魔術師が最強と謳われる国で、魔力ゼロの騎士団長の妻になりました。

村井 彰

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第二章 青色の魔法

2話 失われた魔術

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  ぬかるんだ道を馬で進みながら、アランはふと空を見上げた。木々の隙間から見える空は、ひどく濁って、絶え間なく雨粒を降らせ続けている。朝一番に屋敷を経ってから数刻。身にまとった黒い外套がいとうは、既にぐっしょりと濡れて、鬱陶しく体に貼り付いていた。今が初夏である事だけが、せめてもの救いと言える。
  アランは現在、数名の部下を率いて、オース街道にある宿屋へと向かっていた。アランが居を構える郊外の街グレストからは、本来なら整備された街道を通って行けるはずなのだが、現在は土砂によって道が塞がれているため、こうして薄暗い森の中を迂回している。ぬかるんだうえに狭い森の中では、馬車は通ることすら出来ず、馬を走らせることも難しい。おまけにこの見通しの悪さでは、いつ野盗や獣に襲われてもおかしくないような状況だ。それゆえに、森を抜けることの出来ない行商人や旅人達の多くが、その宿屋に足止めを食らっているのだという。
「あーあ、まだ現地に着いてもないってのに泥だらけ。親父の代じゃ戦に出てパーッと華々しく活躍してたってのに、オレらがやってる事と言ったら、街の巡回に災害派遣。地味なうえに泥臭いし、おまけにどれだけ頑張っても、世間様には大して評価されねー。割に合わないですよこんなの」
  アランのやや後ろで、同じように馬に跨っている年若い男が、いかにも不満そうな様子で愚痴を零している。少年と青年の間くらいの年頃の彼は、良くも悪くも自分の心に正直だ。だがしかし、常に正直である事が美徳だとは限らない。
「口を慎め、ネスト。仮にも騎士団の一員が、戦を求めるような発言をするな」
  眉をひそめたアランが軽く振り向いて注意すると、ネストは露骨に顔を顰めた。
「だって、団長は悔しくないんですか?! 王宮の魔術師団の連中が、オレらの事なんて言ってるか知ってます? 『戦も知らない、剣術ごっこのお坊ちゃん集団』ですよ! だったらお前らが前線に出ろっつーの!」
  怒りもあらわに、ネストが拳を振り回す。確かに、騎士団が一部の魔術師達に敵視されているのは事実だ。そもそもは先の戦で、アランの父グランツが、魔術師達を差し置いて武功をあげたせいで顰蹙ひんしゅくを買った。それでもグランツが存命のうちは、表立って敵意を向けられる事は無かったのだが、グランツが亡くなり騎士団の世代交代が進むうちに、魔術師達は敵愾心てきがいしんを隠さなくなった。ようするに、若造ばかりだと舐められているのだ。
「ですが団長。団長は先日王宮の夜会で、あのラヴェイル・フレイモアをやり込めたんでしょう? ウォルターさんが珍しく上機嫌で話してましたよ」
  ネストの隣で馬に揺られる背の高い男が、そう言って口を挟んできた。彼の名前はダドリー。立場的にはネストと同じくアランの部下だが、年齢はネストより十ほど上である。
「その話は辞めてくれ、ダドリー。別にやり込めた訳でもない。散々手加減された挙句に引き分けただけだ」
「またまたぁ。手加減してたのは団長の方もでしょ? あんなヒョロヒョロのおっさん、魔術なんか使う前にとっ捕まえてボコボコにしてやれば良いだけじゃないですか。それをわざわざ真っ向勝負してやったんだって聞いてますよ!」
  そう言って、ネストが愉快げに笑う。なんだかんだウォルターに目をかけられているせいか、最近のネストはあの男に言動が似てきたように思う。ウォルターの次世代が着実に育っていると思うと、頼もしいような頭が痛いような、複雑な心境だ。
「ていうかウォルターさんもずるいですよねぇ。しれっと街の方に残っちゃって、『力仕事は若者達に任せます』とかさ。よく言うよ。何回手合わせしても、オレあの人から一本も取れたこと無いし。オレの二倍以上生きてるとは思えねー」
