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桜咲く春
希望であふれた世界
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退院してから数日後、俺は正晴と駅で待ち合わせていた。今日は二人で出かける約束をしている。
「冬、ごめん……」
会って早々、正晴は申し訳なさそうな顔をして言った。謝罪の理由は聞くまでもない。朝見た天気予報に反して雨が降っているのだ。別に謝られる筋合いもないが、本人が雨男であることを気にしている以上、無理にフォローしても逆効果だろう。否定はせず、笑いながら折りたたみ傘をしまった。移動自体は電車なので、そこまで苦ではない。ただ、目的地に着いてからは少し厄介かもしれないと思った。
電車に揺られながら、他愛のない話をする。正晴はわざわざ冬の間のことを話したりしないが、だからといってわざとらしく話題に出さないということもしなかった。最近バイト先であったことや、面白かった漫画の話など、いつもと変わらない感じでしゃべってくれる。それが楽だった。変な気の遣われ方をするくらいなら、取り繕わずにいてくれた方がいい。
目的地の最寄り駅に着くと、幸い小雨だった。正晴は少し落ち込んでいるようだが、別にこのくらいの雨ならそんなに気にするものでもない。
「雨男ってどうやったら治るんだろ」
隣からそんな呟きが聞こえた。冗談のような内容だが、声が本気だ。
「別に病気じゃないし、治るとかじゃなくね?」
「まあそうなんだけどさー」
「悩んでるのは分かるけどな。どっか出かける度に雨降るのとかだいぶ嫌だろうし」
「ほんとにそう。常に傘持ち歩くのも邪魔だしやだ」
そういえば、小学生のとき、遠足の日に雨が降ったことがあった。周りのやつらが、それを正晴のせいだと冗談交じりに責めていた覚えがある。正晴は笑って済ましていたが、実はかなりショックだったんじゃないだろうか。そんなことを思い出した。
「冬の言ってた公園ってここ?」
「そう。もうちょっと行ったところに入口があるから」
駅からしばらく歩いて、目的地の桜木公園に到着した。入口の辺りが少しぬかるんでいたが、それを越えれば水たまりがいくつかあるくらいで、中に入れないほどではない。公園の端には屋根付きの休憩スペースもあるので、座って食事をすることもできそうだ。
実のところ、もうこの公園に来るつもりはなかった。ここでのぞみと一緒に桜を見る。その願いが叶えられなかった以上、来ても辛いだけだろうと思っていたからだ。彼女との幸せな思い出を、辛い気持ちで上書きしたくなかった。
しかし、確か彼女は、天国から桜を見ると言っていた。別に俺は死後の世界を信じているわけではないが、もし、万が一にものぞみが見ているというのなら、俺が見に行かないわけにはいかなかった。それと、自分の決意を正晴に伝える機会もほしかった。一人で行く気分でもなかったし、タイミング的にもちょうどよかったので、正晴と花見をするということになったのだ。
地面が濡れているため、毎年の定位置ではなく、休憩スペースに座ることにした。雨のせいか人がほとんどいない。そのうえ、目当ての桜の花びらもだいぶ雨に散らされていた。それでも、桜は相変わらず綺麗だった。
「綺麗だね」
正晴が穏やかな声でそう言った。顔を見ると、とても優しい表情をしている。
「そんな反応してくれるんなら、もっと早くに連れてくればよかったな」
そんな本心を口に出してしまうくらい、いい表情だ。
「え、そんな反応って何? 別に普通じゃない?」
「無自覚か。なんかめっちゃ優しい顔してたぞ」
「それはいつものことじゃん。俺すごく優しいから」
「自分で言うなよ」
そんなやり取りをしながら、自然と笑った。こうして軽口を叩いていると、いつもの日々が戻ってきた感じがする。去年の今くらいまでは、これが日常だったのだ。むしろこれが全てだった。
