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10cm先のラブソング
3.少年だった
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十一月も終わろうという週末の午後。
俺はひとり電車を乗り継いで、郊外のライブハウスを訪れていた。
黒い箱のような外観のそこは、オールスタンディングで収容人数は千人程度。陽太はそんなに大きなキャパじゃないと言っていたが、この手の会場としては、なかなかの規模なのではないだろうか。もっとも俺は、たいして詳しい訳では無いのだが。
ともかく、そうして辿り着いたホールを見回して見れば、そこに集まっているのは半分以上が若い女の子ばかり。予想していた事ではあるが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
先日城崎のやつが「ボーカルの顔人気」だとかほざいていたが、正直なところ、そういう側面が全く無いわけでもないのだろう。人それぞれ好みはあれど、実際陽太はイケメンと形容してもなんら問題ない顔立ちをしているのだから。
そう。だからこそ、時々不思議に思う。
どうして陽太は、俺みたいな普通の男を恋人に選んだのだろう。
「まもなく開場しまーす。チケットをお手元にご用意くださーい」
俺が考え込んでいると、スタッフのTシャツを着た女性がホールに向かって呼びかける声が響いてきた。
まもなく、始まるようだ。
会場の中は薄暗く、ステージを覆う緞帳だけがライトで照らされている。そんな空間に何百もの人間がひしめき合う光景に、自然と非日常感が高まって、気分が高揚していくのが分かる。この開演前の独特な空気感も、陽太と出会わなければ一生知る事はなかったんだろう。
雰囲気だけ味わえれば十分なので、俺は会場の後ろの方に場所を取った。すると俺のすぐ前に立っていた、着飾った女の子達の会話が耳に飛び込んでくる。
「やばー……なんか緊張してきた」
「ミホ、今日めっちゃ気合い入れてるもんね」
「当たり前じゃん、初現地だもん!……はー、ヨウくん早く会いたい」
耳まで真っ赤にして呟く彼女の後ろ姿を、俺は少々複雑な心持ちで見ていた。真後ろに立っているおっさんが、憧れのヨウくんの彼氏だと分かったら、この子は一体どんな顔をするのだろうか。もちろん絶対にバラすつもりはないが。
「!」
不意に会場の照明が落ちて、目の前の彼女達が息を呑む気配があった。
ざわめきの中、鳴り響いたギターの音に歓声があがる。
未だ幕は下りたままだが、姿は見えなくても分かる。陽太の相棒である、キサラギの演奏だ。
疾走感のある音色と共に幕が開き、歓声がさらに大きくなった。
演奏しているのは、彼らの新曲『ナイトウォーカー』。この前陽太に貰ったCDで何度も聴いたこの曲は、たしか車のCMソングに起用されたのだったか。
そんなことを考えながらも、俺は既にステージから目を離せなくなっていた。
ああ、本当に。こうしてステージに立つ陽太は、俺が知っているあいつとは、まるで別人のようだ。
客席を真っ直ぐに見据えて、陽太が……いや、夜色のヨウが、深く息を吸い込んだのが分かる。
客席の熱気に負けない程に鋭く、けれど決して優しさを失わないその歌声を初めて聞いたのは、もう五年も前のことだ。
その時の俺は、まだ高校生だった裕翔と一緒に、ここよりもずっと小さなライブハウスを訪れていた。
と言っても、当時の俺は音楽になんて興味がなくて、未成年である裕翔の付き添いとして渋々参加していただけ。
陽太も、陽太と組んでいるという女の子もまだ十代だと聞いていたし、所詮子供が趣味でやっているバンドだと。そう高を括っていたのだ。
けれど、そんな俺の舐め切った態度は、曲が流れ出したその瞬間、粉々に破壊されることになる。
音楽というものに心動かされるなんて、それが初めての経験だった。
キサラギという少女が奏で出す、どこか切なさを孕んだメロディに。そして、まだ幼さの残る陽太が紡ぐ、どこまでも真っ直ぐに伸びやかなその歌声に。気づけば俺は、一瞬で心を奪われていた。
