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チャプター3 虹橋萌火
13項 さくら、説得 ~Hなし
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東京から車に乗って2時間弱──
関東自動車道を経由して埼玉県の本庄児玉インターチェンジを降りるとすぐに利根川を跨ぐ坂東大橋があり、それを渡ればそこはもう群馬県の伊勢崎市だった。
「群馬県って結構近いんですね? 山が険しくてもっと時間がかかる場所だと思ってました」
工場や住宅地が多く立ち並ぶ街並みを眺めながらつぶやく。
「北部だったらそうでしょうね。でも伊勢崎市は埼玉県に隣接してますからね。交通の弁は良い方ですよ」
時々ナビに目をやりながら、プロデューサーさんが言う。
「小松崎さんがいると思われる持倉建設が今請け負ってる作業現場は2箇所、か。でも、丁嵐さんスゴいですね。こんなに早く割り出せるなんて」
ワタシたちが東京を発って間も無く、プロデューサーさんのスマホに、群馬県伊勢崎市内で建設作業を請け負ってる会社の中からワタシたちが探している小松崎さんが所属しているらしい会社を割り出した探偵さんからのメールが届いた。
「まあ、作業申請などは市役所とかのサイトから誰でも確認できますからね。問題は彼を発見したとしてそれを説得できるかどうかですね」
「そうですね……」
正直気が重かった。
あの日、萌火センパイから過去の話を聞かされた時、ワタシは彼女に協力を申し出た。
具体的に言えば、1m 98cmのハイジャンプを成功させるためにセンパイにはトレーニングに専念してもらい、その間にワタシたちは彼女のコーチで今は消息不明となっている小松崎さんを探し出し、センパイの挑戦を見届けてもらうよう説得する、という役割分担だ。
だけど、小松崎さんは萌火センパイがセックスアイドルをしていると知ったらどう思うんだろう?
自分の犯した過ちのせいで彼女がその道を選ばざるを得なくなった、と感じて自らを責めてしまうんじゃないだろうか。
萌火センパイとの連絡手段をすべて絶って姿を消し、群馬で建設作業員として働いているのだから彼女からも陸上からも距離を置いているんだろう。
──何て声かけたらいいんだろう?
ワタシなんかが声かけたところで、萌火センパイの気持ちをうまく伝えられる自信が無かった。
「説得しなければ、とか無理に気負う必要はありませんよ」
ふと、プロデューサーさんがワタシの心情を察したかのような言葉をかけた。
「結局はお互いの気持ちの問題です。他人の気持ちなんて第三者がどれほど騒いだところでどうにかなるものではないのですから。我々の役目はただ萌火さんのメッセージを伝えるだけですよ」
「そう……ですね」
ワタシは力を抜くようにひとつため息を吐いた。
それは考えてみれば当たり前のことだ。他人の気持ちをどうこうしようなんて実におこがましいことだし、それこそ余計なお世話なのだ。
──ワタシはただメッセージを伝えるだけ。
そう思うと自然と緊張が解けてゆく。
「プロデューサーさん、ありがとうございます」
「いいえ……」
礼を述べると彼は短く答える。
いつもどおりの端的でそっけない反応。だけどそれこそが実に彼らしい不器用な優しさであるのを知っているワタシは、逆にうれしく感じるのだった。
そして車は市内を駆け抜け、大きな橋の手前にあるとある建設現場へと到着する。
そこは持倉建設が請け負っている現場で、マンションの建設予定地だった。
近場に車を停車させ、ワタシたちは建設現場へと赴く。
お昼時ということもあって、現場に設置されたプレハブ小屋の中で作業員たちがちょうど昼食を摂ったり煙草を吸ったりとくつろいでいるところだった。
「すみません、お休み中のところ失礼します」
プロデューサーさんが開け放しの小屋の中に踏み出し、声をかける?
