3 / 40
目覚める春
冬と正晴
しおりを挟む
それからしばらく三人で話をしていたが、時計をちらりと見た母さんがもう帰ると言い出した。まだ俺が起きてから大して時間は経っていないのに珍しい。もう帰るんですか、と正晴も不思議そうにしている。
「うん。もう少しいたかったんだけど、叔父さんの法事があって。泊まりで行ってくるから、次に来られるのは明後日かな」
それを聞いて、あの人亡くなったのか、と思った。たしか一度しか会ったことがないし、顔もほとんど覚えていないため悲しいわけではないが、自分の眠っている間に何か事が起こっているということには若干の恐怖を感じた。今回の件から考えれば、自分の眠っている間に大切な人が亡くなることだってありうるだろう。何も知らず、起きたらその人がいなくなっていたら相当辛いはずだ。そう思うと、胸の奥がキュッと痛んだ。
俺と正晴は病室から出ていく母さんを見送ってから、話を再開した。
「でも、ほんとに俺のことは気にしなくていいからな。俺の退院待たせるとか、なんつーか申し訳ないし」
「だーかーらー、俺は冬と行きたいんだってば」
そう言いながら、正晴が俺のほっぺをつねってくる。加減はしてくれているのだろうが、ちょっと痛い。
「ていうか、俺がいなかったら冬ぼっちになっちゃうけどいいの?」
「へふにほーひうあけやないけろ」
つねられたままなのでしっかりと発音できなかった。 しかし、正晴は俺がなんて答えるか分かっていながら質問しているはずなので、理解してくれるだろう。
「別にそういうわけじゃないけどって?」
ほら、やっぱり。もう七年も一緒にいるのだ。お互いの気持ちくらい言わなくても分かる。だから、正晴が俺のことを特別に思ってくれているのも分かっている。だが、どうしても俺の問題に巻き込んでしまっているようで、気が引けてしまうのだ。そんな俺に向かって、正晴はふんわりと微笑む。手は離してくれたが、その笑みには怒りの色が混ざっている気がした。
「じゃあ、どういうわけ?」
「その、もちろん俺のことを優先してくれてるのは嬉しいんだけど、正晴に迷惑かけたくないし。もっと他の子と遊びに行けばいいのになって思って」
正晴の怒りモードに少しビビりながら答える。こいつを本気で怒らせると尋常じゃなく怖い。それもこの七年で学んだことだ。普段そんなに怒らない奴だからこそ、キレたときは容赦なかった。
「あのさぁ、冬」
いつもよりだいぶ低い声。何が地雷だったのかは分からないが、何かまずいことを言ってしまったのだということは分かった。こういうとき、真っ先に謝るのは逆効果だ。何に謝ってんの、なんて冷たい言い方をされるのがオチである。だから今の俺にできるのは、大人しく正晴の言葉を聞くことだけ。
「いつ俺が迷惑だって言った?」
「いや、言ってはいねーけど……」
「だよな。じゃあ、なんでそういうこと言うんだよ」
声を荒らげるわけではないが、物凄いオーラがある。整った顔立ちと正晴らしからぬ口調がそれを助長させていた。なんで、と質問の体を成しているが、これも正晴には分かりきったことだろう。似たような問答は過去にもやっている。
「いつも俺に合わせて予定とか決めさせちゃってるだろ。だから、迷惑だと思われてるんじゃないかって」
「迷惑だったらわざわざこうやって会いに来たりしないし、誘ったりなんかしないから。迷惑な相手に優しくするほど俺はいい奴じゃない」
そう言い切る正晴の目は残酷そうに見えて、優しさに満ちている。俺はほっとして強ばった体から力を抜いた。多少なりとも怒りは収まってきているようだ。
「悪い。たまに無性に不安になるんだ。正晴は俺が一人になるのが可哀想で一緒にいてくれてるんじゃないかって。ほら、お前優しいから」
「別に優しくないけどね。自分が一緒にいたい人と以外は、仲良くしたいと思わないし」
軽く笑って答えた俺に、少し冷たさを残したトーンで正晴が言った。優しくない奴は見舞いになんて来ないし、好きそうなものを見つけて誘ってくれることもない。だが、そんなことを主張したら今度はほっぺをむしり取られそうなので、一旦心にしまっておく。
「まあ、俺の方こそごめん。冬の気持ち、分かってないわけじゃない。でもやっぱり俺はそういうこと言ってほしくないんだ」
「そうだな、悪かった。これからは気をつける」
「うん。じゃあ、この話は終わりってことで。ビビらせちゃってごめんね!」
「な、ビビってなんかいねーし!」
俺が慌てたように否定すると正晴が吹き出した。一気に部屋の空気が緩む。正晴は終わった話をネチネチ言う奴ではないから、とりあえず一件落着だろう。
「冬はやっぱり面白いね」
くすくすと肩を震わせながら、そんなことを言われる。その言葉と笑いには、そのままの意味よりもっと深い意味があるに違いない。だが、俺はあえて追及することはしなかった。
「改めて、冬、おはよう」
「正晴、おはよう」
今更ながらに挨拶を交わして二人とも笑う。これがこの春の始まりだった。
「うん。もう少しいたかったんだけど、叔父さんの法事があって。泊まりで行ってくるから、次に来られるのは明後日かな」
