10cm先のラブソング

村井 彰

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10cm先のラブソング

7.特別になれるなら

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 無機質な目覚ましの音に起こされて、俺は薄く目を開けた。
 手探りで止めた目覚ましが示す時刻は午前十時。そういえば、昨日の晩はあのまま陽太の家に泊まったんだった。
「んん……」
 やけに色っぽい吐息を洩らして、陽太が隣で寝返りを打つ。布団から覗く、白いうなじに目を奪われそうになったのをごまかすために、俺は陽太の肩を少し乱暴に揺すった。
「おい、起きろー。目覚まし鳴ってたぞ」
「ん、ん……やめて、かずいさん……酔う……」
 へにゃへにゃした声で言いながら、陽太がこちらを振り向く。そして俺と目が合ったかと思うと、その瞬間まるで鍋に放り込まれたカニみたいに、みるみるうちに真っ赤になってしまった。
「あ、う……」
「バカ、なに動揺してんだ」
 そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしくなるだろうが。
 手を伸ばして、照れ隠しにほっぺたをむにっと摘んでやると、陽太は慌てた様子で俺から距離を取った。
「あ、あの、おれ、シャワー浴びてくるから」
 そう言ってベッドから降りたかと思うと、転がるようにして部屋から飛び出して行ってしまう。
 ひとり残された俺は、ベッドの上に胡座をかいて、寝癖のついた髪を撫で付けた。
 昨晩は、約束通りお互いに触れ合っただけで、最後までは至っていない。だというのにこんな調子では、この先が思いやられる。
「最後までしたら、あいつどんな反応すんのかなー……」
 いろいろと想像してしまいそうになり、俺は慌てて頭を振った。朝から邪な妄想をしている場合ではない。
 陽太から借りたスウェットの裾をたくし上げつつ、俺も寝室を出た。スウェットは上も下もぶかぶかで情けない限りだが、今さらそんなことを気にしても仕方ない。
 カーテンを開けてベランダを覗くと、昨日の晩に干しておいた俺のシャツや下着がヒラヒラと揺れているのが見える。たしか陽太は午後から打ち合わせがあると言っていたし、あれが乾いたら俺も一旦ウチに帰ろう。
 そんな事を考えていたら、唐突にインターホンの音が鳴り響いた。
 こんな時間に誰だ?宅配便か?
 首を傾げながらモニターを覗き込んで、来訪者の顔を見た瞬間、
「亀井?!」
 俺は思わず叫んでいた。
 このニヤケ面。間違いない、亀井柾だ。しかもよく見たらこいつ、下の玄関ではなく既に扉の前まで来ている。ということはつまり、こいつも陽太から合鍵を貰っているということだ。
 その事実にいろいろな意味で苛立ちを覚えつつ、俺は大股で玄関に向かう。そして乱暴な手つきでチェーンを外し、勢いよく扉を開けた。
「やあ、ヨウ……」
「じゃなくて悪かったな、このショタコン野郎」
 俺が無愛想に返すと、亀井の奴は露骨にげんなりした様子で顔を顰めた。
「なんですか、貴方。ヨウの部屋でなにしてるんですか」
「あ?彼氏の家に泊まってんだ。やることやってたに決まってんだろ。あんたこそ、こんな時間から何の用だよ」
 わざと挑発的な言い回しをしてやると、亀井は俺に汚物を見るような目を向けながら、「なんて下品な……」と呟いた。お前が言えた義理じゃないだろうが。
「僕は打ち合わせの前に食事でもと思って、誘いに来ただけですよ。最近のヨウは元気がない様子だったので」
「ああそう、そりゃ熱心なことだな。けどもう必要ねえよ。問題は解決したからな」
 というかそもそも、問題の八割はこいつのせいで起きたようなもんだ。こいつが誤解させるような事を言うから……
「そうだ、陽太に聞いたぞ。あんた、俺が思ってたようなクソ野郎じゃなかったみたいだな」
 ムカつくことには変わりねえけど。と付け加えると、亀井は少し眉を上げた。
「なんだ、話してしまったんですね。……まあ、あの子は嘘がつけないから、仕方ない」
「あんたな……つーか、なんであんな思わせぶりな事を言った?俺への嫌がらせか?」
 亀井の顔を見上げながら俺が訊くと、奴は偉そうに腰に手を当てて、鼻息荒くこう答えた。
「そうですよ!なにしろ僕は、貴方のことが大っ嫌いなので!」
「あぁ?」
