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第1話 少年鑑別所
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雪彦の瞳に、氷を見た気がした。
真冬の池に張った厚くて固い氷。
その奥は、容易には見通せない。
深く暗い氷の下に、雪彦の心は隠されてしまった。
「おまえのことは、好いても厭うても無い」
それだけ言って、扉の向こうに消えた雪彦。
その背中に追いすがろうとしたところで、それは叶わない。
雪彦と史緒の間は、分厚い氷のようなガラスに隔たれている。
「雪彦……。嘘だろ……? 嘘だよなぁ? ゆきひこぉ!」
無駄だと知りながら、ドンドンと史緒が叩くガラス。
近くにいた役人の手で押さえられるまで、ガラスは叩き続けられた。
それは、物音ひとつしない鑑別所の面会室に地鳴りのように響く。
***
扉の向こう側に消えた雪彦にも、その音は当然、聞こえていた。
立ち止まり、こぶしを握り締め、唇を噛む雪彦。
爪が、ガリリと食い込んだ手のひら。
歯で、プツリと噛み切られた唇。
どちらからも、ひと雫の血が滴り落ちる。
先ほどまで、史緒に向けていた氷のように沈んだ瞳は消え失せている。
悔やむような、切ないような、それでいて燃えるような瞳。
雪彦の瞳に、決意の炎が浮かぶ。
(……しお。すまない。今は、そうとしか言えない……)
「村山くん。何をしている。早く来なさい」
「はい。すみません。すぐに」
ドンドンと響く音の間隔が、少しずつ長くなる。
やがて、その音も途絶えた。
雪彦は、後ろ髪を引かれながらも、役人の後を追う。
(許されるなら、いつか必ず。おまえの元へ。史緒……)
*****
「その髪の色は、自然のもの?」
その言葉が、雪彦の口から出たものであることに史緒は驚いていた。
雪彦は、入学当初から噂の的だった。
いわく、ガラの悪い上級生たちと仲がいい。
いわく、街の盛り場で夜な夜な遊び回っている。
いわく、怒らせると顔の形が変わるほどに殴られる。
振り返り、雪彦のほうを見る。
春の朝早く。
進学したばかりの藩校の昇降口。
静まり返ったその場所で。
史緒は、あんぐりと口を開けた間抜け面をさらしていた。
なぜ、雪彦が自分に話しかけてきたのかが分からなかった。
雪彦は、少しあきれたようにも見える顔で、もう一度口を開く。
「聞こえてる? その髪って、染めてるわけ?」
「あっ、いや。う、生まれつき。この色です」
「あははは。なんで、敬語なんだよ?」
「いや、あのっ。つい」
「あぁ、あれか。おまえも聞いてんのか。噂ってやつ」
「えっと……。それは……」
「いいって、別に。慣れてるから。嘘ってわけじゃねぇし」
「え? 嘘じゃないってことは、悪い輩とつるんでるってこと?」
「ははっ。おまえ、意外に突っ込んでくるな」
「あ、ごめん」
「謝ることじゃねぇよ。半分は、本当だからな」
「半分? じゃあ、残りの半分は?」
「……それは、おまえが確かめてみれば?」
(どうやって? 何を確かめればいい?)
(なんで、雪彦は僕に話しかけてきたんだろう?)
(髪? 髪の色……? これが、生意気に見えたとか?)
史緒が、ぐだぐだと思い悩んでいるうちに雪彦の姿は消えていた。
慌てて史緒は、靴を履き替えて、雪彦の後を追う。
(同じ教室に行くんだから、待ってくれればいいのに)
(ん? 僕は何を? 雪彦とは関わらないって決めてたじゃないか)
思い直して、歩く速度を緩める。
教室に向かう階段の踊り場で、立ち止まっている雪彦の姿が目に入る。
(何を見て……?)
史緒も、雪彦の見ている踊り場の窓の外を見ようと近づく。
サアァァァー。
その時、窓の外から春の風が吹き込んできた。
風は、史緒の目を直撃して、ついまぶたを閉じてしまう。
ぐらり。
目眩のような感覚と共に、史緒の体が傾く。
(あ、落ちる……)
他人事のように、自分の姿が俯瞰で見える気がした。
(怪我するのは、嫌だなぁ……)
パシッ!
史緒の手首が掴まれ、続いて背中を抱き留められる。
「バカッ! 何してんだよっ!」
雪彦の焦りを含んだ怒声は、史緒の耳に、なぜだか好ましく届く。
背中にまわされた雪彦の腕が、心地よい。
(これって、なんだろう……?)
