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チャプター3 虹橋萌火
10項 萌火、並走 ~Hなし
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「それから数日経ったある日にね、わたしは校長室に呼び出されたの……」
萌火センパイは膝を抱えながらその続きを語り出した。
「そこにはコーチもいたの。そして校長はわたしたちに1枚の写真を見せたの。そこには、水飲み場でわたしとコーチがセックスしてる姿が写っていた……。週刊誌の記者がそれを持ちこんできた、と校長は言ってたの。だから、学校の誰かがその写真を撮って週刊誌に売りつけたのは明白だった……」
「そんな……」
ワタシは自分のことじゃないのにスゴく腹が立った。
たしかにセンパイたちのした行為は倫理上許されるものじゃない。だけど、だとしてもそれを隠し撮りして、あまつさえ週刊誌の記者に売りつけるなんて心の卑しい最低な行為だと思った。
たしなめたいのなら本人に直接注意すればいい。
どうでもいいと思うのなら無視すればいい。
だけど、ヒトの弱みをネタにしてお金を得たり、その弱みにつけこんでゆすりをかけるなんて下劣でサイテーなことだ。
「記者の人はわたしたちのことを記事にして公表すると言ってきたらしいの。校長はスゴく落胆してた。わたしたちに期待をかけてくれていたのに、それを裏切って学校に多大な迷惑をかけてしまった。だから、わたしは部活を辞めて学校も退学したの……」
「……」
やっぱりそういうことになってしまうのか、とワタシは陰鬱な気持ちになった。
ワタシもそうだった。
あの時、5人組の男にレイプされたワタシはその後に転校した。転校せざるを得なかったのだ。人の口に戸は建てられない。噂はすぐに広まり、たとえ被害者であっても『レイプされた女』という色メガネで見られてしまうことは避けられないのだから。
だけど、耳聡いマスコミがワタシの家に押しかけて来たこともあって結局転校先でも事件のことは噂になってしまい、卒業までの数ヶ月間を針の筵のようないたたまれない状態の中をなんとか耐え抜いたのだ。
「わたしはどうなってもよかった。もともと自分の蒔いた種なんだから。だけど、わたしはコーチを巻きこんでしまった……」
彼女は大きくかぶりを振り、
「和姦ということでコーチは極刑だけは免れた。だけど彼は職を失い、陸上選手としての道までも閉ざされてしまったの……」
涙と共に語った。
「わたしが『外でしたい』なんて言ったから……わたしが歪んだ欲求を持ってしまったばかりに、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまったの……」
「コーチとはその後は……?」
ワタシの問いに、彼女はもう1度かぶりを振る。
「校長室に呼び出されてクビを告げられて以来、彼とは会っていないの。部屋はすぐに引き払われて、電話もメールも繋がらなくなった。彼はわたしの前から完全に姿を消してしまったの……」
彼女は顔を手で覆い、さめざめと泣いた。
ワタシは少し考えてみた。
その話を聞いた限りだと、萌火センパイには何ひとつ非は無い。たとえ倫理上許されないような欲求を抱いていたとしても、それを実行してしまったのはコーチの方なのだから。
萌火センパイとの約束を破り、自身のみならず彼女の陸上人生までも奪ってしまったのは、紛れもなくコーチ自身なのだ。
彼がセンパイの前から姿を消し、連絡手段も絶ったのは、たぶん彼なりのケジメだったんじゃないか、とワタシは想像する。
「週刊誌じゃ名前も顔も伏せられてたけど、当時ニュースとかワイドショーにも取り上げられて、コーチに対する風当たりはかなり冷たいものだった。とある人権団体の人なんかコメンテーターとしてコーチのことをまるでレイプ魔みたいな扱いで論っていたの。何も知りもしないくせに無責任なことばっか言いやがって、って思ったよ」
もしかしたら当時、ワタシもそのニュースを耳にしていたかも知れない。
たしかにこうして当事者の話を聞いていなかったら、きっとテレビでマスコミが述べている言葉をそのまま鵜呑みにしていたと思う。
「あの時の軽率な行為のせいで、コーチはすべての人から敵視されてしまった……。わたしは彼に会って謝りたい。そして、もしもあの時の過ちを罪に感じて前に進めないでいたなら伝えたいの。『わたしはもう新しい道を歩んでいる。だからアナタも自分自身の道を進んで欲しい』って」
