10cm先のラブソング

村井 彰

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その後の話

1.突然の来訪者

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  十二月二十六日。クリスマスも終わり、世間がすっかり年の瀬ムードに染まった日。俺は恋人と二人で夜を過ごしていた。
「悪かったな。クリスマスも過ぎちまったうえに、結局いつもの家デートで」
  リビングに敷いたカーペットの上に胡座をかいて、俺は隣に座る恋人に詫びた。
「おれは和威かずいさんと一緒にいられるなら、なんだっていいよ」
  そう言って、俺の恋人……宮藤みやふじ陽太ようたは、いつもの子供っぽい表情で笑う。そして俺の肩に頭を乗せて、
「それに、二人っきりなら好きなだけくっつけるでしょ」
  と、甘えた声で言った。
  柔らかい髪に首筋をくすぐられ、鼻先を掠めたほのかなシャンプーの匂いに心臓が高鳴る。俺が普段使っているのと同じシャンプーなのに、なぜこんなに甘い匂いがするのだろう。

  そもそも、こんな中途半端な時期のクリスマスデートになってしまったのは、俺の仕事が立て込んでいたのが原因だ。
  本当ならどこか良い店を予約して食事にでも連れて行ってやりたかったのに、俺の予定が立たなかったせいで、結局俺の家でいつも通りに過ごしただけ。一応ケーキは用意したけど、それだって別にクリスマス仕様のものじゃない。ただの普通のショートケーキだ。
  そんな味気ないデートでも陽太は楽しそうにしていたが、毎回それに甘えていいとも思えない。
  俺は陽太の肩に手を回し、その髪に鼻先を埋めるようにして囁いた。
「今度絶対埋め合わせするから。どこ行きたいとか何したいとか、それまでに考えといてくれよ」
「ん、ほんとに何でもいいんだけどなあ」
  くすぐったそうに身動ぎして、陽太が顔をあげる。
「和威さんと付き合ってから、毎日たくさんいろんな物貰ってるから。だからもう十分だよ」
「……バカ。こんなんで満足してんなよ」
  『もう十分』だなんて、そんなふうに言って貰えるような事を、俺はまだ何ひとつだってしてやれてない。陽太がひとりで俺の事を思ってくれていた長い長い時間の分を、少しでも多く埋めてやりたいのに。
  陽太のほっぺたにそっと触れて、反対の頬にキスをした。たったそれだけの事で、陽太は本当に幸せそうに笑う。その顔がもっと見たくて、今度は唇を重ね合わせた。
「ん……」
  鼻にかかった吐息を洩らして、陽太が俺の背中に手を回してくる。そのまま少し体重をかけて、その体をカーペットの上に押し倒した。
「陽太」
  耳元で可愛い恋人の名前を呼んで、耳朶に軽く歯を立てる。
「あ、ん……くすぐったい……」
  そう言って身を捩る陽太の腰を抱いて、パジャマの下に手を滑り込ませた。
  陽太と初めて体を重ねたのは、今から十日以上前のこと。そして一度その快感を知ってしまえば、求める気持ちは更に大きくなっていく。
  触れ合うごとに、お互いの体が少しずつ熱を帯びていくのを感じる。
  もっと、もっと深い部分で触れ合いたい。
「んっ……あの、和威さん、ここでするの……?」
  緩いニット生地を胸元まで捲りあげて、顕になった地肌に唇を這わせていくと、陽太が息を乱しながらそう訊いてきた。
「嫌か?」
「嫌じゃ、ないけど……恥ずかしい……」
  頬を染めて、陽太が長い睫毛を伏せる。その表情のひとつひとつが愛おしくて、俺は瞼に優しく口付けた。
「恥ずかしがることなんて無いだろ。俺以外誰も見てないんだから」
「そ、そういう問題じゃ」
  形ばかりの抵抗をしてくる両手を床に押し付けて、再びその唇に触れる。
  このまま全て奪ってしまおうとした、その時の事だった。
「兄ちゃん!兄ちゃんいる?!」
  突然なんの前触れも無く玄関の扉が開け放たれ、ドタバタという足音が駆け込んで来た。
「あ、いた!兄ちゃんあの、さ……」
  一直線にリビングへと飛び込んで来た闖入者は、半裸になった陽太の上に覆い被さる俺を見て、中途半端な姿勢のまま凍りついた。
  陽太はと言えば、俺の下で固まったまま声も出せない様子だった。それはそうだろう。こんな状況、誰が予想出来た?
「に、兄ちゃん……」
  来訪者が困ったように俺を呼ぶ。助けて欲しいのはこっちだ、バカ弟。
「お前何しに来たんだよ。……裕翔ひろと

