山神様と身代わりの花嫁

村井 彰

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10話 それぞれの生きる場所

  その日の夕暮れを待って、汐季は山のふもとを訪れていた。ここから見える景色は、十年前と同じだ。汐季が山の神に捧げられた、あの日の景色と。
  けれど今は、あの時とはまるで違う。ここに居るのは汐季と沙恵、結子の三人だけ。そして汐季は、自分の意思で山の上へと向かうのだ。
「汐季」
  名前を呼ばれて振り向けば、橙色に染まる畦道あぜみちの半ばで、寄り添いあって立つ二人の女性がそこに居る。
「汐季。もう行くんだね」
「……はい」
  頷いた汐季に微笑みかけて、沙恵は少し目を伏せた。
「なんだか、十年前のあの日を思い出すね。……あの時の私は、本当に弱くて卑怯だった。あんたが私の代わりに死ぬかもしれないって思ったのに、黙って見送ってしまった……またあの化け物に会うのが怖くて、あんたに全部押し付けて逃げたの」
「逃げただなんて……俺たちが身代わりのことを知らされた時には、もう沙恵さんは結婚が決まっていたじゃないですか。どうにも出来なかったのは、沙恵さんの責任じゃないですよ」
  今思えば、沙恵だってろくに会ったこともない相手に嫁ぐことになっていたのだから、その境遇は汐季と同じだ。もちろん沙恵の父にとっては、娘の幸せを願って決めた縁談だったのだろうが。
「身代わりのために拾われたんだと知った時は、確かに辛かったけれど……だけど、そのおかげで会えた人たちがいるんです」
  だからもう、夕暮れの山は怖くない。会いたい人の元へ続いているから。
「だから、沙恵さん、結子さん。いってきます」
  あの日と同じように、汐季はこの村を出る。だけど今度は、永遠のお別れなんかじゃない。
「……汐季、結子も、ちょっとおいで」
  そう言って、沙恵はそれぞれの手を引いて、二人を同時に抱きしめた。
「ちょ、ちょっと沙恵さん」
  ずっと黙っていた結子が、少し慌てたような声を上げる。
「あのね、結子、汐季。私にはもう家族といえる人はいないって言ったけど、あれは間違いだった。あんたたち二人とも、私の大事な家族だよ」
  そう言って、汐季の手だけを離すと、沙恵は顔を上げて笑った。
「いってらっしゃい、汐季。またね」
「……はい。またいつか」
  二人に向かって頭を下げて、汐季は山頂への道を見上げた。夕陽に染まる道の先に、小さな蛍の光が見える。そのわずかな輝きに誘われて、汐季は一歩踏み出した。


