孤島の花嫁~転生先は滅亡寸前の小国でした~

村井 彰

文字の大きさ
2 / 16
第一章 見知らぬ世界

1話 ファレクシア

しおりを挟む
「すげえ……海の匂いがする」
  視覚よりも先に全身で海の気配を感じて、翔真は思わず感嘆の声を上げた。
  翔真が今までいた小部屋はどうやら塔の中にあったらしく、扉を出たその場所から、眼下の景色を一望することが出来た。
  太陽の光を反射して白く輝く家々と、見渡す限りに続く砂浜、そしてその向こうに遥か広がる海……今さっきまでの戸惑いも忘れて、翔真は扉の前に伸びる渡り廊下へと駆け出していた。初夏のような日差しは爽やかでありつつも眩しくて、スーツでは少し暑いくらいだ。
「海が珍しいか?」
  はしゃいだ翔真に追い越されたラギムが、その後ろからゆったりとした足取りで追ってくる。しかし、軽石のようなゴツゴツした素材の手すりに手をかけて目を輝かせる翔真には、そちらに視線を向ける余裕もない。
「そりゃ珍しいって。オレの住んでたとこは内陸だし、海なんて旅行の時しか見れなかったんだから……しかもこんな綺麗な海、写真とか動画でしか見たことない!」
「……そうか。私にとっては見慣れた景色だが、お前にとって喜ばしいものなら何よりだ」
  なぜか優しげな口調で言って、ラギムは翔真の背中をポンと叩いた。
「だが、海など後からいくらでも見られる。それよりまずは宮殿に来い。今日からお前が暮らす場所だ」
「宮殿……?」
  頷いたラギムが指さす方を見る。景色を見るのに夢中になり過ぎて気づかなかったが、翔真が今いる長い渡り廊下の先は、巨大な純白の建物へと続いていたようだ。
「わ、すご。なんであんな白いの?」
  目に映るもの全てが珍しくて、否が応でも浮かれてしまう。そうして異国の景色にはしゃぐ翔真の耳は、『今日からお前が暮らす場所』という不穏な言葉を、都合良く聞き流してしまった。
  深く考えないまま、先を行くラギムの背中を足取り軽く追いかけて、翔真は宮殿へと向かう。
  そうして足を踏み入れた真っ白な建物の内部は、どうやら吹き抜けの廊下になっているようだった。左手にはガラスの嵌っていない窓が続いていて、右手には部屋がいくつも並んでいるようだが、やはりそこにも扉の類はない。開放感があると捉えるか、プライバシーがないと捉えるかは微妙なところだ。
「ここも全部白い……」
  近くの壁に触れてみると、ほんのりとした温かさが伝わってきた。ただの石ではなさそうだが、一体なんの素材で出来ているのだろう。ラギムに聞いてみようと、翔真が後ろを振り向こうとした時、
「まあ陛下……もしかして、そちらが異界からいらしたという御方ですか?」
  すぐそばの部屋から落ち着いた女性の声が聞こえてきて、翔真は驚いて視線を戻した。するとちょうど、髪の長い女性が一人、近くの部屋から姿を現したところだった。
「姉上!」
  その人の姿を見た瞬間、ラギムが明るい声を上げて彼女の元へ駆け寄った。なるほど、この人はラギムの姉なのか。たしかに彼女の髪や瞳の色は、ラギムと全く同じ金色だ。そしてラギムと同じく、彼女も非常に美しい顔立ちをしている。
(絵になる姉弟だな……)
  仲の良さそうな二人を見比べて、翔真はこっそりと嘆息した。だが、女性はラギムと軽く言葉を交わすとすぐにその場を離れ、翔真の前へ歩み出て来た。
「はじめまして、異界の御方。わたくしはリズラと申します」
「えっ? ええと……」
  美女にうやうやしく頭を下げられて、翔真はついドギマギしてしまう。庶民かつ学生の翔真にとっては、こういう格式ばった挨拶自体、あまり馴染みのないものだ。
  戸惑いから言葉に詰まってしまった翔真を、リズラという女性は怒るでも呆れるでもなく、おっとりとした様子で見上げている。
「それにしても、ずいぶんとご立派なお体ですのね……まるでクティヌスの戦士のようですわ」
「クティ……?」
  耳慣れない言葉に首を傾げる翔真の前で、リズラは頬に手を当てて微笑むばかりだ。そして、たおやかな笑顔を浮かべたまま、彼女はとんでもない事を言い放った。
「異界の女性はみんな、あなたのように大きな体をしておられるのでしょうか? 何だか羨ましいわ」
「…………ん?」
  何だ、今の質問。
  聞かれた意味が分からず、さらに首を傾げる翔真に助け舟を出すように、ラギムが口を開く。
「姉上、彼は男です。……そうだな? ショウマ」
「……え? ああ、うん。心も体も産まれた時からずっと男だけど……あれ? オレ今、女の子に間違えられた?」
  そうだとしたら人生初の経験である。仮に翔真が化粧をしてドレスを着てみたところで、ジョセフ・ジョースターの女装にしかならないだろうに。
「あら……? あらまあ、ごめんなさいね。陛下の花嫁になる方だと伺っていたものですから、すっかり女性なのだと思い込んでおりましたわ」
