The Doomsday

Sagami

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Expedition

13:月陰4

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マクシャの夜が明ける。薄明かりの中、守備隊長は欠伸を噛み殺し防壁の外を見下ろす。獣人達の姿はどこにもない。

「朝一番で攻めてくるという線は無いようですね」

「みたいだな」

足を引きずりながら防壁への階段を登りきった辺境伯が首肯する。位置的には西門の近く防壁の外には昨日の戦いの跡が残っている。しかし、その光景に違和感がある。

「報告を頼めるか」

守備隊長の声に、外を監視していた民兵の1人が2人に駆け寄ってくる。正規の守備隊の数が足りず臨時で募った志願兵の1人だ。

「夜間は多少の物音はしたものの、交戦はなし。明るくなって確認したところ、この様相です」

困惑の表情を浮かべたまま報告を続ける。

「日が登ってから獣人の姿は見たか?」

「いえ、まったく」

「そうか」

壁の外を見下ろすと、昨日の激戦の跡として大量の血痕が散在している。だがその一方で、在るべきものが存在していない。

「疲れているところ悪いが、東側もこちらと同じが確認するように伝言を頼めるか、伝言のあとは休んで貰って構わない」

「いや、君は休んでいてくれ。私が東側に向かう」

守備隊長の言葉を、辺境伯が覆す。

「私か守備隊長のどちらかが、それぞれに居たほうが無駄がない。重要なことだけ互いに伝令を出して、基本は裁量でやってもらって構わない」

その言葉で守備隊長の顔に陰りが刺す。

「辺境伯様、お忘れなのかもしれませんが隊長職こそ頂いておりますが、1兵士であり1平民なのですよ?」

士官学校を出て上級士官となるべく教育を受けたもの、あるいは貴族といった血の背景を持つものではないと暗に告げる。

「細かい話を言うなよ。私とて今こそ辺境伯と呼ばれているがただの入婿にすぎない。それとも、私には此処を統べる資格が無いと言うのかい」

口元に笑みを浮かべ、守備隊長の肩を叩く。辺境伯にとっては、今までも兵の指揮などの実務は任せるだけ任せてきた、少々任せる範囲が広がるだけという認識でしかない。

「承知しました。昨日のようなご無理はなさらぬようお願いします」

街を守るために、単身獣人の前に出たと聞けば最悪のケースも脳裏に浮かぶ。辺境伯と獣人が相打ちとなり、マクシャが守られ、辺境伯が死に、そして、自身が生き残る。もし、そうなった時に、辺境伯のご家族になんと説明すればいいか守備隊長には思いつかない。

「不必要な無理はしないよ」

背中越しに手を振りながら、辺境伯は東側へと歩いてゆく。その答えは、必要な無理ならするということの宣言に守備隊長は顔をしかめる。そのいつもと変わらぬ立ち振舞に、様子を見ていたマクシャの民から声が掛けられ笑みを返しながら進んでいく。

「守備隊長さん、こっちはどうします」

弓を手にした少年が緊張した面持ちで守備隊長に尋ねる。防壁の上を見回すと負傷を押してこの場にいる正規兵を含めても昨日の半数以下しか正規兵が居ない。残りは数合わせの志願兵、年端もいかない子供たちに腰の曲がった老人たち、防壁に併設された詰め所では妹を含む女たちが防衛用の煮油をいつでも使えるように準備している。

「朝一で来る気配は無いが、いつ来るかもわからない。ずっと気を張っているわけにもいかないだろう、2交代制で待機していてくれ」

簡潔に指示を出し、防壁の外を見る。辺りに散財する血の跡、そこには本来あるべきものが欠けている。そこには、大量の血痕とともにあるべき獣人の死体が1つも残っていなかった。

「埋葬、するような知性が残ってるようには思えなかったが」

まさに獣じみた獣人たちの姿が脳裏に浮かぶ。彼が以前から知る獣人たちとあまりにも違うその姿、獣人と言うよりは獣そのものと言うべきそれに恐怖さえ感じる。

「守備隊長さん、顔色が悪いですが大丈夫ですか」

民兵が小声で訪ねてくる。実際に体調が悪いとしても、立場上それをまわりに告げる事のできる状況でないと考えたのだろう。頭が回る少年だ。

「大丈夫だ、ちょっと考え事をしていただけだ」

無理矢理顔に笑みを浮かべる。物見台の上が僅かに騒がしくなる。

「どうした」

昨日の戦いで枯れた声を張り上げる。

「街道から馬車が来てます。おそらくは商人のものかと」

思わず舌打ちしてしまう。頭痛の種が増えた。見捨てる訳にはいかないが、門を開くのも危険だ。民兵が弓や油用の狭間さまから外を覗う。

「あれは、ジルダートさんにこの前売った馬車じゃないかな」

街の住人なら門を開けなければいけないか、辺境伯への伝令を誰にするかを考えながら大きくため息をついた。



東側の防壁の上で辺境伯は外部を見る。西と違うのは血の跡の中に黒い塊が1つ。獣人たちのリーダー格、痩せた人狼、そして、辺境伯の獲物。黒焦げた死体を一瞥し、周囲の様子を見る。他に獣人の死体はない、所々に城壁の上から射られた矢が地面に刺さっている。

