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第二章 出会い

3話 他の誰かでも

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  それは、ラギムと翔真の二人が城内に戻った直後の事だった。
「ラギム様、おかえりなさいませ!」
  階段を上って部屋に戻ろうとした瞬間にそう声をかけられ、翔真は驚いて足を止めた。
「レムルか。ただいま」
  驚く翔真とは対照に、ラギムは優しげな口調で言って、声の主の元へ歩み寄る。
  その人は、翔真が見た事のない若い女性だった。歳は翔真と同じくらいだろうか。長い金髪をポニーテールにしている。少々ツリ目気味だがなかなかの美人で、誰かに似ているような気がするのだが思い出せなかった。
  困惑する翔真には目もくれず、女性はラギムにばかり話しかけている。それどころか、さりげなく彼の手や腕に触れたりもしているようだ。そしてラギムの方にも、それを咎める様子はない。どうやら二人はかなり親しい間柄らしい。
(なんか……なんでこんなにモヤモヤするんだろう)
  これまでに感じた事のない感情に襲われて、翔真は無意識に自分の胸を押さえた。そんな翔真に一瞬だけ視線をやって、女性はにっこりとラギムに微笑みかける。
「そうですわ、ラギム様。先ほど兄が、漁港の再建についてラギム様にご相談したいと申しておりました」
「ん、そうか。……すまない、ショウマ。少し用が出来た。私はここで失礼させてもらう」
  ラギムに名前を呼ばれ、翔真はハッと我に返った。
「あ、うん……今日はありがとう、ラギム」
「ああ。では、またあとでな」
  それだけを言い残して、ラギムはさっさとその場を離れて行ってしまう。女性は笑顔でその様子を見守っていたが、ラギムの背中が見えなくなった瞬間、スッと真顔になって翔真へと視線を向けた。
(あれ。なんかこの感じ、覚えが)
「ずいぶんと、はしたない格好ですのね」
「え」
  何の前触れもなく投げられた刺々しい声に、翔真は一瞬言葉を失った。その間にも、女性は呆れたような視線を翔真に向けて、わざとらしくため息を吐き出して言う。
「仮にも陛下の花嫁を名乗る立場でありながら、そのように肌を衆目に晒すなんて。一体どういうおつもりなのかしら。それとも異世界ではそれが常識なのですか?」
  明らかに嘲るような口調の言葉を次々にぶつけられて、頬がカッと熱くなるのを感じる。
  なんで、初めて会った人に、こんなことを言われなくちゃいけないんだ。
「こ、れは、ここの人達に作って貰った服で……ていうか、そもそもオレはラギムの花嫁になるつもりなんてないし! どんな格好しようがオレの勝手だろ!」
「なんですって?」
  翔真が勢いに任せて返した言葉に、女性のツリ目が更に鋭くなる。
「花嫁になるつもりはない? ……だったらあなたは、どういうつもりでラギム様に付き纏っているのかしら」
「オレは付き纏ってなんて……」
「何の覚悟も無いくせに、あの方の隣に立たないで!」
  突然の鋭い声に遮られて、翔真は思わず口を噤んだ。
  その瞬間、彼女の瞳に浮かんでいた感情は何だったのだろう。苛立ち、憎しみ、それとも焦りだろうか……いや、そのどれも違うような気がする。
「あの……」
「もういいわ。あなたにラギム様の求婚を受ける気が無いというのなら、むしろ好都合です。ラギム様が他の方を妻として迎えても構わないと言うことですものね?」
  流れるように畳み掛けられて、上手く言葉を返せない。そんな翔真を強い視線で見上げて、女性はさらに言葉を重ねた。
「よく覚えておきなさい。この国に住む者すべてが、あなたを歓迎しているわけではないということを」
  彼女の眼光と、射るような激しい言葉達に貫かれて、浮かれていた気持ちが萎んでいくのを感じる。何も言えずに立ち尽くす事しか出来ない翔真を憐れむように見て、女性はそのまま翔真に背を向けた。
「……そういえば、まだ名乗っていませんでしたわね。わたくしはレムルと申します。以後お見知りおきを」
  背中越しにちらりと視線を寄越してそう言ったかと思うと、翔真の返事を待つ事もなく、レムルは去って行った。
  一人取り残された後、彼女にぶつけられた言葉の数々を思い出して、じわじわと顔が赤くなるのを感じた。
  オレはそんな大した人間じゃない。花嫁なんかにならない。そう言いながらも、みんなに歓迎されるうちに、どこかで調子づいていた自分を突きつけられた気がしたのだ。
(……たぶん、レムルさんの態度の方が普通なんだ)
  いきなりやって来たどこの誰とも分からない人間が大きな顔をしていたら、良く思われないのが普通だ。けれど、この国の人は当たり前に受け入れてくれたから、翔真もだんだんとそれを当然だと思うようになっていた。
(けど、オレだって、自分の意思でここに来たわけじゃないのに)
  そうだ。自ら望んでここに来たわけじゃない。
  けれど、もしもここに来られなかったら。……どこにも行けないまま、翔真という存在は、あそこで終わっていた。だから、ある意味では翔真の方が、この国の人達に救われたのだとも言える。
  けど、だったら、どうすればいい。この国の人達のために、ラギムの求婚を受けるのか? それがみんなの望みだから?