そして今。俺の遥か先にいる二人は、あの頃よりもずっと大きな舞台に立っていた。あの小さなライブハウスから、二人は確かに夢を掴んで、ここにいる。
そうだ。やっぱり、俺の周りにいるのはすごい奴らばっかりだ。
そうして開幕から立て続けに三曲ほど演奏しきった彼らは、息をついて一度それぞれの楽器やマイクから手を離した。
その途端、会場が静寂に包まれる。だがそれも一瞬のことで、次の瞬間には陽気な若い女の声が、マイクを通して会場全体に響き渡っていた。
「今日は来てくれてありがとー!ギターのキサラギでーす!ひゅー!」
そう叫んで、小柄な影がマイクを持っていない方の手をぶんぶん振るのが遠目に見えた。キサラギとは何度か話したことがあるのだが、今日は普段以上にテンションが高い気がする。舞台の上という状況に、彼女も高揚しているのかもしれなかった。
「ボーカルのヨウです。こんにちは」
キサラギの隣で陽太がそう名乗って軽く手を振ると、俺の前の少女……ミホの方が、小さく悲鳴をあげた。陽太が普通に喋りだした途端、どうにも気の抜けた空気になるのはご愛嬌だ。
そんな調子でサポートのバンドメンバーの名前を紹介しながら、ステージの上で二人が軽く雑談をしている。かと思うと、不意にキサラギが少し真面目な調子になって、客席を見渡した。
「んじゃ、そういうわけで……次はアレやりましょうか。もともとはインディーズ時代の曲なんすけど、うちらにとっては思い出深い曲なんで」
「あの頃はずっと配信とか動画だけで活動してて……それで初めてお客さんの前に立つことになった時、一番最初に歌った曲なんだよね」
「そういうこと。んじゃ、ここからはしばらくノンストップでいくよー」
言い終わると同時に、キサラギはスタンドにマイクを戻し、抱えたままだったギターに手を触れた。
そうして流れ出した曲は、二人だけでなく、俺にとっても非常に思い出深いものだった。
それは、五年前のあの日初めて聞いた歌。……そう。俺が一番好きな、あの歌だ。
“いくつも色を重ねて 大人になっていく
あの夏の日差しだけ いつまでも褪せないまま”
確かこの曲の歌詞は、当時の陽太が書いたのだと言っていた。
あの頃、まだ少年だった陽太が紡いだ言葉を、大人になったあいつはどんな思いで歌うのだろう。
*
終演後、他の客達が捌けるのを待って、俺は陽太達がいる楽屋へと向かっていた。出演者の友人ということでちゃんと許可も貰っているし、別に悪いことをしている訳でもないのだが、さっきのファンの子達を思い返すと、なにやら抜け駆けしているような気分になる。
どうにも場違いな気分を味わいながら、雑然とした狭い廊下を歩いていると、角から飛び出してきた小さい人影にぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそー……って、あれ?もしかしてカズイさんすか?」
元気の良い声に視線を下げてみれば、頭のてっぺんで金とピンクの二色にくっきり分かれた、豪快な髪の色が目に飛び込んできた。
「キサラギさん、お疲れ様。直接話すのって結構久しぶりだよな?」
人影の正体は、ついさっきまでステージに立ってギターを弾いていた、キサラギその人だった。ステージ用の照明の下ではあまり気にならなかったが、こうして間近に見るとなかなか迫力のある髪色である。一体どうやって染めているんだ。
「へへっ、ほんとっすね。前ヨウちゃんが、カズイさんと付き合うことになった~って報告してくれた時以来っすか?今日は来てくれてありがとうございますっ!」
ラクダのようなもさもさの睫毛に縁取られた目を細くして、キサラギが快活に笑う。
陽太とはあまり似ていない雰囲気の彼女だが、二人の気が合う理由はなんとなく分かる気がした。二人とも邪気が無いというか、話していると自分の中の悪い感情が消えていくような、そんな気持ちになる。
「こちらこそ、呼んでくれてありがとうな。すげぇ楽しかった」
「そう言ってもらえるのが一番嬉しいっすよ。あ、ヨウちゃんだったらさっき楽屋の前でマサキさんと喋ってたんで、まだその辺にいるんじゃないすかね」
「そうか。わかった、探してみる」
マサキとは誰のことかと思ったが、おそらくスタッフの人とかそんなところだろう。
キサラギと別れてさらに廊下を少し進むと、すぐに目当ての人影は見つかった。
