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第1章
第1章 Act.1
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第1章 Act.1 3月7日(火)
"ピピピピピピピピ"
電子アラームが鳴っている。
ということは、朝。
「うー……ん」
起き抜けのかすれた声でうめきつつ手探りで目覚まし時計に指をのばして、上のボタンを押して黙らせた。
六時を示しているはず。
あー、もうちょっと寝てたいな。三月になったって、まだ寒い。
でも、ぐずぐずして遅刻したくないし。
あん、もう!
ばっと思い切りよく布団をはねのけて上着を羽織ると朝食の支度をしに台所へ。
途中の廊下で洗面所に寄って洗顔、軽く髪を梳かしながら鏡で顔もチェックする。
今日も可愛い砂野姫雪ちゃんがハツラツとした笑顔で映ってますよ。
姫雪と書いてキセツと読む。
珍しい、ってよく言われる。父さんが姫子、母さんは雪子、って主張して、折り合いつけたのが姫雪だったって。ま、良いけどね。
でも誕生日は冬じゃなくて五月七日。これもなんで、ってよく訊かれる。
ん? 七日……? なんか今、頭のなかで引っかかったけど……?
ミィ~
足元にすり寄る温かい存在と鳴き声に、私は我に返って鏡から離れた。
「ミルクね、ちょっと待って」
台所へ向かう後ろから小さな気配が追ってくる。
名前はネコくん。
私の家で飼ってた猫一家の唯一の生き残り。トラネコの、メス。
メスだけど君づけなのは、仮り名がそのまま定着しちゃったせいだ。生まれてからニ年……になるんだけど、なんでこんなに小さいんだろ? 食事も運動もちゃんとしてるし、病気もしてないのに。
やんちゃで、たまに玄関脇につけられた猫専用の出入口から外にだって散歩に行っちゃうんだ。この近所にノラネコはいないのか、ネコくんが世渡り上手なのか、平気な顔で帰ってくるから心配はしていない。
丈夫で元気であんまり成長していないってところ、考えてみると私と同じなのよね……変なところが飼い主に似ちゃったな。
「はい、お待ちどう」
ネコくんの朝食は、私の都合で一年前からずっとミルク。
私のほうは、これも一年前から毎朝変わらずトーストとカフェオレ。
このせいかな? 私とネコくんが小柄なのは。私は百五六センチ、四六キロ。クラスじゃ小さいほうだ。ひょっとして栄養足りてない?
いや、でも健康だから。
さてと。学校へ行ってこよう。
「ネコくん、じゃ、ね。また夕方ね」
「ミィ~」
おお? 返事をしてくれるなんて機嫌が良いのかな。
で、しっかり戸締まりして、近くの駅まで。徒歩十分の道のり。十五分電車に乗って、バスで五分。
ロスがなければ待ち時間込で一時間で学校に着く。
一本逃すと、十五分遅れる。
高校は公立で、全日制の普通科。四階建ての校舎が二棟あって、校庭がとても広い。
私は二年C組。三階廊下の端からニ番目だ。ニ学年はD組まである。学力別編成というわけじゃない。
席は窓際一番前。あ、視力が左右0.3で新学期最初の席順を決める時に担任が考慮してくれたんだ。銀フレームのメガネが必須です。最悪、メガネがなくてもこの位置からなら板書が読める。
三限目は数学だった。
数字には強いほうだ。
ただ……。
担当教諭、松山、自称三八歳、独身。
この先生あんまり好きじゃない。生徒のあいだで評判も良くない。
黙って立っていれば物静かそうな印象なんだけど、生徒の態度が悪いとすぐ怒る。もちろん体罰はないし、授業中に怒鳴るなんてことはしない。勉強に集中してない生徒を見かけたら即放課後呼び出し、職員室で二時間は説教されてしまう。よくそこまで怒りパワーが持続するよね。
成績が優秀ならあからさまに贔屓もあったりするんで、その辺が俗物。
教育熱心ともまた違う気がする。
話がずれるけど、三日後は三年生の卒業式だ。
本当なら今日から短縮日課で自習ばかりになるはずが、今年から方針を変えて卒業式前日まで普通日課ってことになった。教育委員会で決まったとか授業時間の確保がどうとかなんとか?
