始まりと菖蒲

クリヤ

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(19)最初の代書

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 封筒と便箋を手に取ると、書くべきことが頭に浮かんだ。
 書かなくては、そう女性は思ったらしい。
 筆記具を用意すると、不思議なほどスラスラと筆が進む。
 その筆跡は、お嬢様のものだった。

 「手紙を書き終えて、封筒には宛名を入れました」
 「ええ、宛名もお嬢さんの手に見えました」
 「すると、たった今、書いた手紙の内容を忘れているのです」
 「え? どういうことです?」
 「分かりません。数分前のことなのに、内容の記憶はないのです」
 「へぇ……」
 「ともかく、その手紙に封をして文箱に戻しました」
 「やはり消えていた?」
 「ええ。次に見た時には、ありませんでした」

 手紙を書いたと思ったのが夢だったのか?
 いや、昼日中に夢でもないだろう。
 だが、誰かに相談できる訳でもなく。
 胸にモヤモヤを抱えたまま、今日まで過ごしていた。

 「ところが、あなたがやってきたのです」
 「あまり驚いた様子もありませんでしたが?」
 「いえ。驚いてはいたのです。けれど……」
 「予想もしていた?」
 「ええ。お嬢様のことは、いつかお伝えしなければと」

 女性は、この別荘の管理を任されていた。
 菓子が好きなお嬢様のために、お菓子作りが上手くなった。
 どんなに食欲がなくても、女性が作る菓子ならば口にしたという。
 菓子に合わせるお茶のために、庭にハーブを植えた。
 少しでも、体に良いものをと願って。
 庭師に頼んで、アヤメをたくさん植えてもらった。
 お嬢様が大好きな花だから。
 咲くのを期待すれば、生き永らえてくれるような気がした。

 「お嬢様が何をあなたに伝えたのかは存じません」
 「そうだったんだね」
 「けれど、きっと、ここに導いてくださるとは思っておりました」
 「その通りになりましたね」

 その話を聞いて、ショウタは背広の内ポケットから手紙を取り出す。
 便箋を広げて、女性に見せてみる。
 けれども、女性は残念そうに首を振った。

 「私には、何も書かれていない紙にしか見えません」
 「不思議なものですねぇ」
 「ええ、本当に」
 「だが、書いてくださったのはあなただ。本当にありがとう」
 「いえ。お嬢様のお役に立てて、私は嬉しいです」

 「お嬢様は、あなたに恋をなさっていたのです」
 「私もお嬢さんをお慕いしていました」
 「ええ。おふたりの心は通じていたのに、残念です」
 「けれども、時代や身分が許さない恋でした」
 「はい。でも、世の中は少しずつ変わっている気がします」
 「私も変えられるように、努めています」

 「でも、オレに好かれるところなんてあったかなぁ?」

 庭師の頃に戻ったような気持ちで、ショウタがひとりつぶやく。
 そのひとりごとに、女性が答えた。

 「体が弱いことで、腫れもののような扱いを受けておいででしたから」
 「そう……でしたか」
 「そう扱わないあなたは、新鮮だったようです」
 「オレは、知らなかったから……」
 「ええ。きっと、普通に接してほしかったのでしょう」
 「そうか……」
 「贈り物もご自分の手で作られたことに感動していました」
 「あれは、金がなくて買うことができねぇだけで」
 「それでも。その心遣いが響いたのだと」

 ふたりは、このあとも懐かしいあの頃の話に花を咲かせた。
 きっとこうすることが、お嬢さんの供養になる気がした。
 文箱の不思議は、ふたりで考えても分からなかった。

 「またいつか文箱が光ったら、私は必ず手紙を書きます」
 「ええ。その時は、よろしくお願いします」

 ショウタは、お嬢さんが過ごした別荘をあとにした。
 もう二度と訪れることはない、そう思った。
 墓参りも考えなくはなかった。
 けれど、なぜだかショウタにはお嬢さんが墓の下にいる気がしなかった。
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