片月の怪

村井 彰

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第四章 半分の月

2話 哄笑とノイズ

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  スピーカーを引っ掻くような雨の音に、頭の中を掻き乱されて、思考がまとまらない。駄目だ、落ち着け。俺が焦ってどうする。
「彩人、今どこにいる」
『だ、大学の裏の、路地のとこ……っ、思ったより早く終わったから、どこかで時間潰そうって思って、そしたら中堂さんがいて、それで……』
「分かった、すぐ行く。通話はこのまま繋いでろ。いいな?」
『うん……』
  スピーカーモードにしたスマホを投げるようにダッシュボードに置いて、俺は慌ただしくハンドルを切った。彩人の手前、必死で冷静なふりをしているが、心臓は今にも破裂しそうだった。
  中堂。あの男、病院で会って以来姿を見せなかったから、すっかり油断していた。だが確かに言っていたじゃないか。また来ると。
  視界の端に映るスマホからは、強い雨音と彩人の息遣いだけが聞こえてくる。大丈夫だ。既に大学の正門は見えている。すぐに彩人の元に辿り着けるはずだ。だから……
『こんなとこにいやがったか、彩人クンよお』
  スマホから聞こえてくる、しゃがれたようなその声を耳にした瞬間、背筋が凍った。
  機械越しでも聞き間違えようがない。特徴的なこの声は、中堂絢弥けんやのものだ。
「おい、彩人!」
『や……ん、ぅ……』
『おっと、余計なことは喋んなよ。念のため、な』
  何かを言おうとした彩人の声が無理やり塞がれて、何かが揉み合うような音と、激しいノイズが入り交じって……そして、唐突に全ての音が途絶えた。
  その数秒後、今度は窓の外からうるさいくらいの雨の音が響いてきて、ハンドルを握る手のひらに嫌な汗が滲んだ。
「くそ……っ」
  叫び出したい気持ちを堪えて、窓の外を睨む。ワイパーで何度拭っても、次々に流れ落ちる雨粒が景色を歪ませていく。あの日とはまるで違うくすんだ景色に、なぜか青空のイメージが重なって、ひどい眩暈がした。
  違う。あの時とは違うんだ。必死になって自分に言い聞かせながらハンドルを切る。大学の裏の路地……この辺りのはずだ。
  焦りを無理やり押し込めて、慎重に周囲を見回す。雨にけぶる住宅街には人気がない。どこだ、どこにいる? まさか、もう……
  息苦しさに眩む視界に、一瞬何かが見えた気がして、俺は慌ててブレーキを踏んだ。
  引きむしるようにしてシートベルトを外し、座席の下に寝かせていた傘を閉じたまま引っ掴んで、俺は雨の中に飛び出した。今さっき歩道の真ん中に落ちていたあれは、もしかして。
  通り過ぎて来たそこへ駆け戻り、四角い小さなそれを拾い上げる。やっぱりそうだ。このネコ模様の黒いプラスチックケースは、彩人が自分のスマホに着けていたものに違いない。クモの巣状のヒビが入っているのは、表面のガラスフィルムだけのようだが、少し触ってみても何の反応もなかった。中堂と揉み合った時に壊れたのか。だがそれなら、二人はまだこの近くにいるはずだ。
  壊れたスマホをジーンズのポケットに突っ込んで、辺りを見回す。歩道の脇には大学の敷地を囲む生垣とマンションの塀が続いているが、よく見ればその間に細い道が伸びている。そしてその先に、微かな人影が見えた気がした。
「彩人!」
  考えるよりも先に、俺は脇道の先へ走り出していた。足を進めるごとに、疑いは確信に変わっていく。額を伝って流れ落ちる雨粒のせいで視界は最悪だが、雨の夕暮れの中でもハッキリと分かる原色のシャツを纏った巨大な影は、間違いなくあの男だ。
「中堂……!」