おかげでみんな多少ヤケ気味。椅子に斜めに坐っちゃったり、教科書なんて開きもしない。宿題なんか出されようものならブーイングの嵐になる。
でも数学だけは。
静まり返った教室内に、松山先生の声と板書の音だけが聞こえている。
ちょこっとでも怒らせたら怖いからね。みんな数学だけは授業に集中しようと見せかけだけでも努力してるっていうわけ。
もちろん私だってその一人。特に日当たりの良い春先の窓際って、ポカポカしてるじゃない。気合入れてないと、眠くなっ……ちゃう……よね……。
ん?
あの男がいる。
黒づくめの格好した、小枝と丸太。
他にも、同じ格好をした人物が三人いる。
ここは。地下室? 五つの黒い椅子が取り囲んでいる黒いテーブルに、大きな四角い印刷物が……地図かな。
「ヤツは一体、どこにもぐり込んだんだ。そっちは、ちゃんと探したんだろうな」
こう言ったのは、私からよく見える正面の位置に坐っていた丸太だった。
喋るたびに椅子が軋んでるよ! 肘掛けつきの椅子に横幅が無理やり収まっているような気がする。ちゃんと立てるんだろうか。
「もちろんだ。見落としはないはずだから、次は南側を探せばいい。それでいなければ、"外"だな」
そと……?
私は考えつつ、答えた男に目を移す。
丸太の横に坐ってる……うっわー、不気味! 背丈ニメートル以上ありそう。座高がおそろしい事になってる。横幅が小枝と同じくらいに見えるから、トーテムポールの人間版て感じ。頭は普通サイズらしい。黒い帽子の鍔に隠れて、丸太を見下ろす表情は私からは窺えない。
「だがあと百五九時間だぞ。手がかりはあるのか?」
やたら時間を気にしてるのは小枝。丸太を挟んで反対側に坐っているトーテムポールがまた答えた。
「ひとつだけな。ヤツと組んでる女がいるはずなんだ。見た者がいる。これがその似顔絵だ」
そう言って、懐から取り出した紙を一枚、広げながら地図の上に乗せた。
思わず眉間にあてた私の指が空を切った。あれ、メガネ掛けてなかったのか。でも良く見える。
絵は、どうやら女性のバストアップだった。赤いスタジャンのジッパー開けて、下に白いTシャツ着てる。ストレートの黒い髪が肩におりてて、顔は……あれ!?
「嘘! 私?」
間違いなく。似顔絵とはいえ、あれは私よね。今着てる服も……赤いスタジャンだし。
一瞬、茫然自失して、気がつくと男達がみんな立ち上がってこっちを見ていた。
しまった、見つかった!
探るような目線が敵意を孕んでいる。こうなると、どうも彼らは正義の味方という感じじゃない。早く逃げよう。なんだか知らないけど、私は追われている身らしいし。
で、辺りを見回して、ここが地下室の壁に取り付けられた回廊だと分かった。
手すりから下を覗き込んで……んー、三メートルはあるな。
「あの女だ、つかまえろ!」
「そっちへ回れ、俺はこっちから」
「うっ、撃つぞ! おとなしくそこで待ってろ!」
下から黒光りする固まりを両手で構える男、銃なんて、そんな物騒な。
あん? どこ狙ってるの? あれじゃ私には当たらないな。
ん……それじゃ、ね。ここは、まぁ。ひとつ。
「よ、っしょ、っと」
目の前の手すりを乗り越えて、飛び降りた。
すとん。
着地成功。
膝でワンクッション、沈み込んだ体勢から片手で床を押し戻し、反動で立ち上がる。
間髪入れず、後ろから撃鉄を起こす金属音、振り向きざま、テーブルの向こう側から構えたままの銃口を横目に捉えて数センチ左に身を躱す。銃声とほぼ同時、右側を弾が一発、抜けていった。
「ん……な、ばかな」
あ、私を撃ったの、小枝だったのか。さっきの誰かよりは腕が確かみたいね。
「この……っ、女のくせに」
テーブルの脇から丸太が勢い込んで飛びかかってきた。
うん、最初に銃を構えてたの、この人。
私は身を翻して出口まで走る。
女のくせに?