センパイは指で涙を拭い、そう締め括った。
「それでセンパイはそのコーチのことを探していたんですね?」
彼女はコクリとうなずき、
「一軒家なら表札が出ているし探しやすかった。でも、アパートとか集合住宅だとあまり表札が出てないこともあって、わたしは探偵さんに頼んで彼の捜索と同時に『小松崎』姓の家を探してもらっていたの」
そう告げる。
「果てしない捜索ですね? それに、コーチが東京にいるかどうかも──」
「わからない。だから絶望的なの」
ワタシの言葉に呼応して彼女は続けて言った。
「まあ、半分はわたしのひとりよがりかな。彼はきっとわたしとはもう会いたくないだろうし。わたしね、ホントはもっと有名になりたかったんだ」
「え?」
ワタシは首をかしげる。
たしかに彼女は入社の際にそんなことを言っていたと聞いた。だけど、それが今の話とどう繋がるのかわからなかった。
「有名になってテレビ出演でもすれば、あの人はイヤでもわたしのことに気づくでしょ? そしたらそこでわたしは電波を通して想いを伝えられる。会えなくてもいいから、想いだけは伝えたかった……」
「だからセンパイは衆目を浴びることにこだわってたんですね?」
「まあ、半分はわたしの性癖なんだけどね。注目されたい、ってのは」
センパイはクスッと笑って言った。
「でもさ、姫神アンジェっていうスーパースターが現れて、わたしのやりたかったことを全部掻っ攫われちゃったんだよね。ホント、運命って残酷だよね。あんなスゴいコと同期になっちゃったんだもん」
「姫神アンジェ……」
彼女は『ガールズフロンティアプロダクション』所属のタレントで、セックスアイドルとして唯一テレビなど一般の場でも活動している業界のカリスマ的存在だ。
彼女の存在によって煽りを受けたタレントは萌火センパイだけじゃないはずだけど、彼女の活躍がセックスアイドルの認知度向上と差別や偏見の排除に大きく貢献していることもまた揺るがない事実だった。
「彼に想いを伝えないと心の中のモヤモヤが残ったままで、『新しい道を歩いてる』なんて胸張って言えないし、こんなこと続けたって彼が見つかるとは思えない。もうわたし、どうしたらいいのかわかんないよ……」
そう言って力無くうなだれるセンパイ。
「センパイ……」
ワタシは何か彼女の力になれないか必死に思案する。
──そうだ!
ふと、ワタシの頭の中でひとつの考えがまとまる。
「センパイ、もう1度競技場でイベントやりましょう。そこでまたチャレンジしましょうよ、あの時飛べなかった壁に!」
ワタシは立ち上がり、彼女に檄を飛ばす。
「競技場……? でも、それで何か変わるワケじゃないし……」
「変わりますッ!」
ワタシが力強く断言すると、センパイは驚いたように目をパチクリとさせた。
「1m 98cmはセンパイが最後の全国大会で挑戦するはずだった記録ですよね? 超えてみせましょうよ、過去に置き忘れた未練を断ち切るために! そして、それをコーチに見せてあげましょうよ!! そしたらきっと、2人とも前に進めると思うんです」
「さくらちゃん……」
センパイは少し考えこんだ後、
「でも、ムリだよ。コーチは見つからない。見つかりっこないよ」
そうつぶやいて悲しげに目を伏せる。
「だったらプロデューサーさんや社長に相談しましょうよ。きっと力になってくれますよ」
「でも、関係ない人にまで迷惑かけるワケにはいかないよ……」
「関係なくなんかありませんッ!!」
ワタシは鼻息を荒くして叫んだ。
「社長さんはワタシたちのことを家族と言ってくれました。プロデューサーさんはどんどん迷惑かけてくださいって言ってくれました。この際だから甘えてみましょうよ、センパイ。何もしないで後悔するよりはイイと思いますよ?」
「……」
畳みかけるように説得を続けると、彼女はしばらく考えこみ、
「そう、だよね……。何もしなかったら変わらないんだもんね。ありがとう、さくらちゃん。わたし、社長たちに相談してみる!」
踏ん切りがついたようにパッと笑顔を浮かべて立ち上がる。
ワタシはホッと安堵し、
「それじゃあセンパイ、今から事務所まで一緒に走りましょう!」
そう提案する。
「うん!」
彼女はうなずき、ワタシたちは街中を並走する。
「そういえばさくらちゃん、自分のことを『運動神経が鈍い』って言ってたよね?」
走っている最中に、ふとセンパイがそんなことを話しかけてくる。
「はい。そうですね」
センパイは突然加速してワタシの前に出ると、クルリと振り返り、