それからしばらくは、二人して黙ったまま桜を見ていた。
「正晴に話しときたいことがある」
数分経って俺が改まったように伝えると、正晴はこちらに顔を向けてうなずいた。もうだいぶ長い付き合いだからか、俺が何かを伝えたがっているということには気づいていたようだ。
「前から俺の体質みたいなのの研究してる人がいて、協力してくれって言われてたんだ。そんで、こないだそれを承諾した」
退院した日に電話を掛けた相手は、その研究員である。これまでは協力を頼まれてもずっと断ってきた。研究に協力することで、逆に悪い状況になるのが怖かったからだ。今だって、失った冬を取り戻したいと望むのがいいことだとは思えない。それでも、何も行動しなければ、のぞみの言う「希望であふれた世界」は訪れないだろう。自分の体とちゃんと向き合う、それが俺にとって一番の決意だった。
「そっか」
正晴はなんともいえない複雑な表情をしていた。でも、その中に否定的なニュアンスは含まれていないように見えた。そして、一度目を伏せてから、意味深に笑いかけてくる。
「……じゃあ俺は、一之瀬に告ろうかな」
「はぁ?」
急な言葉に、変な声が漏れてしまう。一之瀬は正晴の元カノだ。彼女の話がなんで今出てくるのか、意味が分からなかった。
気がつけば雨は止んでいた。互いの声が先ほどまでよりクリアに響く。
「前に言ったじゃん。まだ未練あるって」
「言ってたけど、なんでこのタイミング?」
「前までの冬だったらさ、研究に協力するなんて言わなかったでしょ」
「まあ、そうだけど」
いまいち何が言いたいのか分からない。俺の決意と正晴の告白になんの関係があるのだろうか。正晴は俺の顔を見て、なんだか楽しそうにしていた。こういうときの正晴は、本当に分からない。
「冬が変わろうとしてるのに、俺が変わらないでいるわけにはいかないからね。ちゃんと決着をつけないと」
正晴がこぼした言葉は、独り言のようだった。だからこそ、本心なのだろうと感じた。俺からしたら、正晴は今の時点で完璧なやつだ。頭がよくて、運動ができて、誰にでも優しくて、見た目だっていい。ここから変わる必要なんてないように思う。だが、正晴に考えがあって変わろうとしているのなら、俺にそれを止める権利はない。それよりも今すべきことは何か。
「正晴、頑張れよ」
いつの日か正晴がしてくれた応援を思い出した。たまには俺だって正晴のことを応援したかった。
「冬もね」
正晴はゆっくり立ち上がって、公園の真ん中の方へ歩き始めた。地面の水溜まりを避けながら、俺も後を追う。空気はじめじめしているが、そんなに嫌な感じはしなかった。公園のほぼ真ん中あたりで、前を歩いていた背中が止まる。
「あのさ冬、きっと大変だろうけど……幸せになろうね」
神妙な感じで正晴が言った。あえてその二歩手前で俺も立ち止まる。言いたいことはわかった。だが、いつもの仕返しに意地悪をしたい気分だった。
「俺に告ってどうすんだよ。一之瀬に言え」
「ばーか、そういう意味じゃないよ」
振り返った顔は言葉に反して笑っていた。幸せといえば、のぞみの言っていたことを思い出す。
「そういえば、前にのぞみが言ってた。辛いこともあるけど、幸せなんだって」
「そっか、のぞみちゃんは強いね」
「ああ、ほんとに」
そういえば、幸せについての話はここでしたものだった。
シンプルに寂しいと思った。のぞみといた幸せな時間が恋しかった。
「幸せになりたい」
望みを声に出す。
「うん、幸せになろう」
もう一度、正晴が言う。顔を上げると、澄んだ空に桜の花が立派に咲いていた。希望であふれた世界が本当にあるのか、俺にはまだ分からない。でも、この美しい景色が、その世界への入口だったらいいと思った。
「そうだな」
花びらが舞って、俺の手の中にちょうど収まる。俺と正晴は顔を見合せて笑った。また、春が始まった。
Fin.
