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第一章 思い出と魔導具

2話 孤児院

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  風に吹かれた木の葉が窓に当たり、カサリと乾いた音を立てた。そんな些細な物音に釣られて見上げた空は灰色に濁って、景色の輪郭をぼんやりと滲ませている。
「いっ、た……」
  そうやって余所見をしていたら、親指に刺繍針を突き刺してしまった。指の先にぷつりと生まれた赤い粒が、じわじわと膨れ上がっていくのを眉を寄せて見つめる。ああもう、最悪だ。ただでさえこういった手作業は苦手なのに、さっきから全然集中出来ていない。
「はあ……」
  ため息を吐いて血の滲む親指を舐めると、苦い鉄の臭いが鼻をついた。
  ユリナが作業に全く集中出来ないでいる理由は明白だった。昨日の帰り道にブローチを盗まれてしまったことが、未だに気がかりなせいだ。
  あの後もアランは何度も「気にしなくていい」と言ってくれたけれど、そう言われたからといって綺麗さっぱり忘れてしまえるほど図太い性格はしていない。
  大切な物だから、貴女に受け取って欲しいのです。
  アランに言われた言葉が、何度も何度も頭の中を巡っている。
  信用してくれたのだ。結婚式の日に初めて顔を合わせたような、こんな自分なんかの事を。それなのに、その気持ちを裏切ってしまった。どうしてもっと用心しなかったのかと、そう自分に問わずにはいられない。
「……ああ、もう」
  糸の色を間違えたまま縫い進めていた事に気づいて、ユリナは刺繍枠と針をすぐそばの丸テーブルの上に投げ出した。それが合図になったかのように、部屋にノックの音が響く。
「……どうぞ」
  扉の方を見ないままでため息混じりにそう言うと、そんなユリナとは対照的な明るい声が「失礼します!」と元気よく扉を開けた。
「ご機嫌いかがですか、奥様」
  そう言ってにっこりと微笑みながら、ユリナと変わらない年頃の女性が顔を覗かせた。彼女はこの家のメイドであるラスタだ。ユリナの実家では使用人を何人も雇う余裕なんて無かったけれど、この家では何十人もの人々が働いている。おかげでアランと二人きりの家族でも、あまり物寂しさは感じない。
「あんまり麗しくないわ。お天気もすぐれないし」
  ユリナが正直にそう答えると、扉から覗くラスタの長い三つ編みがぴょこりと揺れた。ラスタが動くたびに揺れる栗色の髪は、まるで猫のしっぽのようでとても愛らしいと思うのだけど、彼女自身は「くせ毛で剛毛だから」とあまり気に入らない様子だった。
  可愛い髪を揺らしながら、ラスタが部屋に入ってくる。その手には、小さな銀のトレイに乗ったティーセットがあった。
「ふふ、そうですよね。きっとお疲れの頃だろうと思いまして、お茶をお持ちしたんですよ」
  穏やかな笑みを保ったままで、ラスタが手際良くテーブルの上を片付けてティーカップを並べていく。
「ありがとう、ラスタ。気が利くのね」
「それはもう、これが私のお役目ですから。お疲れの時は、温かい飲み物をいただくのが一番ですよ」
  おっとりした話口調を聞きながら、ティーカップに注がれていく紅茶の波をぼんやりと見つめる。異国風の絵付けがされたそれは、東の国からわざわざ買い入れてきたという茶器だった。
  この家に来てからというもの、ユリナが目にするのは、彼女にとってはどれもこれも新鮮な物ばかりだった。そもそも紅茶も砂糖も高級品なので、こうして優雅にティータイムを楽しむという習慣さえ、ここに嫁ぐ以前にはなかったものだ。
  ユリナは淹れたてのお茶の香りにほっと息を吐いて、ラスタの横顔をちらりと見上げた。
「なんでもお見通しなのね……ありがとう、いただくわ」
  紅茶を注ぎ終えて脇に控えたラスタに声をかけて、カップに手を伸ばす。ふわりと広がったほのかな苦味のおかげで、少し頭がすっきりしてきた。
「……ねえラスタ。細工師のパウエルさんって知っているかしら」