「そんなの……」
  呟いた声は、どこまでも続く長い廊下の果てに消えて、誰にも届くことはなかった。

  *

「はぁ…………」
  深々とため息を吐き出して、翔真は自室のテーブルに突っ伏した。窓の外は既に暗くなっており、壁掛けのランプだけが仄かな明かりを放つ部屋に、ぼんやりとした翔真の影だけが落ちている。
「オレ、いつになったらここで気兼ねなく夕飯食べれるようになるんだろ……」
  あの後、ラギムが設けてくれた晩餐の席には、多くの人が集まってくれた。そして、その中にはもちろんレムルの姿もあったのだが、彼女は一度たりとも翔真と目を合わせようとしなかった。それも、彼女と翔真の間に見えない壁でも設置されているのかと錯覚するほど徹底的に。
  そのおかげで、翔真は食事の間中、誰と何を話していたのか、何を食べていたのか、ほとんど何も覚えていない。せっかくの機会だったのに。
「なんか、ヤだな……こういうの……」
  自慢ではないが、翔真は十八年生きてきて、誰かに嫌われたという覚えがほとんど無い。もしかしたら翔真が気づいていないだけなのかもしれないが、少なくともこうやって露骨に敵意を向けられた事なんて一度もなかった。だから、今の自分に向けられている、厳しい感情の受け止め方も分からない。
  これがもし、ただ理不尽な言葉を投げつけられただけだったなら、翔真だって何かしら言い返す事くらい出来ただろう。だけど、レムルの言葉はそうじゃなかった。
  彼女はきっと、翔真が中途半端な思いでラギムのそばにいる事が許せないのだ。ラギムの気持ちに応える事もせず、ただその優しさを受け取るだけの翔真が。
(でも、ラギムの気持ちって言ったって)
  ラギムが求めているのは、国のためになる人。皆に希望を与える、異世界からの使者。
  それは決して、土屋翔真という人間ではない。
(そうだ。この世界に来たのがオレじゃなくても、ラギムは花嫁って呼んでたはずだ。オレじゃ、なくても……)
  繰り返すごとに、息が苦しくなっていく。
  ラギムにとっては、誰でも良かったんだ。異世界から来た人間なら、オレじゃなくても。
  そんなこと、分かってたはずなのに。
「なんで……」
  なんで今さら、苦しくなるんだろう。
  ランプの明かりがゆらゆらと揺れて、床に落ちた翔真の影も不安定に形を変える。それを見ていると、忘れたフリをしていた不安が一気に吹き出してきて、心がざわついた。
  昨晩のようにラギムと二人で話せたら、こんなモヤモヤなんてどこかへ行ってしまうだろうか。……いいや、今はラギムとも上手く話せる気がしない。だけど、それでも一人はいやだ。こんな静かな場所じゃ、余計な事ばかり浮かんでくる。
(誰か……)
「ショウマ様」
  心の中で呟いた声に応えるように名前を呼ばれ、翔真は驚いて体を震わせた。慌てて視線を上げると、薄暗い廊下に立って、気遣わしげな表情を浮かべているメリノと目が合った。
「申し訳ありません。もうおやすみになるところでしたか?」
「あ、ううん。ちょっとぼーっとしてただけ」
  椅子に座り直して、翔真は少し苦笑した。なんだか恥ずかしい所を見られてしまった気がする。
「えと……そうだ、何か用だった?」
「はい。ご入浴の準備が整いましたので、お伝えに参りました」
「え、お風呂? うわ、ありがとう。助かるよ」
  今日は砂浜を歩き回ったから砂まみれだし、結構汗もかいた。全部流してさっぱり出来るのならありがたい。喜ぶ翔真を見て、メリノも嬉しそうに微笑んだ。
「ではショウマ様、私もご一緒してお背中をお流ししますので……」
「いやそれは大丈夫! 一人で平気だから!」
  とんでもない提案をされそうになり、翔真は一瞬で笑顔を引っ込めた。そんな翔真の反応に、メリノは少し悲しそうな顔をする。
「ショウマ様……」
「オレ今、一人でゆっくりしたい気分なんだ! だからメリノは気にしないで! それよりお風呂場ってどこ?!」
  それ以上メリノに何も言わせないように捲し立てて、どうにか風呂の場所を聞き出す。毎回思うのだが、メリノは翔真の事を男だと認識していないのだろうか。いや、別にそれで構わないのだが、なんだかちょっと複雑でもある。