東に続く街道、その左右には雑木林、水量の関係で自然の恵みは少なく枯れ木も目立つ。更に南北に進むと、切り立った崖。マクシャが此処に作られた理由、南北に伸びる山脈をくり抜いたかのようにある巨大な谷にマクシャは在った。

「この光景を見るといつも、まるでが力任せに山をくり抜いたかのように見えるな」

辺境伯の言葉に、老人がうなずく。老人を駆り出さなければならない状況を気にする様子はない。

「建国神話で語られる、が落ちた地がここではないかという説もあるそうじゃ」

外に動くものがないか視線を動かしつつ、老兵の言葉に耳を立てる。

「神がお隠れになる前、神とその御使いたる12家門の始祖様は人を守るために戦いをなさった。その場所の1つがここ、そして、その戦いの最後に使われた奇跡がと呼ばれておる」

「御老は神官職に着かれていたのですが?」

堂に入った語りに尋ねると、老人は曖昧な笑みを返してくる。

「儂は神殿の神官だったことはない」

マクシャの防壁の中、市街地には小さな神殿はある。土地柄赴任を希望する神官は少なく、今も神官位のものは誰もおらず、シスターが数人で管理していると聞いている。

「建国神話なら、神殿にいかずともどの街でも昔ながらの口伝が伝わっておる。最も、神官が語るそれとは細部が異なるがの」

「では、御老が語ったのは、マクシャに伝わる建国神話だと」

格別に建国神話に興味があるわけではない。だが、自身の知るとどれだけの乖離があるのかが気にはなる。

「いや違うの、もう10年も前に消えた村に伝わっていた口伝じゃな」

老人は西を向き呟く。神殿騎士達が村を焼いたあの日、マクシャに逃げ込んだあの日から既に10年が経っている。

「10年前、あの難民の中にいたのですか」

村が神殿騎士に襲われているとマクシャに駆け込んできた者たちが居た。当時皇国とは小康状態であったが、その中マクシャから兵を出した記憶がある。

「あの時の事は感謝しておる。だから儂は真っ先に志願したんじゃ」

槍を杖にして、老人は強く語る。あの日、兵たちとともに犠牲となった村人達を埋葬した記憶。生き残ってしまった罪悪感。不自然に笑うマークスと呼ばれていた少年の横顔。

「あのときの村人の生き残りがまだ此処にはおる。その者達のためにも儂を使い潰してくれ」

自暴にも近い贖罪に辺境伯は内心で苦笑をする。辺境伯自身、それはよく知しる感情と行動だからだ。

「ああ、存分に」

故に、それを否定することなく肯定した。

「辺境伯様」

防壁の下から呼ぶ声が聞こえる。こちらに来て早々の伝令、厄介ごとの予感を感じながら辺境伯は伝令に応えた。



今日は何事もなく過ぎた。ジルダートは自身の小さな自宅兼販売書で白湯を啜りながら窓の外を見る。見知った光景、見知った住人たち。彼らの顔には疲れが色濃く見えるものの、僅かに安堵と恐怖の色が混じっているように見える。

「今日は何事もなく終わったかな」

大きく伸びをする。ミルニトを出てからわずか数日があまりに長く感じる。このマクシャの名産である甘芋を積んで出てから一週間と経っていない。その中で、何度もうダメだと思ったことか。無意識に手が干芋に伸びようとして、止まる。

「今日はまだ止めておくかな」

夜が明けないうちに村を出た馬車は朝方にはマクシャに着いた。ジルダートの馬車がマクシャにつくと、門がゆっくりと開きその様子のを尋ねてくる兵士の相手で日中は潰れた。

「タイミングが悪かった」

詰まる所はそうだったのだろう。ちょうど昨日、マクシャも獣人に襲われたという。外の事を聞いてきた兵士にダイファスはしれっと、『途中の村が、獣人に襲われて壊滅していた。俺たちが着いたときには生存者ももいなかった』と真実混じりの嘘をついて肝を冷やした。

「ついでに積荷も悪かった」

そんな緊張状態のマクシャに、見知らぬ旅人が2人も積んで帰ったのだから当然だろう。しかも、貴種とその従者だ。大店の商人なら歓喜ものかもしれないが、そこまでの野心も実力もない木っ端商人の身には重荷でしかない。

ため息が出る。ミルニトのワインのラベルを見て大きくもう一度ため息をつく。

「おい、ジルダート準備はできたか」

ダイファスの声が表から聞こえる。そとは薄暗くなり、今日という日が終わろうとしている。夕餉の時間だ。普段なら干芋を戻し、穀物と適当に煮たものを食べて終わる事が多い。干芋の袋に無造作に手を突っ込む、指先に硬い感触がある。

「聞こえてるんだろジルダート」

雇われ人のはずのダイファスの当たりがきつい。今回の行商で大分失態を見せたせいだろうか。扉が乱暴に開け放たれる。

「今日は休業中だよ」

ダイファスが呆れた表情をして、近づいてくる。

「現実逃避は程々にしろ。辺境伯様との夕食会に間に合わなくなる」

有事中の辺境伯様からの夕食会の誘いよりも、一張羅を着たダイファスの姿がおかしくて僕は笑い手土産のワインを手に立ち上がった。
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