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第一章
第12話 夜の酒席
しおりを挟む匡と龍斗は、それぞれ別室で治療を受けていた。
龍斗は肩から肋にかけて包帯を巻かれ、匡は腕と脇腹に添え木をされ、胸元には固定布がきつく巻かれている。
二人とも、骨にヒビが入った音がまだ耳に残っているようだった。
香鳥は、匡の前で腕を組み、静かに怒っていた。
その沈黙の圧が、最も恐ろしい。
「……申し開きはあるか、匡。」
頭を垂れたまま、匡は押し殺した声を出す。
「……申し訳ございません。挑発に乗らぬよう努めましたが……身体が反応しました。」
「身体が反応した、で通ると思うか。」
香鳥は溜息一つ。だがその奥には、怪我を見ての不安も透けている。
「お前は私の護衛だ。
私の前で、勝手に“壊れる”真似をするな。」
その一言で、匡の肩がぴくりと震える。
「……はい。」
香鳥は背を向けかけ、ふと振り返った。
「無事でよかった。」
わずかな、しかし確かな優しさ。
匡は顔を上げられず、ただ強く唇を噛んで頷いた。
⸻
一方その頃。
一結は扇子をパチンと閉じ、龍斗に無言のまま座らせていた。
「龍斗。」
その声音は驚くほど冷静で、逆に怖い。
「龍斗、お前……。正気だったの?あの場で先に仕掛けるなんて、頭に知られたら確実に折檻だよ?」
「…………すまねぇ。つい……ちょっとムカついてよ」
「“ちょっと”であの破壊力なのが問題なの。僕は、バケモノじゃなくて護衛が欲しいんだけど?」
「…………悪かった」
一結はため息をつく。それから少し表情を緩めた。
「うん、言い訳はいい。
で、骨にヒビ入れられた感想は?」
龍斗は悔しさで唇を曲げた。
「……強かったッス。」
「知っとるわ。
はい、反省したら頭下げに行く。これ以上僕の面子潰さんようにね?」
「……はい。」
***
その夜。
豪奢な座敷に酒が並べられ、灯りは柔らかく、外の庭には虫の音が響く。
香鳥と一結の父、そして組織の重鎮たちは和やかに盃を交わしていた。
「いやいや、貴殿の国の鍛冶技術には驚嘆した。」
「そちらの加工技術もなかなか。互いに得るものが多い。」
大人たちの会話は穏やかで、時に上に立つ者ならではの愚痴や経験談で盛り上がる。
「若い頃はな、背中刺されても会議を続けたもんだ。」
「はは、血を流しながら交渉して勝ったという話も聞きましたよ。」
香鳥もくつろいで杯を傾ける。
「身を削ってこそ、道は通るものです。」
一結はそれに笑って応じる。
「でしょう、香鳥殿。上に立つと色々しんどいですよねえ。」
ここだけは、なんとも穏やか。
……だが。
匡と龍斗は、お互いギプスや包帯のまま正座。
間に座るのは、帰ると言って早々に姿を消した迅が残した空席だけ。
二人の間の空気は、まるで冬の廃寺。
会話ゼロ。
目が合った瞬間に空気が割れる音が聞こえそう。
(……なんで俺、同じ席……?)
(……なんで俺がこんな奴と隣なんだ……?)
匡は心の中で泣きそうだった。
龍斗は心の中で殴りたい気持ちを抑えていた。
酒は全く進まない。
つまみも無傷のまま。
その横で、他の護衛や下っ端たちは「絶対に巻き込まれたくない」という顔をして沈黙を守っていた。
しばらくして、向こう側から香鳥の笑い声が聞こえた。
匡はふっと緩む。
「……香鳥様、今日はよく笑っておられる。」
その声に龍斗が反応する。
「そんなに嬉しいんか。」
「当然だ。あの方が満足されているなら……私の身体などいくらでも削る。」
「……は?」
龍斗は呆然とするが、同時にどこか理解もする。
「お前……主のためなら本気で死ねるタイプか。」
「死ぬつもりはない。
生きて傍に仕えるために、死なぬよう戦うだけだ。」
その言い方が妙に真っ直ぐで、龍斗は思わず笑った。
「……変な奴だな。」
「お前も似たようなものだろう。
一結殿が扇子で叩いた時、文句ひとつ言わなかった。」
龍斗は鼻を鳴らす。
「当たり前だ。あれは“御指導”だ。
俺は若の盾だし、若の言葉は絶対だ。」
匡の目がわずかに細められる。
「……主を誇りに思っているのか。」
「そりゃそうだ。あんな若、他にいねぇ。」
どこか誇らしげだった。
匡もまた、同じ熱量で言う。
「香鳥様も、唯一無二の方だ。」
二人は、同時に盃を口に運んだ。
ようやく初めて、酒の量が減った。
龍斗がぽつり。
「……お前の主、強そうだよな。」
「強い。誰よりも。」
匡の声は即答で、迷いがない。
「そっちは?」
「若? あれは……人を殴る気がゼロのくせに、何故か誰も逆らえん。」
「ああ、それは分かる気がする。」
二人はクッと笑う。
気づけば、空気はもう地獄ではなかった。
遠くでは香鳥と一結が上機嫌に杯を交わし、
護衛組の二人は、互いの主を賛美して意外な共通点を見つけ、
酒はゆっくりと進み始め――