そのセリフ、ちょっといただけない。
でも反撃はよしておこう。いくら私だって、推定体重百キロ超にのしかかられちゃ、たまらない。ここは逃げるが勝ち。
「待てー!」
みるみる遠ざかる、背後からの男達の怒声。
わ、私、こんなに足速かったかな?
でもどのみち、このままじゃ捕まってしまう。なんたってここがどこなのか分からないし。参ったな。挙句、走り込んだ先は行き止まり。そんなぁ!
「おい、キセツ! こっち」
「え?」
ひょい、と見上げると天井すれすれ……ざっと高さ四メートルくらい? 通気口らしい四角い網の一辺をぶら下げた穴が開いてる。
私は一瞥して見据え、小さく踵を蹴って、ジャンプした。両手を伸ばして通気口に飛び込む。
「よぉ。相変わらずだな」
「なんだ。ユーキだったの」
肩から私を引っ張り込んでくれたのは、知り合いだった。
彼、歳は私と同じくらいだと思う。身長は百七十ちょっとかな。中肉中背、引いてくれた腕は力強く、触れた手が温かい。ニヤついた表情は茶目っ気があって、意志の強そうな瞳をして顔の造作も悪くないから、女の子ウケは良さそうな感じ。
「なんだ、はないだろ。久しぶりだってのに」
「ごめん。十日ぶりくらい?」
網を戻して通気口を塞ぎながら、彼、ユーキは気さくな雰囲気で苦笑しながらブツブツと続けて。
「まったく、ドジなんだから気をつけろよ。敵スパイして見つかるなんて、危なっかしいっつかキセツらしいっつか」
「捕まってないんだから良いじゃ……ん? 敵って? じゃあ追われてるのって」
今は私が追われてる身だけど、そもそも黒づくめの男達が探してたのは。
「うん、オレらしい、な。どうやら」
「らしいって。何やったの」
人のことドジ呼ばわりして、いつもそつなくスマートに行動してるユーキが困った状況に置かれてるとか?
私は心配の前に疑問符を浮かべてみせる。
ところがユーキはこの質問を無視した。
「早いとこ逃げたほうが良い。オレもそろそろ……。このビル、敵の本拠地だからな」
「どうして追われてるの?」
「んー」
相槌というか短く唸って、ユーキは黙った。それから、片側だけ頬を歪めて口角を上げ、ニヤっと。私の瞳を覗き込んで。
「連中が言うには、オレの罪名、『殺人』なんだっ――」
「ええ!?」
叫んだ私のくちを慌ててユーキ、左手でふさいだ。通気口は当然ながら天井が低く、私達は膝を付きあわせて向かい合ってしゃがんだ格好だ。ユーキはそのまま上体をこちらに寄せて、耳元で言った。
「シィ、騒ぐなよ。見つかるだろ」
だって。ユーキが? 殺人? なんでそんなことになってるの。
押さえられた口元を動かせず目だけで問うのに、ユーキは右手で私の頭をポンと叩いた。
「とにかく、早く逃げろよ。じゃ、オレは用があるから、またな」
え? ちょっと、ユーキはどこに行くのよ。
「待っ――」
「――野、砂野、起きろって」
左肘を、誰かがつついた。ん? ……りゅうさん?
「コラッ! 砂野姫雪!」
「きゃ!?」
右耳がキーン。うー、鼓膜が……。
あれ? 今の声!?