それを聞いて、あの人亡くなったのか、と思った。たしか一度しか会ったことがないし、顔もほとんど覚えていないため悲しいわけではないが、自分の眠っている間に何か事が起こっているということには若干の恐怖を感じた。今回の件から考えれば、自分の眠っている間に大切な人が亡くなることだってありうるだろう。何も知らず、起きたらその人がいなくなっていたら相当辛いはずだ。そう思うと、胸の奥がキュッと痛んだ。
俺と正晴は病室から出ていく母さんを見送ってから、話を再開した。
「でも、ほんとに俺のことは気にしなくていいからな。俺の退院待たせるとか、なんつーか申し訳ないし」
「だーかーらー、俺は冬と行きたいんだってば」
そう言いながら、正晴が俺のほっぺをつねってくる。加減はしてくれているのだろうが、ちょっと痛い。
「ていうか、俺がいなかったら冬ぼっちになっちゃうけどいいの?」
「へふにほーひうあけやないけろ」
つねられたままなのでしっかりと発音できなかった。 しかし、正晴は俺がなんて答えるか分かっていながら質問しているはずなので、理解してくれるだろう。
「別にそういうわけじゃないけどって?」
ほら、やっぱり。もう七年も一緒にいるのだ。お互いの気持ちくらい言わなくても分かる。だから、正晴が俺のことを特別に思ってくれているのも分かっている。だが、どうしても俺の問題に巻き込んでしまっているようで、気が引けてしまうのだ。そんな俺に向かって、正晴はふんわりと微笑む。手は離してくれたが、その笑みには怒りの色が混ざっている気がした。
「じゃあ、どういうわけ?」
「その、もちろん俺のことを優先してくれてるのは嬉しいんだけど、正晴に迷惑かけたくないし。もっと他の子と遊びに行けばいいのになって思って」
正晴の怒りモードに少しビビりながら答える。こいつを本気で怒らせると尋常じゃなく怖い。それもこの七年で学んだことだ。普段そんなに怒らない奴だからこそ、キレたときは容赦なかった。
「あのさぁ、冬」
いつもよりだいぶ低い声。何が地雷だったのかは分からないが、何かまずいことを言ってしまったのだということは分かった。こういうとき、真っ先に謝るのは逆効果だ。何に謝ってんの、なんて冷たい言い方をされるのがオチである。だから今の俺にできるのは、大人しく正晴の言葉を聞くことだけ。
「いつ俺が迷惑だって言った?」
「いや、言ってはいねーけど……」
「だよな。じゃあ、なんでそういうこと言うんだよ」
声を荒らげるわけではないが、物凄いオーラがある。整った顔立ちと正晴らしからぬ口調がそれを助長させていた。なんで、と質問の体を成しているが、これも正晴には分かりきったことだろう。似たような問答は過去にもやっている。
「いつも俺に合わせて予定とか決めさせちゃってるだろ。だから、迷惑だと思われてるんじゃないかって」
「迷惑だったらわざわざこうやって会いに来たりしないし、誘ったりなんかしないから。迷惑な相手に優しくするほど俺はいい奴じゃない」
そう言い切る正晴の目は残酷そうに見えて、優しさに満ちている。俺はほっとして強ばった体から力を抜いた。多少なりとも怒りは収まってきているようだ。
「悪い。たまに無性に不安になるんだ。正晴は俺が一人になるのが可哀想で一緒にいてくれてるんじゃないかって。ほら、お前優しいから」
「別に優しくないけどね。自分が一緒にいたい人と以外は、仲良くしたいと思わないし」
軽く笑って答えた俺に、少し冷たさを残したトーンで正晴が言った。優しくない奴は見舞いになんて来ないし、好きそうなものを見つけて誘ってくれることもない。だが、そんなことを主張したら今度はほっぺをむしり取られそうなので、一旦心にしまっておく。
「まあ、俺の方こそごめん。冬の気持ち、分かってないわけじゃない。でもやっぱり俺はそういうこと言ってほしくないんだ」
「そうだな、悪かった。これからは気をつける」
「うん。じゃあ、この話は終わりってことで。ビビらせちゃってごめんね!」
「な、ビビってなんかいねーし!」
俺が慌てたように否定すると正晴が吹き出した。一気に部屋の空気が緩む。正晴は終わった話をネチネチ言う奴ではないから、とりあえず一件落着だろう。
「冬はやっぱり面白いね」
くすくすと肩を震わせながら、そんなことを言われる。その言葉と笑いには、そのままの意味よりもっと深い意味があるに違いない。だが、俺はあえて追及することはしなかった。
「改めて、冬、おはよう」
「正晴、おはよう」
今更ながらに挨拶を交わして二人とも笑う。これがこの春の始まりだった。
0
あなたにおすすめの小説
神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―
コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー!
愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は?
――――――――
※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる