狼少年の番犬さん

村井 彰

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第二章 旅立ち

9話 港町マレストル

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  ジュードとアルフレッドの二人がアリエトラを出立して、さらに数日が過ぎる頃には、山ばかりだった周囲の景色はずいぶんと雰囲気を変えていた。


「すごい……!」
  はしゃいだ声をあげて駆け出そうとしたアルフレッドだったが、途中ではたと足を止めて、ジュードの隣にいそいそと戻ってきた。その様子がおかしくて、ジュードは思わず、小さく声を上げて笑った。馬車を預けて身軽になった分、走り出したくなる気持ちは分からないでもない。
「俺のことは気にせず行ってきて良いですよ。海を見るのは初めてでしょう」
  背中を軽く押して促してみたが、アルフレッドはふるふると首を振って、ジュードの隣にそっと寄り添った。
「ゆっくりで良いです。初めてのことは、全部あなたと一緒が良いですから」
  そう言って、アルフレッドは自身の手をジュードに差し出した。
  港町には階段が多い。二人が訪れたこの町、マレストルも例外ではなかった。レンガ造りの建物たちの隙間を縫うように、細く長い階段が、海に向かっていくつも伸びている。アルフレッドはジュードの手を引きながら、海辺に続く階段のひとつを楽しげに下っていた。初めて見る海の気配にはしゃいでいるだけではなく、ジュードをエスコートする立場になれたことが嬉しいのだろう。
  二人が向かう先に広がる海は、真昼の太陽の光を反射して、目を射るような輝きを放っている。ジュード自身、元は異国の生まれではあるが、海を越えたことは一度もない。この海の遥か彼方にも国があって、そこから多くの人や物が運ばれてくるというのは、いくら頭で理解していようとも、なにやらおとぎ話じみて現実味を感じられない話だった。
「見てください、ジュードさん。すごく大きな船が泊まってます」
「ああ本当だ……商船ですかね」
  アルフレッドが指した方角に目を向けてみると、海に張り出した桟橋の横に、周囲の船より明らかに大型の帆船が停泊していた。
「近くまで行ってみますか」
「……! はい!」
  きっと船を見るのも初めてだろうというジュードの想像通り、アルフレッドはパッと瞳を輝かせた。見たところ港には多くの人間が行きあっているようだが、あの様子なら旅人が二人ほどうろついていたところで、大して目立ちはしないだろう。