 いきなり何言ってんだ、こいつ。この前が初対面だったというのに、なぜそこまで言われなくてはならないのか。
 亀井は俺を見下ろす姿勢のまま、狐に似たつり目をさらに眇めてこう言った。
「僕はね、ヨウからずっと聞いてたんですよ。初めて会った時から貴方に片思いしてること。だというのに、貴方は気づきもしないどころか、あの子の前でいろんな女性を取っかえ引っ変えしていて、思いを伝えることすら出来そうにないこと。……そんな話をする度に、いつもあの子は泣いてました」
 淡々と亀井に言われ、俺は言葉に詰まった。
 初めて会った時から?……あいつ、そんなに前から俺のこと。
「だから、僕はあの子を、自分のものにしようと思ったんですよ。貴方みたいな無神経な男より、ずっとずっと彼を幸せにできる自信があったから。……結局、無理でしたけど」
 亀井はそう言って、足元に視線を落とした。
 決して弄んでいたわけではない。この男も、自分なりに陽太を愛していたのだろうと、そのことが俺にもなんとなく分かった。
「それで、あんたはずっと陽太の傍にいたのか?恋人になっても、手も出さずに、ずっと」
「ええ。恋人なんて言っても、名前だけのごっこ遊びみたいなものでしたからね。僕は彼の特別になれるなら、肩書きなんて何でもよかったし、あの子だって貴方の代わりに縋れる相手なら、誰でもよかったんでしょう。……それに」
 言いながら、亀井はぐっと拳を握る。そして、
「あんなにも天使のように愛らしくて幼気な少年に対して、いかがわしい行為に及ぼうなんて……そんな、そんな汚らわしい発想に至るやつは!人間じゃない!!」
 高らかに、そう叫んだ。
「…………なんて?」
 突然何を言い出すんだこいつは。
 俺が呆気に取られていると、亀井はその場で頭を抱え、「僕の天使」「汚された」などと、ひとりでブツブツ言い出した。なんだこいつ。
「ねえ……何の話してるの?」
 明らかに困惑している様子の声に振り向くと、シャワーからあがったらしい陽太が、濡れた髪をタオルで押さえながら、こちらの様子を窺っていた。
 そんな陽太の姿を見るなり、亀井はパッと顔を上げ、俺を押し退けて勝手に部屋に上がり込んだ。
「あっ、おいてめえ」
「ヨウ、元気そうで良かった!この下品な男に酷いことをされてないかって、心配してたんだよ!」
 一方的に捲し立てながら、亀井が陽太の頭をわしわしと撫で回す。
「ちょっと、柾さん、髪濡れてるからやめて、びしょびしょになる」
「ああ、ヨウ……君は今日も可愛いね……!」
 抗議の声を無視して、自分が濡れるのも構わず、陽太の髪に頬ずりする亀井。俺は止めに入るのも忘れて、呆然とその様子を見ていた。
 この男は確かに、俺が思っていたようなクソ野郎ではなかった。
 だがしかし、この男は俺が思っていた以上の変人なのかも知れない。
「もう、やめてって言ってるでしょ!和威さんたすけて!」
 タオルで亀井の額をペシッと叩いて、陽太が俺の方に駆け寄ってきた。亀井は俺を恨めしそうに睨みながら、陽太が置いていったタオルの匂いを嗅いでいる。前言撤回。こいつは変人じゃなくて変態だ。
「ヨウ……やっぱり、僕よりそんな野蛮な男がいいんだね……」
「何言ってるの。柾さんも和威さんも違う人なんだから、どっちがいいとかないよ」
 何気ない調子で陽太が言ったその言葉に、亀井は目を丸くして……「そっか」と呟いて、小さく笑った。
「そういえば、柾さんこんな早くにどうしたの?おれ、打ち合わせの時間まちがえてた?」
「いや、久しぶりに食事でもどうかと思ってね。朝ご飯はもう食べた?」
「まだだけど……あ、じゃあ三人でどこかに食べに行こうよ」
 陽太にそう言われた瞬間だけ、俺と亀井の心は完全に通じ合っていたと思う。
 なんで、こいつと一緒に飯を食わなきゃいけないんだ。
「……ヨウがそうしたいって言うなら、僕は別に構わないよ」
 顔を引き攣らせながら亀井が言う。それを聞いた陽太は首を傾げて、俺の顔色を窺ってきた。
「和威さんは?」
 そんな表情で言われて、俺が断れるはずがない。やっぱり分かってやってるんじゃないのか、こいつ。
「ったく……分かったよ。ラーメン食おうぜ、ラーメン」
「はあ?朝一番にそんな重たい物食べる気ですか?正気じゃない」
「うるせえ。嫌なら帰れ」
 そうやって言い合う俺達を、陽太はどこか楽しそうな様子で見つめていたのだった。
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