上 下
2 / 22
第一章 思い出と魔導具

1話 細工師の店

しおりを挟む
  少し街に出てみませんか。
  アランにそう声をかけられたのが、今から少し前のこと。そうして連れ出されるままにユリナは今、屋敷がある郊外の街をアランと二人で歩いていた。
  大きな商店や、曜日ごとに変わる市場が並ぶ王都とは違い、この辺りは日用品を扱う小さな店や、職人達の工房が多く建ち並ぶ。昼下がりの街並みは行き交う人の流れも穏やかで、ユリナにとっては煌びやかな王都よりも、こちらの方がずっと居心地の良い場所に感じられた。
「アラン様。今日はどちらに?」
「今に分かります。そう遠い場所ではありませんから」
  そういって答えを躱しながら、アランはほとんど無言で半歩ほど先を歩いて行く。二人でいても特に会話は弾まないが、かといって気まずくて死にそうという程でもない。ユリナとてそうお喋りな質でもないので、このくらいの方がちょうどいい。
  そうして落ち着いた街並みを眺めながら歩いて行くと、民家の間にある路地へとアランの背中が不意に消えて行った。ユリナは慌ててその後を追う。
  路地の先は薄暗くて人気もなく、道端には空の木箱などが積み上がって、見通しが悪いことこの上ない。見上げた空には民家の窓と窓を繋ぐように紐が渡されて、そこに洗濯された衣類がぶら下がっているのだが、あの洗濯物は一体どうやって回収するんだろう。いちいち向かいの家の人を呼び出すんだろうか。
「ユリナさん。こちらですよ」
  そんな取り留めもない思考は、アランに名前を呼ばれて打ち切られた。視線を向けた先では、石造りの壁に突き刺さるようにして、くすんだ銅の看板が顔を出している。横向きの楕円形をしたそれは、ところどころ緑色の錆が浮いているせいで見辛いが、どうやら簡略化されたペンダントの絵が彫られているようだった。
「ここは……装飾品の店ですか?」
  ユリナの問いに答える代わりに、アランが細い扉を開く。カラカラと愛想のないドアベルの音に出迎えられた先には、予想通り……いや、予想よりも雑然とした店内の光景が広がっていた。
  そこは扉の外以上に薄暗く、素っ気ない木製の棚が左右の壁を覆っている。店内は工房も兼ねているらしく、奥側の壁にはユリナには名前の分からない工具の類がずらりと掛けられていた。その横に伸びる階段は店主の住居にでも繋がっているのだろうか、店の中に主の姿はない。
  ユリナが興味深く辺りを見回していると、その階段の上からドスドスとやかましい足音が駆け下りて来た。
「へいへい、ちょっと待ってくださいよ……おお、伯爵家のお坊ちゃんですかい。毎度ご贔屓ひいきに」
  ガサガサとした声でそう言って笑うのは、六十前後くらいの矍鑠かくしゃくとした男性だった。白いものが混じって灰色になった長髪をひとつに束ね、油や塗料などの色に染まった作業用のエプロンを身につけている。
「お坊ちゃんはよしてくれないか、パウエル」
「はは、こりゃすまねえ。そうだな、今じゃアンタが御当主様だもんなあ」
  顔を顰めるアランに笑顔で返しながら、パウエルと呼ばれた男性がユリナの方に顔を向けた。
「おう、そっちのお嬢さんが新しい御当主の奥さんかね。なるほど、こりゃ話に聞いた通りのべっぴんさんだ」
  話に聞いた? 一体誰が何を話していたんだろう。
  首を傾げるユリナを誤魔化すように、アランが軽く咳払いをして男性の方を手で指した。
「ユリナさん。彼はパウエル・ガードナー。見ての通り宝飾品を扱う細工師で、我が家では父の代から贔屓にしています。こうして路地裏に工房を構えていますが、本来は王都の職人達にも引けを取らない名工なのですよ」
「よしてくだせえ。そんな仰々しい紹介なんぞされちゃあ、ケツが痒くならぁな」
  そう言って、なぜかお尻ではなく頭をガリガリと掻くパウエル。そんな彼をおかしそうに見つめながら、アランが更に言葉を重ねる。
「だが事実だろう。貴方は元々、王宮勤めの魔導具師だったのだから」
「魔導具師?」
  聞き覚えのない単語に、ユリナは思わず口を挟んだ。
「ああ……魔導具を作る、専門の職人のことですよ。魔導具というのは、大気中からマナを集めるための補助具のような物です。それが無ければ、魔術師は術を使う度に体内の魔力を大量に消費する事になり、命の危険が伴う。むろん魔導具があっても一度に無制限の魔力を得られる訳ではありませんが、それでも安全に、かつ安定して魔術を扱うためには必要不可欠な物です」
「あ……もしかして、先日のフレイモア卿が身につけていらしたサークレットが?」
