黒い翼に誓う

Sisera

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第一章

第6話 独占欲

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市場の視察を終え、夜が近づく街角。
香鳥は匡と迅を連れて、街灯の並ぶ静かな通りを歩いていた。

しかし、香鳥の視線は匡にくぎ付けだ。
迅がふと匡に笑いかけるだけで、胸がざわつく。
呼吸が荒くなる自分に気づきながらも、香鳥は冷静を装った。

「——匡、少し寄れ」
香鳥は無意識に匡の腕を自分の側に引き寄せる。
匡は一瞬驚いたが、自然に身を委ねるように肩を寄せた。

迅はその様子をちらりと見て、薄く笑う。
「おう、頭領さん、独占モード全開っすね」

その言葉に、香鳥の目が鋭くなる。
「——黙れ」
声は冷たく、乾いた刃のように通り抜ける。
心の奥では、匡を誰にも渡したくないという感情が爆発していた。

匡は香鳥の手が自分の腕に絡むのを感じ、少し頬を赤らめる。
「香鳥様……?」
耳元で囁くその声に、香鳥の胸が高鳴る。
(……やはり、私の犬だ。私以外に笑顔を見せるなんて許さない)

香鳥は一歩匡に近づき、腰の高さで軽く手を握る。
「——離れるな」
匡は小さく頷き、香鳥の視線を受け止める。

迅は楽しげに煙草を吹かしながら、二人を観察していた。
「なるほど……これは面白い」
香鳥の嫉妬に反応して匡が照れる様子に、さらにニヤリとする。

「……迅は関係ない」
香鳥は低く、でも断固たる声で言う。
匡の肩に手を置いたまま、軽く頭を撫でる。
匡はその動作に照れながらも、嬉しそうに香鳥の手に触れる。

(——私のものだ)
香鳥の心の奥で、独占欲と愛情が熱く燃え上がる。
匡は少し戸惑いながらも、その熱に包まれている自分を感じていた。

市場の灯りが二人を包む中、香鳥は静かに、しかし確実に匡を自分だけのものにする決意を固めた。


***



───匡視点 


「……離れるな」

香鳥様の声が、耳のすぐ横で響いた。
低くて、いつもの冷静な声なのに……どうしてだろう。
心臓が、さっきからうるさい。

手を、握られている。
しかも、組むように。

え、なにこれ。
そんな近くで、顔見れないんだけど!?

「か、香鳥様……? あの、俺……」
声が裏返りそうになるのを、必死に抑える。

香鳥様は何も言わず、ただ真っ直ぐ前を見ている。
でも、その手だけは離さない。
指先が、ほんの少し動いて——まるで確かめるように、俺の手を軽く握り返した。

(な、なんでそんな優しくするんですか!?)
いつもなら、「集中しなさい」とか「余計なことを言うな」とか、冷たい言葉しかくれないのに。

もしかして……これ、夢?
いや、でも、手の温度が本物だ。
鼓動が伝わってる。
俺のじゃなくて——香鳥様の。

「……かとり、さま」
小さく名前を呼んだら、香鳥様の指がぴくりと動いた。

「どうしました?」
少しだけ、柔らかい声。
やめて、そんな声出さないでください……心臓持たない……。

「い、いえ……なんでも……っ」

(なに、なんなの……香鳥様……)
迅が来る前までは、あんなに遠い人だったのに。
見上げるだけで眩しくて、俺なんかただの犬みたいに扱われてたのに。
今日の香鳥様は——違う。

距離が、近い。
視線も、熱い。
俺を見つめるたびに、何かを堪えてるような目をしてる。

(まさか、俺のこと……? いや、そんな……)
考えた瞬間、顔が熱くなる。
足元がふわふわして、呼吸もうまくできない。

香鳥様はふと、立ち止まった。
「……もう少し、このままで」
え、はい!?!?!?!?