  時刻は午後九時。今日という日が終わりに近づいた、そんな時間に現れた来訪者の正体は、俺の弟であり陽太の友人である、沢山さわやま裕翔だった。

  *

「あ~……友達と兄貴がやってるとことか、見たくないの二乗だったわ……」
「バカ!そう思うなら事前に連絡くらいしろバカ!つーか入る前に声かけろ!!」
  そもそもまだやってねぇよ。とも思ったが、陽太の手前さすがに口には出さなかった。
  その陽太はどうしているのかと言うと、俺の背中に隠れたきり、ずっと顔を真っ赤にして俯いている。まあ体がデカいので完全に隠れてはいないのだが。
「あー……でもアレなんだな。陽太と兄ちゃんって、ほんとに付き合ってたんだな」
   どこかとぼけた調子で裕翔が言った言葉に、俺は少し眉を寄せた。
「なんだよ。冗談だと思ってたのか?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ。三人で会ってる時もいつも通りだったし、ピンと来て無かったっていうか」
「そりゃお前が見てる前でイチャつく訳ないだろうが……」
  俺がため息を吐くのも聞かず、裕翔は俺の背中を覗き込む。
「ていうか陽太もさあ、いい加減顔出してよ。オレが悪かったからさあ」
  裕翔にそう言われ、陽太はようやく少し顔を出した。しかしまだ半分以上俺に隠れたまま、申し訳なさそうな口調で言う。
「う、あの、ごめんねヒロ……」
「待て待て、なんでお前が謝るんだ」
  このバカ弟がいきなり突っ込んできたせいで、恥ずかしい思いをさせられたのだ。一発ひっぱたいてやってもいいくらいなのに。
「だ、だって、ヒロのお兄さんと、こんな」
「んあ?別にそれはいいじゃん。……いや、正直言ってめっちゃ複雑だけどさ。だからってオレが文句つけていい話じゃないしな」
  裕翔がケロッとした調子で言うと、陽太は少し驚いたように目を瞬いた。こういう物事に深く拘らない性格は、我が弟ながらなかなか好感が持てる。
「……で?もう一回聞くがお前何しに来たんだ。こんな時間に。連絡もせず。いきなり飛び込んできて」
「な、なんだよ、ごめんって兄ちゃん」
  俺がわざと語気を強めると、裕翔は焦って姿勢を正した。その脇に転がっているレジ袋から缶ビールや適当なつまみが覗いているところからして、軽く飲んだ後泊まっていく気だったのだろう。そして裕翔がそうするのは、たいてい俺に何か重要な報告や相談をしたい時と決まっている。
  俺と陽太が黙ったままで裕翔が話し出すのを待っていると、裕翔は短く整えた頭をカリカリと掻いて、こう言った。
「んーと……この流れで言うのもなんか変な感じなんだけどさ。オレ結婚することになった」
「…………は!?」
  思ってもみなかった報告に俺が間の抜けた声をあげる横で、陽太がキラキラと目を輝かせる。
「結婚?!すごいねヒロ、おめでとう!」
「へへ、ありがとな」
  陽太の素直な祝福の言葉を受け取って、裕翔が嬉しそうに笑う。なんだ?この展開に着いていけてないのは俺だけか。
「えー……あー……そうだ。結婚って、相手は?お前が大学ん時から付き合ってる子か?」
「そうだよ。昨日プロポーズしてオッケー貰った」
「昨日て」
  話が早いにも程があるだろ。しかもクリスマスにプロポーズとは、なかなかベタなことをする。
「とにかくそういう訳でさ。父さんと母さんには正月に帰った時に報告するつもりだけど、兄ちゃんには先に言っときたくて。まさか陽太もいるとは思わなかったけど、ちょうど良かったな!」
「なんもよくねえよバカ」
  お前が入ってくるのがあと数十分遅かったら、とんでもない事になってたんだぞ。
「はあ……まあいいわ、ともかくおめでとう。正月に報告するってことは、休み取れそうなんだな」
「うん、一日だけだけど。兄ちゃんも帰るよな?」
「まあ年一回のことだしな。……そういや陽太は正月どうするんだ?」
  なんの気なしに俺が水を向けると、陽太はなぜか言葉に詰まって言い淀んだ。
「えっと、おれは別に予定無い、かな」
「ふぅん?」
  裕翔が少し首を傾げる。そして不意に何か閃いた様子で指を立てた。
「そうだ!何もないなら陽太もウチに来たらいいじゃん!」
「え……ええ?」
「そうだ、それがいいって。こないだ電話した時、母さんも陽太のこと気にしてたもん」
  戸惑った声をあげる陽太に構わず、裕翔はひとりでペラペラと喋り出す。俺は慌ててそれを止めに入った。
「待て裕翔、勝手に話を進めるな。陽太も嫌なら断っていいんだからな」
「え、えっと、嫌じゃないけど……でもおれが行っていいの?せっかく家族で集まるのに」
「そんなん気にしなくていいって!ウチの母さん、陽太のことめっちゃ好きだしさ」
  確かに裕翔の言う通り、俺達の母親は若いイケメンが大好きで、陽太の事も学生時代からかなり気に入っている様子だった。陽太がこれまで出したCDも全部買っていると言っていたし、連れて帰ればさぞかし喜ぶだろう。
「……ほんとに?ほんとに、おれが行っても迷惑じゃない?」
「ほんとだって。なんなら今から母さんに確認してもいいよ」
  そう言って裕翔が笑うと、陽太はようやく安心したように頷いた。
「ならおれも……みんなと一緒に居たいな」
  その言葉を聞くと同時に、
「決まりだな」
  と言って、裕翔が笑った。