  花嫁。その単語を聞いて、翔真はようやく我に返った。
  そういえば、自分は今とんでもない状況に置かれているんだった。観光気分で浮かれている場合ではない。
「そうだよ……なああんた、ラギム? あんたさっき、オレのこと花嫁とか呼んでたけど、あれ本気なのか? あんたらの事情は聞いたけど、いくらなんでも……」
「姉上。そろそろ兄上の元へ行かれる頃合いではありませんか?」
  翔真の言葉を遮って、ラギムがリズラに声をかける。リズラの方も、何かを思い出した様子で金色の目を瞬いた。
「あら、そういえば……申し訳ありません、所用がございますので、わたくしはこれで失礼いたします。……最後に、あなたのお名前をお訊きしても良いかしら?」
「あっ……そうだ、こちらこそすみません。オレは翔真です。土屋翔真」
「ショウマ様……不思議な響きですね。それではごきげんよう、ショウマ様。陛下」
  そう言ってもう一度頭を下げると、リズラはまっすぐに背筋を伸ばして、廊下の先へと歩いて行った。その背中が見えなくなった後、翔真はしみじみとため息を吐き出して言う。
「綺麗な人だったなあ……」
「そうだろう。なにしろ、私の兄が妻に選んだ人だからな」
「あ、姉ってそういう……」
  よく似た二人だと思ったが、どうやら血縁関係は無いらしい。しかし、ラギムの兄ということは、リズラの夫もさぞかし美しい人なのだろう。美男美女カップルで羨ましい限りだ。
「……あれ? お兄さんがいるのにラギムが王様なんだ?」
  普通こういうのは、長男が継ぐものなんじゃないのか。
  しかし、翔真がポツリと零した疑問に、ラギムは答えなかった。
「それよりも、お前も一度部屋で休んではどうだ? その格好では暑いだろう。着替えも用意させる」
「いや……いやいや、ちょっと待てよ。気持ちはありがたいけど、着替えとかいいから。それよりオレもう帰りたいんだけど」
  これが旅行なら、数日くらい滞在してあれこれ楽しみたいところだが、今はそういう訳にもいかない。せっかく大学にも受かって、明日から新生活が始まるところだったのに。それに、これから妹と食事に行く約束もしている。内ポケットに入れていたスマホを確認したが圏外だし、せめて一言くらい連絡を入れなくては心配させてしまう。
「なあ……聞いてんのかあんた」
  焦りを募らせる翔真とは対照に、ラギムは眉ひとつ動かさない。その様子に、嫌な予感がどんどん膨れ上がっていく。
「何とか、言ってくれよ……」
「残念ですが、貴方に帰るすべはありません」
  翔真の悲痛な声に答えた者は、ラギムではなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可
BL
 祖国に棄てられた少年――ユリアン。  彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。  その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。  絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。  誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。   棄てられた少年と、孤独な賢者。  陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました

西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて… ほのほのです。 ※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

異世界に勇者として召喚された俺、ラスボスの魔王に敗北したら城に囚われ執着と独占欲まみれの甘い生活が始まりました

水凪しおん
BL
ごく普通の日本人だった俺、ハルキは、事故であっけなく死んだ――と思ったら、剣と魔法の異世界で『勇者』として目覚めた。 世界の命運を背負い、魔王討伐へと向かった俺を待っていたのは、圧倒的な力を持つ美しき魔王ゼノン。 「見つけた、俺の運命」 敗北した俺に彼が告げたのは、死の宣告ではなく、甘い所有宣言だった。 冷徹なはずの魔王は、俺を城に囚え、身も心も蕩けるほどに溺愛し始める。 食事も、着替えも、眠る時でさえ彼の腕の中。 その執着と独占欲に戸惑いながらも、時折見せる彼の孤独な瞳に、俺の心は抗いがたく惹かれていく。 敵同士から始まる、歪で甘い主従関係。 世界を敵に回しても手に入れたい、唯一の愛の物語。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

処理中です...