「ん? どしたい、あんちゃん?」
責任者らしき中年男性が煙草をふかしながら怪訝そうな顔で訊ねる。
他の血気盛んそうな作業員たちも、訝しげな鋭い眼差しでプロデューサーさんを威嚇するように睨む。
「こちらに小松崎さんはいらっしゃいませんか?」
だけどプロデューサーさんはまったく意に介すること無く話を続ける。
「人にものを訊ねる時は──」
中年男性は煙草を吸い殻に押し付けて立ち上がり、プロデューサーさんの方へ歩み寄ると、
「まず自分の方から名乗りましょう、って学校で習わなかったかい、あんちゃん?」
ドスの聞いた声で下から思いきり睨み上げる。
彼の背後に立つワタシは、気が気ではなくおろおろとしてしまう。
「すみません。俺は海外暮らしが長かったものでそういった習性があるとは知りませんでした」
プロデューサーさんは声色ひとつ変えずに頭を下げると、
「俺は佐渡原と申します。セックスアイドルのプロデューサーをしております」
そう言って懐から紙の名刺を取り出し、彼に差し出す。
「ほう。そのセックスアイドルのプロデューサーさんが何で小松崎を訪ねて来たのかは知らねえけど──」
彼はそれを受け取って胸元のポケットに仕舞い、
「アイツはたぶんコンビニにいると思うぜ。いつもひとりでいる変わり者だからな」
そう言ってプロデューサーさんの肩をポンと叩き、元いた場所へと戻ってゆく。
「ありがとうございました」
プロデューサーさんは一礼し、
「さあ、行きましょう」
プレハブ小屋を後にした。
コンビニは建設現場から通りを挟んですぐの場所にあった。
ワタシたちはそこに向かうと、建物の横側にある空きスペースに座りこみ、コンビニ弁当を食べている作業服姿の男性の姿があった。
──あれが小松崎さん?
ワタシは意を決して彼の方へと向かう。
「俺が話をしましょうか?」
プロデューサーさんがそう言ってくれたけどワタシはかぶりを振った。
「ワタシが話をします。萌火センパイの言葉を預かったのはワタシですから」
「……わかりました」
プロデューサーさんはそう言うと、スッと一歩引いてワタシの後ろにつく。
「突然すみません。小松崎さんでよろしかったでしょうか?」
ワタシは彼の側に立ち、そう訊ねる。
彼はぴたりと食事の手を止めて横目でこちらを見やるが、何も答えずにすぐに食事を再開する。
当然のことだけど、こちらを警戒しているんだと思う。
「ワタシは萌火さんの後輩で水地と申します。覚えてますよね? 虹橋萌火さんのことを」
「萌火ッ!?」
その名を耳にした瞬間男性は明らかに動揺し、食事を中断して目を虚空に漂わせる。
先ほどの質問には返答は無かったものの、この反応だけでも彼が件の人物、小松崎ナオト本人に間違いないみたいだ。
萌火センパイから聞いていたとおり整った顔立ちの美青年ではあったけど、浅黒く灼けた肌とひび割れた手肌は、現場作業特有の過酷さを物語っていた。
──今のこの姿、萌火センパイが見たらどう思うんだろう?