「違うよ。さくらちゃんは今までちゃんと運動してなかっただけ。体をしっかり使えるようになれば、もっともっと速く、強くなれるよ」
満面の笑みを浮かべてそう言うのだった。
萌火センパイは膝を抱えながらその続きを語り出した。
「そこにはコーチもいたの。そして校長はわたしたちに1枚の写真を見せたの。そこには、水飲み場でわたしとコーチがセックスしてる姿が写っていた……。週刊誌の記者がそれを持ちこんできた、と校長は言ってたの。だから、学校の誰かがその写真を撮って週刊誌に売りつけたのは明白だった……」
「そんな……」
ワタシは自分のことじゃないのにスゴく腹が立った。
たしかにセンパイたちのした行為は倫理上許されるものじゃない。だけど、だとしてもそれを隠し撮りして、あまつさえ週刊誌の記者に売りつけるなんて心の卑しい最低な行為だと思った。
たしなめたいのなら本人に直接注意すればいい。
どうでもいいと思うのなら無視すればいい。
だけど、ヒトの弱みをネタにしてお金を得たり、その弱みにつけこんでゆすりをかけるなんて下劣でサイテーなことだ。
「記者の人はわたしたちのことを記事にして公表すると言ってきたらしいの。校長はスゴく落胆してた。わたしたちに期待をかけてくれていたのに、それを裏切って学校に多大な迷惑をかけてしまった。だから、わたしは部活を辞めて学校も退学したの……」
「……」
やっぱりそういうことになってしまうのか、とワタシは陰鬱な気持ちになった。
ワタシもそうだった。
あの時、5人組の男にレイプされたワタシはその後に転校した。転校せざるを得なかったのだ。人の口に戸は建てられない。噂はすぐに広まり、たとえ被害者であっても『レイプされた女』という色メガネで見られてしまうことは避けられないのだから。
だけど、耳聡いマスコミがワタシの家に押しかけて来たこともあって結局転校先でも事件のことは噂になってしまい、卒業までの数ヶ月間を針の筵のようないたたまれない状態の中をなんとか耐え抜いたのだ。
「わたしはどうなってもよかった。もともと自分の蒔いた種なんだから。だけど、わたしはコーチを巻きこんでしまった……」
彼女は大きくかぶりを振り、
「和姦ということでコーチは極刑だけは免れた。だけど彼は職を失い、陸上選手としての道までも閉ざされてしまったの……」
涙と共に語った。
「わたしが『外でしたい』なんて言ったから……わたしが歪んだ欲求を持ってしまったばかりに、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまったの……」
「コーチとはその後は……?」
ワタシの問いに、彼女はもう1度かぶりを振る。
「校長室に呼び出されてクビを告げられて以来、彼とは会っていないの。部屋はすぐに引き払われて、電話もメールも繋がらなくなった。彼はわたしの前から完全に姿を消してしまったの……」
彼女は顔を手で覆い、さめざめと泣いた。
ワタシは少し考えてみた。
その話を聞いた限りだと、萌火センパイには何ひとつ非は無い。たとえ倫理上許されないような欲求を抱いていたとしても、それを実行してしまったのはコーチの方なのだから。
萌火センパイとの約束を破り、自身のみならず彼女の陸上人生までも奪ってしまったのは、紛れもなくコーチ自身なのだ。
彼がセンパイの前から姿を消し、連絡手段も絶ったのは、たぶん彼なりのケジメだったんじゃないか、とワタシは想像する。
「週刊誌じゃ名前も顔も伏せられてたけど、当時ニュースとかワイドショーにも取り上げられて、コーチに対する風当たりはかなり冷たいものだった。とある人権団体の人なんかコメンテーターとしてコーチのことをまるでレイプ魔みたいな扱いで論っていたの。何も知りもしないくせに無責任なことばっか言いやがって、って思ったよ」
もしかしたら当時、ワタシもそのニュースを耳にしていたかも知れない。
たしかにこうして当事者の話を聞いていなかったら、きっとテレビでマスコミが述べている言葉をそのまま鵜呑みにしていたと思う。
「あの時の軽率な行為のせいで、コーチはすべての人から敵視されてしまった……。わたしは彼に会って謝りたい。そして、もしもあの時の過ちを罪に感じて前に進めないでいたなら伝えたいの。『わたしはもう新しい道を歩んでいる。だからアナタも自分自身の道を進んで欲しい』って」
センパイは指で涙を拭い、そう締め括った。
「それでセンパイはそのコーチのことを探していたんですね?」
彼女はコクリとうなずき、