  ふと思い立って、ラスタにそう訊ねてみる。この屋敷に来て日の浅いユリナより、少女の時分から勤めているというラスタの方が、この街のことにも詳しいはずだ。
「パウエルさんですか? もちろん知っていますよ。あの方、この辺りでは有名ですから」
  そう言って、ラスタが少し首を傾げる。
「もともと王都の方に住んでおられたのに、たしか十年ほど前にこちらへ工房を移されたんですよ。裏路地の方はごみごみしていて、あまり治安も良くないのですけど、かえってそれが落ち着くんだとか言って」
「治安が良くない……やっぱり孤児のような子達も多いのかしら」
  その時ユリナの頭に浮かんでいたのは、昨日ぶつかってきた人影の事だった。一瞬の事だったので横顔くらいしか見えなかったが、ユリナより小さな背丈と、痩せていても丸みを帯びた頬のラインは、子供のものに間違いない。他に思い出せるのは、薄汚れたハンチング帽と、そこから覗いていた短い黒髪だけだ。
  ユリナがそんなことを考えているとも知らず、ラスタは自分の顎に手を当てて、少し視線を彷徨わせる。
「孤児……ですか? あの辺りには、大奥様が戦争孤児のために建てられた孤児院がありますから、路地裏に住んでいるような子はいないとおもいますけれど……大奥様が亡くなられてからは他の方々に管理を任せているそうですが、今でも旦那様がそれなりの寄付をされていますし」
「そうなの?」
  思ってもいなかった答えに、ユリナは思わず顔を上げた。近くに孤児院があるなら、そこに入れば生活には困らないはずだ。なのになぜ、あの子は人の物を盗むような暮らしをしているのだろう。
  もちろん、数ある中には劣悪な環境の孤児院だってあるだろう。そういう暮らしに耐えられずに施設を飛び出して、路傍で寝起きしている子供達だっている。けれど自らの母親が建てた施設を、アランがそんな状況で放っておくとは思えない。……いや、思いたくないと言うべきか。
「そこの孤児院がどうかされましたか?」
  ラスタに訊ねられ、ユリナはハッと我に返った。
「あ、ええと……その、お義母様の蔵書には、子供向けの童話や絵本もたくさんあるでしょう? 子供達の読み書きの教材にちょうど良いんじゃないかと思って」
  咄嗟に思いついた言い訳だったが、ラスタに疑う様子はなく、それどころかパッと瞳を輝かせる。
「まあ! ではもしかして、奥様が子供達に文字を教えてあげるんですか? 素敵です、きっと喜ばれますよ」
「え、ええ……そうだといいのだけれど。……そういう訳だから、先方に連絡して貰えるかしら」
「わかりました! すぐにバートさんに伝えますね」
  そう言って、ラスタはいそいそと部屋を出ていった。バートというのは、この屋敷に勤める老齢の執事の名前である。
  ラスタの後ろ姿を見送って、ユリナは再びティーカップに手を伸ばした。なんだか思ってもみなかった展開になってしまったが、これは好都合かもしれない。薄い望みではあるが、ブローチを持って行ってしまった子について何かが分かるかもしれないし、孤児院の子供達がまともな暮らしを送れているのか確かめる必要もある。
  そうだ。少なくとも、こうして部屋の中で腐っているよりは、よほど有意義な時間の使い方に違いない。

  *

   ラスタとのそんなやり取りから一夜明けた午後、ユリナは再び街を訪れていた。アランに連れ出された先日とは違って、今日はひとりである。バートやラスタには従者をつけるよう言われたが断った。目的が目的なので、ひとりの方が動きやすい。
  幸い孤児院があるのはパウエルの工房からそう遠くない場所だし、こちらは表通りに面しているおかげで、ずいぶん明るい印象を受けた。
  目的地に辿り着いたユリナは足を止め、目の前の門扉を見上げた。門扉と言っても、それは形ばかりの木の扉で、ユリナの胸くらいの高さしかないため、中の様子は簡単に窺える。
  門の前から見える前庭には、少し伸びた芝生が敷かれていて、白く平らな飛び石が建物の玄関まで続いている。一階と二階にそれぞれ等間隔に窓が並んだ施設は、全体が砂っぽく古びた煉瓦で出来ていて、少しくたびれたような印象を受けた。義母が存命の頃に建てられたものなのだから、古いのも当然といえば当然かも知れないが。
