夢世界のレジスタンス

あまの。

文字の大きさ
上 下
3 / 5
第1章

しおりを挟む
「砂姫ちゃん、なんの話してたの?」

入れ替わりに由佳がりゅうさんの席に腰掛けて聞いてくる。
ふわっとした天然パーマをやや茶色に染めて、肩の上で切りそろえて可愛らしさを全面に押し出しながら、活発な性格が媚びていなくて、男女とも好かれてる。
私みたいに相手を選びそうな人間でも気にせず話しかけてくれるので、同じ班になったことはないんだけど友達だ。というか、由佳にとってはクラス全員が友達なのかもしれない。
砂姫と書いてサキ。というのは私のニックネームだ。しかし使う人間は限られている。マンガにそんな名前のヒロインがいるそうで。つまりマニアックなのだ。
ちょっとくらいマニアックな側面があっても付き合いに支障がなければ構わないわけで、私も頓着していない。

「夢の話」
「またなの? りゅうさんて、それしか興味ないのかな」
「それしか……って、まぁ副部長さんだし?」
「そんなの部活でやってれば充分でしょ。実は口実ってことはないのかな」
「口実? 他に目的があるってこと?」

え? なんの話だっけ。
流れについていけず、首をひねる私を見て、由佳は頷いた。

「たとえば、砂姫ちゃん。とか」
「は……い?」
「だからぁ。夢の話にかこつけて、りゅうさんは砂姫ちゃんと仲良くお話ししたい、とか」
「あ、あのね。そんなこと、あるわけ」

やっと由佳の言いたい意味が分かって私は少し焦る。
なにしろクラスには彼に本命チョコを渡してる女の子がいるのだ。見渡して近くにいないことを確認し、安堵する。
由佳はそんな私のうろたえっぷりを面白そうにしながら全然気にしない様子で、上目遣いに責めるように言った。

「あるかもよ? さっきだって砂姫ちゃんと話しながら、りゅうさん脇目もふらずにじーっと見ちゃってさ」
「ええ? そんな」

それは相手の目を見て話しましょう、とかそういう類いの習慣みたいなものでは。
頭の中で反論を捏ねくっていると、由佳は一転して楽しそうに笑った。

「冗談だよ。砂姫ちゃんて、すぐ人の言うこと本気にしちゃうのね」
「もう。からかわないでよぉ」

由佳もひょっとしてりゅうさん狙いなのかと気にするところだったじゃない。
脱力気味に肩を落としつつ、私は漠然とした不安に包まれた。
逃げろ、その響きが脳裡に蘇る。
さっき見た夢、そんなに深刻だったような気はしない。
でも、何か嫌な予感……。


「どうしたの? 砂野さん、気分でも悪い?」

昼休みが終わって、五限目。
保健の授業中だった。D組の女子と合同で、男子はいない。教室内は女子生徒で埋まってる。

「さっきから……頭が痛くて」

私は上体を起こして答えつつ、顔をしかめた。
合同授業なため席は自由で、私は廊下寄りにいた。端だったら目立たなかったかもしれない。まずいと思いつつ机に突っ伏していたせいで、麻田めぐみ先生は講義を中断して気遣わしげに私のそばまで近づいた。

「大丈夫? 熱は……」

ほっそりした手がひたいに当てられ、やや冷えた指先が気持ち良かった。
十年以上のベテラン教師で、アラフォーだけど二年生の間では一番人気があるみたい。女教師が思春期の生徒に優しいとは限らないが、麻田先生はお姉さんみたいな雰囲気で親しみやすいんだ。

「んー。ちょっとありそうね。顔色も良くないし」

そうなの、実はさっきから、なんてものじゃなく、お昼ごはんを食べ終えた辺りから一時間以上、この頭痛、治まってくれない。それこそ、割れそう、っていう表現がぴったりなほどで、椅子に坐っているのもツライ感じだ。

「風邪かな? 砂野さん、もう帰りなさい。担任の先生には伝えておくから」

私はきつく目を閉じて、溜め息混じりに頷いた。時間の経つごとに弱まるどころかヒドくなっているみたい。風邪? 朝はあんなに調子が良かったのに。


えっと、鍵……。
玄関ドアを開けて、家に入る。
誰もいない家に早退して帰ってくることほど、虚しいことないと思う。
せめてネコくんがいれば良いんだけど。
ドアに施錠を忘れずに、洗面所へ。鏡を見て、顔色を確かめる。うーん? 熱があるって言うほど寒気はしないし、顔色も赤くも青くもない、と思うけど。
頭痛だけはまだダメだ。ひっきりなしに主張してくる。激しさに眉間にシワ。
制服をパジャマに着替え、寝室へ直行する。ベッドだから横になるだけだ。何もくちにしたくないし、薬も……今はいいや。
ネコくんは出掛けているらしい。
こんな頭痛で眠れるかなと思いつつ、おやすみなさい。
変な夢見て、うなされませんように。


「ちょっとー、どうしてくれるのよ。私、学校早退して……!」

思わず叫んでいた。
相手はユーキ。
向い合って椅子に坐って話していた……のだけど、私は気がつくと仁王立ちしていた。

「悪かったよ。ごめん。とにかく、坐って」

どうどう。そんな感じで宥められ、しかたなく腰を落とす。
彼、さっき私にこう言ったのだ。
「用があって、呼んだんだ」って。
そのせいであの頭痛、そのせいで早退……! 呼ばれるたびに頭の割れるような痛みに見舞われるなんて、冗談じゃないわよー!

