大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

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第六章 熱風もまた、冷のうちなり

其の三:熱風もまた、冷のうちなり

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 ***(荻窪の日常)




 荻窪がふ、と息を吐いて天井を見上げると、天井のソケットから緩く扇風機まで繋がったコードが視界に入った。

 ああ、この奇妙な音とも取れる音はこの扇風機の音なのか、と納得しながらも振り返ると、そこにはいつもと同じように座っている高梨がいた。

 いつもと違うことといえば、扇風機の風に煽られた髪の毛がはたはたと踊っているくらいだろうか。

 あのゆらめき、柔らかそうな質感だな、と荻窪はじっくりと見つめる。触ればきっと抵抗もなく自分の指に形を合わせてくれるだろう、彼の髪の毛。

 それはいつも見せる高梨のはねっかえり度合いとはまるで逆に見えて、どちらが本当の彼なんだか、とさえ思わせる。

 柔らかく細めた高梨を見る荻窪の瞳が、なにかを見つける前に、高梨はニッコリと笑顔で言い放ったのだ。

「涼しいですね、先生。」

 ともすれば、暴風の中にいて髪の毛をざんばらにされているような状態なのに、彼は笑顔で涼しいですねと言い放った。

 荻窪は、その対比に思わず目を見開き、一拍の呼吸を置いてしまう。うなずき難いというのはこういうことか。

「高梨くん、足はしびれていないかい?」

 喉の奥で笑いながら、荻窪はそう高梨に問うた。もちろん荻窪は高梨がそんな簡単に足を痺れ(しびれ)させるような担当ではないことを重々承知の上で。

「はい、? しびれていませんよ?」

 不思議そうな顔をしつつも、高梨は素直にそう答える。

 荻窪は、あの柔らかい髪を触りたい、乱れた髪を直してやりたい。そんな気持ちがふつふつと湧き上がる。暑さにほだされているのだろうか。
 なにをされるのかすら想像もしていないような、不思議そうな高梨の顔に、小さないたずら心が芽生えた。

「なら少し、こちらに来てくれないかい?」

 手をおいでおいでと招いてみせる。彼はきっと素直に荻窪のそばまでくるだろう、そして、言われるままに軽く膝立ちするに違いないのだ。

 す、と立ち上がった高梨は扇風機の音に紛れた足音を小さく立てながら、荻窪のそばへよって来る。もちろん、立ったままではいられないから、膝を落として──。

 荻窪の想像どおりに。

 膝立ちする高梨は、荻窪よりも少し目線が上になる。見下される形で見られるのは新鮮だな、と思いながら荻窪は無防備な彼の、先程まで扇風機の風で荒ぶっていた髪の毛を撫で付けようとする。

 当然、反応は読めている。

 仰け反り、逃げようとすることは想定済みだった。

 直してやるつもりだった、あまりにも乱れて飛び回っていたその髪を。それだけではなく、心の奥で触れたいと思ってしまった。
 彼の髪に指を潜らせる。すぅ、と撫で付ければ、扇風機で乱れた髪がおとなしくいつものように、撫で付けられていく。

 指先を髪の毛に潜り込ませてまず感じたのは、湿度。彼もまた人であることを示している温度だ。そして、想像通りの柔らかさと、汗でやや湿った感触の。だが、想定外だったのは、荻窪の、ペンだこができたがさついた指先が、高梨の首に触れた瞬間だった。

 びくりと高梨の身体が震え、前のめりになって倒れそうになる。

 ──まずい。

 そう思ったときには、高梨は姿勢を崩し前のめりになり、そのまま荻窪の膝に手をついて倒れこんできていた。肩に当たる高梨の額と、バランスを崩したことによる焦りからか無意識に伸ばされた手は、背中から肩へとしがみつくように回される。

 まるで背後から抱きつかれでもしたかのような態勢に、荻窪もまた言葉を失った。

 荻窪すらもそんなことは想定しておらず、無音の中に扇風機の音だけが無情に響く。


 ごくり。


 のどを震わせたのはどちらなのだろうか。


 ぶううううん。


 扇風機の風が高梨のにおいをこれでもかと荻窪へと送りつけてくる。正直、たまらなくなるのはしかたないことなのかもしれない。高梨は汗臭くもなく、かといって男くさいにおいもしなかった。どちらかといえば柑橘系のような爽やかなイメージのする香り。

 高梨の後頭部へのばされていた手は支えるために彼の背中に回されており、いままでにないほどの密接した状態だった。

「あ、あの、先生……、」

 僕、と言い終える前に、荻窪はその唇から視線をほどくことができなくなっていた。あまりにも近すぎて。無意識に、ごくりとのどが音を立てた。渇きを感じている、ただそれだけが理解できた。だけど、なにを欲しているのか、なにかその渇きを潤すのかまでは分からない。


 否。


 荻窪は知らないふりをするしかなかった。そうすれば、『いまならまだ、なにもなかったことにできる』から。だって、高梨はきっとそれを望んでいないだろう。ずっと自分を先生と呼んで無邪気に慕っていただけなのだ。それを自ら打ちこわしにかかるなんて、どうしてできるだろう。


 荻窪にとって、高梨は大切な存在であることは間違いない。

 不自然にならないように距離取るか、それともここでからかいを加えて高梨自身から距離を取らせるか。ふいに考え込んだ荻窪の膝から高梨の手がふわりと浮いた。


「先生、扇風機があってもやっぱり汗は出ますね。」


 笑いながら、額から頬へとたどる汗を、高梨の指先がさらりとさらっていく。囁くほど小さな声色がほんの少し、暑さのせいか熱をはらんでいるようにも聞こえた。高梨の空気が荻窪の頬に当たる。これは、本当に高梨なのか? そう思うほどに、近しい距離。それなのに、一瞬だけ触れた高梨の指先はひんやりとしていた。


 もう一度、ごくりとのどを鳴らした。


 期待というものは、いつもしないほうがいいと思うのが荻窪だ。もう、彼に口づけてしまおうか、そう思った瞬間、高梨の体がす、と離れていく。


「少し、のぼせましたか? 冷たいお茶でも持ってきましょうか。」


 くすり、ひとつ笑いを落として台所へと足を運んだ。

 残されたのは、荻窪と無情な音をたてて風を送り出す扇風機だけ。高梨の後姿をただ見つめながら、もしかしてからかわれたのだろうかという思いがよぎる。
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