで、ラルフは手首を返す。
 それと共に、ずしりとした重みが竿へと掛かった。

「よしっ!」

「おぉ、さすがは族長。早いな」

「ああ。結構大きいぞ」

 今までラルフが釣りをしてきた中でも、トップクラスに重い感覚。
 だけれど、石の棍棒を抱えて走り回ることのできるラルフの腕力で、釣り上げることができない魚などいない。腕に力を込めて、思い切り振り上げる。
 それと共に、水面から飛び出てきたのはよく太ったアジだった。

「おぉ、これはでかいな!」

「いい大きさだ。塩焼きにして食べたら美味しいぞ」

「ははっ! この感じは久しぶりだ!」

 上がってきたアジを掴む。
 活きが良く、ばたばたと体を捻らせているけれど、陸に上がれば魚は無力だ。先に水を張ってあった桶へと、針から外したアジを放す。

「おぉぉ……!」

「川にいる銀の恵みとは、違いますね。本当に美味しいのでしょうか……」

「ああ、すごく美味しいぞ」

 ジュリの呟きに、ラルフは頷く。
 これだけ肥えたアジならば、軽く塩を振って焼いただけでも美味しいだろう。
 さらにラルフは、次の沙蚕を針先へとつける。

「ラルフ。私もやってみたいぞ」

「ああ、やってみてくれ」

「わ、わたしもやりたいです」

「ああ」

 タリア、ジュリがそれぞれ沙蚕を手に取り、針先へとつけていく。
 勿論最初から上手くいくわけではないけれど、初心者とは思えないくらいに上手につけていた。
 さらに、最初に考えたように警戒心が薄いのか、放ったラルフの餌へとまたすぐに魚が食いついてくる。

「はははっ! 今日は大漁だな!」

「タイリョー?」

 思わず帝国語でそう叫んだラルフに、不思議そうにタリアが首を傾げていた。











 この日の釣果は、三十匹以上にも及んだ。それも、よく太ったものばかりが。
 フグなどの毒のある魚は外して再び海に放ち、食べられるものだけを持って帰ったのだが、それでも大量と言っていいほどだ。

 不思議そうに見ていた集落の民に対して、ラルフは調理法を教えた。
 とはいえ内臓を取り綺麗に洗って、塩を振って焼くだけというシンプルなものだが。

「うまい! 銀の恵みとはこれほどうまいのか!」

「ああ、タリア。満足してくれたか?」

「ああ! 潮の川にいる銀の恵みは、川にいるものとは全く違うのだな!」

 そして、魚の美味しさを覚えた東の獅子一族は。
 翌日から、若い衆の釣り竿を持って潮の川――海へと向かう当番が新たに加えられた。
しおりを挟む

処理中です...