  蛇の寝床のような狭い道から一転、階段を降りきった先は一気に視界が開け、潮の匂いがより一層強くなった気がした。
「わあ……」
  感嘆の声をあげて、アルフレッドはきょろきょろと周囲を見回している。同じ形をした建物がずらりと並んでいるのは倉庫か何かだろうか。停泊している船との間を、大きな積荷を持った男たちが行き来しており、周囲には空になった樽や木箱も転がっている。興味深げに歩き回るアルフレッドの後を追いかけながら、ジュードは先ほどアルフレッドが気にしていた大型船の方を見やった。しかし、その周囲をよく見てみると、あれが商船などではなかった事がすぐに判明した。一見船乗りには見えない奇妙な出で立ちの人間たちが数人集まって、なにやら騒いでいる様子だったからだ。
「うわーーっ! オレの手が!!」
  突如、奇妙な一団の中から悲痛な声が上がり、アルフレッドとジュードはぎょっとして足を止めた。事故でも起きたのかと身構えるが、悲鳴を上げた男の周りにいる人間たちは、呆れた顔で肩をすくめるばかりだ。
「……ジュードさん。手ってもしかしてアレのことでしょうか」
  戸惑いが滲む声でアルフレッドが指した先を見れば、桟橋の中ほどに木の枝のような何かが引っかかっているのが見えた。波に揺られているせいでよく見えないが、言われてみれば先端に手袋のような物を着けている。
「義手、ですかね」
  戦があれば、体の一部を失う者も多く出る。先日出会ったクレイグや、ジュード自身もある意味ではそうだ。それゆえにジュードは、義肢の類を見る機会も多かった。あれの持ち主のことを思えばどうにか拾ってやりたいところではあるが、今はかろうじて桟橋の足の部分に引っかかっているものの、大きめの波が来ればあっさり流されてしまうことだろう。可哀想だが諦めるしかない。
  しかし、アルフレッドの意見は、ジュードのそれとは違っていた。
「……ジュードさん、僕が行って拾ってきます」
「よしてください。うっかり海に落ちたらどうするんです」
「平気ですよ」
  ジュードの制止を振りきって、アルフレッドは軽い足取りで桟橋の上を駆け出した。しかし、アルフレッドがその場所にたどり着く直前、意地の悪い波が押し寄せてきて、目的の物を攫ってしまう。
「もういい! 戻ってください!」
  アルフレッドが何をしようとているのか察したジュードが声を上げるより早く、アルフレッドの体が宙を飛んだ。その直前に蹴り飛ばされた木箱が、アルフレッドに先行する形で空を舞い、水飛沫を上げながら着水する。そして、海面に浮かんだその木箱の上へと吸い寄せられるように、アルフレッドは見事に着地してみせた。その衝撃で木箱が深く沈み込んで、アルフレッドの足を濡らしたが、当の本人は臆するふうもなく、器用にバランスを取りながら、木箱の上にしゃがみ込んだ。そして、足元にちょうど流れ着いた義手を拾い上げ、自身の手で波を掻き分けながら、何食わぬ顔で戻ってくる。その姿を見て気が気では無いのはジュードの方だ。
「な、にを考えてるんですか貴方は! あんな危ないマネをして……泳げもしないくせに海に飛び出すなんて、正気とは思えない!」
「……あのくらいのことで、大袈裟すぎます」
  ジュードに叱られたことが不服のようで、桟橋の上に戻ってきたアルフレッドは、ムッと唇を尖らせて反論した。実際、アルフレッドほどの身体能力があれば、あの程度のことは度胸試しにすらならないのだろう。しかし、だからといって見過ごせるはずもない。
「万が一のことが起きないなんて言いきれないでしょう! 俺が一体どんな気持ちで……!」
「なあアンタ、今の動きすごかったな?! 軽業師かなんかか?」
  ジュードがアルフレッドに詰め寄ろうとした時、ついさっき聞いたような声が、先ほどよりも遥かに陽気な響きを持って話しかけてきた。
「オレの右手、拾ってくれてありがとうな! アンタまじですごいよ」
「い、いえ……僕は別に」
  なれなれしく話しかけながらアルフレッドの元へ向かってきたのは、先ほど手がどうのと騒いでいた青年に他ならなかった。つまりはこの義手の持ち主であり、その証拠として、彼の右袖は肘の中ほどから下が空になっていて、潮風にヒラヒラとたなびいていた。
「あーあ、海水でびっちゃびちゃ。これ乾かしたら変形するかもなぁ」
  やれやれと肩をすくめて、片腕の青年はアルフレッドから義手を受け取り、左手でプラプラと振ってみせる。先ほど青年と共にいた数名も含め、彼らは皆そろって、遠目にも明らかなほど変わった容姿を持っていた。
  ジュードでも見上げるだろう巨大な体躯を持つ女。その女に抱えられた両足のない少女。そして全身が体毛に──ワーウルフのような毛皮ではない、長く赤茶けた髪に覆われた男……おそらく彼らは、そういった特異な風貌を見世物にして金を稼いでいる集団なのだろう。そんなジュードの考えを裏付けるように、片腕の青年は海水に濡れた義手を装着しつつ、自らの名を名乗った。
「オレはカカっていうんだ。この街へは見世物屋の興行のために来てる。アンタらも同業者?」
「あ、いえ……僕たちは、旅の途中でたまたま立ち寄っただけです。僕はアル、こっちの人はジュードさんです」
  アルフレッドの紹介を受けて、ジュードはカカ青年の方をチラリと見て肩をすくめた。そんなジュードたちの顔を見比べて、カカは面白そうに笑う。
「そっか。ただの旅人にしとくのは惜しいなぁ……アンタら、オレたちの仲間にならないか? ウチじゃこういう感じの見世物をやってるんだ」
  そう言ったかと思うと、カカはダブついたズボンのポケットに左手を突っ込んで、赤や緑に染められた玉を三つ取り出した。ジュードたちがそれに目を奪われる暇もなく、カカの作り物の腕が、生き物のように動き始める。
「わ……」
  アルフレッドが感嘆の声を上げる。態度にこそ出さなかったものの、ジュードも同じ気持ちではあった。
  カカの左手から右手へ、彼の頭の上を飛び越えて、三つの球が目にも止まらぬ速さで行ったり来たりを繰り返す。木製の手では玉を掴むことすら難しいだろうに、カカの動きはそんな不自由さをまるで感じさせない。だが、カカの右手が赤い玉を強く打ち上げた瞬間、その手がボロリと外れて、玉と一緒に空高く放り投げられてしまった。
「おっと!」
  やや大げさな表情で驚いてみせたカカは、しかし、こなれた動作で自身の右手を受け止めて、そのまま左手だけで難なくジャグリングを続行した。彼の右手が加わったことで、投げる物が四つに増えた状態だ。
「それっ」
  小さな掛け声と共に、その四つを一際高く放り投げると、カカはその場で華麗に一回転してみせた。そして、落ちてくる玉を左手で全て受け止め、最後に降ってきた右手を口で受け止めた。そうして歯を見せながらニッと笑い、ジュードたちに向かって、優雅に一礼したのだった。
「すごい……! カカさん、すごいです!」
「“さん”なんて付けなくていいよ。今日の夜、この街のど真ん中で興行するから、きっと見に来てくれよな。オレと、オレの仲間が、もっとすごいモン見せてやるからさ」
  カカはそう言いながら再び右手を装着し、生身の左手の方を差し出してきた。アルフレッドに続いて握手を交わしたその手は、常人の物より少し大きかった。だからこそ、あんな妙技をふるうことが可能なのだろう。
「じゃあまたな!」
  生身の手を振りながら、カカ青年は軽快な足取りで去っていく。まるで嵐のようだったと、見ているばかりだったジュードは小さく息を吐いた。その隣では、アルフレッドが頬を紅潮させて、カカが戻って行った帆船を熱心に見つめている。
「……今夜、見に行ってみますか。彼らの興行とやらを」
  ジュードがそう声をかけた途端、アルフレッドは驚いたように顔を上げて、ジュードの方に視線を向けた。その瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いている。
「良いんですか?」
「こんな機会めったにありませんからね。彼と知り合ったのも何かの縁です。たまには遊んでいくのも良いでしょう」
  アルフレッドに対して言ってやりたかった事はまだまだあるが、彼の楽しげな表情を見ていたら、もうどうでも良くなってしまった。大概アルフレッドに甘い自分に呆れつつも、ジュード自身、どうせなら旅の途中の出会いを楽しもうという気にもなっている。

  そうして、二人は港町マレストルへの滞在を決めたのだが……それが、また新たな波乱の始まりになることを、まだ誰も気づかないままでいるのだった。
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