私、ガバッと顔を上げた。机の右側に……ひぇ、松山先生。
「俺の授業で眠るとは。どうなるか分かってるんだろうな」
顔は笑っているけど、威圧感がスゴイ。目が笑ってない。放課後、職員室……お説教、たっぷり二時間……。
「今日、放課」
"キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコー……"
余韻もたっぷりに、チャイムが鳴り響く。
松山先生は顔をしかめ、私を睨んだ。
「砂野、今日のところは許してやろう。次は分かってるな」
「ハイ」
た、助かった。
休み時間になって、後ろの席から声がかかった。
「砂野。良かったな、かなり熟睡してたみたいだけど。何か夢、見た?」
振り返ると青いジャージ姿のりゅうさんがにこやかに坐っていて。
彼は広沢隆、タカシだけど法隆寺のリュウだっていう自己紹介からりゅうさんて呼ばれてる。身長だいたい百七十センチ、やや痩身で肌色は白いがバランスのとれた体格をしていて、パッと見は頭脳派スポーツマンタイプ。誕生日は来月だそうな。新学期に切り替わってすぐだと、せっかく親しくなったクラスの女の子とも離れてしまい誕生日プレゼントがあんまりもらえないんだってボヤいてた。
でも先月のバレンタインデーでは好成績だったらしい。ホワイトデーのお返しを間違えなければ彼女もできるんじゃないのと私は生温かく見守っている。
ちなみにお返しの内容について相談されたが速攻でパスした。私だって同班のよしみで義理チョコは渡しているのだから自分で考えていただきたい。それに一緒に悩んで他の女の子達の反感を買うとか遠慮したいので。
「うーん? とね……」
ところで夢。夢か。
あ、りゅうさんが人の夢について尋ねるのは、いつもの事。この人、運動部ではなく、なぜか潜在意識研究部っていうけったいな文化部の副部長をやっていて、特に寝てる時に見る夢に興味を持ってるんだって。
私はたいていの夢を覚えているほうで、一度りゅうさんに色がついてたり感触が残ってたりすることもあるのだと話したら研究対象にされてしまったらしい。
だけど……。
「思い出せないならいいよ。短時間でも見れるはずだけど、覚えてないことも普通なんだし」
「ううん、思い出した。ほら、よく出てくるって言ってた男の子」
長く唸ってた私に見かねてりゅうさんがフォローをくれたけど、私は笑顔で手を叩いた。
確か名前があったと思う。けど起きると顔さえ覚えてない。たぶん純粋に夢の中だけの登場人物で、現実の誰かっていうわけじゃないんだ。そんな印象。優しくて、格好良くて、腕っぷしも良い。
りゅうさんに言わせると、私がその男の子を特に認識してるのは理想を反映してるからなんだって。そうかな?
「へぇ? どんな内容?」
「えっとね。私が高い所から飛び降りて、走ってたら助けてくれて」
助けて……くれたよね。なんか銃で狙われた覚えがあるし? 私ってば犯罪に遭遇してたのかな。
「走ってて助けられた? 逃げる夢か? それだけ?」
「なんか話もした。そう、『殺人』……?」
「さ、つ!?」
物騒だな、とりゅうさんが言葉を呑む。以前は推理劇場のような夢も披露したことがある私の話だから、りゅうさんは眉根を寄せつつ言葉を続けた。
「事件に巻き込まれて犯人に追われてたってことか?」
「逃げろ、とは言われたような……でも、追われてたのは私じゃなかった気が」
「??」
夢なんだからね。整合性を求めないでよ。
けど夢なんだから、で片付けないのがりゅうさんの研究ということらしい。
首を傾げて考え込む彼に、切り上げてもいいものか悩んでいると、教壇を歩いてきた由佳が呼びかけてきた。
「りゅうさん、宮っちが呼んでる」
彼女は坂井由佳。私とも親しいクラスメイトだ。宮っちっていうのは担任の宮間先生のこと。
ん、とりゅうさんは顔を上げ、私に軽く手を振った。
「じゃ、砂野、またあとで」
"ピピピピピピピピ"
電子アラームが鳴っている。
ということは、朝。
「うー……ん」
起き抜けのかすれた声でうめきつつ手探りで目覚まし時計に指をのばして、上のボタンを押して黙らせた。
六時を示しているはず。
あー、もうちょっと寝てたいな。三月になったって、まだ寒い。
でも、ぐずぐずして遅刻したくないし。
あん、もう!