  その後、そろそろ日付けが変わろうかという頃合いには、俺と陽太は二人で寝室のベッドに横になっていた。ちなみに裕翔はリビングに敷いた予備の布団に寝かせてある。
「……ったく、あいつ酒入るといつも以上にうるせえよな」
「ふふ、賑やかでいいよね」
  吐息がかかるほど近くで、陽太が穏やかに微笑む。その頬に触れると、手のひらに温かさが伝わってきた。
「正月の件も、強引に誘っちまって悪かったな。大丈夫だったか?」
  俺が訊ねると、陽太はくすぐったそうに目を細めて答えた。
「大丈夫だよ。むしろ誘ってもらえてすごく嬉しかった。……おれ、和威さんたちの家すごく好きなんだ。お父さんもお母さんも優しくて、暖かくて」
  そこで言葉を切って、陽太が俺の手にそっと触れる。
  冷え切ったその指先が切なくて、俺が指を絡めようとした時、陽太がぽつりと言葉を零した。
「……うちの両親はさ、おれにちゃんと大学行って就職して欲しかったみたいで。あと、一人息子だから、結婚とか、孫とか。……けどおれ、そういうの何ひとつ応えられないから」
  苦しそうに吐き出された言葉に、俺の胸まで締め上げられたように痛んだ。
  音楽一本で食っていくなんて誰にでも出来る事じゃないだろ、とか。子供なんて出来なくても俺がそばに居るのに、とか。そんな上っ面だけの慰めじゃ、なんの解決にもならない。
  分かっているから、俺は黙って陽太の体を抱き寄せた。
「和威さん……」
  陽太が俺の胸に顔を埋めて、小さく息を吐いた。
「和威さん。……和威さん、だいすき」
  頬を擦り寄せてくる陽太を強く強く抱き締めて、その額にそっと唇を寄せた。
「バカ。知ってるよ」

  少しずつ、夜が更けていく。
  今日も明日も、俺はこいつの隣にいてやる事しか出来ないけれど、それでも陽太は十分だといって笑うのだろう。
  その思いに、これから俺は、どれだけの物を返していけるのだろうか。
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