王宮家庭教師は、ドールハウスに溺れる

クリヤ

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第22話 王子の世界で、ただひとり

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 ひんやりとした空気と胸の物足りなさが、王子の目を覚まさせる。
 すっかり当たり前になった、テオを胸に抱いて眠ること。
 そのテオが、いない。
 それだけで、胸が寒さにゾワリと震える。
 部屋は、ぬくぬくと暖かいというのに。

 (ん……? テオが、いない……?)

 目の前で起きている事態に、ようやく気づいて王子はガバリと起き上がる。

 (マズい! まだ、きちんと話をしていないうちに……)

 テオを引き留めるための媚薬作用のある魔法。
 菓子にもお茶にも必ずかけるようにしていた、その魔法を。
 王子は、かけ忘れていたのだった。
 テオと想いが通じてからというものの、すっかりと。

 (もう、出て行く気配なんて無いと思っていたのに……)
 (レイも、もう大丈夫だと言ってくれていたはずなのに!)

 焦りで、もたつきながら、寝巻きだけを羽織る。
 ただ、散歩に出ただけかも知れない。
 テオは、散歩が好きだと話してくれていたから。
 そう思いたくて、テオのためのブランケットを手に取る。
 鍵の開いた窓が、テオの行く先を示している。
 この部屋の窓は、風で閉じることはない。
 それが幸いしたようだ。

 裸足のまま、庭を走り抜ける。
 王子の柔らかい足の裏でも、この庭なら駆けて平気だ。

 (どっちへ向かった? 多分……、外に向かうほうだろう……)

 以前、テオが消えてしまった時を思い出す。
 テオを失うかも知れない恐怖に、肌がピリピリとざわつく。

 (あぁ、違うんだ。テオ。私は……、私はただ……)

 心の中を言い訳が駆け巡る。
 ヒタヒタと敷石を踏む自分の足音だけが聞こえる。
 あまりにも静かなこの場所は、テオがすでに消えてしまったようにも思える。

 (そんな! それだけは、嫌だ。あぁ、どうにか私の胸に帰って来てくれ!)

 荒い息を吐きながら、迷路のような植木の間を通り抜ける。
 知らずに、まなじりからは涙がこぼれ落ちる。
 さっきから、息が詰まる。
 うまく息が出来ずに、肺が焼けるような心持ちがする。
 喉は、ヒューヒューと不審な音を立て続けている。
 まだテオの姿は、目に映らない。
 白いものが目に入ってくる。
 それは、唯一、本物とは違うもの。
 この場所の四方を囲む、高い高い壁だった。

 その壁の前で、王子は、ようやく目当てのものを見つける。
 決して離すことの出来ない、愛しいテオの姿。
 頭を抱えて、しゃがみ込んでいる。
 その姿を目にした時、王子は、ようやく息をすることが出来た。

 テオは、まだ王子には気づいていない。
 王子は、息を整えようと近くの植え込みに身を隠す。
 自分の頬を伝う涙に、今更ながら、気づく。
 汗と涙に濡れて、髪の毛も、ぐしゃぐしゃになっているはず。
 いつものように、体裁を整えようと焦って髪に指を通す。

 (……違う。そうじゃない。テオには、私の本当を……)
 (愛しい人を放って、私は何を……?)

 植え込みから飛び出すと、王子はテオに一直線に向かう。
 今度は、ためらうことなく。

 震えるテオの肩に、ブランケットを掛ける。
 テオが、ハッとしたような顔を上げる。
 その瞳に、嫌悪感は無いことに救われる。

 「気づいてしまったようだね、テオ」

 絞り出せた言葉は、たったそれだけだった。


 ***

 自分の言葉が通じていない。
 そのことに気づいたのは、いつだっただろうか?
 同じ国で生まれ、同じ言葉を操っているというのに。
 王子の発する言葉は、そのほとんどが通じない。