  一歩、また一歩、山に踏み込むごとに、周囲は暗くなっていく。だけど道に迷う心配はない。汐季の前を行く蛍が、確実に山の頂上へと導いてくれていた。
「俺のこと、待っていてくれたんですか?」
  訊ねてみても、当然蛍は何も答えない。それどころか、他の虫や、鳥や獣の鳴き声さえも聞こえない。痛いほどに静かな山の中に、土を踏み締めて歩く足音だけが響いていた。
  そうして、どれほど歩いただろう。山頂に辿り着く頃には、辺りは完全な暗闇に包まれていた。お社の中にも明かりはなく、そこがどこかへ繋がっている気配はない。自分は遅すぎたのだろうか。汐季が少し焦りを覚えた時、目の前を飛び回っていた蛍が、吸い込まれるようにお社の中へと入り込んだ。その瞬間。
「あ……」
  お社の中に、明かりがついた。それを目にすると同時に、汐季は駆け出していた。
「螢花様!」
  もどかしい気持ちで扉に手をかけ、転がるように中に飛び込む。古い扉の向こうは、大きな屋敷の玄関に繋がっていた。螢花の屋敷だ。帰ってこられたんだ。
  玄関に脱いだ草履をそろえる余裕もなく、汐季は廊下に駆け上がった。
「螢花様! 螢花様、いらっしゃいますか!」
  周囲の襖を片っ端から開けて声をかけるが、螢花の姿はどこにもない。そのまま廊下を進んで行き着いた奥座敷で、汐季は足を止めた。
  汐季がここで最後に螢花を見た時同様、そこは酷い有様だった。襖は外れて、床の間に飾られていた花瓶は割れ、白い花びらが辺りに散乱している。螢花の姿はどこにもないが、庭へ続く障子が壊れていて、巨大な何かが這いずりながら出ていったような跡がある。汐季は足袋のまま庭に降りて、草が押し潰された跡を追いかけた。その跡は予想通り、庭の隅にある蔵へと続いていた。
「螢花様……?」
  薄く開いたままの扉に手をかけて、なるべく音を立てないように蔵の中を覗いた。薄暗い蔵の奥で、白く巨大な塊が丸くなって震えている。その姿を見た汐季は、恐怖も忘れて中に飛び込んでいた。
『汐季……?!』
  螢花の体が驚いたように震え、汐季とは反対の方向に這いずっていこうとする。しかし蔵に出入り口はひとつしかなく、今の螢花の巨体が逃げる場所はない。
『なんで、君がここにいるんだ……人の世界に、帰ったんじゃなかったのか』
「はい。ですがまた戻ってきました。どうしても、螢花様にお会いしたかったんです」
『僕に……?』
  信じられない、と言いたげに螢花が頭を振る。
『君は何を考えているんだ……僕は、化け物なんだぞ。見れば分かるだろう』
「貴方が人でないことは、初めから知っています」
  一歩前に出て、螢花の体に手のひらで触れる。白く柔らかい皮膚の下に、少し速い鼓動を感じた。
『だけど……僕はもう、君にこの姿は見せないって約束したんだ。それなのに、上手くできなくて……』
「違うんです、螢花様。その約束をしたのは、俺ではありません」
『え……?』
「貴方が昔会った子供は、俺がお世話になっていたお家の娘さんだったんです。俺はその娘さんの身代わりとして、貴方の元へ行くように言われて来ました」
『……そんな』
  床に頭を擦り付けて、螢花が呻く。それをなだめるために、ぶよぶよとした螢花の体にそっと額を寄せた。
『そんなに嫌がられていたなんて、思わなかった。……だったら断ってくれたら良かったのに、どうして身代わりなんて立てたんだ』
「……貴方たちに比べれば、人間はみんな愚かで弱い生き物です。一度交わした約束もすぐに忘れてしまうし、あっという間に成長して姿も変わる。そのくせ、他人の心よりも、見た目にばかり囚われてしまう。……貴方の優しさを知っているはずの俺自身でさえ、貴方のその姿を、恐ろしいと感じてしまいました」
  本当は、今だって恐れている。今まで共に暮らしてきた人だと分かっていても、明らかな異形に触れることは怖い。だけど今は……全てを話すと決めた今だけは、彼の本当の姿に向き合いたかった。
『君が、どうして戻ってきたのか……ますます分からない。君が身代わりだっていうなら、僕と一緒にいる必要なんてないじゃないか。僕と君との間には、何の約束もないんだから』
「そんなことはありません。俺も貴方と約束をしました。何があっても、貴方のそばにいるって」
『そんなもの……君には守る必要のない約束だ。破られたところで、約束の相手が入れ替わっていたことにすら気づかなかった僕には、責める権利なんてないからな』
  もぞもぞと蠢いて、螢花はまた汐季から離れようとする。姿が大きく変わっても、気まずい時の仕草は同じだ。それに気づいて、こんな時なのに少し微笑ましい気持ちになる。
「必要があったから守ろうと思った訳じゃありません。それに……悪いのは入れ替わりに気づかなかった貴方じゃない。貴方を騙していたのは、俺の方なんですから」
  螢花にとって、人の子の成長は文字通り瞬く間のことだっただろう。四つの子がわずかな間に十八になれば、その子が同一人物かどうか、人間同士だって分からない。まして本人が「伴侶になるために来た」と名乗ったのだ。螢花に罪は無い。
『汐季……』
  螢花の声が、汐季の名前を呼ぶ。たった一日離れただけなのに、酷く懐かしい響きだ。
「螢花様。もしも俺のことを許してくださるのなら……俺に、やり直す機会をくださいませんか」
『機会……?』
「ええ。俺が帰ってきたのは、誰かの身代わりになるためじゃありません。俺自身の意思で、ここに帰りたいと思ったから来たんです」
  汐季はもう、生贄にされた可哀想な拾い子じゃない。大切な家族に送り出されて、ここへ来た。
「螢花様、改めてお願いします。俺と……誰の代わりでもない俺自身と、今度こそ、家族になってくれませんか」
  恋も愛もまだ知らない汐季には、夫婦というものがどんなものなのか分からない。だけど、これから先も歩んでいくのは、彼の隣が良い。
『……僕は、姿を変えるのが得意じゃないから、これからも時々この姿に戻ってしまうと思う。特に感情が昂った時は、自分でも全く制御できなくなるから……』
「分かっていれば、怖いことなんてありません。……突然だったら、少し驚いてしまうかもしれませんけど」
  そう言って笑った汐季の吐息が触れた瞬間、螢花がびくりと体を震わせた。
『うう……』
  呻き声と共に蠕動ぜんどうする螢花の体が、少しずつ淡い光に包まれていく。
「螢花様……! 体が……」
  見上げるほどに大きかった巨体が、光の中でみるみるうちに縮み始めた。そして眩い光が徐々に薄れ、完全に消え去った時。そこには地面に伏して震えている、小柄な少年の姿があった。
「螢花様……螢花様、着物が汚れてしまいます」
  うずくまる螢花の肩に触れて抱き起こす。その途端、飛び起きた螢花が思いきり抱きついてきて、汐季は慌ててその体を受け止めた。
「汐季……っ」
  胸元に顔を埋めて、無我夢中で縋りついてくる螢花を抱き締めながら、自分の中で何かが溢れてくるような感覚があった。
「螢花様……」
  柔らかい癖毛に頬ずりをして、小さくなった背中に手を回す。この腕の中にあるぬくもりが、愛しくてたまらなかった。
「螢花様、今度こそ約束します。この命がある限り、俺はどこへ行っても、必ず貴方の元へ帰ってきます」
  産まれた場所も、生きる世界も、姿形さえまるで違う自分たちは、これからも互いの違いに戸惑って、すれ違うこともあるだろう。それでも汐季は、ここで生きることを決めたのだ。
  大切な人と、家族になるために。


