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3.秋人
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放っておけないやつだと思った。
*
従兄弟の眞斗は、子供の頃から危なっかしいやつだった。傷ついた動物を見つけたら少ない小遣いをはたいて病院に連れて行ったり、困っている素振りを見せられたら明らかな不審者にでも着いて行こうとしたり、とにかく、他者のために自分を犠牲にすることを厭わないやつだった。
それは紛うことなき眞斗の美点だと思っていたが、今回ばかりは黙っていられない。
「秋人!」
スタッフに案内されて部屋に入ってきた眞斗は、秋人の姿を見るなり嬉しそうに笑って、隣に腰を下ろした。
「すごいね、バーの個室なんて初めて入った」
「久しぶりだし、落ち着いて話したいと思ったんだ。それより、突然呼び出して悪かったな」
「全然! 悠くんバイトに行っちゃって暇だったから、ちょうど良かった。あ、悠くんね、キャバクラのボーイやってるんだよ。制服見せてって何回も頼んでるのに、一回も見せてくれなくてさあ」
「……その悠くんっていうのは、さっき一緒にいたやつだよな」
「そうだよ。黒服姿の悠くん、絶対かっこいいのになあ」
心から残念そうなため息を吐いて、眞斗は色とりどりのカクテルの写真が並んだメニューをパラパラとめくる。その姿は、無邪気そのものだ。
「あー……なんていうか、眞斗とは全然違うタイプに見えたけど、その悠くんとはどこで知り合ったんだ? 見た感じ歳もそこそこ離れてるよな?」
「ああ……たしか今ちょうど二十歳って言ってたから、五つ下だね。半年くらい前だったかな? 居酒屋の裏で生ゴミに塗れて寝てて、かわいそうだったから拾ったんだ」
「拾ったって……犬や猫じゃないんだぞ」
「似たようなものだよ。だってあの子全然生活力なくて、俺が面倒みてあげないとすぐ死んじゃいそうだし。バイトも長続きしないし、俺が拾う前も家賃未払いで住んでた所追い出されてホームレスになってたんだよ。ほんとに野良犬みたいだった」
「……眞斗。眞斗、ちょっと待ってくれ」
つらつらと紡がれる理解不能な言葉に頭痛を覚えながら、秋人はそれを遮った。
「なあ眞斗。お前の友達にこんな事を言いたくないが、そいつはダメだろ。絶対にろくなやつじゃない。そんなに世話になってるくせに、あんな偉そうな態度、どうかしてる。お前は良いように利用されてるだけだよ。気づいてくれ」
L字のソファに並んで座る眞斗の方に体を向け、秋人はその肩を掴んで必死に訴えた。このまま放っておけば、あの男は眞斗に危害を加えるかもしれない。いや、もしかすると、もう既に……そう思うと、お節介でも見過ごす事は出来なかった。
「眞斗……もし脅されて離れられないなら、俺が代わりに話を通しても良い。なんなら知り合いの弁護士を紹介して……」
「……ふっ」
突如、冷えきった笑い声が個室の中に響いたのに驚いて、秋人は押し黙った。困惑する秋人の方に顔を向け、眞斗は口元だけで微笑んでいる。
「秋人ってさ、優しいよね。優しくて、真面目で、正しくて……そういうところは昔から尊敬してるし、それと同じくらい、昔から大っ嫌い」
「…………眞斗?」
なんだこれは。目の前にいるのは、本当にあの優しい眞斗なのか。凍りつく秋人の事などもはや見えていない様子で、眞斗はとても愉快げに掴まれた肩を揺らしている。けれど、その瞳はまるで笑っていない事も分かった。
「正しい秋人くんには分からないかな。俺が今、どれだけ満たされてるか……あの子を見つけた時、本当に運命だと思った。こんなにも、完璧に俺の望み通りになる人がいたなんて、今でも信じられないくらいだよ」
「……お前は、何を言って」