ばっと思い切りよく布団をはねのけて上着を羽織ると朝食の支度をしに台所へ。
途中の廊下で洗面所に寄って洗顔、軽く髪を梳かしながら鏡で顔もチェックする。
今日も可愛い砂野姫雪ちゃんがハツラツとした笑顔で映ってますよ。
姫雪と書いてキセツと読む。
珍しい、ってよく言われる。父さんが姫子、母さんは雪子、って主張して、折り合いつけたのが姫雪だったって。ま、良いけどね。
でも誕生日は冬じゃなくて五月七日。これもなんで、ってよく訊かれる。
ん? 七日……? なんか今、頭のなかで引っかかったけど……?
ミィ~
足元にすり寄る温かい存在と鳴き声に、私は我に返って鏡から離れた。
「ミルクね、ちょっと待って」
台所へ向かう後ろから小さな気配が追ってくる。
名前はネコくん。
私の家で飼ってた猫一家の唯一の生き残り。トラネコの、メス。
メスだけど君づけなのは、仮り名がそのまま定着しちゃったせいだ。生まれてからニ年……になるんだけど、なんでこんなに小さいんだろ? 食事も運動もちゃんとしてるし、病気もしてないのに。
やんちゃで、たまに玄関脇につけられた猫専用の出入口から外にだって散歩に行っちゃうんだ。この近所にノラネコはいないのか、ネコくんが世渡り上手なのか、平気な顔で帰ってくるから心配はしていない。
丈夫で元気であんまり成長していないってところ、考えてみると私と同じなのよね……変なところが飼い主に似ちゃったな。
「はい、お待ちどう」
ネコくんの朝食は、私の都合で一年前からずっとミルク。
私のほうは、これも一年前から毎朝変わらずトーストとカフェオレ。
このせいかな? 私とネコくんが小柄なのは。私は百五六センチ、四六キロ。クラスじゃ小さいほうだ。ひょっとして栄養足りてない?
いや、でも健康だから。
さてと。学校へ行ってこよう。
「ネコくん、じゃ、ね。また夕方ね」
「ミィ~」
おお? 返事をしてくれるなんて機嫌が良いのかな。
で、しっかり戸締まりして、近くの駅まで。徒歩十分の道のり。十五分電車に乗って、バスで五分。
ロスがなければ待ち時間込で一時間で学校に着く。
一本逃すと、十五分遅れる。
高校は公立で、全日制の普通科。四階建ての校舎が二棟あって、校庭がとても広い。
私は二年C組。三階廊下の端からニ番目だ。ニ学年はD組まである。学力別編成というわけじゃない。
席は窓際一番前。あ、視力が左右0.3で新学期最初の席順を決める時に担任が考慮してくれたんだ。銀フレームのメガネが必須です。最悪、メガネがなくてもこの位置からなら板書が読める。
三限目は数学だった。
数字には強いほうだ。
ただ……。
担当教諭、松山、自称三八歳、独身。
この先生あんまり好きじゃない。生徒のあいだで評判も良くない。
黙って立っていれば物静かそうな印象なんだけど、生徒の態度が悪いとすぐ怒る。もちろん体罰はないし、授業中に怒鳴るなんてことはしない。勉強に集中してない生徒を見かけたら即放課後呼び出し、職員室で二時間は説教されてしまう。よくそこまで怒りパワーが持続するよね。
成績が優秀ならあからさまに贔屓もあったりするんで、その辺が俗物。
教育熱心ともまた違う気がする。
話がずれるけど、三日後は三年生の卒業式だ。
本当なら今日から短縮日課で自習ばかりになるはずが、今年から方針を変えて卒業式前日まで普通日課ってことになった。教育委員会で決まったとか授業時間の確保がどうとかなんとか?