  赤い髪の隙間から覗いていた、同じ色の宝石を思い出す。確かあれは、ラヴェイルが炎を生み出す度に眩い光を放っていた。
「ええ。まさにあのサークレットもパウエルが作ったものですよ。あの宝石……魔導石は非常に壊れやすく加工が難しいので、選ばれた職人にしか扱えないのです」
「大袈裟だねえ。ラヴェイル坊ちゃんが学校を出た頃は、職人自体が少なかったからオレにお鉢が回ってきただけさね。今じゃ王都にゃオレより若くて優秀なのがゴロゴロいまさあ」
  そう言ってパウエルがやれやれと首を振る。
  この国で『学校』という単語が示す場所はただひとつ。王都にある魔導学園のことだ。
  マルレスタでは毎年夏になると、その年に十歳になる子供達を王都に集めて、魔術の適性を調べる検査を行う。そこで適性を認められた子供達は、身分に関わらず学園への入学を認められ、五年の学習期間の中で魔術師となるための知識や一般教養を学ぶのだ。
「謙遜だな。ウォルターだって、魔導具の修繕は必ず貴方に依頼すると言っている。口の悪い彼が手放しで褒めるのは貴方だけだ」
「……待ってください。どうしてウォルター様が魔導具を持っていらっしゃるの?」
  何気ない調子でアランが言った言葉に驚いて、ユリナは再び口を挟んでしまった。会話を遮られた事を怒るでもなく、アランは少し首を傾げて答える。
「それはもちろん、ウォルターが魔術師だからですよ。フレイモア卿とは学園時代の同期だったそうです」
「なんですって」
  同級生? 道理でお互い過剰なくらいに突っかかるはずだ。いや、そんなことよりも。
「……失礼を承知でお訊きしますけれど、なぜウォルター様は、魔術師なのに騎士団へ入られたのですか?」
  学園を出て魔術師の資格を得た者は、それだけで華々しい将来を約束される。なにしろ元の身分に関わらず貴族階級と同等に扱われ、王都の一等地に居を構える事が出来るのだ。それゆえに、市井の者達は皆、自分の子供に魔術の素養がある事を必死に願うというのに、ウォルターはそれを蹴ってまで、地方警備の騎士団として働いているという事になる。それに、ウォルター自身も魔術師だというのなら、彼が執拗に魔術師達を馬鹿にするような発言を繰り返していたのは何故なのだろう。
  しかし、そんなユリナの疑問に対して、アランは軽く肩をすくめただけで何も答えなかった。
「まあ、彼もいろいろ複雑なのですよ」
  アランはそう言ったきり、口を噤んだ。どうやら、ウォルターについて、それ以上の事は教えてくれないようだった。
「……話が逸れましたね。パウエル、例の物の修繕は終わった頃合いだろうか」
  ユリナから視線を外して、アランがパウエルにそう訊ねる。
「もちろんでさぁ。こしらえたての時よりピカピカに仕上げてますよ」
  パウエルはそう言ってにやりと笑うと、階段下にある鍵付きの戸棚から小さな木箱を取り出した。その箱を受け取ったアランが、大事そうに蓋を開いて中身を見せてくれる。
「これは……ブローチですか?」
  柔らかそうな絹の布に包まれたそれは、小さな花を模したブローチのようだった。アランに促されるまま手に取ってみると、ブローチはユリナの手のひらにすっぽりと収まった。
  優しい曲線を描く五枚の花びらは、その一枚一枚に細かな装飾が施され、金属とは思えないほど生き生きとした輝きを放っている。そして何より目を引いたのが、その中央で穏やかな色をたたえる青い宝石だった。
「綺麗……ムーンストーンですね」
  窓から差し込む光に透かすように、手の中のブローチをそっと掲げてみる。明け方の空のように清浄な輝きの奥に、『誓い』という意味の単語が刻まれている事に気がついた。
「それは元々、私の父が、母と婚約した際に贈った物なのだそうです。私を産んだしばらく後に母が亡くなって以来、ずっと仕舞い込まれていたのですが、二年ほど前、病に臥せる以前の父に託されました。『いつか、お前が人生を共にする人へ贈りなさい』と言って」
  アランの指が、花びらの先に優しく触れる。
「本当は式の前にでも渡したかったのですが、なにぶん古い物なので、こうして彼に修繕を頼んでいたんです。……遅くなってしまいましたが、貴女さえよければ受け取ってくれませんか」
  手の中で咲く、小さな花に視線を落とす。早くに両親を亡くしたアランにとって、これは二人分の形見という事になる。それにムーンストーンというのは、恋の成就を願うための石だ。それなら、これを受け取るべきは私じゃない。家のために迎えた妻ではなく、彼が心から愛する人に贈るべきだ。
