10cm先のラブソング

村井 彰

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10cm先のラブソング

4.昔の人

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 昔、恋人同士だった?
 なんだそれ。なんでそれを俺に言う。そもそもこいつは、俺と陽太のこと知っているのか。
「ま、柾さん!なんで今そんな話するの」
 陽太が慌てた様子で亀井の胸を押し戻そうとする。しかし、亀井はそれを意にも介さず、気障ったらしい仕草で陽太の手を取った。
「だって、ヨウの大事な人なら、ちゃんと自己紹介しないと」
「そういうことじゃなくて……ねえ、いい加減離してよ」
 困ったように言いながら、陽太が亀井の腕から逃れようと身を捩る。
 もう、これ以上黙って見ていられなかった。
 俺は無言で二人の間に割って入ると、亀井を突き飛ばすようにして引き離した。そして陽太を背中に庇いながら、俺よりだいぶ高い位置にある頭を睨みつける。
「“昔”恋人だったとしても、今は赤の他人ですよね。だったら、こいつに必要以上に近づくのは辞めてもらえますか。迷惑なんで」
 十代の頃の俺なら問答無用で殴りかかっているところだが、十年の社会人生活を経て丸くなった俺は、可能な限り丁寧に接してやった。しかし、そんな俺の言葉を亀井は鼻先で笑い飛ばす。
「迷惑かどうか、決めるのはヨウ本人でしょう?ずいぶん過保護なんですね」
「んだと……」
 “ちゃんとした社会人”の仮面が一瞬で剥がれかけた時、背後からパタパタと駆けて来る足音が響いた。
「あ、ヨウさんいた。すんません、さっきSNS用にみんなで撮った写真なんですけど」
 廊下の角からひょっこりと顔を出したのは、ついさっきまでのライブでドラムを担当していた青年だった。
「テルキさん。……あの、ごめんおれ、ちょっと行ってくるね」
「は?いやちょっと待て陽太……」
 呼び止める声も虚しく、陽太はテルキという刈り上げの青年と共に、廊下の向こうに消えて行った。
 そして後に残されたのは、俺と亀井の二人だけ。なんだこの状況は。
「…………」
 ちらりと視線をやってみれば、亀井は何を考えているのか、軽薄そうな笑みを浮かべるばかりだ。俺は陽太に黙って帰るわけにいかないんだから、亀井の方が立ち去ってくれないと、いつまでもこのまま二人で突っ立っているしか無いのだが。
 というか、だいたいなんなんだ、こいつは。元カレだかなんだか知らないが、陽太がデビューする前ならもう四年くらい前の話じゃないのか。そんな昔の話を…………いや、待て。四年前?
「なあ、あんた。亀井さん」
「なんです?」
「あんたと陽太が付き合ってたって、陽太がいくつの時ですか。あいつのメジャーデビューが決まったのって、確か十八の時だったと思うんですけど」
 なるべく平静を装いながら、亀井に問いかける。だが当の亀井は、俺の下手な演技など見透かしたように笑って言った。
「そうですね。だから、もうずいぶん昔の話ですよ。ヨウが十六の時から、ほんの二年程度のことです」
 薄々予想していた事だったが、改めて口にされるとムカついて反吐が出そうだった。
 陽太が、十六の時?こいつ、よくもぬけぬけと。
「……あんた、どういうつもりでそんなガキに手ぇ出したんだ」
「十六歳は、言うほど子供じゃないと思いますけどね。……少なくとも、体はもう十分大人でしたよ」
 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
「この……クソ野郎!!」
 怒りに任せて、亀井の胸倉を掴みあげる。それでもまだ、亀井は笑っていた。
 もういい。どうなろうが知ったことか。とにかくこのクズをぶん殴ってやらないと、この激しい怒りは絶対に収まらない。
 後先の事など考えずに俺が拳を握りしめた、その時の事だった。
「何してるの和威さん!」
 聞き慣れた声が駆け寄ってきて、慌てた様子で俺を背中から羽交い締めにする。
「離せ陽太!このゲス野郎ぶん殴ってやる!」
 そう息巻いたものの、後ろからがっちり陽太にホールドされているせいで、俺は身動きが取れなくなっていた。
 無様にもがく俺をしっかり抱きかかえたまま、陽太が亀井に向かって声をあげる。
「柾さん!和威さんに何言ったの!」
「おや。理由も聞かないで僕のせい?ひどいね」
「だって、和威さんがこんなに怒るのおかしい……」
 正直なところまだ腸は煮えくり返っていたが、それでも俺はどうにか拳を収めた。陽太を困らせてまで、こんな男に関わる必要なんて無い。必死に自分へ言い聞かせる。
「陽太、お前用事はもう済んだのか」
「え。あ、うん」
「ならとっとと帰ろう。待ってるから支度してこいよ」
「え、でも……」
 俺を挟んで、陽太と亀井が視線を交わす気配があった。そんな些細なことにすら、どうしようもなくムカついてしまう。
「いいよ。今日はもう予定ないし、ヨウは先にあがって。キサラギにも言っておくから」
「そう?……じゃあ」
 そう言って、ようやく陽太は俺から手を離した。
「えっと、荷物取ってくるね」
 気遣わしげに俺の様子を窺いながら、陽太の背中が楽屋の中に消える。
 亀井は結局、最初から最後まで、笑みを崩すことは無かった。

 *

 帰りの電車に二人並んで揺られていても、俺達の間に会話は無い。
 別に陽太に対して腹を立てているわけではない。それでも、いつも通りの気楽な会話を交わす気分にはなれなかった。
 陽太がなぜあの男と一緒にいることを選んだのか、本当のところは分からない。もしかしたら、全て陽太の方から望んだことだったのかも知れない。
 けれど、そうだとしても。それに付け込んで幼い陽太をいいように弄んだというあの男が、俺にはどうしても許せなかったのだ。
「あの、和威さん……柾さんに何か言われたの?」
 膝の上に視線を落としたまま、不安そうな声で陽太が俺に訊ねる。叱られた子犬のようなその顔を見て、俺は我に返った。
 こいつを不安にさせてどうするんだ。俺は陽太を責めたいわけじゃないのに。
「ごめんな、陽太。俺は……」
「あのね、和威さん。柾さんは変な人だけど、全然悪い人じゃないから。だから、あの、何があったか分からないけど、あんまり怒らないであげて」
 続けようとした言葉は、声にならなかった。
 どうして。なんであの男を庇う。お前だって、強引に抱きすくめられて嫌がってたんじゃないのか。
 陽太はいつだって俺のことを一番に優先してくれる。常に俺の味方をしてくれる。心のどこかにあった、そんな傲慢な思い込みを突きつけられたような気がして、俺は何も言えなくなった。
「和威さん……」
 俺を呼ぶ声に答えることもできないまま、その日はそれっきり、俺達が会話を交わすことは無かった。
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