おかげでみんな多少ヤケ気味。椅子に斜めに坐っちゃったり、教科書なんて開きもしない。宿題なんか出されようものならブーイングの嵐になる。
でも数学だけは。
静まり返った教室内に、松山先生の声と板書の音だけが聞こえている。
ちょこっとでも怒らせたら怖いからね。みんな数学だけは授業に集中しようと見せかけだけでも努力してるっていうわけ。
もちろん私だってその一人。特に日当たりの良い春先の窓際って、ポカポカしてるじゃない。気合入れてないと、眠くなっ……ちゃう……よね……。
ん?
あの男がいる。
黒づくめの格好した、小枝と丸太。
他にも、同じ格好をした人物が三人いる。
ここは。地下室? 五つの黒い椅子が取り囲んでいる黒いテーブルに、大きな四角い印刷物が……地図かな。
「ヤツは一体、どこにもぐり込んだんだ。そっちは、ちゃんと探したんだろうな」
こう言ったのは、私からよく見える正面の位置に坐っていた丸太だった。
喋るたびに椅子が軋んでるよ! 肘掛けつきの椅子に横幅が無理やり収まっているような気がする。ちゃんと立てるんだろうか。
「もちろんだ。見落としはないはずだから、次は南側を探せばいい。それでいなければ、"外"だな」
そと……?
私は考えつつ、答えた男に目を移す。
丸太の横に坐ってる……うっわー、不気味! 背丈ニメートル以上ありそう。座高がおそろしい事になってる。横幅が小枝と同じくらいに見えるから、トーテムポールの人間版て感じ。頭は普通サイズらしい。黒い帽子の鍔に隠れて、丸太を見下ろす表情は私からは窺えない。
「だがあと百五九時間だぞ。手がかりはあるのか?」
やたら時間を気にしてるのは小枝。丸太を挟んで反対側に坐っているトーテムポールがまた答えた。
「ひとつだけな。ヤツと組んでる女がいるはずなんだ。見た者がいる。これがその似顔絵だ」
そう言って、懐から取り出した紙を一枚、広げながら地図の上に乗せた。
思わず眉間にあてた私の指が空を切った。あれ、メガネ掛けてなかったのか。でも良く見える。
絵は、どうやら女性のバストアップだった。赤いスタジャンのジッパー開けて、下に白いTシャツ着てる。ストレートの黒い髪が肩におりてて、顔は……あれ!?
「嘘! 私?」
間違いなく。似顔絵とはいえ、あれは私よね。今着てる服も……赤いスタジャンだし。
一瞬、茫然自失して、気がつくと男達がみんな立ち上がってこっちを見ていた。
しまった、見つかった!
探るような目線が敵意を孕んでいる。こうなると、どうも彼らは正義の味方という感じじゃない。早く逃げよう。なんだか知らないけど、私は追われている身らしいし。
で、辺りを見回して、ここが地下室の壁に取り付けられた回廊だと分かった。
手すりから下を覗き込んで……んー、三メートルはあるな。
「あの女だ、つかまえろ!」
「そっちへ回れ、俺はこっちから」
「うっ、撃つぞ! おとなしくそこで待ってろ!」
下から黒光りする固まりを両手で構える男、銃なんて、そんな物騒な。
あん? どこ狙ってるの? あれじゃ私には当たらないな。
ん……それじゃ、ね。ここは、まぁ。ひとつ。
「よ、っしょ、っと」
目の前の手すりを乗り越えて、飛び降りた。
すとん。
着地成功。
膝でワンクッション、沈み込んだ体勢から片手で床を押し戻し、反動で立ち上がる。
間髪入れず、後ろから撃鉄を起こす金属音、振り向きざま、テーブルの向こう側から構えたままの銃口を横目に捉えて数センチ左に身を躱す。銃声とほぼ同時、右側を弾が一発、抜けていった。
「ん……な、ばかな」
あ、私を撃ったの、小枝だったのか。さっきの誰かよりは腕が確かみたいね。
「この……っ、女のくせに」
テーブルの脇から丸太が勢い込んで飛びかかってきた。
うん、最初に銃を構えてたの、この人。
私は身を翻して出口まで走る。
女のくせに?