  ユリナがそこでしばらく様子を見ていると、不意に玄関が開いて、そこからパタパタと駆け寄ってくる人影があった。
「まあまあ、すみませんお待たせしてしまって」
  そう言いながら、五十絡みのふくよかな女性が門を開けてくれる。修道女を思わせる濃紺のワンピースと、それによく映える、小指の先ほどの黄色い石が嵌ったペンダントが印象的な装いだ。
「わざわざお越しくださって、本当にありがとうございます。私が院長のヘレン・ミケーネです。今日は子供達の勉強をみていただけるとか……」
  にこにことした笑顔を浮かべながら、ヘレン院長がそう言った。彼女の言う通り、ユリナは今日、ここの子供達の臨時教師としてやって来た。もちろん、については伝えていない。
「もともとは当家の者が設立した施設だと伺っています。ですから、これくらいは当然のことですわ」
  余計な事に気づかれてしまわないよう言葉少なに伝えて、脇に抱えた本にちらりと視線を移す。腕の中には、義母の書斎から見繕ってきた一冊の本を大切に抱えていた。屋敷の蔵書は好きに扱っていいとアランに言われているし、子供達のために持ち出すのなら、彼もお義母様も嫌な顔はしないだろう。
  そうして院長に促されるまま、ユリナは孤児院の敷地へと足を踏み入れた。草に埋もれかけた飛び石を渡るのは少し大変で、もうちょっと丈の短いスカートで来るべきだったかも知れないとユリナは思った。
「ここが建てられた当初は、職員も子供達もたくさんいたそうですけれど、今ここで暮らしているのは私と十一人の子供達だけです。身寄りのない子供達が減っているのなら、それは喜ぶべき事なのでしょう」
  玄関に落ちていた、布切れで作られた人形を拾い上げ、ヘレンが穏やかに微笑む。
「ヘレン先生がおひとりでこの建物を管理していらっしゃるのですか?」
「私ひとり、という訳ではありません。皆良い子達ばかりですから、率先してお手伝いをしてくれるんですよ。料理や洗濯、お掃除……年長の子達が幼い子達に教えながら、毎日交代で担当してくれています」
  そう言って、ヘレンが施設の扉を開こうとした時。
「ヘレン先生たすけてーっ!」
  突如響き渡った少女の甲高い悲鳴に、ユリナはぎょっとして足を止めた。見れば建物の影からこちらに向かって駆けて来る、六、七歳くらいの少女の姿があった。
「あらまあ、どうしたのエイミー」
「み、ミリアおねえちゃんにかいてもらった絵っ、とばされちゃう……!」
  のんびりしたヘレンの態度に焦れたように、エイミーと呼ばれた少女が地団駄を踏む。そんな彼女が指さした先には、二階建ての屋根よりも高い場所を優雅に漂う紙飛行機があった。
「絵って、あれのこと?」
  唖然としてそれを見上げるユリナの隣で、ヘレンがおっとりと頬に手を当てる。
「まあ大変。大丈夫よ、エイミー。すぐにとってあげますからね」
「え、取るってどうやって……」
  ユリナが疑問の声をあげるよりも早く、ヘレンが空高くを漂う紙飛行機に向かって右手を伸ばした。そして反対の手で彼女がペンダントに触れると、その途端、黄色い宝石が眩しく輝き出して……そして、ヘレンの右手の指先から、風が生まれた。
  そよ風すら吹いていなかったはずのそこに唐突に生まれた疾風は、まっすぐに紙飛行機へ向かって吹き上げたかと思うと、紙飛行機を優しく巻き込んで方向を変え、ゆっくりとヘレンの手の中に落ちた。
  その全てが一瞬の出来事で、まるで透明な巨人の手が、紙飛行機を拾って手渡してくれたかのようだった。
  こんな不可思議なことを可能にする彼女は何者なのか。答えは決まっている。
「魔術師、なんですか。ヘレン先生……」
「ええ。これでも昔は王宮の風の魔術師団に所属しておりました。……とはいえ、ご覧の通りもう年ですから。三年ほど前に引退して、ずっと夢だった子供達と関わるお役目に就かせていただいたのです」
  そう言って、ヘレンは紙飛行機を手のひらで包むように抱き、静かに微笑んだ。