息が止まる。
近い。
本当に、近い。
髪が触れる距離で、香鳥様の香りがする。
冷たいのに、どこか甘い香り。

「……あの、香鳥様」
「静かに」

短くそう言われて、反射的に口を閉じる。
でもその声が優しすぎて、胸が締めつけられる。

(どうして……そんな顔で俺を見るんですか……)
頭の中が真っ白になる。
嬉しいのに、苦しい。
夢みたいなのに、怖いくらい現実だ。

香鳥様の指が俺の手をなぞる。
まるで、“確認”するように。

(ああ……もう、ダメだ……)
心の中で、何度も叫ぶ。
俺、絶対にこの人に勝てない。
ずっと忠誠を誓ってきたけど——それじゃもう足りない。

これは忠誠じゃない。
きっと、恋なんだ。
衝動的に香鳥様の手を握り返してしまった

我に返った瞬間、全身が熱くなる。
「す、すみません……!」
慌てて離そうとしたのに、香鳥様の指がそれを許さなかった。

「……いい」
低く、囁くような声。
「そのままでいい」

指先が強く絡まる。
ほんの一瞬のはずなのに、永遠に続くような沈黙が落ちた。
街灯の明かりがふたりの影をひとつに繋げている。

(離せない……離したくない……)
頭の中で、何度もそんな声が響いた。
けれど、口には出せない。
出してしまったら、きっともう戻れないから。

香鳥様がふと、俺の方に視線を向けた。
紅玉ルビーのような瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
息が詰まる。
その視線の奥に、言葉にできない何かが宿っていた。

「……匡」
名前を呼ばれた瞬間、世界が止まった気がした。
ただの命令でも、呼びかけでもない。
そこには、熱があった。

「お前は、私を……どう思っている?」
静かな声。けれど、刃のように鋭い。

(どうって……そんなの……)
言えるわけがない。
尊敬してる。憧れてる。でも、それだけじゃない。
でも、言ったら——壊れる。

「俺は……」
喉が震える。
言葉が出ない。
代わりに、もう一度、香鳥様の手を握りしめた。
言葉より確かな、たった一つの答え。

香鳥様の瞳が揺れた。
それは、初めて見る表情だった。
驚きでも、怒りでもない。
まるで、痛みのような……優しさのような。

「……そうか」
短い一言に、全てが詰まっていた。
香鳥様はそっと視線を逸らし、夜空を見上げた。

風が吹く。
髪が揺れて、香りが混じる。
遠くで迅の笑い声がした。
でも、もう何も聞こえなかった。

手のぬくもりだけが、確かにそこにあった。


見つめていると、香鳥様の指先がゆっくりと動いた。
手を離すでもなく、掴むでもなく、迷うように触れてくる。
ほんのわずかに震えている。

「……なぜ、そんな目で見る」
香鳥様の声が低く落ちる。
「お前の忠誠は、そんな形で示すものではない」
(…香鳥様?)

香鳥は先程と打って変わった様な顔付きになる。
「俺は——忠誠だけじゃありません」
気づいた時には、言葉が口をついていた。
「香鳥様に、生きてほしいと思うんです。
 あの冷たい戦場でも、孤独な席でも……あなたが、あなたでいてくれるだけでいい」

香鳥様の目が、微かに見開かれる。
その瞳の奥に、何かがきらりと揺れた。
驚きでも、怒りでもなく——戸惑い。

「……愚かだ」
唇が震える。
「お前は、そんなことを言えば、私を……」

そこまで言って、香鳥様は言葉を飲み込んだ。
視線が、俺の唇に落ちる。
一瞬、時が止まったように感じた。

夜風が通り過ぎる。
灯りが二人の影を重ねる。
距離が、ほんの数センチ。

香鳥様の指が、俺の頬に触れた。
冷たいのに、熱い。
その指がわずかに滑って、喉元へ——

(……来る)

そう思った瞬間、

「——失礼いたします! 香鳥様!」

鋭い声が闇を裂いた。
二人の間の空気が、音を立てて壊れる。

香鳥様の手が、弾かれたように離れる。
俺は反射的に一歩下がった。

「……何だ」
いつもの冷徹な声に戻っていた。
でも、そのわずかな震えを、俺は聞き逃さなかった。

駆け寄ってきた部下が息を切らせ、敬礼する。
「至急の報告が! 東街区で、例の追跡対象が……!」

香鳥様は短く息を吸い込み、
先ほどまでの柔らかい空気を、完全に切り捨てたように背筋を伸ばした。

「わかった。配置を整えろ」
「はっ!」

部下が駆けていく。
残されたのは、また二人だけ——だが、もうあの距離には戻れない。

沈黙の中で、香鳥様はゆっくりと俺に目を向けた。
冷静を装っているが、瞳の奥に、まだ熱が残っている。

「……行くぞ、匡」
「はい」

その一言だけで、もう何も言えなかった。
香鳥様は歩き出す。
背中が、再び“頭領”のそれに戻っていく。

けれど、その歩みの途中で、一度だけ立ち止まった。

「……先ほどの言葉」
低く呟く。
「聞かなかったことにしてやる」

そう言って、振り返らずに夜の闇へ消えていった。

残された俺の手には、まだあの温もりが残っていた。
それが痛いほど、恋しかった。

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