「冬、ごめん……」
会って早々、正晴は申し訳なさそうな顔をして言った。謝罪の理由は聞くまでもない。朝見た天気予報に反して雨が降っているのだ。別に謝られる筋合いもないが、本人が雨男であることを気にしている以上、無理にフォローしても逆効果だろう。否定はせず、笑いながら折りたたみ傘をしまった。移動自体は電車なので、そこまで苦ではない。ただ、目的地に着いてからは少し厄介かもしれないと思った。
電車に揺られながら、他愛のない話をする。正晴はわざわざ冬の間のことを話したりしないが、だからといってわざとらしく話題に出さないということもしなかった。最近バイト先であったことや、面白かった漫画の話など、いつもと変わらない感じでしゃべってくれる。それが楽だった。変な気の遣われ方をするくらいなら、取り繕わずにいてくれた方がいい。
目的地の最寄り駅に着くと、幸い小雨だった。正晴は少し落ち込んでいるようだが、別にこのくらいの雨ならそんなに気にするものでもない。
「雨男ってどうやったら治るんだろ」
隣からそんな呟きが聞こえた。冗談のような内容だが、声が本気だ。
「別に病気じゃないし、治るとかじゃなくね?」
「まあそうなんだけどさー」
「悩んでるのは分かるけどな。どっか出かける度に雨降るのとかだいぶ嫌だろうし」
「ほんとにそう。常に傘持ち歩くのも邪魔だしやだ」
そういえば、小学生のとき、遠足の日に雨が降ったことがあった。周りのやつらが、それを正晴のせいだと冗談交じりに責めていた覚えがある。正晴は笑って済ましていたが、実はかなりショックだったんじゃないだろうか。そんなことを思い出した。
「冬の言ってた公園ってここ?」
「そう。もうちょっと行ったところに入口があるから」
駅からしばらく歩いて、目的地の桜木公園に到着した。入口の辺りが少しぬかるんでいたが、それを越えれば水たまりがいくつかあるくらいで、中に入れないほどではない。公園の端には屋根付きの休憩スペースもあるので、座って食事をすることもできそうだ。
実のところ、もうこの公園に来るつもりはなかった。ここでのぞみと一緒に桜を見る。その願いが叶えられなかった以上、来ても辛いだけだろうと思っていたからだ。彼女との幸せな思い出を、辛い気持ちで上書きしたくなかった。
しかし、確か彼女は、天国から桜を見ると言っていた。別に俺は死後の世界を信じているわけではないが、もし、万が一にものぞみが見ているというのなら、俺が見に行かないわけにはいかなかった。それと、自分の決意を正晴に伝える機会もほしかった。一人で行く気分でもなかったし、タイミング的にもちょうどよかったので、正晴と花見をするということになったのだ。
地面が濡れているため、毎年の定位置ではなく、休憩スペースに座ることにした。雨のせいか人がほとんどいない。そのうえ、目当ての桜の花びらもだいぶ雨に散らされていた。それでも、桜は相変わらず綺麗だった。
「綺麗だね」
正晴が穏やかな声でそう言った。顔を見ると、とても優しい表情をしている。
「そんな反応してくれるんなら、もっと早くに連れてくればよかったな」
そんな本心を口に出してしまうくらい、いい表情だ。
「え、そんな反応って何? 別に普通じゃない?」
「無自覚か。なんかめっちゃ優しい顔してたぞ」
「それはいつものことじゃん。俺すごく優しいから」
「自分で言うなよ」
そんなやり取りをしながら、自然と笑った。こうして軽口を叩いていると、いつもの日々が戻ってきた感じがする。去年の今くらいまでは、これが日常だったのだ。むしろこれが全てだった。
それからしばらくは、二人して黙ったまま桜を見ていた。
「正晴に話しときたいことがある」
数分経って俺が改まったように伝えると、正晴はこちらに顔を向けてうなずいた。もうだいぶ長い付き合いだからか、俺が何かを伝えたがっているということには気づいていたようだ。