「そもそも秋人に言われなくたって、あの子がろくでもない人間だって事くらい分かってる。学もない、愛想もない、家も家族もない。愛された事がないから、愛し方も分からない……本当に、かわいそうで可愛い子だよ。俺に捨てられたら終わりだって自分でも分かってるくせに、『愛して欲しい』の一言も言えない。誰にも愛されなかった子って、あんなふうになっちゃうんだね」
そう言って愛おしげに目を細める眞斗が、何か不気味な化け物のように思えて、秋人は掴んでいた肩を離した。そんな秋人とは対照に、眞斗は恍惚としたような表情を浮かべている。
「ねえ秋人……愛情に飢えて乾ききった子に、どれだけ汲んでも無くならない無償の愛を与え続けたら、一体どうなると思う? 求めるまま、溢れて、溺れて、ぐずぐずに腐って……きっと、もう二度と、俺から離れられなくなるよね。俺はさ、そういう、俺だけを求め続けてくれる人を、ずっとずっと探してたんだ」
今になって、秋人は気づいた。
自分は、今まで眞斗という人間の、上辺だけしか見ていなかったのだと言うことを。
「眞斗……」
「だからね秋人。俺のことはそっとしておいてくれるかな……俺は今、最高に幸せだから」
眞斗がそう言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで、彼が体の横に置いていた鞄の中から微かな着信音が鳴り響いた。
「ちょっとごめん。悠くんかも」
秋人からパッと目を逸らし、眞斗は鞄の中からスマホを取り出した。
「どうしたの悠くん……うん……うん…………そっか、分かった。すぐ行くから、近くのお店で待っててくれる?」
通話口から微かに聞こえる男の声に笑顔で答えて、眞斗は通話を切ったスマホを鞄の中に放り込んだ。
「悠くん、バイトクビになっちゃったんだって。迎えに行ってあげなきゃ」
そう言って立ち上がると、眞斗は迷いなく個室のドアに手をかけた。
「せっかく誘ってくれたのにごめんね、秋人。……ばいばい」
ひらりと手を振って、眞斗は部屋を出て行った。そして、開いていた扉がガチャリと音を立てて閉まり……それきり、眞斗がこの部屋に戻って来る事は、二度となかった。
*
従兄弟の眞斗は、子供の頃から危なっかしいやつだった。傷ついた動物を見つけたら少ない小遣いをはたいて病院に連れて行ったり、困っている素振りを見せられたら明らかな不審者にでも着いて行こうとしたり、とにかく、他者のために自分を犠牲にすることを厭わないやつだった。
それは紛うことなき眞斗の美点だと思っていたが、今回ばかりは黙っていられない。
「秋人!」
スタッフに案内されて部屋に入ってきた眞斗は、秋人の姿を見るなり嬉しそうに笑って、隣に腰を下ろした。
「すごいね、バーの個室なんて初めて入った」
「久しぶりだし、落ち着いて話したいと思ったんだ。それより、突然呼び出して悪かったな」
「全然! 悠くんバイトに行っちゃって暇だったから、ちょうど良かった。あ、悠くんね、キャバクラのボーイやってるんだよ。制服見せてって何回も頼んでるのに、一回も見せてくれなくてさあ」
「……その悠くんっていうのは、さっき一緒にいたやつだよな」
「そうだよ。黒服姿の悠くん、絶対かっこいいのになあ」
心から残念そうなため息を吐いて、眞斗は色とりどりのカクテルの写真が並んだメニューをパラパラとめくる。その姿は、無邪気そのものだ。
「あー……なんていうか、眞斗とは全然違うタイプに見えたけど、その悠くんとはどこで知り合ったんだ? 見た感じ歳もそこそこ離れてるよな?」
「ああ……たしか今ちょうど二十歳って言ってたから、五つ下だね。半年くらい前だったかな? 居酒屋の裏で生ゴミに塗れて寝てて、かわいそうだったから拾ったんだ」
「拾ったって……犬や猫じゃないんだぞ」
「似たようなものだよ。だってあの子全然生活力なくて、俺が面倒みてあげないとすぐ死んじゃいそうだし。バイトも長続きしないし、俺が拾う前も家賃未払いで住んでた所追い出されてホームレスになってたんだよ。ほんとに野良犬みたいだった」
