山神様と身代わりの花嫁

村井 彰

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1話 山神の伴侶

  遙か山の向こう側を、とんびが甲高い鳴き声を上げながら、ゆっくりと旋回している。日暮れもそう遠くないこの時間、彼、もしくは彼女もきっと、住処へと帰るのだろう。帰る場所があるというのは良い事だ。自分はもうすぐそれを失くしてしまうけれど、ずっと前から決まっていた事だから、仕方ない。時代はこれから目まぐるしく変わっていくのだろうが、それを見届けることは叶わないのだ。
 「……すまんな、汐季しき。悪く思わないでくれよ」
  背後からかけられた声に、ぼんやりと空を見上げていた汐季は、ゆっくりと瞬きをしながら振り向いた。前髪の後退した五十絡みのその男性は、この村の長であり、汐季の育ての親でもある。その後ろでは、彼の一人娘である少女が気遣わしげな視線をこちらに向けていた。彼女と汐季は同じ十八歳。汐季がまだ幼い頃、村長に拾われた時から、兄妹のようにして育てられてきた。けれどそれも、今日までのことだ。
「……今まで本当に、お世話になりました」
  村長の方に体を向けて、深く頭を下げる。女のように長く伸ばした髪が、さらりと頬を流れて、汐季の視界を覆い隠した。
  再び顔を上げた時、汐季の目に飛び込んできたのは、畑ばかりで平坦な村の景色と、山の裾野に立つ汐季を遠巻きに見つめる村人たちの姿だった。
  一様に年を重ねた彼らの瞳に浮かんでいるのは、どれも同じ哀れみの色。そして、長年自分たちの頭を悩ませていた厄介事が晴れるという安堵。けれど心の底ではその安心を疑っている、そんな複雑な感情が垣間見える。
「これを持って行きなさい。もうすぐ暗くなるから」
  いつの間にか汐季の隣まで近づいていた村長が、古い提灯を手渡してきた。何度も紙を貼り直して、継ぎ接ぎだらけになったその提灯の中には、頼りない蝋燭の炎が揺らめいている。
「ありがとう、ございます」
  小さな丸い提灯を受け取って、再び頭を下げる。
  もう、行かなくてはならない。
「汐季!」
  夕暮れの迫る山道へと一歩踏み出した瞬間、背中から投げかけられた声に、汐季は足を止めた。肩越しに振り返ると、村長の娘である沙恵さえが、今にもこちらへ駆け寄ろうとして、周りの村人たちに止められていた。
「これ、沙恵!」
「汐季! 汐季……あたし……」
  沙恵は必死に何かを伝えようとして、けれど上手く言葉に出来ないようだった。
「……お嬢さんも、どうかお元気で」
  軽く会釈をして、視線を前に戻す。
  沙恵はもうじき、山向こうの町にある、大きな商家の長男に嫁ぐことが決まっている。彼女はお店の女将さんになるのだ。汐季とは文字通り、住む世界の違う人間だ。
「汐季……」
  寂しそうな声に未練を残してしまわないよう、振り返ることなく、前へと足を踏み出す。
  もう二度と、ここへ帰って来ることは無い。


  一歩、また一歩、踏み込むごとに周囲が暗くなっていく。太陽の光は徐々に山向こうへと消えていき、昼の名残りのような僅かな夕闇さえも、生い茂る木々が隠してしまう。己の体を押し潰そうと迫る暗闇の中、草履が砂利を蹴る音に混じって、獣の遠吠えが聞こえてくる。心臓が煩く暴れているのは、山道を足早に進んでいるせいだけではないだろう。
  本来、夜の山は人が踏み入るべき場所ではない。山の神が目を覚まし、神の下僕である獣たちが跋扈ばっこするこの時間、山は人ならざる者たちの領域に変わるからだ。汐季も幼い頃から、日暮れの山には立ち入るなと、周りの大人たちに強く言い含められてきた。
  今夜、その禁を破ってまで、汐季がここに立ち入った理由はただ一つ。
  この山に棲むという、山神の伴侶となるためだった。