そんなことを考えながらも、ワタシは話を続けた。
「萌火センパイはアナタのことをずっと探していました。会って謝りたいって言ってました」
「萌火が? 謝る? ウソだッ!!」
彼は立ち上がり、突然ヒステリックに叫び出した。
「俺はあのコを傷つけた。輝かしい将来を台無しにしてしまった。そのせいでセックスアイドルに堕ちてしまった……。それなのに、何であのコが謝ることがあるんだッ!!」
「……知っていたんですね? 萌火センパイがセックスアイドルとして活動していることを……」
彼はまるで電池が切れたように再びその場に座りこむと、
「……萌火とはもう2度と会うことのないように連絡手段を絶った。過去をすべて捨てて人生をやり直すために俺はここまでやって来たんだ。もう放っておいてくれないか?」
膝を抱えてうずくまり、大きくかぶりを振った。
──やっぱり罪の意識に囚われていて、あの事件の時から一歩も前へ進めていないんだ。
萌火センパイが彼に望んでいるのは謝罪でも贖罪でもなく、自身の力で新たな人生を切り拓いてくれることだ。
だけどこのままそれを伝えたところで、さっきみたいに拒絶反応を起こされてしまったら気持ちを素直に受け取ってもらうことはできない。
思案したワタシは、ずっと抱えていた疑問を彼にぶつけてみることにした。
「ひとつだけ聞かせてください。センパイが高校最後の全国大会を控えたあの日、なぜアナタは野外で彼女を襲ったのですか?」
「ッ!!」
その時、彼の肩が痙攣したようにビクッと震える。
「……正直、わからないんだ。俺は何であの時、あんなことをしてしまったのか」
しばらくの沈黙の後、彼は静かに語り出した。
「だけど、本当はこうなることを願っていたのかも知れない……。胸の奥底に、彼女をメチャクチャにしてやりたいという醜い願望があったのかも知れない」
「え?」
ワタシは首をかしげた。
ワタシが萌火センパイから聞いた限りでは、彼はとても用心深くてセンパイに対しての気遣いもできる好青年という印象しか無かった。
だけど、実際に彼の口から出た言葉はそんな印象を大きく覆すものだった。
「萌火はまるで真夏の太陽だった。彼女の性欲は日に日に増幅してゆき、俺はだんだんと身も心も焦がされてしまった……。彼女の愛をこれから先も受け止めていける自信が無くなってしまったんだ。だからすべてを壊そうと、あんなことを……」
「……」
まるで懺悔をするように語る彼のその言葉に、ワタシはショックを受けた。
いや、違う。それを萌火センパイが知った時のことを想像して心が傷んだんだ。
だけど──
だからこそ──
「小松崎さん。アナタはやっぱりセンパイに会うべきです。ううん、会わなければならないんです。ホントにその時のことを悔いているのなら、なおさらです!」
ワタシは叱咤するように叫んだ。
「しかし……」
「萌火センパイは今、1m 98cmの壁を超えようと毎日トレーニングしてます。もう大会で跳ぶことはできないのに、公式の記録として残ることは無いのに、それでも彼女は挑戦しようとしているんです。何故だかわかりますか?」
「萌火がハイジャンプを? 何故だ!?」
彼は驚いたように目を剥く。
「それは、彼女があの事件の時から止まってしまった運命の時計を動かして前に進むため。そして、それをアナタに見届けてもらってアナタ自身にも前に進んでもらうためですよ」
「ッ!!」
彼は開口したまま言葉を失っていた。
「どうか向き合ってください。萌火センパイに。それと、アナタ自身の運命と……」
伝えることはすべて伝えたワタシは、ふぅ、と大きくため息を吐いた。
そして今度はプロデューサーさんが彼の前に進み出て、
「来月に萌火さんのイベントがあって、彼女はそこでハイジャンプを行います。本来であればきちんと申し込みと抽選を経てもらいたいところですが、1枚だけは特別枠ということでアナタの分のチケットを用意しました」
そう言って懐から紙のチケットを取り出し、それを差し出す。
彼は最初は手を伸ばそうとするが、ついには手を引っこめて顔を伏せてしまう。
「もちろん、来る来ないはアナタの自由です。ですが、このチケット1枚売るためにも彼女が体を張って頑張っていることを忘れないでください」
プロデューサーさんそう言って彼の目の前にチケットを置き、踵を返して引き返してゆく。
ワタシはもう1度小松崎さんに目をやってから、その後を追った。