  この国では、王族以外の男性が複数の妻を持つことは許されていない。とはいえ、それは表向きの話。結婚と恋愛は別の物だ。だから、良家の男性が妻とは別に『恋人』を持つことは、なんら珍しいことではない。今のアランにそういった相手がいないとしても、この先出会う時が来る事だってあるかも知れない。
  アランだってまだ若い。恋を知らないのは、きっとお互い様だ。
「受け取れませんわ。そんなに大切な物、私では釣り合いが取れませんもの」
  アランの手にブローチを返そうとすると、大きな手のひらにそれを遮られた。
「大切な物だから、貴女に受け取って欲しいのです。せっかくこうして美しく生まれ直したというのに、また仕舞い込まれるだけではこのブローチも可哀想だ。そうだろう、パウエル」
  アランにそう訊ねられたパウエルは、腕を組んだままで片方の眉を跳ね上げた。
「そりゃあそうでさあ。道具ってのは使われるためにあるもんですからねぇ」
「……でも」
  まだ躊躇う様子をみせるユリナに、パウエルはひとつ息を吐いてこう訊ねた。
「ちょいとお訊きしますがねぇ、奥さん。オレがなんで、剣でも農具でもなく、こういった装飾品ばかり作ってるとお思いですかい」
「それは……その道が一番、あなたの技術が活かされるから、ではないのですか?」
  ユリナの答えに、パウエルはゆるく首を振った。
「いんや、違います。技術なんてもんはどうでもいいんでさあ。……単純にね、好きなんですよ。こういったもんを作るのが」
  パウエルはそう言って、棚に飾られていた指輪をひとつ手に取った。
「装飾品なんてのは、無くても生きていくのになんの支障もないもんです。言っちまえばムダなもんだ。鍋や釜を作ってる職人に比べりゃ、オレのやってる事に意味なんてありゃしません」
  ですがね、と言ってパウエルが顔をあげる。真正面から見据えた瞳は髪と同じ無彩色で、けれどその奥には、強い光の色があった。
「そういうムダなもんにこそ、人はいろんな気持ちを乗っけます。愛情だとか見栄だとか、そりゃ人それぞれですがね。とにかく、オレはそういったもんを形にすんのが、なにより楽しいんでさぁ」
  小さな指輪を手の中に弄びながら、パウエルが快活に笑う。
「ですからね、奥さん。どうかそれを受け取ってやってくださいよ。ただ飾られてるだけじゃあ、そいつに乗っかった気持ちも行き場がありやせんからね。アンタが受け取って、役目を全うさせてやんなさい」
  手の中にあるブローチに視線を落とす。パウエルが言った『役目を全うする』という言葉が、やけにしっくりきた。このブローチの役目が、アランの両親の……そして彼自身の気持ちを乗せて、彼の愛する人へと伝える事なら、私の役目はそれを大切に預かる事なのかもしれない。
  彼が本当に、これを託したいと思える人に出会うまで。
「……わかりました。きっと大切にすると約束します」
  そう言って、ユリナが手の中に包み込むようにしてブローチを受け取ると、アランはようやく安心したように目を細めた。
「良かった。……せっかくですから、身に付けて見せてくれませんか」
  言われるまま、外出着のブラウスの襟にブローチを付ける。真っ白で飾り気の無かった首元が、たったそれだけで一気に華やいだようだ。
「やっぱり。思っていた通り、貴女にとても似合います」
  そう言ったアランの表情はとても穏やかで、今日の彼は、なんだか初めて会う人のような姿ばかり見せてくれる。けれど、不思議と悪い気はしなかった。
「装飾品にもいろいろありますがねぇ、やっぱりご婦人のために作るのが一番楽しいねぇ。オレの仕事でべっぴんさんが益々べっぴんさんになるんだ、こんなやりがいのある仕事はそうありゃしねぇよ」
  ウンウンと頷きながらそう零すパウエルに、アランが小さく苦笑する。
「都に行けば、貴方の作品を求めるご婦人は幾らでもいる。弟子になりたいと言う職人だって五万といるだろうに」
「いやぁ、都はどうにも忙しなくて肌に合わねぇ。……弟子もねぇ、オレもいい歳だし考えねえ訳じゃねえですが」
「貴方の眼鏡に適う職人はいない、か?」
「そんな大層なもんじゃありませんがね。好き好んでこんなじじいと田舎暮らししようってえ若者も、そうはいやしないでしょうよ」
  パウエルはそう言って、引っ詰めた髪を撫で付けた。
「まあそんなこたぁいいんですよ。それより奥さん、よけりゃ今後ともウチを贔屓にしてくだせえ」
「ええ、もちろんですわ。ありがとうパウエルさん」