  *

  始まりは、今から十六年前の事だったと聞いている。瞳に焼き付くような緑が覆う夏の山に、それは突然現れた。
  それは、明らかな異形だったという。詳しいことは誰も語ろうとしないが、ともかく一目見ただけで、人の世に存在しうる生物ではないと、はっきり分かる姿をしていたそうだ。
  それは、当時まだ赤子だった沙恵を指して、こう言った。「その子が十八になった年、我が伴侶として貰い受ける」と。
  その言葉を聞いた村長は、さぞかし動揺したことだろう。たとえそれが“神”と呼ばれる存在だったとしても、人では無いものに大切な一人娘を差し出すなんて、そう簡単に決断できる筈が無い。
  悩んだ末に彼が出した答えは、至って分かりやすいものだった。
  一人娘を差し出せないのなら、身代わりを立てればいい。ちょうどよく、村には親に捨てられた身寄りのない子供がいる。娘と同じ歳のその子供を、娘の代わりに神の伴侶として育てあげよう。
  そうして拾われたのが、汐季だった。

  *

「はあ……っ」
  息が上がって、呼吸が苦しくなる。それでも進む足はどんどん速くなっていく。足を止めたら、その瞬間に暗がりから怪物が手を伸ばしてきて、頭から食べられてしまう。そんな子供じみた妄想に取り憑かれて、追い立てられるように山道を登った。
  山の神、というものが本当に存在するのか、汐季には分からない。けれど、その伴侶になるという事が、何を指しているのか。それだけは何となく想像がつく。
  要するに、自分は生贄として捧げられたのだ。かつて村長が出会ったという異形が、実在するにしろ、しないにしろ、どのみち自分は生きて村には帰れない。怪物に取り殺されるか、獰猛な獣たちに食い荒らされてその糧となるか、精々その程度の違いだ。旅立つ前に着せられたこの白い着物は、祝言の衣装なんかじゃない。死装束だ。
「……っ」
  じわり、と涙が滲んだ。汐季はずっと、今日この日に、死ぬために育てられてきた。割り切っていたつもりだったけれど、こうして眼前に死を突きつけられると、恐怖で気が触れてしまいそうだった。
  もはやほとんど駆け足になって、汐季は一心不乱に山頂を目指していた。山頂には、山の神を祀った古い社がある。山に入ったら真っ直ぐにそこを目指すのだと、そう教えられた言葉に何も考えずに従うことで、どうにか自分を保とうとしていた。
  そうして、どれくらい走り続けただろう。張り出した木々に打たれ続けた汐季の体は、枝の先で引っ掻いた傷と泥に塗れて、酷い有様だった。けれど汐季には、痛みを感じる余裕さえ残っていない。髪も着物も乱れてボロボロになった姿のまま、ようやくそこに辿り着いた。
  すっかり暗くなった森の中、なぜかその場所にだけ、周囲の植物が意志を持って避けているかのような、ぽっかりとした空間が開いていた。真っ黒な木々によって作られた洞穴のような場所の中心に、朽ちたやしろがポツンと建っている。それ以外は、何も無い。
  ここが、村長たちの言っていた“山頂のお社”で間違いないだろう。けれどここには、神様どころか、獣や虫の気配すら感じない。完全に日の落ちた暗闇の中、汐季は一人きりだった。
「…………ははっ」
  乾いた笑いが、喉の奥から洩れる。やっぱり、山の神様なんていやしなかった。結局自分は、口減らしのために捨てられたのだ。実の両親にさえ捨てられた、いらない人間だから。
  右手に提灯を提げたまま、ふらふらと社に近づく。不安定な明かりに照らされて暗闇に浮かび上がった社は、物置小屋程度の大きさしかなく、屋根も、扉も、酷く苔むして歪んでいた。手入れをする者がいなくなって久しいのだろう。この有様では、たとえ神様が居たとしても、怒ってどこかへ行ってしまったに違いない。
  汐季は半ばやけになって、汚れた草履のまま社の階段に足を乗せた。無人ならどう扱ったっていいだろう。腐りかけた木の板がミシミシと音を立てるが、どうにか踏み抜くことなく扉の前まで辿り着けた。扉の上部は格子状になっているが、中は暗くて見通せない。提灯の明かりを掲げてみても、淡い蝋燭の光は手元を僅かに照らすだけだ。