こうしてワタシたちは再び車に乗り込んで群馬県を後にし、東京への帰路に着いた。
「……小松崎さん、来てくれますかね?」
眼下を流れる壮大な利根川を眺めながら、ワタシはポツリとひとりごとのようにつぶやいた。
「わかりません。わかりませんけど、我々はやれることはすべてやった。結果がどうあれ、それはそれでひとつの決着ということでよろしいのではないでしょうか?」
プロデューサーさんはまっすぐ前を見すえながら、静かな口調で答えた。
「そう……ですね」
ついつい結果ばかりを追い求めてしまうワタシには、それで自分自身を完全に納得させることは難しかったけど、それでも重かった気が少し晴れたような気がした。
「群馬県、今度は旅行で来たいですね?」
ふと、何気なくつぶやいたワタシの言葉に、
「そうですね」
プロデューサーさんは少し微笑みながら答えてくれたのだった。
関東自動車道を経由して埼玉県の本庄児玉インターチェンジを降りるとすぐに利根川を跨ぐ坂東大橋があり、それを渡ればそこはもう群馬県の伊勢崎市だった。
「群馬県って結構近いんですね? 山が険しくてもっと時間がかかる場所だと思ってました」
工場や住宅地が多く立ち並ぶ街並みを眺めながらつぶやく。
「北部だったらそうでしょうね。でも伊勢崎市は埼玉県に隣接してますからね。交通の弁は良い方ですよ」
時々ナビに目をやりながら、プロデューサーさんが言う。
「小松崎さんがいると思われる持倉建設が今請け負ってる作業現場は2箇所、か。でも、丁嵐さんスゴいですね。こんなに早く割り出せるなんて」
ワタシたちが東京を発って間も無く、プロデューサーさんのスマホに、群馬県伊勢崎市内で建設作業を請け負ってる会社の中からワタシたちが探している小松崎さんが所属しているらしい会社を割り出した探偵さんからのメールが届いた。
「まあ、作業申請などは市役所とかのサイトから誰でも確認できますからね。問題は彼を発見したとしてそれを説得できるかどうかですね」
「そうですね……」
正直気が重かった。
あの日、萌火センパイから過去の話を聞かされた時、ワタシは彼女に協力を申し出た。
具体的に言えば、1m 98cmのハイジャンプを成功させるためにセンパイにはトレーニングに専念してもらい、その間にワタシたちは彼女のコーチで今は消息不明となっている小松崎さんを探し出し、センパイの挑戦を見届けてもらうよう説得する、という役割分担だ。
だけど、小松崎さんは萌火センパイがセックスアイドルをしていると知ったらどう思うんだろう?
自分の犯した過ちのせいで彼女がその道を選ばざるを得なくなった、と感じて自らを責めてしまうんじゃないだろうか。
萌火センパイとの連絡手段をすべて絶って姿を消し、群馬で建設作業員として働いているのだから彼女からも陸上からも距離を置いているんだろう。
──何て声かけたらいいんだろう?
ワタシなんかが声かけたところで、萌火センパイの気持ちをうまく伝えられる自信が無かった。
「説得しなければ、とか無理に気負う必要はありませんよ」
ふと、プロデューサーさんがワタシの心情を察したかのような言葉をかけた。
「結局はお互いの気持ちの問題です。他人の気持ちなんて第三者がどれほど騒いだところでどうにかなるものではないのですから。我々の役目はただ萌火さんのメッセージを伝えるだけですよ」
「そう……ですね」
ワタシは力を抜くようにひとつため息を吐いた。
それは考えてみれば当たり前のことだ。他人の気持ちをどうこうしようなんて実におこがましいことだし、それこそ余計なお世話なのだ。
──ワタシはただメッセージを伝えるだけ。
そう思うと自然と緊張が解けてゆく。
「プロデューサーさん、ありがとうございます」
「いいえ……」
礼を述べると彼は短く答える。
いつもどおりの端的でそっけない反応。だけどそれこそが実に彼らしい不器用な優しさであるのを知っているワタシは、逆にうれしく感じるのだった。
そして車は市内を駆け抜け、大きな橋の手前にあるとある建設現場へと到着する。
そこは持倉建設が請け負っている現場で、マンションの建設予定地だった。
近場に車を停車させ、ワタシたちは建設現場へと赴く。
お昼時ということもあって、現場に設置されたプレハブ小屋の中で作業員たちがちょうど昼食を摂ったり煙草を吸ったりとくつろいでいるところだった。
「すみません、お休み中のところ失礼します」
プロデューサーさんが開け放しの小屋の中に踏み出し、声をかける?
