Love is Money!

村井 彰

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2話 二兎追うものは

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  友仁との映画デートから約一週間が過ぎ、七月も半ばになった金曜日。ネットのニュースが少し早い梅雨明けを告げ、いよいよ夏が本番を迎える時期……つまりは夏休みシーズンが到来しようとしていた。
  とはいえ、サービス業に従事している者にとっては休みなど無い。いちバイトでしかないオレにとっても、今は一番の稼ぎ時、であるはずなのだが。
「ねえ、斎藤さいとうくん。世間はレジャーだなんだと賑やかな様子なのに、どうしてうちはこんなに暇なんだろうね?」
「さあ……けどバイト的には暇な方が良くないですか。時給変わらないし」
  誰も来ないカフェのカウンターに突っ立ったまま、オレはバイトの先輩である佐藤さとう美織みおりにそう答えた。ちなみにオレのフルネームは斎藤玲生である。
「君は本当に勤労意欲が低いよね。しかもただのサボり魔じゃなくて、楽して生きることに命かけてるタイプ」
「さすがに命はかけませんよ」
「そう? 将来玉の輿に乗るためだけに、よく知らない男の人口説いたりしてたのに」
  さっき拭いたばかりのテーブルをもう一度拭き直しながら、美織さんは口の端だけで笑った。彼女はオレより三つ上の二十三歳で、専門学校を出たあと、ここで働きながらイラスト系の仕事をしているらしい。オレとはシフトが被りがちなために話す機会も多く、オレが金持ちとの交際に執着するあまり、客の男を口説き落として付き合い始めたことも知られている。
「で、お金持ちのカレシとはその後どうなの?」
「まあまあ良い感じですよ。会うのは週末くらいですけど、連絡はマメに取ってるし。……学生みたいな安上がりデートしかしてくんないけど」
「実際君は学生でしょ」
「そうですけど……向こうは良いとこの勤め人だし、そろそろ夏休みだし、どうせだったら海外旅行とか連れてってくれてもいいのになーって」
  台拭きを片手にカウンターの中へ戻ってきた美織さんは、わざとらしく肩をすくめるオレの横で首を傾げた。
「海外行きたいの?」
「いや別に」
  簡潔なオレの答えを聞いて、美織さんはなぜかニヤリと笑った。
「斎藤くんって意外と純情だよね。お金のためなら何でもするふうなこと言ってるけど、ちゃんと順序立ててお付き合いするし、彼からのプレゼントが欲しいとか、一緒に旅行したいとか、初めてカレシが出来て舞い上がってる女の子みたい」
「……冗談でしょ。オレは金持ってるやつなら誰でも良いんで」
  あまりの言い草にオレは思わず顔をしかめたが、美織さんは面白そうに笑うばかりだ。完全にからかわれている。
「てか、そういう美織さんは」
  彼氏とか彼女とかいないんですか。と聞いてやろうとしたが、ちょうどその瞬間に入り口の自動ドアが開いて、久々の客が入って来た。
「いらっしゃいませー!」
  今さっきまでの気怠い態度が嘘のようなハキハキとした声で、美織さんが客を出迎える。その声が呼び水になったかのように、立て続けに学生の団体客が入ってきた。つかの間の平和な時間が終わってしまったことに落胆しつつ、けして顔には出さないよう、オレも営業用の笑顔を作ったのだった。