 もちろん、外国語のように、全く意味が分からないということではない。
 ただ王子の意図する言葉は、大抵が違った意味に受け止められる。

 『何をしているの?』
 庭の隅で、楽しげに笑い合う使用人たち。
 その様子が気になって、つい声を掛けた。
 お茶を飲みながら、何かを作っているように見えた。
 自分も、一緒にやってみたいと思った。
 それなのに。

 『申し訳ありません』
 返ってきた言葉は、なぜか謝罪だった。
 驚く王子を尻目に、そそくさとその場を去る使用人たち。
 すぐに、全ては片付けられ、何をしていたかは分からなかった。

 あとで、王妃である母に呼ばれて、こう諭すように言われた。

 「使用人たちにも自由な時間が必要なのよ。
  少しくらいサボっていたとしてもね。
  それを見て見ぬ振りをしてあげるのが、主人というものよ?」
 「あの、でも、私は……」
 「ヴィルヘルムが、完璧主義なのは分かるわ。
  休まずに、しっかりお勉強もご公務も、こなしていることもね。
  けれど、それは誰にでも出来るわけじゃないの。
  大目に見て、おあげなさいな」

 いつの間にか、王子は使用人たちのサボりを咎めたことになっていた。
 完璧な子どもの王子が、大人の使用人たちのサボりを許さない。
 そういう構図が、作られていた。
 王子はただ、楽しげな人に話しかけただけだったのに。

 『先生も知らないことがあるんだね』
 幼い頃の王子には、世界が果てしなく広がる海のように感じていた。
 学んでも学んでも、知らないことばかり。
 このままでは、大人になるまでに全てを知ることなど出来ない。
 どこまで学べばいいのかも分からない。
 知れば知るほど、不安は増していく。

 そんな時、家庭教師が答えに詰まったことがあった。
 なんでも知っているように思えた先生にも、知らないことがある。
 王子は、嬉しかった。
 全てを知らなくても、大人になっていい。
 そう思えて、その言葉を、つい口走ってしまっていた。

 『私に不満があるなら、そう仰ればいい!』
 返ってきた言葉は、やはり王子の意図とは違っていた。
 顔を真っ赤にしてプリプリと怒り出した教師は、聞く耳を持たなかった。
 その教師が、王子の元を訪れることは二度と無かった。

 やはり、母に呼ばれて、ため息と共に諭される。

 「教師に不満があるなら、いつだって変えていいのよ?
  でもね。直接、何かを言うのは控えてちょうだい。
  いくらあなたが賢くてもね、大人にも矜持ってものがあるのよ」

 どうやら、王子の言葉は、教師を貶めたことになっていた。
 今度は王子も、母に反論しようとは思わなかった。

 そんな言葉が通じない世界で、ただひとり。
 テオにだけは、王子の言葉が通じた。

 「魔導士様になるなんて、テオはカッコいいね!」
 「そうでしょ? ヴィーは、何になりたいの?」
 「ぼくは……」
 「もしかして、なりたいものは無い?」
 「ううん。だけど、なれるか分からないから……」
 「なれなくたって平気だよ!」
 「でも、なれなかったら、ぼくはどうすれば……」
 「その時は、僕がヴィーを迎えに行くよ。ううん!
  なっていても、迎えに行く。僕、ヴィーが大好きだから」
 「ホント? 迎えに来てくれる?」
 「うん! ヴィーは、待っててくれる? 大人になるまで」
 「うん、約束。ぼくもテオが大好き!」
 「じゃあ、いつか、ふたりで一緒のおうちに住もう!
  あ、そうだ! 約束のシルシをつけなくちゃ!」

 そう言うと、テオは王子の手を取って、その甲に口づけをした。
 その姿は、まるで本の中の魔導士が救った姫君にしたのと同じに見えた。

 (あの口づけは、今でも、忘れられないんだ……)

 覚悟を決めた王子の前に、ゆっくりと立ち上がったテオの姿があった。
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