「真っ昼間に寝てもらうなんて、ああするしかなかったんだ。重要な話があって」
「だからって、ひどすぎる。こっちの身にもなってよ」

また立ち上がりそうになった私を両手で制しながら、

「まぁまぁ。落ち着けって。頼みがあるんだ」

ユーキは慌てたように言った。私の気を逸らさないと話が進まないと思ったらしい。

「なによ。殺人罪で追われてるんでしょ? 私が追われてるのだって、ユーキのせいでしょ? まだ他に何かあるわけ?」

腹の虫が収まらず、憤慨したまま突っかかった。

「オレには誰かをどうにかした覚えなんか、ないんだよ」
「それじゃ、どうしてあんな黒づくめの連中に追っかけられてるの」
「知らない。本当に分からない。頼むから、オレの話、聞いて」
「……。何?」

マジメな顔のユーキに、嘆息して先を促した。
気がついて見回すと他に客のいない喫茶店の一角だったらしい。目の前のテーブルにはティカップ。遠目に見えるカウンターにサイフォンが乗っていて、店員さんが奥にいるのだろう。
こんなことしてる間にもあの男達、ユーキを探してるんじゃない? こんなところにいて、いいのだろうか。と、思ったその時。
来てしまったのだ、彼らが。

「動くな!」

背後からカウベルの音が同時に聞こえた。
この店の出入口が私の真後ろにあったらしい。突然の大声と、続けてバタンとドアが壁にぶつかった音に驚いて立ち上がった私達だけど、私は振り返れずに状況が見えず、ユーキも中腰のまま、停止していた。
入ってきたのは、あの男達に違いない。銃でも構えているんだろう。

「よし。そのままじっとしていろ。とうとう見つけたぞ」

あ、この声……確かトーテムポール。だんだん近づいてくる靴音。
足音からすると一人じゃない。ニ……三人かな。
多勢に無勢とはこのことだ。
どうしよう?
それにこれじゃ、私は相手の様子も分からないまま。
ユーキに目で問いかけようとして、諦める。彼は私の背後を睨んで微動だにしない。
どうするか。
数秒思考を巡らせ、ひょいとユーキの後ろへ目をやり。
あー! 見える。男達、三人。トーテムポールと小枝、それにドアを押さえて立つ初めて見る、そうね。二十代後半の標準タイプって感じの、付け加えるなら気が弱そうな男。
どうして分かったかっていうと、ガラス。ユーキの背後にとても細長いサイフォンを並べた飾り棚があって、そのガラス扉が鏡になっていたのだ。
さて、武器は……。
トーテムポールが片手に銃を構えてる。
他のふたりは下に下ろしてる。きっと前を歩くトーテムポールに当たらないように。
そして、照準はユーキに向いている。
私が後ろ向きだからって安心しているのかな。
でもね。スタジャンの下、私の腰のガンベルトには、エネルギー銃が一丁あるんだ。
時間にして数秒、いつの間にかユーキが私を見つめていた。任せる、って、言いたいの?
了解。任せて。っと、のんびりしちゃいられない。
ユーキに頷き返してから、私は体ごと振り返った。ノーカウントで抜いた銃を、トーテムポールめがけてぶっ放した。

ズギュンッ

銃声、多分こんな感じ。
真紅の光線が一閃、男の銃が弾かれて飛んでいくのとユーキの声に呼ばれたのは同時だった。

「こっち!」

他のふたりが銃を構えた時には、私達、傍らのフランス窓に身を躍らせていた。

「手を放すなよ!」

勢いよく押し開けた窓が壁に跳ね返り、ガラスが派手な音を立てて砕け散る。
キラキラと視界を乱反射する欠片が舞う、その遥か下方に広がる、地上が……って、ここ!
数十階建てのビルの最上階だった!?
ビルの壁面に規則正しく並ぶ白い窓枠の綺麗な連なりと、手の届かない位置に申し訳程度に備え付けられた華奢なバルコニーを横目に見ながら、私達、ものすごいスピードで落ちていく。
まだ死にたくない! こんなに若い身空で、心中なんて……!
ユーキの碧いジャケットにしがみつきながら、反転する視界、落下地点に目を凝らす。
あ、何? 地面に黒い穴。吸い込まれるように、私達はそこへ落ちていった。

しおりを挟む

処理中です...