(邪険にされるのも親切にされるのもイヤって、オレちょっと面倒くさい事言ってるのかな)
  翔真がどうこうというより、彼女達が極端すぎるのだという気もするが。
  頭を抱えたい気分で部屋を飛び出し、階段を駆け下りて城の下階へと向かう。昼間はそれぞれに働きに出ていた城の人達も、今は皆帰って来ているようだ。
  すれ違いざまに挨拶をしてくれる人達はみんな笑顔で、翔真の事を歓迎してくれているのが伝わってくる。それとも態度に出さないだけで、内心はみんなレムルのように苦々しく思っているのだろうか。
(……良くないな、こういうの)
  少し、疑心暗鬼になっているのかもしれない。
  軽く頭を振って、細い廊下の奥にある風呂場へと向かう。そこは城の一番端で、直接井戸から水を引いているらしい。薄暗い廊下の先にあるその場所には、さすがに薄いドアが設置されていた。
  ドアを押し開けて中に入る。さして広くない脱衣場で手早く衣服を脱いで、翔真はそのまま浴室へと向かった。もう何でもいいから、全部洗い流してスッキリしたい。そう思ったのだが。
「…………ん?」
  湯気に煙る広い浴室の真ん中、床に直接埋め込む形で設置された浴槽の中に、誰かいる。いや、誰かというか。
「……ラギム?」
「ああ、ショウマか。どうした?」
「いや、どうしたって言うか……あの……なんかごめん」
  今の自分の状態を思い起こし、咄嗟に体を隠そうとして、翔真は我に返った。男同士で何を隠すことがあるんだ。別に気にする必要なんて無いんじゃないのか。
「ええと……メリノにお風呂の準備が出来たって言われて来たんだけど」
「ああ……そういえば、色々と立て込んでいて入浴が遅れたのを伝え忘れていたな」
「あ、そうなんだ。……えっと、オレも入っていい?」
  いつまでも裸で突っ立っているのも間抜けだし、もう一度服を着て引き返すのも面倒だ。そう思って訊ねると、ラギムは湯船に浸かったままチラリとこちらを振り向いた。
「まあ……構わないが」
「やった。さんきゅーラギム」
  そう言うが早いか、翔真は早足に丸い形の浴槽へと向かい、その隅っこへ滑り込んだ。
  そのまま一気に肩まで浸かってしまうと、全身にじんわりと温かさが広がっていく。どうやら自分自身でも気づかないうちに、体がかなり強ばっていたようだ。ゆっくりと緊張が解けていく感覚に、翔真は大きく息を吐いた。
「はあ……こんなでっかい風呂入るのいつぶりだろ。一昨年家族で行った温泉以来かな」
  大柄な翔真が思いきり体を伸ばしても、足が壁につく事もない。こんなの自宅に銭湯があるようなものじゃないか。なんて贅沢なんだろう。
「お前は素直でわかりやすいな」
  そう言って、少し離れた場所で湯船に浸かるラギムが小さく笑う気配があった。
  さっきまであんなに悩んでいたのに、大きな風呂に入っただけで、すっかりテンションの上がってしまった自分が少し恥ずかしくなる。伸ばしていた手足をちょっと縮こまらせて膝を抱えると、翔真はラギムの方に視線をやった。
  ずっと下ろしっぱなしにしていた長い髪を、無造作な一つ結びにしているラギムは、なんだかちょっと違う人みたいに見える。あまりまじまじと見ては失礼だろうと思いつつも、つい気になって見つめてしまう。
「……なんか、ラギムってちゃんと男だったんだな」
  透き通った湯船の向こうに見える“それ”をチラリと見て率直な感想を洩らすと、ラギムは若干眉を寄せた。
「まさか女だと思っていたのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
  ラギムから感じていたのは、決して女性的な雰囲気ではなく、もっと……そう、マネキンのように無機質な美しさだった。だから、そんなラギムに自分と同じモノが付いているのが不思議な気がしてしまうのだ。
(ちゃんと人間なんだなあって……当たり前だけど)
  そんな事を考えながらぼんやりとラギムを見つめていると、少し苛立ったような目で見返された。
「ショウマ」
「え。な、なに?」
  硬い声で呼ばれて、翔真はギクリと身を震わせた。そんな翔真に鋭い目を向けて、ラギムはこちらに体を寄せて来る。その動きで湯船に波が立って、体がふわふわした。