アンコールの時に着ていたTシャツのまま、陽太は背の高い男となにやら話し込んでいる。彼がキサラギの言っていた「マサキさん」だろうか。
「あっ、和威さん!」
会話に割り込んでいいものかと俺が様子を窺っていると、陽太の方が俺に気づいて駆け寄ってきた。
「来てくれたんだ!」
「そりゃ約束したからな」
いつもの調子で抱きつこうとする陽太を、手のひらで押し留めながら軽く答える。人前だというのに、いくらなんでも無防備すぎる。さっきのファンの子が知ったら泣くぞ。
「和威さん?ヨウ、その人が和威さんなの?」
不意に、やたらと甘ったるいテノールに名前を呼ばれた。声の方に視線を向けてみれば、マサキさん(仮)が、イマイチ感情の読めない目で、俺をじっと見つめている。
「柾さん……えっと、そうだよ。この人が和威さん」
男の方を振り向いて、なぜか少し気まずそうな様子で陽太がそう言った。やはりこの男がマサキさんで合っていたらしい。
マサキさんは陽太の言葉に、
「そっか……」
と小さく呟いて、穏やかそうな笑顔を浮かべながら、こちらに近づいてきた。おそらく年頃は俺と同じか少し下くらい。陽太とはタイプが違うものの、よく見ればこの男もなかなかのイケメンだ。
陽太がネコ科の生き物だとするなら、この男は狐とかイタチとか、そういう類の雰囲気がある。あと、ついでに言うとかなり背が高い。陽太より高いところに頭があるということは、身長は確実に一八〇センチを越えているだろう。
俺は少しおもしろくない気持ちで、男に向かって会釈した。
「あ、あのね和威さん。この人は亀井柾さんっていって、デビュー前からおれ達をサポートしてくれてるマネージャーで……」
「それだけじゃないでしょ、ヨウ」
陽太の隣で歩みを止めた男は、囁くようにそう言ったかと思うと、次の瞬間とんでもない行動に出た。
「な、なにするの柾さん」
亀井柾という男は、戸惑う陽太の声を無視して、その細い腰に手を回したかと思うと、あろうことか強引に自分の元へと引き寄せた。そして、
「初めまして和威さん。僕の名前は亀井柾。……ヨウがまだデビューする前、僕らは恋人同士だったんですよ」
俺の目の前で、堂々と、そう言い放った。
俺はひとり電車を乗り継いで、郊外のライブハウスを訪れていた。
黒い箱のような外観のそこは、オールスタンディングで収容人数は千人程度。陽太はそんなに大きなキャパじゃないと言っていたが、この手の会場としては、なかなかの規模なのではないだろうか。もっとも俺は、たいして詳しい訳では無いのだが。
ともかく、そうして辿り着いたホールを見回して見れば、そこに集まっているのは半分以上が若い女の子ばかり。予想していた事ではあるが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
先日城崎のやつが「ボーカルの顔人気」だとかほざいていたが、正直なところ、そういう側面が全く無いわけでもないのだろう。人それぞれ好みはあれど、実際陽太はイケメンと形容してもなんら問題ない顔立ちをしているのだから。
そう。だからこそ、時々不思議に思う。
どうして陽太は、俺みたいな普通の男を恋人に選んだのだろう。
「まもなく開場しまーす。チケットをお手元にご用意くださーい」
俺が考え込んでいると、スタッフのTシャツを着た女性がホールに向かって呼びかける声が響いてきた。
まもなく、始まるようだ。
会場の中は薄暗く、ステージを覆う緞帳だけがライトで照らされている。そんな空間に何百もの人間がひしめき合う光景に、自然と非日常感が高まって、気分が高揚していくのが分かる。この開演前の独特な空気感も、陽太と出会わなければ一生知る事はなかったんだろう。
雰囲気だけ味わえれば十分なので、俺は会場の後ろの方に場所を取った。すると俺のすぐ前に立っていた、着飾った女の子達の会話が耳に飛び込んでくる。
「やばー……なんか緊張してきた」
「ミホ、今日めっちゃ気合い入れてるもんね」
「当たり前じゃん、初現地だもん!……はー、ヨウくん早く会いたい」
耳まで真っ赤にして呟く彼女の後ろ姿を、俺は少々複雑な心持ちで見ていた。真後ろに立っているおっさんが、憧れのヨウくんの彼氏だと分かったら、この子は一体どんな顔をするのだろうか。もちろん絶対にバラすつもりはないが。