そのセリフ、ちょっといただけない。
でも反撃はよしておこう。いくら私だって、推定体重百キロ超にのしかかられちゃ、たまらない。ここは逃げるが勝ち。
「待てー!」
みるみる遠ざかる、背後からの男達の怒声。
わ、私、こんなに足速かったかな?
でもどのみち、このままじゃ捕まってしまう。なんたってここがどこなのか分からないし。参ったな。挙句、走り込んだ先は行き止まり。そんなぁ!
「おい、キセツ! こっち」
「え?」
ひょい、と見上げると天井すれすれ……ざっと高さ四メートルくらい? 通気口らしい四角い網の一辺をぶら下げた穴が開いてる。
私は一瞥して見据え、小さく踵を蹴って、ジャンプした。両手を伸ばして通気口に飛び込む。
「よぉ。相変わらずだな」
「なんだ。ユーキだったの」
肩から私を引っ張り込んでくれたのは、知り合いだった。
彼、歳は私と同じくらいだと思う。身長は百七十ちょっとかな。中肉中背、引いてくれた腕は力強く、触れた手が温かい。ニヤついた表情は茶目っ気があって、意志の強そうな瞳をして顔の造作も悪くないから、女の子ウケは良さそうな感じ。
「なんだ、はないだろ。久しぶりだってのに」
「ごめん。十日ぶりくらい?」
網を戻して通気口を塞ぎながら、彼、ユーキは気さくな雰囲気で苦笑しながらブツブツと続けて。
「まったく、ドジなんだから気をつけろよ。敵スパイして見つかるなんて、危なっかしいっつかキセツらしいっつか」
「捕まってないんだから良いじゃ……ん? 敵って? じゃあ追われてるのって」
今は私が追われてる身だけど、そもそも黒づくめの男達が探してたのは。
「うん、オレらしい、な。どうやら」
「らしいって。何やったの」
人のことドジ呼ばわりして、いつもそつなくスマートに行動してるユーキが困った状況に置かれてるとか?
私は心配の前に疑問符を浮かべてみせる。
ところがユーキはこの質問を無視した。
「早いとこ逃げたほうが良い。オレもそろそろ……。このビル、敵の本拠地だからな」
「どうして追われてるの?」
「んー」
相槌というか短く唸って、ユーキは黙った。それから、片側だけ頬を歪めて口角を上げ、ニヤっと。私の瞳を覗き込んで。
「連中が言うには、オレの罪名、『殺人』なんだっ――」
「ええ!?」
叫んだ私のくちを慌ててユーキ、左手でふさいだ。通気口は当然ながら天井が低く、私達は膝を付きあわせて向かい合ってしゃがんだ格好だ。ユーキはそのまま上体をこちらに寄せて、耳元で言った。
「シィ、騒ぐなよ。見つかるだろ」
だって。ユーキが? 殺人? なんでそんなことになってるの。
押さえられた口元を動かせず目だけで問うのに、ユーキは右手で私の頭をポンと叩いた。
「とにかく、早く逃げろよ。じゃ、オレは用があるから、またな」
え? ちょっと、ユーキはどこに行くのよ。
「待っ――」
「――野、砂野、起きろって」
左肘を、誰かがつついた。ん? ……りゅうさん?
「コラッ! 砂野姫雪!」
「きゃ!?」
右耳がキーン。うー、鼓膜が……。
あれ? 今の声!?