  仕方がない。扉に鍵などは掛かっていないようだから、こじ開けて直接中に入ってみよう。こんな古い社でも、外で夜明かしするよりは遥かにましな筈だ。
  提灯を左手に持ち替えて、扉に手をかける。
  異変に気がついたのは、その時の事だった。
「やっと来たのか。待ち侘びたよ」
  社の中から、声が聞こえた。ほんの一瞬前まで無かった筈の誰かの気配が、扉の向こうにある。信じ難い出来事に驚いて何も言えない汐季の前で、唐突に扉が奥に開き、そこから伸びてきた手が汐季の右手を掴んだ。
「う、わ……っ」
  突然強く手を引かれ、為す術もなく社の中に引きずり込まれる。そこは真っ暗で、かびと埃の匂いが充満する、汚い小部屋……だと思ったのだが。
「……えっ」
  ここは、一体どこだ。
  社の中へ一歩足を踏み入れた瞬間、そこは全く別の場所に変わっていた。見知らぬ立派な家の玄関。美しく磨きあげられた廊下は真っ直ぐ長く続いて、提灯の明かりを淡く反射して輝いている。むかし村長の付き添いで一度だけ泊まった町の旅籠はたごを思い出す。けれどここは、あそこよりも更に広い。
「よく来たね。今日からここが、君の家だよ」
  肩の辺りから聞こえた声に、ハッとして視線を下げる。そこには、汐季の手を取ったまま嬉しげに微笑んでいる少年の姿があった。年の頃は十四、五歳くらいだろうか。汐季の肩辺りに彼の目線がある。薄暗がりの中ではよく分からないが、随分と明るい髪の色をしているようだ。もしや異国の人なのだろうか。そのわりには流暢りゅうちょうな話しぶりだが。
「あの……貴方は……」
「なんだ? 君は僕の伴侶になるために、ここへ来たんじゃないのか」
  伴侶。その言葉を聞いて、ようやくこの少年が何者なのか、その答えに思い至った。
「山神様……?」
「やめなよ、そんな他人行儀な呼び方は。僕達はこれから夫婦になるんだから」
  少年はそう言ってムッと唇を尖らせる。けれど、汐季の言葉自体を否定する様子はない。だとすれば、そんな、まさか。
  改めて、目の前に立つ少年の姿を観察する。山の神は、一目見ただけでそうと分かるほどの異形なのだと聞いていたが、ここにいる彼は、少々不思議な雰囲気を持っているとはいえ、どこからどう見てもただの人間にしか見えない。これは一体どういうことなのか。混乱する汐季をじっと見上げて、少年は僅かに眉をひそめた。
「……ところで君、どう見ても男だね? 幼い頃の君を見た限りでは、てっきり娘だと思っていたのだけど」
  訝るような少年の口調を受けて、背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。自分は沙恵の代わりにここへ来たのだ。この少年が本当に山の神だというのなら、絶対に身代わりだと気づかれる訳にはいかない。神をたばかったとなれば、自分だけでなく、沙恵までもが酷い目に遭うかもしれないからだ。
「あ、その……幼い時分は、娘として育てられておりました。そうすれば丈夫に育つという、迷信です」
「ふうん? 人間は奇妙なことをするね」
「はい……ですので、あの、山神……旦那様を謀る意図があった訳ではありません」
  最後のは余計な一言だったかと、汐季は慌てて口を噤んだ。しかし少年の方は、「旦那様」という単語に気を良くしたようで、上機嫌に口元を緩ませた。
「ふふん……まあ良いさ。僕らにとっては、男女の違いなんて些細なことだからね」
  そう言って、少年は繋いだままだった汐季の手を引いて、また少し顔を顰めた。
「それにしても酷い格好だね。まさか一人で歩いてここまで来たのかい」
「あ、はい……」
「そう……呆れたものだ。村の住人たちは、僕の伴侶のために輿こしのひとつも用意しなかったのか」
「それは……皆とても貧しくて、そうするだけの余裕が無かったのです。お許しください」
「……ふん」
  小さく鼻を鳴らして、少年は汐季から目を逸らした。
「全く、仕方ないね。ここへ来たからには、もう君にそんな苦労はさせないよ」
  そういうが早いか、少年は汐季の手から提灯をもぎ取り、そのままくつ脱ぎ石の上で器用に下駄を脱いで、廊下へと上がった。
「あ、待ってください……っ」
  少年に手を引かれるまま、脱いだ草履を整える暇もなく、汐季は屋敷の内部へと足を踏み入れた。