  彩人の口を左手で塞いで抱え込むようにしながら、路地の先に引きずって行こうとしている。雨に歪む景色の先で中堂も俺の姿を捉えたらしく、その顔を忌々しげに顰めたのが分かった。
  その様子を確認すると共に、駆ける足を緩める事なく中堂の前に躍り出た俺は、手にした傘をその首筋目掛けて思い切り振り抜いた。だがその程度は中堂も予測していたようで、彩人を押さえていない方の手で軽々と止められてしまう。
「おぉい、道具は正しく使えよくそガキィ……」
「偉そうに説教してんじゃねえよ誘拐犯」
  中堂に掴まれた傘の先がメリメリと音を立てる。咄嗟に傘を巻いている方向に捻じって中堂の手を外させると、俺は一歩退いて中堂と正面から睨み合った。だが、対する中堂は彩人をしっかりと押さえ込んだまま、口を塞ぐ手は一切緩めようとしない。あいつに“声”を使わせたらマズいと分かっているからだろう。
「ずいぶん乱暴なんだな、おっさん。何回もフラれてたくせに、なんで今になって焦りだしたんだ?」
  挑発するように、わざとゆっくりそう言ってやると、中堂は鬱陶しそうに俺を見下ろした。
「こっちもいろいろと事情があんだよ。オレとしても面倒は避けたかったんだが、そうも言ってられなくなった。……アイツには、もう時間がねえんだ」
「あいつ……? 誰の事だ」
「お前にゃ関係ねえ。とにかくこのチビは貰ってくぞ」
  そう吐き捨てて、中堂は彩人を拘束する手に力を込めた。自分を押さえつける腕から逃れようと彩人が暴れても、中堂は気にも留めていないようだ。
「関係ねえって言われたからって、はいそうですかで行かせてやるとでも思ってんのか?」
「行かせねえならどうすんだ? その傘でやり合うか。お子ちゃまのケンカに付き合ってやる気はねえぞ」
  牙のような犬歯を剥き出しにして、中堂がいやらしく笑う。こいつはどうやら、完全に俺をバカにしているらしい。だが、それならそれでいい。
  手にしていた傘を短く持ち直して、石突いしづきの先端を中堂の方に向ける。そして俺は、ためらう事なく地面を蹴った。
  俺が手にしているのはたかが傘だが、ささくれたプラスチックの先端は、細く鋭い。ナイフほど鋭利ではなくとも、全力で貫けば人体の柔らかい部分……たとえば眼球くらいなら、余裕で破壊できる。
「このガキ……!」
  俺の意図を察したらしい中堂が、悪態を吐きながら寸前で顎を引いた。目標を失った石突は中堂のまなじりを引き裂いて、破れた皮膚から吹き出した鮮血が、雨と混じり合って流れ落ちる。
「なんっつうマネしやがんだ、このくそガキ……普通ちょっとはためらうだろ!」
「お子様のケンカじゃ物足りないんだろ?」
  憎々しげに歪む中堂の目尻からは、ヤツが着ているシャツより赤い血が、絶え間なく流れてあいつの視界を塞いでいる。狙いは外したが、その傷は決して浅くはないようだ。
  そこからわずかに視線を下げると、中堂と俺の間に挟まれて、不安そうに俺を見上げる彩人と目が合う。
  大丈夫だ。目的は見失ってない。俺は、こいつを取り戻したいだけだ。
「おいガキ、てめえ分かってんのか? オレは別にこのチビが五体満足じゃなくても構わねえんだぞ。てめえがこれ以上余計なマネすんなら、それこそ目ン玉抉ってやっても……」
「中堂。アンタ、意外と良い奴だな」
「…………あ?」
  俺は傘を左手に持ち直すと、ジーンズのポケットに右手を突っ込んで、中堂の方へ一歩近づいた。
「アンタさ、一回も彩人を盾にしようとしなかったよな。そういう脅しだって、俺なら口に出す前に実行してる」
  警戒する中堂が俺から離れようとするより早く、俺はさらに一歩近づいて……彩人の口を覆っている中堂の手に、隠し持っていたガラス片を、思い切り突き立てた。
「が……っああああああああっ?!」