私、ガバッと顔を上げた。机の右側に……ひぇ、松山先生。
「俺の授業で眠るとは。どうなるか分かってるんだろうな」
顔は笑っているけど、威圧感がスゴイ。目が笑ってない。放課後、職員室……お説教、たっぷり二時間……。
「今日、放課」
"キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコー……"
余韻もたっぷりに、チャイムが鳴り響く。
松山先生は顔をしかめ、私を睨んだ。
「砂野、今日のところは許してやろう。次は分かってるな」
「ハイ」
た、助かった。
休み時間になって、後ろの席から声がかかった。
「砂野。良かったな、かなり熟睡してたみたいだけど。何か夢、見た?」
振り返ると青いジャージ姿のりゅうさんがにこやかに坐っていて。
彼は広沢隆、タカシだけど法隆寺のリュウだっていう自己紹介からりゅうさんて呼ばれてる。身長だいたい百七十センチ、やや痩身で肌色は白いがバランスのとれた体格をしていて、パッと見は頭脳派スポーツマンタイプ。誕生日は来月だそうな。新学期に切り替わってすぐだと、せっかく親しくなったクラスの女の子とも離れてしまい誕生日プレゼントがあんまりもらえないんだってボヤいてた。
でも先月のバレンタインデーでは好成績だったらしい。ホワイトデーのお返しを間違えなければ彼女もできるんじゃないのと私は生温かく見守っている。
ちなみにお返しの内容について相談されたが速攻でパスした。私だって同班のよしみで義理チョコは渡しているのだから自分で考えていただきたい。それに一緒に悩んで他の女の子達の反感を買うとか遠慮したいので。
「うーん? とね……」
ところで夢。夢か。
あ、りゅうさんが人の夢について尋ねるのは、いつもの事。この人、運動部ではなく、なぜか潜在意識研究部っていうけったいな文化部の副部長をやっていて、特に寝てる時に見る夢に興味を持ってるんだって。
私はたいていの夢を覚えているほうで、一度りゅうさんに色がついてたり感触が残ってたりすることもあるのだと話したら研究対象にされてしまったらしい。
だけど……。
「思い出せないならいいよ。短時間でも見れるはずだけど、覚えてないことも普通なんだし」
「ううん、思い出した。ほら、よく出てくるって言ってた男の子」
長く唸ってた私に見かねてりゅうさんがフォローをくれたけど、私は笑顔で手を叩いた。
確か名前があったと思う。けど起きると顔さえ覚えてない。たぶん純粋に夢の中だけの登場人物で、現実の誰かっていうわけじゃないんだ。そんな印象。優しくて、格好良くて、腕っぷしも良い。
りゅうさんに言わせると、私がその男の子を特に認識してるのは理想を反映してるからなんだって。そうかな?
「へぇ? どんな内容?」
「えっとね。私が高い所から飛び降りて、走ってたら助けてくれて」
助けて……くれたよね。なんか銃で狙われた覚えがあるし? 私ってば犯罪に遭遇してたのかな。
「走ってて助けられた? 逃げる夢か? それだけ?」
「なんか話もした。そう、『殺人』……?」
「さ、つ!?」
物騒だな、とりゅうさんが言葉を呑む。以前は推理劇場のような夢も披露したことがある私の話だから、りゅうさんは眉根を寄せつつ言葉を続けた。
「事件に巻き込まれて犯人に追われてたってことか?」
「逃げろ、とは言われたような……でも、追われてたのは私じゃなかった気が」
「??」
夢なんだからね。整合性を求めないでよ。
けど夢なんだから、で片付けないのがりゅうさんの研究ということらしい。
首を傾げて考え込む彼に、切り上げてもいいものか悩んでいると、教壇を歩いてきた由佳が呼びかけてきた。
「りゅうさん、宮っちが呼んでる」
彼女は坂井由佳。私とも親しいクラスメイトだ。宮っちっていうのは担任の宮間先生のこと。
ん、とりゅうさんは顔を上げ、私に軽く手を振った。
「じゃ、砂野、またあとで」
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