  自分よりも背の低い少年に連れられて、長い廊下を真っ直ぐに進んで行く。廊下の右手には、中心に四角い硝子の嵌った障子が並んでおり、そこから庭の様子が見えた。石灯篭のほのかな明かりに照らされて、暗闇の中に幻想的な紅葉の赤が浮かび上がっている。
  何も言わずに汐季の手を引いている少年の手のひらは、柔らかくて温かい。それだけで、彼が裕福な暮らしを送っている事がよく分かった。毎日くわすきを振るい続けて硬くなってしまった自分の手とは、随分な違いだ。
  廊下の突き当たりまで行き着いた少年が、そのまま左手に折れて更に屋敷の奥へと向かって行くのに従いながら、汐季は顔を俯かせた。みすぼらしい自らの姿が、急に恥ずかしくなったのだ。こんな汚れた足袋で、綺麗な廊下の上を歩くことが申し訳なくて、少年の手を振りほどいて逃げてしまいたくなる。
「あの……」
「ほら、着いたよ」
  いたたまれなくなった汐季が声を上げたと同時に、少年が足を止めてこちらを振り向いた。彼が提灯の明かりを向けて示しているのは、薄い木の引き戸だ。
「君を待っている間に風呂を沸かしておいた。早くその泥だらけの体を洗って、新しい着物に着替えるといい」
「あ……はい、申し訳ありません……」
  頬がカッと熱くなる。汐季は少年の顔を見られないまま、パッと手を離して風呂場へと駆け込んだ。

