狼少年の番犬さん

村井 彰

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第二章 旅立ち

8話 光が示す道

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「クレイグ……」
  行く手に立ち塞がる男の姿を、ジュードは苦々しい思いで睨み据えた。強行突破は望ましくない。だからと言って、慌ただしくこの場を去ろうとしている理由を馬鹿正直に話せば、アルフレッドの正体まで知られることになってしまう。
「まもなく昼食の時間ですよ。おふたりとも、何をそんなに急いでおられるのか分かりませんが、もう少しゆっくりしていかれてはどうですか」
「……せっかくのお誘いですがね、先を急ぐ旅なもんで、なるべく明るいうちに出発したいんですよ。これ以上貴方々の世話になり続けるのも悪いですからね」
「そのようなこと、お気になさる必要はないのに……ああ、それとも──」
  常人よりも大きな一歩で、クレイグが距離を詰めてくる。
「──お連れさんが人間ではないことを、気にしていらっしゃるのですか」
  繋いだままのアルフレッドの手が、酷く強ばった。宥めるために握り返したジュードの手にも、冷や汗が滲んでいる。
「……ずいぶんと、失礼なことを言ってくれるじゃないか。彼が人間じゃないだって?」
「ああ、すみません。お気に障りましたか? では言い方を変えましょう。私としても信じ難いことですが、そちらのアルさんは、おそらく獣の……ワーウルフの血を引いておられる。この香りが苦手なのでしょう?」
  そう囁いたかと思うと、クレイグは服の下へ隠すようにして提げていた例の守り袋を、自身の胸元から取り出して見せた。それを目にした途端、アルフレッドは怯えたように鼻を覆って、ジュードの方へ体を擦り寄せる。その反応を見たクレイグは、少し慌てた様子で身を引いた。
「失礼。貴方を苦しめようという意図はありません。……良ければ少し、時間をいただけませんか。他の人間が来ない場所で、貴方々にお話したいことがあるんです」
  守り袋をしまいながら、クレイグはそう言ってジュードの方に視線を向けた。こちらに訊ねる形をとってはいるが、拒否出来る状況でないのは明らかだ。どのみち、この足でアルフレッドを連れて逃げることなど出来るはずもない。今のジュードに許されているのは、繋いだ手を離さずにいることだけだった。