「前から俺の体質みたいなのの研究してる人がいて、協力してくれって言われてたんだ。そんで、こないだそれを承諾した」
退院した日に電話を掛けた相手は、その研究員である。これまでは協力を頼まれてもずっと断ってきた。研究に協力することで、逆に悪い状況になるのが怖かったからだ。今だって、失った冬を取り戻したいと望むのがいいことだとは思えない。それでも、何も行動しなければ、のぞみの言う「希望であふれた世界」は訪れないだろう。自分の体とちゃんと向き合う、それが俺にとって一番の決意だった。
「そっか」
正晴はなんともいえない複雑な表情をしていた。でも、その中に否定的なニュアンスは含まれていないように見えた。そして、一度目を伏せてから、意味深に笑いかけてくる。
「……じゃあ俺は、一之瀬に告ろうかな」
「はぁ?」
急な言葉に、変な声が漏れてしまう。一之瀬は正晴の元カノだ。彼女の話がなんで今出てくるのか、意味が分からなかった。
気がつけば雨は止んでいた。互いの声が先ほどまでよりクリアに響く。
「前に言ったじゃん。まだ未練あるって」
「言ってたけど、なんでこのタイミング?」
「前までの冬だったらさ、研究に協力するなんて言わなかったでしょ」
「まあ、そうだけど」
いまいち何が言いたいのか分からない。俺の決意と正晴の告白になんの関係があるのだろうか。正晴は俺の顔を見て、なんだか楽しそうにしていた。こういうときの正晴は、本当に分からない。
「冬が変わろうとしてるのに、俺が変わらないでいるわけにはいかないからね。ちゃんと決着をつけないと」
正晴がこぼした言葉は、独り言のようだった。だからこそ、本心なのだろうと感じた。俺からしたら、正晴は今の時点で完璧なやつだ。頭がよくて、運動ができて、誰にでも優しくて、見た目だっていい。ここから変わる必要なんてないように思う。だが、正晴に考えがあって変わろうとしているのなら、俺にそれを止める権利はない。それよりも今すべきことは何か。
「正晴、頑張れよ」
いつの日か正晴がしてくれた応援を思い出した。たまには俺だって正晴のことを応援したかった。
「冬もね」
正晴はゆっくり立ち上がって、公園の真ん中の方へ歩き始めた。地面の水溜まりを避けながら、俺も後を追う。空気はじめじめしているが、そんなに嫌な感じはしなかった。公園のほぼ真ん中あたりで、前を歩いていた背中が止まる。
「あのさ冬、きっと大変だろうけど……幸せになろうね」
神妙な感じで正晴が言った。あえてその二歩手前で俺も立ち止まる。言いたいことはわかった。だが、いつもの仕返しに意地悪をしたい気分だった。
「俺に告ってどうすんだよ。一之瀬に言え」
「ばーか、そういう意味じゃないよ」
振り返った顔は言葉に反して笑っていた。幸せといえば、のぞみの言っていたことを思い出す。
「そういえば、前にのぞみが言ってた。辛いこともあるけど、幸せなんだって」
「そっか、のぞみちゃんは強いね」
「ああ、ほんとに」
そういえば、幸せについての話はここでしたものだった。
シンプルに寂しいと思った。のぞみといた幸せな時間が恋しかった。
「幸せになりたい」
望みを声に出す。
「うん、幸せになろう」
もう一度、正晴が言う。顔を上げると、澄んだ空に桜の花が立派に咲いていた。希望であふれた世界が本当にあるのか、俺にはまだ分からない。でも、この美しい景色が、その世界への入口だったらいいと思った。
「そうだな」
花びらが舞って、俺の手の中にちょうど収まる。俺と正晴は顔を見合せて笑った。また、春が始まった。
Fin.
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