「!」
不意に会場の照明が落ちて、目の前の彼女達が息を呑む気配があった。
ざわめきの中、鳴り響いたギターの音に歓声があがる。
未だ幕は下りたままだが、姿は見えなくても分かる。陽太の相棒である、キサラギの演奏だ。
疾走感のある音色と共に幕が開き、歓声がさらに大きくなった。
演奏しているのは、彼らの新曲『ナイトウォーカー』。この前陽太に貰ったCDで何度も聴いたこの曲は、たしか車のCMソングに起用されたのだったか。
そんなことを考えながらも、俺は既にステージから目を離せなくなっていた。
ああ、本当に。こうしてステージに立つ陽太は、俺が知っているあいつとは、まるで別人のようだ。
客席を真っ直ぐに見据えて、陽太が……いや、夜色のヨウが、深く息を吸い込んだのが分かる。
客席の熱気に負けない程に鋭く、けれど決して優しさを失わないその歌声を初めて聞いたのは、もう五年も前のことだ。
その時の俺は、まだ高校生だった裕翔と一緒に、ここよりもずっと小さなライブハウスを訪れていた。
と言っても、当時の俺は音楽になんて興味がなくて、未成年である裕翔の付き添いとして渋々参加していただけ。
陽太も、陽太と組んでいるという女の子もまだ十代だと聞いていたし、所詮子供が趣味でやっているバンドだと。そう高を括っていたのだ。
けれど、そんな俺の舐め切った態度は、曲が流れ出したその瞬間、粉々に破壊されることになる。
音楽というものに心動かされるなんて、それが初めての経験だった。
キサラギという少女が奏で出す、どこか切なさを孕んだメロディに。そして、まだ幼さの残る陽太が紡ぐ、どこまでも真っ直ぐに伸びやかなその歌声に。気づけば俺は、一瞬で心を奪われていた。
そして今。俺の遥か先にいる二人は、あの頃よりもずっと大きな舞台に立っていた。あの小さなライブハウスから、二人は確かに夢を掴んで、ここにいる。
そうだ。やっぱり、俺の周りにいるのはすごい奴らばっかりだ。
そうして開幕から立て続けに三曲ほど演奏しきった彼らは、息をついて一度それぞれの楽器やマイクから手を離した。
その途端、会場が静寂に包まれる。だがそれも一瞬のことで、次の瞬間には陽気な若い女の声が、マイクを通して会場全体に響き渡っていた。
「今日は来てくれてありがとー!ギターのキサラギでーす!ひゅー!」
そう叫んで、小柄な影がマイクを持っていない方の手をぶんぶん振るのが遠目に見えた。キサラギとは何度か話したことがあるのだが、今日は普段以上にテンションが高い気がする。舞台の上という状況に、彼女も高揚しているのかもしれなかった。
「ボーカルのヨウです。こんにちは」
キサラギの隣で陽太がそう名乗って軽く手を振ると、俺の前の少女……ミホの方が、小さく悲鳴をあげた。陽太が普通に喋りだした途端、どうにも気の抜けた空気になるのはご愛嬌だ。
そんな調子でサポートのバンドメンバーの名前を紹介しながら、ステージの上で二人が軽く雑談をしている。かと思うと、不意にキサラギが少し真面目な調子になって、客席を見渡した。
「んじゃ、そういうわけで……次はアレやりましょうか。もともとはインディーズ時代の曲なんすけど、うちらにとっては思い出深い曲なんで」
「あの頃はずっと配信とか動画だけで活動してて……それで初めてお客さんの前に立つことになった時、一番最初に歌った曲なんだよね」
「そういうこと。んじゃ、ここからはしばらくノンストップでいくよー」
言い終わると同時に、キサラギはスタンドにマイクを戻し、抱えたままだったギターに手を触れた。
そうして流れ出した曲は、二人だけでなく、俺にとっても非常に思い出深いものだった。
それは、五年前のあの日初めて聞いた歌。……そう。俺が一番好きな、あの歌だ。
“いくつも色を重ねて 大人になっていく
あの夏の日差しだけ いつまでも褪せないまま”
確かこの曲の歌詞は、当時の陽太が書いたのだと言っていた。
あの頃、まだ少年だった陽太が紡いだ言葉を、大人になったあいつはどんな思いで歌うのだろう。
*