「ラギム、あの……」
「私はお前を伴侶として迎えるつもりだと伝えたはずだが、お前はその意味を理解しているのか?」
「へっ……」
  不意に伸ばされたラギムの指に二の腕を撫でられて、熱い湯に浸かっているのに背筋に震えが走った。
「ちょ、ラギム……っ」
「結婚などと、所詮は形式だけの物だとでも思っていたか? だから私と同じ湯殿に入って、無遠慮に体を見回しても何もされないだろうと?」
  翔真の体に覆い被さるようにして、ラギムが背中に手を回してくる。何も隔てる物のないゼロ距離で肌が触れ合い、体がカッと熱くなった。
「やめ……っ」
「お前は本当にわかりやすいな」
  耳元で薄く笑って、ラギムが背筋に指を這わせてくる。頬に感じる吐息の熱さと、肌を滑る濡れた指の感触は、翔真が今まで感じた事のないもので。
「い、やだ……っ、離せよラギム……!」
  翔真は咄嗟にラギムの細い肩を掴んで、思い切り突き飛ばしていた。激しい水飛沫の合間にラギムの白い体がよろめくのが見えて、一瞬胸がぎゅっと痛んだ。
「あ……っ、ごめん、ラギム……」
「いや……」
  目を逸らすラギムとの間に、気まずい沈黙が流れる。ついさっき触れられた場所が妙に熱くて、のぼせてしまいそうだった。
「あの、ごめんジロジロ見て……失礼だった」
「……私の方こそ、少々強引だった。すまない」
  そう言って短く詫びたかと思うと、ラギムは再び翔真の隣に移動してきて、その場に腰を下ろした。その距離はさっきよりも近くて、なんだか妙に意識してしまう。
  ああやって肌を触れ合わせることも、ラギムにとっては何でもないことなのだろうか。翔真にも、翔真じゃない誰かにも、簡単に出来てしまうくらい。
(……いやだな)
  何が嫌なのかも分からないまま、心の中にそんな思いが浮かんできた。
  自分の体を抱き締めるようにして俯く翔真を横目に見やって、ラギムは少し肩をすくめる。
「さっきから、お前は何を考え込んでいるんだ?」
「え?」
「晩餐の時から気もそぞろと言った様子だった。……もしや、レムルに何か言われたか?」
「……えっ?!」
  ピンポイントで言い当てられて、翔真は思わず大きな声を上げてしまう。ラギムは『やっぱりな』と言わんばかりに軽く眉を上げた。
「図星か。レムルの方も少し様子がおかしかったからな。そんな事だろうと思った」
「う……あの、別にレムルさんが悪いわけじゃないんだけど」
「ああ、大体想像はつく。あいつは兄に似て素直ではないというか、少々ひねくれている所があるからな」
「兄?」
  首を傾げる翔真を見上げて、ラギムはやや怪訝な顔をした。
「晩餐の時に紹介されなかったか? レムルはレクトの妹だ」
「い……っ?!」
  衝撃の事実に、翔真は目を見開いた。あの二人が兄妹だって?
「あー……いや、そっか。言われてみれば確かに、そっくりだ……」
  むしろ似ていない部分を探す方が難しい気がする。どうして今まで気が付かなかったのか。
  頭を搔く翔真を、ラギムは不思議そうに見つめている。
「レクトとレムルの父親は、私の父親の弟でな。あの二人とも、幼い頃から兄弟同然に育てられてきた」
「そっか。だから仲良さそうな感じだったんだ」
  胸のモヤモヤが少しだけ晴れるのを感じながら、翔真は小さく息を吐いた。
「……あれ。そういえば、レクトさんって、さっきの晩御飯の時いた?」
「いや……あいつは今日一日、自室で調べ物をしていたらしい。そうなると平気で食事を抜いたり夜を徹したりするからな。……まあ、明日の授業までには顔を出すだろうから、あまり気にしなくて良い」
「授業?」
「三日に一度、島の子供達を集めてレクト自ら勉強を教えているんだ。単純な知識の量で言えば、この島でレクトに勝る者はいないからな」
「へえ……なんか意外かも」
  子供達にもあの調子で接するのだろうか。なんだか想像もつかない。
「けど、勉強か……」
  自分の中にひとつ浮かんできた考えを確認するように、小さく呟いてみる。

  この国でやってみたいこと。見つけられたかもしれない。



  ──第三章へ続く
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