  *

「旦那様、こちらにいらっしゃいますか」
  隙間から僅かに明かりが漏れている襖の前で正座して、汐季は遠慮がちに声をかけた。温かい湯船に浸かったおかげで、緊張に強ばっていた体は随分楽になった。
「いるよ。早く入りなよ」
  室内から聞こえてきた声の穏やかさに安堵して、汐季は襖に手をかけ、音を立てないようそっと開いた。
「失礼します」
  正座したまま頭を下げて、部屋の中に顔を向ける。八畳ほどの座敷は、真ん中に柔らかそうな布団が二組並べて敷かれており、部屋の隅に置かれた行燈あんどんが、畳の上に暖かな色の光を落としていた。
「こっちにおいで」
  手前の布団の上で胡座をかいた少年が、自分の隣をぽふぽふと叩きながら呼んでいる。汐季は慌てて座敷の中ににじり寄り、襖を静かに閉めて、少年の近くに腰を下ろした。そんな汐季の姿を見上げて、少年は首を傾げた。
「ふむ。やっぱり君には小さ過ぎたか」
  少年はそう言って、汐季が身につけている寝巻の袖を軽く引っ張った。少年が用意してくれた着替えは明らかに女物で、汐季が着るには少々丈が足りなかった。きっと沙恵が着たなら丁度いい大きさだったろうと思う。
「新しい物を仕立て直さないといけないね」
「すみません、お手間をお掛けして……」
「別に、この程度手間でも何でもない」
  汐季の袖を強く引いて、少年は顔を近づけてきた。香でも焚いていたのだろうか。林檎のような甘い香りが、一瞬だけ汐季の鼻をくすぐった。
「そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったね」
  香りに一瞬気を取られていた汐季は、その言葉に慌てて姿勢を正した。
「俺……私は、汐季と申します」
「そうか、では汐季。君は今日から、僕の家族になるんだ。余計な遠慮はしなくていい」
「家族……?」
  汐季にとって、それは耳馴染みのない言葉で、けれど心のどこかで憧れ続けていた言葉でもあった。村長も、沙恵も、他の村人たちも、みんな汐季には優しくしてくれた。だけど自分は所詮拾い子でしかなくて、彼らとの間にはどうしたって取り除けない隔たりがあるのを感じてもいた。
  山神の伴侶とは、体のいい生贄のことだと思い込んでいた。だけど、これがちゃんとした“結婚”なら、それは新しい家庭を築くということなのだ。
  こんな自分でも、家族を作ることが出来る。それは、相手が目の前にいる、人ならざる少年だということを一瞬忘れさせるほど、汐季にとって心が躍る響きだった。
「汐季?」
「あ、すみません」
  少年の指先が、汐季の頬に触れる。汐季を待っている間に冷えてしまったのか、少年の指は少し冷たかった。
「……汐季」
  頬に触れたままの指が、つ……と滑って、汐季の顎を掴んだ。その時になってようやく、少年が纏っている空気が少し変わったことに気がついた。
「旦那様?」
  触れている手を振り払う訳にもいかず、汐季はされるがまま、膝の上で拳を握った。なんだか嫌な予感がする。
「……そう、僕は君の旦那様だ。だから君には、伴侶としての役目を果たして貰わなくてはいけない」
  少年の声が僅かに低くなったのを聞いて、ゾッと背筋が粟立った。彼が子供のような姿をしているせいで、今まで考えが至らずにいたが、元々この山神は、沙恵という若い娘を妻として求めていたのだ。その代わりをさせられるということの意味を、今更ようやく理解した。
「あっ、あの、旦那様……! 見ての通り、私は男です」
「なんだ今更。そんなことは知っている」
「いえ、ですから、その……旦那様が望まれているような、妻としての役目は、果たせないと思うのですが……」
  どうにか彼を説得出来ないものかと、必死に言い募る汐季の目を真っ直ぐに見つめて、少年は短い眉を怪訝そうに寄せた。
「そんな事は関係ないだろう。男だから出来ない、という事はない筈だ」
「ですが……」
「それとも何か? 家事は女の仕事だからやりたくないとでも言うつもりかい。それはあまりにも愚かしい考えだよ」
「…………は」
  家事? 何かの聞き間違いかと瞳を瞬かせる汐季を見上げて、少年はフンと鼻を鳴らした。
「何か不満でも?」
「あ、いえ、そんな滅相もない!」
  汐季は慌てて頭を下げた。俯いた顔が真っ赤になっているのが分かる。自分は何てことを考えていたのだろう。
「おかしな子だね、君は。……まあいい、今日は疲れただろう。早く休んで、明日からの暮らしに備えることだ」
「は、はい……」
  顔を上げられないまま、汐季は小さく頷いた。視界の端に映っていた少年の膝が離れていって、行燈の火が消える。
「それじゃあ、おやすみ」
  あっさりとそう告げて、少年は隣の布団にもそもそと潜っていったようだった。そうして少年が完全に掛け布団の中に入ったのを暗闇の中に感じると、汐季はようやく自分に用意された布団を捲った。恥ずかしさでいたたまれず、体を縮めて布団を頭まで被る。
  よく干された布団はとても柔らかくて、山道を歩き続けて疲れきった体を包んでくれる。緊張の糸が完全に切れてしまったのか、横になった途端、猛烈な眠気が襲ってきた。
  とろとろと微睡みながら、このたった数刻の出来事を、夢のように思い返す。温かい湯船に浸かって、綺麗な着物を着て、こんなに上等な布団で眠るだなんて、こんな贅沢は産まれて始めてだ。もしかすると、これは全部夢で、本当の自分は真っ暗な山の中、一人で眠っているのかもしれない。だとしたら、そのまま永遠に目覚めなければいいのに。
  隣で聞こえる穏やかな寝息に耳を傾けながら、汐季はいつの間にか、眠りに落ちていた。
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