  パウエルに微笑みを返して、ユリナは頷いた。装飾品の類を欲しいと思った事はあまり無いれど、パウエルという人には興味がある。彼の作る物なら、もっと見てみたいと思う。
「では、今日はこの辺りで失礼する」
「はいよ。またいつでも来りゃあいい」
  少し欠けた歯を見せて笑うパウエルに見送られ、二人揃って店を出る。そういえば、こうしてアランと二人きりで出かけるというのは初めての事だった。彼の周りには、いつもいかめしい顔の従者や部下が集まっているので、夫と言えど少し近づき難い雰囲気があるけれど、今日の彼は……馴染みの職人に「お坊ちゃん」なんて呼ばれて不機嫌になっていた彼は、なんだかちょっと可愛く見えた。
「あの……私の顔に何か?」
  屋敷への帰路に着きながら、隣を歩くアランの顔をまじまじと見つめていたら、少し妙な顔をされてしまった。あなたが実家の弟に重なって見えて、少し懐かしい気持ちになっていたんです……なんて言ったら、また不機嫌にさせてしまうかしら。
「なんでもありませんわ」
  素っ気なく返して、誤魔化すようにアランの背中を追い越した。路地の先では、傾き始めた陽の光が、乾いた土の道を白く照らしている。明るい光の中にユリナが一歩踏み出した、その時。
「え?」
  一瞬、何が起きたのか理解できなかった。通りの左手からこちらへ駆けて来た小柄な人影に、肩の辺りを突き飛ばされたのだと。そう気づいた時には、ユリナの体は埃っぽい地面の上を転がっていた。
「ユリナさん!」
  後ろから慌ただしい足音が近づいて来たかと思うと、すぐに大きな手に助け起こされた。
「い、たた……」
「大丈夫ですか?! 怪我は……」
  自身の衣服が汚れるのも構わず、アランがその場に膝をついてユリナの肩を支えてくれる。手の甲が痺れたようにジリジリと痛む。どうやら倒れた時に擦りむいてしまったようだ。
「血が……」
「た、たいした怪我じゃありませんから」
  ユリナより痛そうな顔をするアランに、慌ててそう返す。アランを安心させようと体を起こした拍子に、足元で金属が擦れるような微かな音が鳴った。一体何の音だろうかと足元に視線をやって……そこに小さな針の留め具が落ちているのに気づいた瞬間、嫌な予感がユリナの背中を走り抜けた。
  おそるおそる、自分の首元に手をやってみる。
  ……無い。ついさっきアランに貰ったブローチが、どこにも無い。
「そんな……」
  自分の声が震えているのを自覚しながら辺りを見回してみる。けれどやはり、ブローチはどこにも見当たらない。右手で触れたブラウスの襟は、引きちぎられたようにささくれていた。
  まさか、さっきぶつかられた時に。
  咄嗟に通りの向こう側へ視線を向けてみるが、さっきの人影はとうに姿を消していた。どこへ行ったのかなんて分かるはずもない。じわじわと、心の内に焦りと絶望が広がっていく。
「ユリナさん? 大丈夫ですか」
  アランが再び心配そうな声をあげる。どうしよう、なんて答えたらいいの。
  ユリナの様子が明らかにおかしい事に、アランも気づいたようだった。ユリナがずっと手で押さえたままの襟に目を止めた彼は、そこにブローチが無い事にもすぐに気づいて……けれど、その事について何も言わなかった。
「ユリナさん、立てますか? すぐに帰って傷の手当てをしましょう。歩けないようなら私が抱えて行きますから」
  そう言うが早いか、言葉通りユリナの腰に手を回し、そのまま抱き上げようとする。ユリナは咄嗟にその手を振りほどいて、アランから距離を取った。
「こんな傷どうだっていいです! それよりブローチが……」
「それこそどうだっていい事ですよ。パウエルには申し訳ないですが、どんな物もいずれは壊れて無くなります。それが今だったというだけの事でしょう」
  眉ひとつ動かさずにアランはそう言ってのける。だけどそんなの嘘だ。だって、大切な物だって言っていたのに。あんなに優しい表情で、彼の両親の事を話してくれたのに。
  ユリナがよほど酷い顔をして見えたのだろう。傷ついた手に優しく包むように触れて、アランは言った。
「物はいくらでも作り直せる。だけど貴女という人には替えが利かないのだから、私にとってどちらが大切か、言うまでもないでしょう」
「……っそんなこと」
  ……どうして。どうしてこの人は、こんなにも優しくしてくれるのだろう。その優しさに釣り合うだけの何かを、私はひとつだって返せていないのに。
  そうだ。これが私の役目だなんて、よく言えたものだ。彼に託された物ひとつ守れない私は、なんて役立たずなのだろうか。
しおりを挟む

処理中です...