「ん? どしたい、あんちゃん?」
責任者らしき中年男性が煙草をふかしながら怪訝そうな顔で訊ねる。
他の血気盛んそうな作業員たちも、訝しげな鋭い眼差しでプロデューサーさんを威嚇するように睨む。
「こちらに小松崎さんはいらっしゃいませんか?」
だけどプロデューサーさんはまったく意に介すること無く話を続ける。
「人にものを訊ねる時は──」
中年男性は煙草を吸い殻に押し付けて立ち上がり、プロデューサーさんの方へ歩み寄ると、
「まず自分の方から名乗りましょう、って学校で習わなかったかい、あんちゃん?」
ドスの聞いた声で下から思いきり睨み上げる。
彼の背後に立つワタシは、気が気ではなくおろおろとしてしまう。
「すみません。俺は海外暮らしが長かったものでそういった習性があるとは知りませんでした」
プロデューサーさんは声色ひとつ変えずに頭を下げると、
「俺は佐渡原と申します。セックスアイドルのプロデューサーをしております」
そう言って懐から紙の名刺を取り出し、彼に差し出す。
「ほう。そのセックスアイドルのプロデューサーさんが何で小松崎を訪ねて来たのかは知らねえけど──」
彼はそれを受け取って胸元のポケットに仕舞い、
「アイツはたぶんコンビニにいると思うぜ。いつもひとりでいる変わり者だからな」
そう言ってプロデューサーさんの肩をポンと叩き、元いた場所へと戻ってゆく。
「ありがとうございました」
プロデューサーさんは一礼し、
「さあ、行きましょう」
プレハブ小屋を後にした。
コンビニは建設現場から通りを挟んですぐの場所にあった。
ワタシたちはそこに向かうと、建物の横側にある空きスペースに座りこみ、コンビニ弁当を食べている作業服姿の男性の姿があった。
──あれが小松崎さん?
ワタシは意を決して彼の方へと向かう。
「俺が話をしましょうか?」
プロデューサーさんがそう言ってくれたけどワタシはかぶりを振った。
「ワタシが話をします。萌火センパイの言葉を預かったのはワタシですから」
「……わかりました」
プロデューサーさんはそう言うと、スッと一歩引いてワタシの後ろにつく。
「突然すみません。小松崎さんでよろしかったでしょうか?」
ワタシは彼の側に立ち、そう訊ねる。
彼はぴたりと食事の手を止めて横目でこちらを見やるが、何も答えずにすぐに食事を再開する。
当然のことだけど、こちらを警戒しているんだと思う。
「ワタシは萌火さんの後輩で水地と申します。覚えてますよね? 虹橋萌火さんのことを」
「萌火ッ!?」
その名を耳にした瞬間男性は明らかに動揺し、食事を中断して目を虚空に漂わせる。
先ほどの質問には返答は無かったものの、この反応だけでも彼が件の人物、小松崎ナオト本人に間違いないみたいだ。
萌火センパイから聞いていたとおり整った顔立ちの美青年ではあったけど、浅黒く灼けた肌とひび割れた手肌は、現場作業特有の過酷さを物語っていた。
──今のこの姿、萌火センパイが見たらどう思うんだろう?
そんなことを考えながらも、ワタシは話を続けた。
「萌火センパイはアナタのことをずっと探していました。会って謝りたいって言ってました」
「萌火が? 謝る? ウソだッ!!」
彼は立ち上がり、突然ヒステリックに叫び出した。
「俺はあのコを傷つけた。輝かしい将来を台無しにしてしまった。そのせいでセックスアイドルに堕ちてしまった……。それなのに、何であのコが謝ることがあるんだッ!!」
「……知っていたんですね? 萌火センパイがセックスアイドルとして活動していることを……」
彼はまるで電池が切れたように再びその場に座りこむと、
「……萌火とはもう2度と会うことのないように連絡手段を絶った。過去をすべて捨てて人生をやり直すために俺はここまでやって来たんだ。もう放っておいてくれないか?」
膝を抱えてうずくまり、大きくかぶりを振った。
──やっぱり罪の意識に囚われていて、あの事件の時から一歩も前へ進めていないんだ。
萌火センパイが彼に望んでいるのは謝罪でも贖罪でもなく、自身の力で新たな人生を切り拓いてくれることだ。
だけどこのままそれを伝えたところで、さっきみたいに拒絶反応を起こされてしまったら気持ちを素直に受け取ってもらうことはできない。