「そうだな。グランツ前団長もそうだったけど、あの世代の化け物っぷりを見る度に、所詮俺達は“若造”なんだなと思い知るよ」
「いや、ダドリーさんは若造って歳でもなくないですか? 団長より六つも上じゃないですか」
「ネスト……! お前そういうところだぞ!」
  うるさく言い合う二人の声を背中に聞きながら、アランは小さくため息を吐いた。ウォルターなら嫌味のひとつでも投げかけて二人を黙らせるところなのだろうが、アランはそういった事は苦手だった。そもそも自分が人の上に立つような器で無いことは、他の誰よりも自覚している。本当は騎士団長の地位だって、ウォルターが引き継ぐべきだったのだ。それを他でもないウォルター本人に押し切られた形で、今の立場に甘んじている。おかげで王宮の魔術師達からは、『七光りのお坊ちゃん』などと陰口を叩かれる羽目になってしまった。
「あ、見てくださいよ団長。そろそろ街道の方に出るんじゃないですか?」
  ネストの声に視線を上げると、行く先の木々の向こうが、少し開けている事に気がついた。ずいぶん回り道をしたが、どうやら無事に街道へ合流出来たらしい。
  皆で連れ立って森を抜けると、道の向こうを振り向いたダドリーが「うわっ」と声をあげた。
「こりゃ酷いな……土砂というか、崖がそのままひっくり返ったみたいだ」
  その声にアランも振り返ってみると、なるほど確かに、大型の馬車でも余裕ですれ違えるほどの幅があったはずの街道は、文字通り山のような土砂によって完全に塞がれていた。そこから少し視線を上げれば、遥か高くにそびえていたはずの切り立った崖が、まるで子供が戯れに破壊した砂山のように、無惨に崩れ落ちているのが見えた。これでは、復旧作業にもかなりの時間がかかりそうだ。
「はー……やってらんねえ。こういう時こそ、お偉い魔術師さんがパパッと解決して欲しいもんですねえ。“開拓の魔術師”なら、こんなの一瞬でどうにか出来たんじゃないですか? この道だって、エレイアがゴーレムとかいうデカい土人形を使って作ったんでしょうに」
  ネストが吐き捨てるように言う。
  開拓の魔術師、エレイア。その名の通り、強大な魔力を持ってこの国を拓いた魔術師であり、先日謁見したソーマ・マラクベルの先祖に当たる人物である。
  エレイアがなぜたったひとりでそのような偉業を成し遂げる事が出来たのかと言えば、彼女が操るのが、大地そのものだったからだ。
  エレイアはゴーレムという、魔術によって産み出された生命体を自在に操ることが出来た。今では失われた古代の魔術だが、ただの土塊つちくれから従順で強力な部下を何体も作る事が出来たというのだから、その力は現代の常識を遥かに超えている。
「あーあ、エレイアが現代に居てくれたら良かったんすけどねぇ。そしたらオレらが土砂崩れなんかで呼び出される事も無くなるし、なによりエレイアってめちゃくちゃ美人じゃないですか。絵でしか見たことないけど」
  そう言ってネストが唇を尖らせる。美人云々はともかく、彼の言う事ももっともだ。ゴーレム生成の魔術が現代に残っていれば、この国の歴史は全く違ったものになっただろう。巨大な土人形達は、山を切り崩して領地を広げ、戦においても前線の兵士の代わりに活躍するに違いない。
  ……などと空想してみたところで、所詮は無い物ねだりにしかならないのだが。
「もういいだろう。行くぞネスト」
  愚痴を零し続けるネストに声をかけて、アランは街道の先へと馬を誘導した。
  雨に濡れた道沿いには、旅人達に向けた商店が数件ほど並んでいる。街からはやや離れた不便な場所ではあるが、旅の途中で居着いた行商人達が店を開いているのだ。
  とはいえ、それも普段の話。崖の下に建てられた店は、いつ土砂に呑み込まれてもおかしくない。命あっての物種ものだねだと、商人達は皆店を放棄して避難したようだ。
  いつもは活気に溢れている場所が、こうして静まり返っている様子は、少し不気味で、少し物悲しい。
  人気のない街道をそのまま南へと進み、中でも一際目立つ建物の前でアランは馬を止めた。
