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嫉妬の視線

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「ふんふーん」

「ご機嫌だな、ラルフ」

「ああ。こんなに、毎日これが出来るのは楽しいよ」

 タリアの言葉に、竿の先についた針を海の中に沈めながら、ラルフは答えた。
 元々釣りは数少ない趣味の一つであり、戦場以外で過ごした数少ない記憶だ。だからこうして、竿を持って糸を垂らしているだけでも、それを楽しいと思える。
 タリアも最初はラルフの見よう見まねでやっていたものの、少しやってみてから「私の針には銀の恵みが食いつかない。つまらない」と言われて、すぐにやめてしまった。ラルフは釣り糸を垂らして待っている時間も楽しいタイプであるため、よく分からなかったが。
 だが、別段ラルフとしても、タリアに趣味を強要するつもりはない。自分が楽しめればそれでいい話だ。

「わぁ! また獲れました!」

「お、ジュリ上手いな」

「えへへ、これで二匹目です。今夜のラルフ様の食事は、わたしが獲った銀の恵みを焼きますね」

「俺だって獲るぞ。まだ始まったばかりだからな」

 比べて、釣りを楽しんでいるのは逆隣にいるジュリである。初日からこつを掴んだらしく、嬉しそうに何匹も釣り上げていた。今日も、「銀の恵みを獲りに行きましょう!」と誘ってきたのはジュリである。
 そして何故か、釣りを全くやらないタリアも一緒についてきて、何故かラルフの隣に座っているわけだが。仕事とかないのだろうか。
 ちなみに、ゲイルは初日以外は来ていない。現在は白い肌の一族が東の獅子一族の集落に住み着いているため、近くに畑を作っている最中なのだ。先日は、忙しい中で抜けてきてもらって、ラルフが教わっていただけに過ぎない。

「わ! また獲れました!」

「ジュリの針にはよく掛かるな。俺まだゼロなのに」

「えへへ。楽しいですね、これ!」

「ああ」

 笑顔のジュリに対して、ラルフもまた楽しげにそう答える。
 しかし逆隣のタリアは、やや不機嫌そうに唇を尖らせていた。

「ラルフの故郷では、これは一般的だったのか?」

「ああ。子供でも、潮の川に行ってよくやっていた」

 タリアの質問に、淀みない島の言葉で答える。
 ちなみに『潮の川』というのは『海』という意味だ。島の中では水が存在するところを、基本的に『川』と称するのが一般的であるらしい。そのため、集落の最も近くを流れる汚い川は『川』、集落の中にある飲み水のための湧き水が流れる場所は『澄んだ川』、そして今いる海は『潮の川』である。
 そして現状、『釣り』に相当する言葉が見当たらないため、『これ』『あれ』で示している。今朝だってジュリが、竿を振る仕草をしながら「これ、行きましょう!」と言っていたくらいだ。

「むぅ……子供でもできるのか」

「子供でも出来ることを、出来ない大人の女がいるみたいですね」

「……ジュリ、私と戦いたいのか?」

「嫌ですね、東の一族は。強い者ばかりが偉いと考えていて」

 ばちばちっ、と視線の間で飛び交う火花。
 もう少し仲良くすればいいものを、何故かこうして諍いを起こすことの多い二人だ。間に挟まれているラルフからすれば、たまったものではない。
 小さく溜息を吐いて、釣り竿の方に目を向ける。とりあえず、下手に仲裁に入ると巻き込まれるということは、経験上知っているのだ。
 だけれど――。

「ふん、いい身分だな」

 そう――少し離れた位置で、呟く声が聞こえた。
 むしろそれは呟くというより、あからさまにこちらに聞こえるように言ったことだ。事実、そんな呟きに対してタリアが立ち上がった。

「ジェイル! お前は何を言っている!」

「……ふん」

 それは、ラルフたちから少し離れた位置で釣りをしていた男――ジェイルだ。
 初日に魚――銀の恵みを大量に持ち帰ったラルフは、捌いて塩焼きにして集落の皆に提供した。その結果長老から、「銀の恵みは、まさしく我々の恵みになるんだね。明日から、集落の若者に銀の恵みを獲りに行く者も決めよう」と言われたのだ。
 その結果、今日釣りに興じているのが東の獅子一族の若い男、ジェイルである。

「俺は見たままを言っただけだ。女二人に囲まれて鼻の下を伸ばしやがって。神だか何だか知らないが、いいご身分だな」

「ジェイル!」

「大体、俺はまだ認めていないんだ!」

 きっ、とラルフを睨み付けて、ジェイルが立ち上がる。
 集落に来たばかりの頃――まだ言葉が分からないうちから、ジェイルには快く思われていないとは考えていた。何故か敵意剥き出しの視線を向けられたことも、何度もあったのだ。
 だけれど、ラルフは別段博愛主義者というわけではない。集団の中にいる以上、誰からも好かれる人物というのは稀にしか存在しないのだ。誰かが好ましく思う相手でも、誰かが疎ましく感じるのは当然である。
 だから、別段ジェイルがラルフのことを嫌っていることも、何とも思っていなかったわけだが――。

「大体、何故タリアがこいつの世話係なんだ! こんな余所者の!」

「……ん?」

「お前は、集落の男の世話係になるのが当然だろうが!」

「……?」

 ジェイルの言葉の意味が分からず、ラルフは眉を寄せる。
 余所者の世話係――それは、当然なのではないだろうか。ラルフは余所者であるのだから、しきたりとか規則とかが分からないし。
 むしろ、集落の男なら自分で自分の面倒くらいは見るのが当然である。

「ジェイル! お前は、私の決断を馬鹿にするのか!」

「大体、世話係なら白い肌の女がいるだろうが! お前が世話係になる必要はない!」

「強い男は、それだけ女を伴うものだ! 文句を言うならば、お前もラルフほど強くなってみせろ!」

「そんなもの関係ない! 集落に生まれた女は、集落の男の世話係になるのが当然だ!」

「ジェイル、貴様……!」

「待て、タリア」

 ジェイルと激しい口論をしているタリアを、ひとまず優しく止める。
 今にも殴りかかろうとしているような雰囲気だったけれど、とりあえず聞く耳はまだ残っていたらしい。

「……ラルフ。ジェイルはラルフのことを、馬鹿にしている」

「ああ……まぁ、横で聞いていて、少し思ったんだが」

 こほん、とラルフは咳払いをして、それからジェイルを見る。
 そして、心の中に浮かんだちょっとした疑問を、問いかけた。

「ジェイル。お前に世話係は必要ないだろう?」

「――っ!?」

 余所者であり、この島のことをろくに知らないラルフならばまだしも。
 生まれが東の獅子一族の集落であるジェイルに、世話係など必要なのだろうか――そう感じて。
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