くすぐったそうに笑う史緒を、雪彦の戸惑いの瞳が見下ろしていた。
真冬の池に張った厚くて固い氷。
その奥は、容易には見通せない。
深く暗い氷の下に、雪彦の心は隠されてしまった。
「おまえのことは、好いても厭うても無い」
それだけ言って、扉の向こうに消えた雪彦。
その背中に追いすがろうとしたところで、それは叶わない。
雪彦と史緒の間は、分厚い氷のようなガラスに隔たれている。
「雪彦……。嘘だろ……? 嘘だよなぁ? ゆきひこぉ!」
無駄だと知りながら、ドンドンと史緒が叩くガラス。
近くにいた役人の手で押さえられるまで、ガラスは叩き続けられた。
それは、物音ひとつしない鑑別所の面会室に地鳴りのように響く。
***
扉の向こう側に消えた雪彦にも、その音は当然、聞こえていた。
立ち止まり、こぶしを握り締め、唇を噛む雪彦。
爪が、ガリリと食い込んだ手のひら。
歯で、プツリと噛み切られた唇。
どちらからも、ひと雫の血が滴り落ちる。
先ほどまで、史緒に向けていた氷のように沈んだ瞳は消え失せている。
悔やむような、切ないような、それでいて燃えるような瞳。
雪彦の瞳に、決意の炎が浮かぶ。
(……しお。すまない。今は、そうとしか言えない……)
「村山くん。何をしている。早く来なさい」
「はい。すみません。すぐに」
ドンドンと響く音の間隔が、少しずつ長くなる。
やがて、その音も途絶えた。
雪彦は、後ろ髪を引かれながらも、役人の後を追う。
(許されるなら、いつか必ず。おまえの元へ。史緒……)
*****
「その髪の色は、自然のもの?」
その言葉が、雪彦の口から出たものであることに史緒は驚いていた。
雪彦は、入学当初から噂の的だった。
いわく、ガラの悪い上級生たちと仲がいい。
いわく、街の盛り場で夜な夜な遊び回っている。
いわく、怒らせると顔の形が変わるほどに殴られる。
振り返り、雪彦のほうを見る。
春の朝早く。
進学したばかりの藩校の昇降口。
静まり返ったその場所で。
史緒は、あんぐりと口を開けた間抜け面をさらしていた。
なぜ、雪彦が自分に話しかけてきたのかが分からなかった。
雪彦は、少しあきれたようにも見える顔で、もう一度口を開く。
「聞こえてる? その髪って、染めてるわけ?」
「あっ、いや。う、生まれつき。この色です」
「あははは。なんで、敬語なんだよ?」
「いや、あのっ。つい」
「あぁ、あれか。おまえも聞いてんのか。噂ってやつ」
「えっと……。それは……」
「いいって、別に。慣れてるから。嘘ってわけじゃねぇし」
「え? 嘘じゃないってことは、悪い輩とつるんでるってこと?」
「ははっ。おまえ、意外に突っ込んでくるな」
「あ、ごめん」
「謝ることじゃねぇよ。半分は、本当だからな」
「半分? じゃあ、残りの半分は?」
「……それは、おまえが確かめてみれば?」
(どうやって? 何を確かめればいい?)
(なんで、雪彦は僕に話しかけてきたんだろう?)
(髪? 髪の色……? これが、生意気に見えたとか?)
史緒が、ぐだぐだと思い悩んでいるうちに雪彦の姿は消えていた。
慌てて史緒は、靴を履き替えて、雪彦の後を追う。
(同じ教室に行くんだから、待ってくれればいいのに)
(ん? 僕は何を? 雪彦とは関わらないって決めてたじゃないか)
思い直して、歩く速度を緩める。
教室に向かう階段の踊り場で、立ち止まっている雪彦の姿が目に入る。
(何を見て……?)
史緒も、雪彦の見ている踊り場の窓の外を見ようと近づく。
サアァァァー。
その時、窓の外から春の風が吹き込んできた。
風は、史緒の目を直撃して、ついまぶたを閉じてしまう。
ぐらり。
目眩のような感覚と共に、史緒の体が傾く。
(あ、落ちる……)
他人事のように、自分の姿が俯瞰で見える気がした。
(怪我するのは、嫌だなぁ……)
パシッ!
史緒の手首が掴まれ、続いて背中を抱き留められる。
「バカッ! 何してんだよっ!」
雪彦の焦りを含んだ怒声は、史緒の耳に、なぜだか好ましく届く。
背中にまわされた雪彦の腕が、心地よい。
(これって、なんだろう……?)
くすぐったそうに笑う史緒を、雪彦の戸惑いの瞳が見下ろしていた。
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