  ¥

  結局その後、あの一瞬の空白は何だったのかというほどに店は混み合い、オレは予定より三十分ほど残業するはめになってしまった。その分給料出るから良いけど。
「友仁、連絡返してこないなー」
  人気のない夜道を歩きながらスマホを確認して、オレは首を傾げた。明日は土曜日だし、オレのバイトが終わったらどこかに行かないかと誘ってみたのだが、既読は付いたものの返事がない。時刻は十九時前だが、あいつも残業でもしてるんだろうか。
  その時ちょうど、後ろから車が迫ってくる気配を感じたので、オレはスマホを鞄にしまって、道の端に避けた。しかしなぜか、車がオレを追い抜く気配がない。不審に思って背後を振り向いた時、オレを道の端に追い込むような位置に、見知らぬ車が停まった。やけに平べったいデザインの外車だが、これはもしかしなくてもかなりの高級車なのでは……
「やあ、こんばんは。やっとまた会えたね、玲生くん」
  考え込むオレの目の前で運転席の窓が開き、見覚えのあるおっさんが顔を出した。
「あ、この間の……」
  友仁が接待していた、いかにもな金持ちのおっさんだ。そいつが何で、オレのバイト先の近くにいて、わざわざ声をかけてくるのか。なんとなく想像はつくが、正直嫌な予感しかしない。
「玲生くん、そこのカフェでアルバイトしてるんだね。偉いねえ。君のこと、友仁くんに聞こうとしたんだけど全然教えてくれないから、調べるのに一週間もかかってしまったよ」
  おっさんはニコニコしながら、絶妙にキモチワルイ台詞を並べ立てる。調べたとか本人に言うか普通。
「あの、オレに何のご用ですか」
「うん、あのね。玲生くんは今、お付き合いしてる人はいるのかな」
  あんたがこの間一緒にいた男がそれです……と言ってしまって良いものだろうか。オレが返事に迷っているのを都合よく捉えたのか、おっさんは満足そうに頷いて、少し身を乗り出してきた。
「そういう相手がいないなら……いや、おじさんとしてはいても良いんだけどね。ともかく玲生くん、良かったらおじさんと一緒に遊んでくれないかな」
「遊ぶって……」
  この場合の“遊び”とは、カラオケとかボーリングとか、おそろいのカチューシャを着けて夢の国でツーショットを撮るとか、そういう類いのものではないだろう。仮にそうだったとしても、メインはその後というかなんというか。
「あの、すみませんけどオレ……」
「ああもちろん、タダで遊んでくれとは言わないよ。若い子の貴重な時間を貰うんだから、それだけのお礼はきちんと用意してるよ」
  おっさんはそう言って、スーツの内ポケットから白い封筒を取り出してみせた。開いたままの封筒の口からちらりと見える紙束に、オレの視線が吸い寄せられる。そんなオレに見せつけるように、おっさんは封筒の中身を半分ほど引き出してみせた。
  その中から現れたのは、一万円札が、一枚、二枚……何枚ある? 少なくとも今のオレの月収よりは確実に多い。それが、このおっさんと一回遊ぶだけで手に入る……?
  すぐ近くにあるおっさんのえびす顔を見返して考える。このおっさんは、決してイケおじの類いではないが、だからといって直視に耐えないようなブサイクでもない。むしろ金持ちだけあって、髪型や服装にもかなり気を使っていて清潔感がある。それに友仁の上司なら、あいつより更に良い給料貰ってるはずだよな。
「そうだ、玲生くんはさっきお仕事終わったところだよね? 良ければ晩御飯をご馳走するよ。もちろん玲生くんの好きな物でいいから」
  おっさんはなにやら気前のいいことを言って、変わらずニコニコしている。飯に釣られて着いて行ったら、たぶんその後すぐに“そういうこと”になるやつだな。
  ぶっちゃけ、オレは処女だし童貞である。今までに卒業する機会はいくらでもあったが、オレの貴重な初めてをその辺の貧乏人にくれてやる訳にはいかないともったいぶっていたら、いつの間にか二十歳になっていた。このままいけば、どっちか(あるいはどっちも)友仁にくれてやることになると思っていたのだが……このおっさんがチラつかせている札束は、オレの初めてをくれてやるのに見合った金額だろうか。いやでも、そういうことになると分かった上で受け取ったら、その時点で完全に浮気だよな。そうしたらきっと、友仁とも別れることになる。オレはそれでいいのか?