  だとすると、あの黄色いペンダントはラヴェイルのサークレットと同じ、魔導具ということか。けれどヘレンのペンダントは、ラヴェイルの焼き尽くすような赤とは違う、優しい陽だまりのような色をしていた。 これが彼女の、魔力の色なのだろうか。
「ヘレン先生、ありがとう!」
  ぱたぱたと駆け寄ってきた少女が、ヘレンから紙飛行機を受け取って、元気よくそう言った。よほど大切な物だったのだろう、折り畳まれた紙を丁寧に広げて中身を確認すると、しわにならないようにそっと胸に抱き締めた。
「もう無くしてはだめよ。……それにしても、そんなに大切なものが、どうして紙飛行機になってしまったのかしら」
  ヘレンが訊ねると、エイミーがムッと唇を尖らせた。
「マルクがやったのよ! マルクがおねえちゃんの絵、紙飛行機にしてとばしちゃったの!」
「まあ……それは本当なの? マルク」
  ヘレンがそう言って視線を向けた先には、いつの間にそこにいたのか、少女と同じくらいの年頃のいがぐり頭をした少年の姿があった。少年は先程少女が駆けて来た建物の影から顔を覗かせて、こちらに向かって大声で話し始めた。
「あ、あれは、エイミーがわるいんだ! エイミーがおれの靴をふんずけて泥だらけにしたから……」
「あんたが先にコニーのおもちゃを盗ったからでしょ!」
「盗ってない! ちょっと借りたんだよ!」
  徐々に白熱していく子供達のケンカに狼狽えるのはユリナばかりで、ヘレンは変わらずおっとりした笑みを浮かべながら、二人の間に割って入った。
「こらこら、いけませんよ。せっかく新しい先生が来てくださったのに、あなた達がケンカしていたら驚かせてしまうでしょう」
  ヘレンの言葉で、子供達の視線がユリナの方に集まる。
「新しい先生?」
「ええ、ユリナ先生よ。さあケンカはやめて、先生をみんなのところに案内してちょうだい」
「わかった!」
  ついさっきまでのやり取りもすっかり忘れた様子で、エイミーという少女が笑顔で駆け寄ってきてユリナの手を取った。
「はじめましてユリナ先生。あたしはエイミー、あっちのツンツン頭はマルクっていうのよ」
  少し離れたところで様子を窺っているマルク少年に視線を向けると、目が合った途端に逸らされてしまった。初めて見る大人を警戒しているのだろう。
「よろしくねエイミー、それからマルクも」
  なるべく優しい声で呼びかけてみたが、マルクからの返事は無い。
「マルクったら、ユリナ先生が美人だからはずかしいのね。あんな子ほうっておいて、あたしと一緒にいきましょ」
「あっ、まてよエイミー!」
  エイミーに手を引かれるまま孤児院の中に足を踏み入れると、マルクも慌てて後を追ってくる。施設の中は玄関を入った目の前に上へ続く階段があり、その両側に別れる形でまっすぐな廊下が伸びる、左右対称の造りになっていた。
「あっちがみんなでお勉強するところで、向こうがご飯を食べるところ。上にはみんなのお部屋があるのよ」
  周囲を忙しなく指で示しながら、エイミーが説明してくれる。玄関から見て右に並んでいるのが教室、左にあるのが食堂、そして二階に子供達が寝起きする部屋があるということらしい。教室の方からは、子供達がはしゃぐ賑やかな声が聞こえていた。
「ねえ先生、今日はなんのお勉強をするの?」
  大きな目をくりくりさせて、エイミーがそう訊ねてくる。その後ろでは、マルクもチラチラとこちらを窺っている様子が見えた。ユリナはそんな二人に向けて、脇に抱えていた本の表紙を掲げてみせる。
「今日はみんなで文字のお勉強をしようと思って、先生のお家から本を持ってきたのよ」
  表紙に描かれた絵を見た途端、エイミーがパッと表情を明るくする。
「おひめさまのお話だ!」
「ええそうよ。私も子供の頃に読んでいた、大好きなお話なの。……さあエイミーにマルク、みんなのところに案内してくれる?」
「うん!」
  瞳を輝かせる子供達に連れられて、ざわめきが聞こえる方へと向かう。いろいろと気になることもあるが、まずはやるべきことをやらなくては。今の私は、子供達の先生なのだから。