  そこは木造三階建ての大きな宿屋だった。駅馬車の駅が併設されているため、正確には宿駅というべきか。
  積荷や旅人を運んできた馬車は、こうして街道の要所に用意された宿駅で馬を繋ぎ変える。そうする事で、迅速に旅を続けられるという仕組みだ。
  しかし今は、馬を繋ぎ変えたところで行く宛てなど無い。建物の中からは多くの生き物の気配がした。足止めをされた馬達が、何頭もここに繋がれているのだろう。
  と、そこまで確認したところで宿屋の中から聞こえてくる足音に気づいて、アランはそちらに視線を向けた。それとほぼ同時に宿の入り口の扉が慌ただしく開き、四十過ぎと見られる、眼鏡をかけた痩せぎすな男性が姿を見せた。彼はこの宿屋の主であるヘクターだ。ここはアランにとっては領地でもあるので、彼とも一応の面識はある。
「こ、これは領主様……まさか本当にこんな雨の中、足を運んでいただけるとは……」
  眼鏡の奥の瞳をしきりに瞬いて、すっかり恐縮しきった様子の男の前で、アランは馬から降り立ち、彼と正面から向かい合った。
「遠慮は無用だ、主人。こういった時に率先して動けないようでは、領主である意味が無い」
  その言葉は、アランの本心だった。人の役に立て、人のために生きろと、幼い頃から父にそう教えられてきた。人の上に立つ者は、そうでなくてはいけないのだと。
「先ほど土砂の様子を見てきたが、あれを今すぐどうにかするのは無理そうだ。ひとまず、ここに足止めされている者達は、森の中を迂回して街へ向かうといい。我々が護衛しよう」
「おお……それは助かります。正直なところ、この辺りもいつ崩れるか分かりませんので、私も妻を連れてさっさと避難したいのですが、お客を放り出す訳にもいかず……いや、これは余計な話でした」
  大して暑くもないのに汗をかきながら、宿の店主が焦ったように話す。そんなに慌てなくとも彼を責め立てるつもりは無いのだが、やはりアランの風貌は、どうにも誤解されやすいようだ。
「で、では、お客さん方に話をしてきますので……ああ、皆さんもどうぞ中に。馬はこちらに繋いでおきましょう」
「ああ、助かる」
  アランが引いていた馬を連れて、主人が厩舎へ向かうのを見届けて、アランは後ろに控えていた部下達を振り向いた。
「聞いての通りだ、ネスト、ダドリー。お前達で手分けして、客人達の護衛に当たってくれ」
「はーい」
「わかりました」
  間延びした声と、生真面目な返事が重なるのを聞きながら、アランは内心でそっと嘆息した。
  アラン達がずっとここで護衛を勤めるわけにもいかない以上、これはあくまで一時しのぎだ。後ほど改めて、近隣の集落から人員を集め、道を塞いでいる土砂を退ける必要があるのだが、それにはまず雨が止むのを待たなくてはいけない。無理に決行すれば、二次災害の恐れがあるからだ。
  どれもこれも、頭の痛い問題が山積みだった。
  一時いっとき馬を繋ぐために、部下達が主人の後を追って厩舎へ消えて行った為に、アランは独り取り残された。彼らの足音が遠ざかったせいか、やたらと雨の音が耳につく。
  自分なりに、覚悟を持って生きてきたつもりだった。それでも時々ふと、全てを投げ出してしまいたくなる時がある。
  けれどもちろん、そんな事は許されない。己の判断のひとつひとつに、領民達の暮らしや、部下達の命が懸かっているのだ。
  それは、この両手に抱えるにはあまりにも重く、その重さのあまり、手放すことすらままならない。
  本当は、アランが独りでこれを背負わなくてはいけない日は、まだ遠い未来のはずだった。父の、グランツの傍に立って学ぶべき事が、まだまだたくさんあったのに。
  あの人がまだ生きていてくれたら、なんて。
「…………ふ」
  知らず、自嘲気味な吐息が零れた。
  馬鹿馬鹿しい。死者に縋ろうなんて、それこそただの無い物ねだりでしかない。
  くだらない迷いごと振り払うように、外套に付いた雫を払い落として、アランは宿屋の中へと向かったのだった。
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