「……眞斗。眞斗、ちょっと待ってくれ」
つらつらと紡がれる理解不能な言葉に頭痛を覚えながら、秋人はそれを遮った。
「なあ眞斗。お前の友達にこんな事を言いたくないが、そいつはダメだろ。絶対にろくなやつじゃない。そんなに世話になってるくせに、あんな偉そうな態度、どうかしてる。お前は良いように利用されてるだけだよ。気づいてくれ」
L字のソファに並んで座る眞斗の方に体を向け、秋人はその肩を掴んで必死に訴えた。このまま放っておけば、あの男は眞斗に危害を加えるかもしれない。いや、もしかすると、もう既に……そう思うと、お節介でも見過ごす事は出来なかった。
「眞斗……もし脅されて離れられないなら、俺が代わりに話を通しても良い。なんなら知り合いの弁護士を紹介して……」
「……ふっ」
突如、冷えきった笑い声が個室の中に響いたのに驚いて、秋人は押し黙った。困惑する秋人の方に顔を向け、眞斗は口元だけで微笑んでいる。
「秋人ってさ、優しいよね。優しくて、真面目で、正しくて……そういうところは昔から尊敬してるし、それと同じくらい、昔から大っ嫌い」
「…………眞斗?」
なんだこれは。目の前にいるのは、本当にあの優しい眞斗なのか。凍りつく秋人の事などもはや見えていない様子で、眞斗はとても愉快げに掴まれた肩を揺らしている。けれど、その瞳はまるで笑っていない事も分かった。
「正しい秋人くんには分からないかな。俺が今、どれだけ満たされてるか……あの子を見つけた時、本当に運命だと思った。こんなにも、完璧に俺の望み通りになる人がいたなんて、今でも信じられないくらいだよ」
「……お前は、何を言って」
「そもそも秋人に言われなくたって、あの子がろくでもない人間だって事くらい分かってる。学もない、愛想もない、家も家族もない。愛された事がないから、愛し方も分からない……本当に、かわいそうで可愛い子だよ。俺に捨てられたら終わりだって自分でも分かってるくせに、『愛して欲しい』の一言も言えない。誰にも愛されなかった子って、あんなふうになっちゃうんだね」
そう言って愛おしげに目を細める眞斗が、何か不気味な化け物のように思えて、秋人は掴んでいた肩を離した。そんな秋人とは対照に、眞斗は恍惚としたような表情を浮かべている。
「ねえ秋人……愛情に飢えて乾ききった子に、どれだけ汲んでも無くならない無償の愛を与え続けたら、一体どうなると思う? 求めるまま、溢れて、溺れて、ぐずぐずに腐って……きっと、もう二度と、俺から離れられなくなるよね。俺はさ、そういう、俺だけを求め続けてくれる人を、ずっとずっと探してたんだ」
今になって、秋人は気づいた。
自分は、今まで眞斗という人間の、上辺だけしか見ていなかったのだと言うことを。
「眞斗……」
「だからね秋人。俺のことはそっとしておいてくれるかな……俺は今、最高に幸せだから」
眞斗がそう言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで、彼が体の横に置いていた鞄の中から微かな着信音が鳴り響いた。
「ちょっとごめん。悠くんかも」
秋人からパッと目を逸らし、眞斗は鞄の中からスマホを取り出した。
「どうしたの悠くん……うん……うん…………そっか、分かった。すぐ行くから、近くのお店で待っててくれる?」
通話口から微かに聞こえる男の声に笑顔で答えて、眞斗は通話を切ったスマホを鞄の中に放り込んだ。
「悠くん、バイトクビになっちゃったんだって。迎えに行ってあげなきゃ」
そう言って立ち上がると、眞斗は迷いなく個室のドアに手をかけた。
「せっかく誘ってくれたのにごめんね、秋人。……ばいばい」
ひらりと手を振って、眞斗は部屋を出て行った。そして、開いていた扉がガチャリと音を立てて閉まり……それきり、眞斗がこの部屋に戻って来る事は、二度となかった。
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