  汚らしい悲鳴を激しい雨音が掻き消していく。
  中堂の中指と人差し指の間に深々と突き刺さっているのは、さっき彩人のスマホから剥がしておいた、ひび割れたガラスフィルムの欠片だった。
  骨と骨の間をなぞるように、皮膚の薄い部分を無理やり引き裂くと、極薄のガラス片は途中で細かく砕けて、赤く滲み出した傷口に入り込んでいく。おそらく普通の刃物で切りつけられるのとは比べ物にならないほどの激痛だろう。それでも彩人から手を離さないのは大したものだが……
「彩人」
  ほんのわずかな隙間があれば……そう、声を出せるだけの余裕があれば、彩人にとっては十分だ。
「「中堂、絢弥……」」
  彩人の声が、雨音の間隙を縫って、辺りに響く。
「「動くな……っ!」」
  一瞬時が止まったのかと錯覚するほど、彩人の……彩人達の声が強く反響して、全ての音を飲み込んだ。
「く、そが……っ」
  憎悪のこもった目で俺を睨みつける中堂の手から逃れて、彩人が俺の方に駆け寄ってくる。彩人の声に捕らわれた中堂は、もう指の一本も動かせないようだった。
「猛さん……!」
  抱きついてきた彩人の頭をそっと撫でる。雨に濡れたシャツ越しに感じる体温はとても温かくて……俺は、ようやく取り戻せたのだと思った。
「ごめんな、遅くなって。早く帰ろう」
  小さな背中を強く抱き締めて、そう囁いた。そうだ、二人で帰るんだ。そうすれば、またいつもの日常に戻れる。
  けれど、中堂がそれを黙って見送るはずもなかった。
「はっ……生きてる人間にも、ここまで効くのかよ……やっぱ、とんでもない力だなあ……彩人クン……」
  痛みのせいか、彩人の力のせいか、途切れ途切れに言葉を零しながら、中堂が頬を引き攣らせて笑う。
「中堂さ……」
「こりゃ……父親を殺したってのも、ガセじゃねえな……」
  中堂の方を振り向こうとした彩人の肩が、その言葉を聞いた瞬間、はっきりと強張るのが分かった。
  だが、驚いたのは俺も同じだ。中堂は、今なんと言った?
  父親を……殺した?
「お前のこと、調べたぞ……双子の霊媒師、志条彩人と、志条拓人。十年前に、父親と兄の方が不審な死を遂げて以来、業界から姿を消した。……それなのに、数年前、生き残った弟が、突然一人で仕事を再開したってな……そうだろ、彩人クン」
「そ、れは……」
  彩人の声が震える。中堂を黙らせるべきだと思うのに、俺は縫いつけられたようにその場を動けなかった。
「お前が使ってる、その力は、元々は兄貴のモンだった……お前は、兄貴から奪った力で、てめえの父親を殺したんだよ」
「ちが……っ僕は、そんなこと」
  指先が真っ白になるほどの力で、彩人が俺のシャツをキツく掴む。その様子を見て、ハッと我に返った。
「彩人……もういい、帰ろう。これ以上聞かなくていいから」
  彩人の肩を掴んで声をかける。けれど、その言葉をかけるには、少しばかり遅かったらしい。
「そうだ、本当は……兄貴もお前が殺したんだろ? 力も、金も、何もかも、自分一人のモノにするために」
「違う! 僕はそんなことしてない! そんな……っ、そんなつもりじゃ……」
「彩人! もういい聞くな!」
  彩人の手を強く引いて、俺は叫んだ。これ以上、この男の言葉を聞かせては駄目だ。
  完全に立ち尽くしてしまった彩人を、半ば引きずるようにして路地の外へと向かう。その時、中堂が最後に声をかけてきたのは、彩人ではなく俺の方だった。
「そいつの力が、ある限り……お前も、マトモじゃいられねえぞ」
  俺も、彩人も、何も答えなかった。
  ただ、降り続ける雨音の中に混じる引き攣れたような哄笑だけが、いつまでも耳について、消えそうもなかった。
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