  *


  そうしてクレイグに促されるまま辿り着いたのは、宿と教会を結ぶ坂道を少し逸れた場所にある、小さな霊園だった。小高い丘の中腹で、柔らかな風にそよぐ緑の芝の中に、古びた石の墓標がぽつぽつと建っている。綺麗に手入れされてはいるものの、どれも相当に古い物のようで、墓碑に刻まれた名前すらも、ほとんど読み取ることは出来なかった。
「……墓場なんかに連れてきて、どうしようってんだ」
「いえ。この墓所ではなく、この先に私が個人的に借りている区画があるんです。そこなら私以外の人間は、誰も立ち寄りませんから」
  その言葉通り、クレイグは墓標の群れを通り過ぎ、その奥にあるロープで区切られた草地へと入って行った。陽の光を燦々さんさんと浴びる墓地とは違い、そこは木々の影が落ちて薄暗い。しかし足元には、青々とした植物が整然と生え揃っている。
「……畑か?」
  見たままの印象を口にするジュードの斜め後ろで、アルフレッドが小さくくしゃみをした。それを耳にして、クレイグは口元だけで微笑んだ。
「さすが、アルさんには分かりますか。乾燥させた状態でなければ、ほとんど匂いはしないはずなんですが」
  そう言いながら、クレイグは自分の足元に生えていた草を見下ろした。植物の名前や種類などジュードには分からないが、細長い葉の合間に小指の先ほどの小さな白い花が咲いている様子は、なかなかに可愛らしく見えた。とはいえ、それの用途を思えば、呑気に鑑賞する気にもなれないが。
「そいつが、あの“お守り”とやらの中身か」
「ええ。戦争の末期に発見されたので、貴方はご存知なかったのでしょうが、これは今は亡き山岳地帯の村で栽培されていた『獣避け』の香草です。元々は、乾燥させた物を畑の土に混ぜて害獣避けに使っていたそうなのですが、どうやらそれがワーウルフにも効果があるようだと、後になって判明したのですよ」
「……だからそれを、戦争が終わった今も信者に配って回ってるってわけか」
「その通りです。大切な神の子たちは、鋭い爪や牙も、鎧のような毛皮も、何ひとつ持っていないのですから、これくらいの護身は許されるでしょう。……もちろん、両者の溝を深くする行為だとも理解はしていますが……」
  そう話す間にも、クレイグはこちらに向かって再び距離を詰めてくる。ジュードは咄嗟にアルフレッドを背中に庇おうとしたが、クレイグが彼の顔を覗き込む方が早かった。
「ああ、やはり……ずっと気になっていたのですよ。貴方のその金色の瞳と、銀色の髪……忘れもしない、記憶の中にあるあの銀狼の物と、そっくり同じだ」
「え……?」
  困惑するアルフレッドの目を見返して優しく微笑み、クレイグは自身の顔に残る傷痕を指先で示した。
「……まさかその傷、僕の母上が……?」
「あの銀狼が、子を持つ母親だったとは。貴方に出会うまで気づきもしませんでした。どうりで強かったはずだ」
  アルフレッドの前で屈み込むクレイグの口調は、あくまで穏やかである。
「怒って、ないんですか。そんな酷い傷をつけられて……僕はその相手の、血を引いているのに」
「私だって、貴方の母親や仲間を傷つけ、時にはその命さえ奪いましたよ。貴方にとっての私は、同胞の仇ではないですか」
「それは……」
  少し首を傾げて、アルフレッドは虚空に視線をさまよわせた。そして、クレイグの問に対する答えを口にする。
「よく、分かりません。僕は人間の父の元で育てられたので、実際にワーウルフたちの姿を見たことも無いですし、同胞なんていうふうにはとても思えません。母の瞳が僕のと同じ色だってことも、今初めて知ったくらいですから」
  アルフレッドの言葉を頷きながら聞いているクレイグの姿は、まるで我が子と語り合う父親のようだ。その様子に違和感を覚えたのはジュードの方である。
「分からんな。なぜあんたはそんなに落ち着いていられる? あんたらアリエト教の人間にとって、ワーウルフってのはその全てが憎むべき罪人なんじゃないのか」
「いいえ。少なくとも、私は彼らを憎んでなどいません。剣を取ったのは、あくまでも我々の同胞を守るため……ワーウルフたちに罪を見出したのも、罰をお与えになったのも、全てアリエト様の御心みこころによるもの。ならば、私個人が彼らに対して憎しみを募らせるのは、お門違いというものでしょう」
  クレイグの言葉を受けたアルフレッドは、一体どんな表情をしているのか。ジュードの位置からはほとんど窺えない。やがてアルフレッドは、繋いだジュードの手をぎゅっと握り返して口を開いた。
「……あなたたちが言う“罪”というのは、ワーウルフの発情期のことですよね。人間とワーウルフが戦争になったのもそのせいだってことくらいは、僕も知っています」
  そうだ。アルフレッドの言う通り、人とワーウルフが争うようになったのは、かつてのアルフレッドも苦しめられていた、ワーウルフの発情期が原因だった。
  今から十年ほど前、発情期を迎えた一匹のワーウルフが、人間の娘を襲って死なせるという事件があった。しかも悪いことに、被害に遭ったのはその地域を治める貴族の娘だったのだ。それは、争いの火種になるには十分過ぎる出来事だった。
「あなたたちが言う通り、これは僕たちが持って生まれた罪そのものだと思います。人と共に生きたいと願っても、その感情を置き去りにするほどの激しい衝動に襲われて、誰かを傷つけるまで止まれない。僕自身にも、嫌というほど覚えのあることです。……あなたたちが、ワーウルフを排除しようとするのも当然だと思います」
「……感情というのは厄介ですね」
  クレイグは微笑みを浮かべたまま、アルフレッドの言葉を受け止めて、片方だけの目を伏せる。
「交わることも、傷つけ合うことも、全て自然の摂理なのに、そこに愛や恋が生まれるから苦しくなる」
「それが、罰ってことですか。自由な獣にも、理性ある人にもなりきれないまま、中途半端な存在として生きることが……神様が僕らに与えた罰なんですか」
  クレイグは、すぐには答えない。ジュードも二人のやり取りに口を挟むことが出来ないまま、時だけが緩やかに過ぎていく。
「……罰だとすれば、いずれは許される時が来るのでしょう。そしてその日はそう遠くない。貴方の存在が、それを示しているのかもしれません」
「……僕が?」
「貴方は、あの銀狼と人間の男性との間に産まれた子なのでしょう。そんな事例は、私の知る限り今まで一度もなかった。貴方の存在こそが、なによりも明白な奇跡の証明です。罪も、罰も、生き物としての垣根さえも越えた、奇跡のような愛の証だ」
  真っ白な衣服が汚れることも厭わずに、クレイグは土の上に両膝をつき、金色に輝くアルフレッドの瞳を見上げた。
「私の立場からこんなことを言っても説得力は無いかもしれませんが……私は単純に嬉しいんですよ。新しい未来の可能性が、私の目の前に存在しているという事が」
  そう言って、クレイグは静かに微笑んだ。
「……長らく引き止めてしまって、すみませんでした。今の教会は、貴方にとって生きづらい場所でしょう。それでもいつか、奇跡が奇跡ではなくなる日が来たら……その時は、きっとまたここを訪れてください。なにしろ貴方は、リンの……私の可愛い息子に出来た、初めての友人ですから。あの子もきっと、貴方と再会できる日を心待ちにしていることでしょう」
「友人……?」
  その言葉を聞いたアルフレッドは、驚いたように目を丸くして声を上げた。上着の下に隠した尻尾が一瞬大きく揺れて、服の裾を軽く持ち上げる。それを見たクレイグは、我が子を見つめるような愛おしげな目で笑った。
「時代は変わっていくものです。これからは、貴方やリンのような若い世代が主になって、今とは違う未来を作り出すのでしょう。……貴方々の行く道がどこに続くのかは分かりませんが、せめて祈らせてください。おふたりの未来に、いつも暖かな光が降り注ぐように。愛で満ちた世界であるように。神のご加護が、あらんことを」
  クレイグはそう言いながら目を閉じて、自身の胸の前で両手を合わせ、その指を絡ませた。その瞬間、強い風が吹き抜けて木々を揺らし、三人の頭上を覆っていた影が一瞬だけ晴れた。

  相変わらず、神様を信じる気にはなれない。それでも確かに、この場所には眩しいほどの太陽の光が差している。
  今は、その事実だけで十分だと思った。
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