『斎藤くんって意外と純情だよね』
  美織さんに言われた台詞がよみがえる。いやいや、そんな訳ないだろ。オレは金持ちなら誰でも良いんだ……よな?
  しつこいくらいに自問自答を繰り返し、オレはようやく決意を固めた。
「あの……」
「玲生!!」
  オレが答えを口にしようとした瞬間、道の向こうから駆けてくる人影と、その人物からは聞いたこともない大声に驚いて、オレとおっさんは同時に顔をあげた。その視線の先で、ものすごい形相の友仁が、スーツのままでこちらに向かってくる。
「玲生! 無事か!?」
「え、あ」
  友仁にガッシリと腕を掴まれて目を白黒させるオレの横で、おっさんはおっとりと笑っている。
「やあ友仁くん、お疲れさま」
  泰然自若たいぜんじじゃくといった様子のおっさんとは対称に、友仁は元々鋭い目をさらに吊り上げる。
「彼に何のご用ですか」
「少し遊びに誘っただけだよ。それとも、お友達に声をかけるのに、いちいち君の許可が必要なのかな」
  おっさんは肩をすくめながら封筒を引っ込めて、オレの方に視線を向けた。
「じゃあね、玲生くん。気が向いたらいつでも連絡してね」
  おっさんはそう言ってオレに名刺を押し付けると、慣れた手つきで車を発進させ、夜道の先へと消えていった。後に残されたのは、怒り心頭であろう友仁と、名刺を持ったまま呆然とするオレの二人だけである。
「……貸してくれ」
「え?」
「その名刺だ」
  返事をする前に、友仁はオレの手から名刺をひったくり、ぐしゃりと握り潰して自分のポケットに突っ込んだ。怒っていても地面に投げ捨てたりしないあたり、やはりこいつは育ちが良い。
「あの、友仁、なんでここに?」
「あの人……うちの上司が、お前と会った日から少し様子がおかしくて……特に今日はニヤニヤしながら退勤して行ったと思ったら、その後にお前からバイトが終わったという連絡が来て、嫌なタイミングだと思ったんだ」
  だからオレを探して、ここまで走ってきたのか。
「えと、ありが「なんですぐに断らなかった?」
  強い口調で礼の言葉を遮られ、反射的にムッときてしまう。
「いや、ちゃんと断るつもりだったし」
「本当か? オレが声をかけるまで、ずいぶん迷っているように見えたけどな。お前が金に汚いのは知っていたが、まさかここまでプライドが無いとは思わなかった」
  人間、図星を指されると腹が立つものらしい。オレは頬を引きつらせながら、あまり体格の変わらない友仁の顔を思いきり睨んだ。
「へー友仁ってオレのことそういうふうに思ってたんだー。じゃあなんでそんな金に汚いやつと付き合ってんの? オレのどこが気に入ったわけ? 顔? 体? だったらあのおっさんと同じじゃん」
「なんだと……?」
  友仁の薄い眉がぴくりと震えたが、一度口にし始めた言葉は止められない。
「どうせ友仁もおっさんもオレの見た目にしか興味ないなら、あのおっさんの方がよっぽどマシだよ。ちゃんと金払ってくれるって言うしさあ」
  売り言葉に買い言葉というには少し言い過ぎたかと、オレは内心で後悔したのたが、友仁の方はびっくりするくらい真顔だった。
「そうか……お前は、自分の価値をその程度のものだと思っているんだな」
「……へ?」
「なら、もういい」
  さっきオレから奪ったクシャクシャの名刺を押し付けて、友仁はくるりと背を向けた。
「悪かったな、邪魔して」
  そう冷たく言い捨てて、友仁はそのまま振り返ることなくスタスタと歩き去ってしまう。
「ちょ、ちょっと友仁!」
  咄嗟に呼び止めてみたが、友仁が足を止める様子はなく、あっという間に路地を曲がって消えていった。もはやオレの手には、おっさんがくれた名刺しか残っていない。

  いろいろと欲をかいた結果、オレは何か大切なものを失ってしまったのかもしれない。だが今さらそれに気づいても、完全に後の祭りなのだった。
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