終演後、他の客達が捌けるのを待って、俺は陽太達がいる楽屋へと向かっていた。出演者の友人ということでちゃんと許可も貰っているし、別に悪いことをしている訳でもないのだが、さっきのファンの子達を思い返すと、なにやら抜け駆けしているような気分になる。
どうにも場違いな気分を味わいながら、雑然とした狭い廊下を歩いていると、角から飛び出してきた小さい人影にぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそー……って、あれ?もしかしてカズイさんすか?」
元気の良い声に視線を下げてみれば、頭のてっぺんで金とピンクの二色にくっきり分かれた、豪快な髪の色が目に飛び込んできた。
「キサラギさん、お疲れ様。直接話すのって結構久しぶりだよな?」
人影の正体は、ついさっきまでステージに立ってギターを弾いていた、キサラギその人だった。ステージ用の照明の下ではあまり気にならなかったが、こうして間近に見るとなかなか迫力のある髪色である。一体どうやって染めているんだ。
「へへっ、ほんとっすね。前ヨウちゃんが、カズイさんと付き合うことになった~って報告してくれた時以来っすか?今日は来てくれてありがとうございますっ!」
ラクダのようなもさもさの睫毛に縁取られた目を細くして、キサラギが快活に笑う。
陽太とはあまり似ていない雰囲気の彼女だが、二人の気が合う理由はなんとなく分かる気がした。二人とも邪気が無いというか、話していると自分の中の悪い感情が消えていくような、そんな気持ちになる。
「こちらこそ、呼んでくれてありがとうな。すげぇ楽しかった」
「そう言ってもらえるのが一番嬉しいっすよ。あ、ヨウちゃんだったらさっき楽屋の前でマサキさんと喋ってたんで、まだその辺にいるんじゃないすかね」
「そうか。わかった、探してみる」
マサキとは誰のことかと思ったが、おそらくスタッフの人とかそんなところだろう。
キサラギと別れてさらに廊下を少し進むと、すぐに目当ての人影は見つかった。
アンコールの時に着ていたTシャツのまま、陽太は背の高い男となにやら話し込んでいる。彼がキサラギの言っていた「マサキさん」だろうか。
「あっ、和威さん!」
会話に割り込んでいいものかと俺が様子を窺っていると、陽太の方が俺に気づいて駆け寄ってきた。
「来てくれたんだ!」
「そりゃ約束したからな」
いつもの調子で抱きつこうとする陽太を、手のひらで押し留めながら軽く答える。人前だというのに、いくらなんでも無防備すぎる。さっきのファンの子が知ったら泣くぞ。
「和威さん?ヨウ、その人が和威さんなの?」
不意に、やたらと甘ったるいテノールに名前を呼ばれた。声の方に視線を向けてみれば、マサキさん(仮)が、イマイチ感情の読めない目で、俺をじっと見つめている。
「柾さん……えっと、そうだよ。この人が和威さん」
男の方を振り向いて、なぜか少し気まずそうな様子で陽太がそう言った。やはりこの男がマサキさんで合っていたらしい。
マサキさんは陽太の言葉に、
「そっか……」
と小さく呟いて、穏やかそうな笑顔を浮かべながら、こちらに近づいてきた。おそらく年頃は俺と同じか少し下くらい。陽太とはタイプが違うものの、よく見ればこの男もなかなかのイケメンだ。
陽太がネコ科の生き物だとするなら、この男は狐とかイタチとか、そういう類の雰囲気がある。あと、ついでに言うとかなり背が高い。陽太より高いところに頭があるということは、身長は確実に一八〇センチを越えているだろう。
俺は少しおもしろくない気持ちで、男に向かって会釈した。
「あ、あのね和威さん。この人は亀井柾さんっていって、デビュー前からおれ達をサポートしてくれてるマネージャーで……」
「それだけじゃないでしょ、ヨウ」
陽太の隣で歩みを止めた男は、囁くようにそう言ったかと思うと、次の瞬間とんでもない行動に出た。
「な、なにするの柾さん」
亀井柾という男は、戸惑う陽太の声を無視して、その細い腰に手を回したかと思うと、あろうことか強引に自分の元へと引き寄せた。そして、
「初めまして和威さん。僕の名前は亀井柾。……ヨウがまだデビューする前、僕らは恋人同士だったんですよ」
俺の目の前で、堂々と、そう言い放った。
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