  *


  玄関に掛けた姿見で己の姿を確認し、汐季は横に立つ螢花に向き直った。
「支度はできたか?」
「はい。大丈夫です」
  微笑んで頷いた汐季は、以前鸛良の店で仕立てて貰った着物を身につけて、螢花から貰った蝶のかんざしを身につけていた。若草色の着物は今の季節には少々涼しげだが、空の色をした簪にぴったりと合っている。
「日が落ちる前には帰ってきます。おにぎりを作って置いておきましたから、お腹がすいたら食べてくださいね」
「……うん」
  心ここにあらずといった様子で螢花が頷く。最近の螢花にしては珍しい歯切れの悪い様子に、少し心配になった。このまま家を空けても大丈夫だろうか。
「螢花様……?」
  今日から汐季は、鸛良の店で手伝いをすることになっていた。この世界でこれからも生活をしていく上で、螢花以外の人とも関わりを持つべきだと思ったからだ。万が一螢花に何かあった時、人間の自分だけでは対処できないかもしれない。そのためにも、いざという時に助け合える人との関係は、ひとつでも多くあった方が良い。
  そんなことを考えていた折、簪の仕入れに来ていた鸛良に声をかけられたのだ。うちで働いてみないかと。
  聞けば、彼らも元々店番を雇うことを考えていたらしい。子供たちも店を手伝ってくれるとはいえ、産まれたばかりの赤ん坊を抱えて夫婦だけで店を切り盛りするのは、やはり楽なことでは無いようだ。多くの人と関わりたいと思っていた汐季にとって、客商売である鸛良の店で働けることは、まさしく渡りに船の誘いだったのだが……
「あの、もしかしてお体の具合が良くないのですか? でしたら今日は、鸛良さんにお願いして早く帰らせていただきますが……」
  少し屈んで螢花の顔を覗き込んでみたが、ムスッとした表情のままで目を逸らされてしまう。
「そうじゃない。別に具合は悪くないし、君がやりたいことを邪魔したい訳でもない。だけど……」
  目を逸らしたまま伸ばされた螢花の手が、汐季の袖を掴む。
「邪魔はしたくない、けど……仕事が終わったら、すぐに帰って来て欲しい」
  俯いて呟く螢花の口調は、親に置いていかれそうな子供のようで、胸がキュッと苦しくなった。
「……分かりました。今日はどこにも寄り道せずに、まっすぐ帰ってきますから。待っていてくださいね」
  袖を掴んでいる螢花の手を握り返して、汐季はそう答えた。思えば、汐季がこうして長く家を空けるのは、生まれた村に帰ったあの日以来のことだ。
「ん……分かった。待ってる」
  こくりと頷いて、螢花はようやく顔を上げた。その瞳はまだ少し不安に揺れているけれど、それでもきちんと汐季を送り出そうとしてくれている。汐季が必ず帰ってくると、信じてくれているからだ。
「行ってきます、螢花様」
  そう言った汐季の体が、白い光に包まれる。螢花が転移の術で送り出してくれるのだ。
「いってらっしゃい、汐季」
  光の向こうから、螢花の声が届く。血の繋がった家族にはもう会えないけれど、自分には帰る家も、待っていてくれる人もいる。それはなんて幸せなことなんだろう。
  体を包んでいた光が消えて、汐季は賑やかな街に降り立った。多くの人が行き交うこの場所では、人も、そうでない者も、お互いに寄り添いあって生きている。今は汐季も、その中の一人だ。
「……よし」
  顔を上げて、一歩踏み出す。
  今日も、この場所で生きる一日が始まる。
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