思案したワタシは、ずっと抱えていた疑問を彼にぶつけてみることにした。
「ひとつだけ聞かせてください。センパイが高校最後の全国大会を控えたあの日、なぜアナタは野外で彼女を襲ったのですか?」
「ッ!!」
その時、彼の肩が痙攣したようにビクッと震える。
「……正直、わからないんだ。俺は何であの時、あんなことをしてしまったのか」
しばらくの沈黙の後、彼は静かに語り出した。
「だけど、本当はこうなることを願っていたのかも知れない……。胸の奥底に、彼女をメチャクチャにしてやりたいという醜い願望があったのかも知れない」
「え?」
ワタシは首をかしげた。
ワタシが萌火センパイから聞いた限りでは、彼はとても用心深くてセンパイに対しての気遣いもできる好青年という印象しか無かった。
だけど、実際に彼の口から出た言葉はそんな印象を大きく覆すものだった。
「萌火はまるで真夏の太陽だった。彼女の性欲は日に日に増幅してゆき、俺はだんだんと身も心も焦がされてしまった……。彼女の愛をこれから先も受け止めていける自信が無くなってしまったんだ。だからすべてを壊そうと、あんなことを……」
「……」
まるで懺悔をするように語る彼のその言葉に、ワタシはショックを受けた。
いや、違う。それを萌火センパイが知った時のことを想像して心が傷んだんだ。
だけど──
だからこそ──
「小松崎さん。アナタはやっぱりセンパイに会うべきです。ううん、会わなければならないんです。ホントにその時のことを悔いているのなら、なおさらです!」
ワタシは叱咤するように叫んだ。
「しかし……」
「萌火センパイは今、1m 98cmの壁を超えようと毎日トレーニングしてます。もう大会で跳ぶことはできないのに、公式の記録として残ることは無いのに、それでも彼女は挑戦しようとしているんです。何故だかわかりますか?」
「萌火がハイジャンプを? 何故だ!?」
彼は驚いたように目を剥く。
「それは、彼女があの事件の時から止まってしまった運命の時計を動かして前に進むため。そして、それをアナタに見届けてもらってアナタ自身にも前に進んでもらうためですよ」
「ッ!!」
彼は開口したまま言葉を失っていた。
「どうか向き合ってください。萌火センパイに。それと、アナタ自身の運命と……」
伝えることはすべて伝えたワタシは、ふぅ、と大きくため息を吐いた。
そして今度はプロデューサーさんが彼の前に進み出て、
「来月に萌火さんのイベントがあって、彼女はそこでハイジャンプを行います。本来であればきちんと申し込みと抽選を経てもらいたいところですが、1枚だけは特別枠ということでアナタの分のチケットを用意しました」
そう言って懐から紙のチケットを取り出し、それを差し出す。
彼は最初は手を伸ばそうとするが、ついには手を引っこめて顔を伏せてしまう。
「もちろん、来る来ないはアナタの自由です。ですが、このチケット1枚売るためにも彼女が体を張って頑張っていることを忘れないでください」
プロデューサーさんそう言って彼の目の前にチケットを置き、踵を返して引き返してゆく。
ワタシはもう1度小松崎さんに目をやってから、その後を追った。
こうしてワタシたちは再び車に乗り込んで群馬県を後にし、東京への帰路に着いた。
「……小松崎さん、来てくれますかね?」
眼下を流れる壮大な利根川を眺めながら、ワタシはポツリとひとりごとのようにつぶやいた。
「わかりません。わかりませんけど、我々はやれることはすべてやった。結果がどうあれ、それはそれでひとつの決着ということでよろしいのではないでしょうか?」
プロデューサーさんはまっすぐ前を見すえながら、静かな口調で答えた。
「そう……ですね」
ついつい結果ばかりを追い求めてしまうワタシには、それで自分自身を完全に納得させることは難しかったけど、それでも重かった気が少し晴れたような気がした。
「群馬県、今度は旅行で来たいですね?」
ふと、何気なくつぶやいたワタシの言葉に、
「そうですね」
プロデューサーさんは少し微笑みながら答えてくれたのだった。
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