「一軒家なら表札が出ているし探しやすかった。でも、アパートとか集合住宅だとあまり表札が出てないこともあって、わたしは探偵さんに頼んで彼の捜索と同時に『小松崎』姓の家を探してもらっていたの」
そう告げる。
「果てしない捜索ですね? それに、コーチが東京にいるかどうかも──」
「わからない。だから絶望的なの」
ワタシの言葉に呼応して彼女は続けて言った。
「まあ、半分はわたしのひとりよがりかな。彼はきっとわたしとはもう会いたくないだろうし。わたしね、ホントはもっと有名になりたかったんだ」
「え?」
ワタシは首をかしげる。
たしかに彼女は入社の際にそんなことを言っていたと聞いた。だけど、それが今の話とどう繋がるのかわからなかった。
「有名になってテレビ出演でもすれば、あの人はイヤでもわたしのことに気づくでしょ? そしたらそこでわたしは電波を通して想いを伝えられる。会えなくてもいいから、想いだけは伝えたかった……」
「だからセンパイは衆目を浴びることにこだわってたんですね?」
「まあ、半分はわたしの性癖なんだけどね。注目されたい、ってのは」
センパイはクスッと笑って言った。
「でもさ、姫神アンジェっていうスーパースターが現れて、わたしのやりたかったことを全部掻っ攫われちゃったんだよね。ホント、運命って残酷だよね。あんなスゴいコと同期になっちゃったんだもん」
「姫神アンジェ……」
彼女は『ガールズフロンティアプロダクション』所属のタレントで、セックスアイドルとして唯一テレビなど一般の場でも活動している業界のカリスマ的存在だ。
彼女の存在によって煽りを受けたタレントは萌火センパイだけじゃないはずだけど、彼女の活躍がセックスアイドルの認知度向上と差別や偏見の排除に大きく貢献していることもまた揺るがない事実だった。
「彼に想いを伝えないと心の中のモヤモヤが残ったままで、『新しい道を歩いてる』なんて胸張って言えないし、こんなこと続けたって彼が見つかるとは思えない。もうわたし、どうしたらいいのかわかんないよ……」
そう言って力無くうなだれるセンパイ。
「センパイ……」
ワタシは何か彼女の力になれないか必死に思案する。
──そうだ!
ふと、ワタシの頭の中でひとつの考えがまとまる。
「センパイ、もう1度競技場でイベントやりましょう。そこでまたチャレンジしましょうよ、あの時飛べなかった壁に!」
ワタシは立ち上がり、彼女に檄を飛ばす。
「競技場……? でも、それで何か変わるワケじゃないし……」
「変わりますッ!」
ワタシが力強く断言すると、センパイは驚いたように目をパチクリとさせた。
「1m 98cmはセンパイが最後の全国大会で挑戦するはずだった記録ですよね? 超えてみせましょうよ、過去に置き忘れた未練を断ち切るために! そして、それをコーチに見せてあげましょうよ!! そしたらきっと、2人とも前に進めると思うんです」
「さくらちゃん……」
センパイは少し考えこんだ後、
「でも、ムリだよ。コーチは見つからない。見つかりっこないよ」
そうつぶやいて悲しげに目を伏せる。
「だったらプロデューサーさんや社長に相談しましょうよ。きっと力になってくれますよ」
「でも、関係ない人にまで迷惑かけるワケにはいかないよ……」
「関係なくなんかありませんッ!!」
ワタシは鼻息を荒くして叫んだ。
「社長さんはワタシたちのことを家族と言ってくれました。プロデューサーさんはどんどん迷惑かけてくださいって言ってくれました。この際だから甘えてみましょうよ、センパイ。何もしないで後悔するよりはイイと思いますよ?」
「……」
畳みかけるように説得を続けると、彼女はしばらく考えこみ、
「そう、だよね……。何もしなかったら変わらないんだもんね。ありがとう、さくらちゃん。わたし、社長たちに相談してみる!」
踏ん切りがついたようにパッと笑顔を浮かべて立ち上がる。
ワタシはホッと安堵し、
「それじゃあセンパイ、今から事務所まで一緒に走りましょう!」
そう提案する。
「うん!」
彼女はうなずき、ワタシたちは街中を並走する。
「そういえばさくらちゃん、自分のことを『運動神経が鈍い』って言ってたよね?」
走っている最中に、ふとセンパイがそんなことを話しかけてくる。
「はい。そうですね」
センパイは突然加速してワタシの前に出ると、クルリと振り返り、
「違うよ。さくらちゃんは今までちゃんと運動してなかっただけ。体をしっかり使えるようになれば、もっともっと速く、強くなれるよ」
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