  *

「──そうして、幾多の困難を乗り越え国へ帰った騎士様は、愛するお姫様と結ばれて、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました」
  持ち込んだ本の最後の一文を読み終えたユリナが視線をあげると、うっとりした表情の少女達と目が合った。年長の子供達が文字の書き取りをしている間、年少の子達のために読み聞かせをしていたのだが、いつのまにか年上の少女達まで手を止めて物語に聞き入っていたらしい。
「いいなあ……わたしのところにもカッコいい騎士様が来てくれたらいいのに」
  頬を染めて呟くのはミリア。今年で十歳になるおさげ髪の少女だ。
「手が止まっているわよ、ミリア。お話を聞くのもいいけれど、課題はもう終わったの?」
「もうちょっとで終わるわ。それよりも先生、先生って騎士様のお嫁さんなんでしょ? 院長先生が言ってたわ」
「それほんと?! じゃあユリナ先生はおひめさまなのね!」
  ミリアの言葉にすかさずエイミーが反応する。
「騎士様の奥さんは、別にお姫様じゃなくてもなれるのよ」
  苦笑しながら訂正を入れるが、少女達はまるで聞いていない。周りの少年達にしても、そんな少女達の様子を気にしたふうもなく、手元の黒板に好き勝手落書きをして遊んでいる。なんだか、だんだん収拾がつかなくなってきた。先生というのは思っていたよりも大変だ。
「その騎士さまって、おひげのおじさまでしょ? あたし、いちどだけ見たことがあるわ」
「違うわエイミー。おひげのおじ様は去年お葬式をしてたでしょ。先生の旦那様は、おじ様と一緒にいた怖い顔の人よ。そうでしょ先生」
「え? ……ええ、まあ……そうね」
  あどけない笑顔でミリアに訊ねられ、ユリナはそう答える他なかった。やはり子供にも「顔が怖い」と思われているのか彼は。
「いいなあ騎士さまのおよめさん……ね、先生は騎士さまのどういうところが好きなの? ケッコンは好きな人どうしがするんだって、ヘレン先生いってたわ」
  エイミーの無邪気な問いかけに、一瞬息が詰まった。
  貴族の結婚は家と家を繋ぐためのものだから、好きな人と結婚できるわけじゃないのよ。……なんて。そんなつまらない事を、わざわざ幼い少女に教える必要はない。
「……優しいところかしら。お顔は怖いけれど、すごく良い人なのよ」
  それは、たしかにユリナの本当の気持ちだった。アランの優しさに触れるたび、この人と結婚できて良かったと思う。
  たとえお互いに向け合う感情が、愛や恋などでは無かったとしても。
「なあんだ、こわい人じゃないのね。エマおねえちゃんにも教えてあげなくちゃ。おはなしとちがって、ほんとの騎士さまはこわいんだっていってたもの」
「エマ……?」
  エイミーが口にした聞き覚えの無い名前に首を傾げる。子供達の名前は全員覚えたつもりだったが、エマなんて名前の子はいただろうか。
「ちょっとエイミー! それは先生には内緒って……」
「あ、そっか」
  ミリアに注意されて、エイミーが慌てて口を噤む。こうなるとますます怪しい。
「……なあに? 先生達には言えないこと?」
  逸る気持ちを押さえ込んで訊ねてみるが、子供達は誰も答えない。この場で無理に聞き出すのは難しそうだ。
「……しょうがないわね。院長先生には内緒にしてあげるから、早く課題を終わらせてしまいなさい」
「はあーい」
  どこか安堵した様子で、ミリアが自分のチョークを手に取った。ユリナの周りに集まっていた年少の子供達も、なんだか少しそわそわしているように見える。
  大人に知られてはいけない、“エマおねえちゃん”。ここにいるはずのない、十二人目の子供ということか。
  読み終えた本を閉じて、ユリナは密かに唇を引き結んだ。そのエマという子がブローチを持って行った子供と同一人物なのかは分からない。しかし、ここの子供達に何か秘密があるのは、間違いないようだ。
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