夜は、ようやく柔らかく更けていく。
夜席がおひらきになり、一結は龍斗に付き添われながら部屋へ戻った。
部屋は広く、和風と中華が混ざったような装飾。
金の文様の屏風の前で、一結は扇子を閉じながらふうっと息をつく。
「……今日は疲れたね、龍斗」
「お前が護衛してんのか俺が守ってんのか分かんねぇ一日だったな」
一結はくすりと笑う。
「僕は頭になる人間だよ?未来の。だから龍斗に支えてもらわないと」
「……その割に、俺の喧嘩を止める時は容赦なかったが」
「あれは龍斗が悪い。先に手を出すなんて論外だよ。……僕の護衛なら、“絶対負けない”前提なんだから焦らないでよ」
「……悪かったよ」
一結は龍斗の隣に腰を下ろし、視線を柔らかく落とす。
「でも……龍斗が殴られたり、骨が折れたりするのは嫌なんだよ」
「…………」
「……僕のこと、守ってくれてありがとう。今日も」
龍斗は言葉に詰まった。
照れた時だけ出る、低くて不器用な声が漏れる。
「……仕事だ」
「そうやって誤魔化すところ、昔から変わらないね」
一結は笑う。
その笑顔に、龍斗は何度も守る理由を思い出す。
「寝ろ。今日は疲れただろ」
「龍斗も一緒にいて」
「……子どもか」
「いいでしょ。僕は“若”なんだから」
その我儘を龍斗は拒めなかった。
若はふと、匡と香鳥のことを思い出したように言う。
「しかし……匡くん、すごかったね。あそこまで主に尽くせる人、なかなかいないよ。羨ましいくらい」
「……あぁ。あれは……芯が強ぇ奴だ」
一結は扇子を口元に当て、静かに微笑む。
「また会えるといいね。あの子は、護衛としても──人としても、印象に残る」
龍斗は黙って頷いた。
その横顔は、いつになく穏やかだった。
***
龍斗は一結が寝付いたのを確認すると、廊下に出た。
廊下を歩いている匤を見つける
「おい」
背後から低い声。
振り返ると龍斗が腕を組んで立っていた。
「龍斗……」
「少し話すぞ。ついてこい」
二人は人気のない庭に出た。
黒い夜、池の水面が鏡のように静か。
しばらく無言のまま並んで座る。
「……昼間の続きじゃねぇが」
「?」
「お前……主を守る気持ちだけは、本物だな」
匡は驚いて目を丸くする。
「え、あ……。うん……もちろん……。香鳥様は……全部捧げられる人っす」
「“捧げる”とか言うな。重いわ、ほんと」
「あ、すみません……?」
龍斗はふっと笑う。
皮肉めいた笑いだけど、どこか認めている響きがある。
「でも……嫌いじゃねぇ。そういうのも、悪くない」
匡は耳まで真っ赤になった。心臓がドクドクする。
昼間の戦いで骨にヒビが入った痛みも、今は少しだけ霞んでいた。
「龍斗も若のこと、大切なんだよな」
「当たり前だ」
庭の静けさの中、龍斗の声はよく響く。
少し間を置き、ぽつりと続けた。
「アイツが泣きそうな顔したら……俺は多分、世界全部敵に回っても守る」
匡は息を呑んだ。
それは、匡が香鳥に抱く感情と全く同じだったからだ。
「……すげぇ、分かります……俺も……香鳥様のためなら……何でもできる」
「何でもすんな。死ぬぞ」
「……はは……」
二人は少し笑い合う。
昼間の小競り合いの痛みがまだ残っているのに、心が温かくなる。
「……なぁ、匡」
「はい」
「お前さ──」
「?」
「次やるときは、本気で殴り合ってぇよな」
「うわぁ……言うと思いました!!」
「あの続き、まだやってねぇからな」
「いやだぁぁあ怪我するとそりゃもう怒られるんだよこっちは!!」
「心配すんな、手加減はしてやる」
「そういう問題じゃねぇえ…」
庭に、深夜とは思えない声が響いた。
そして少し落ち着いた頃──
龍斗が真面目な表情で、ぽつりと呟く。
「……お前、悪くねぇよ」
「……?」
「主のために全力で動ける奴は……強ぇ。今日、お前のそういうのを見て……俺は嫌いじゃなくなった」
「最初嫌いだったのかよ」
「……」
龍斗は否定しなかった。
「けど調子乗るなよ。次勝つのは俺だ!」
「いや俺も負けねぇから!」
また笑いがこぼれる。
昼間の骨折のヒビも、傷口の痛みも、今はこの空気の中で少しだけ遠くなる。
深夜にまわって、
若は静かに眠り、香鳥は書類を整え、
護衛二人は月を見上げながら、互いの主人の話をぽつぽつと続け始めた。
「若って普段どんな感じなんすか?」
「……可愛いが、ワガママで口が悪い」
「香鳥様は……すごいです。もう全てが尊いです。歩くだけで尊い」
「……お前の主、そんな生き物なのか」
「そりゃもうやばい」
龍斗は吹き出す。
「まあ……悪くねぇ。主をそう言えるのは幸せだな」
「龍斗もだろ?」
「そうだな……お前も主のために必死になれる奴だ。昼間の戦いでそれを見せられたから、少し認めてやる」
「何様だよ
まぁ俺も認めてやっていいけどな、お前も一結殿のことよー見とるし大事にしてるの伝わるし」
「ははっ、そりゃどうも」
こうしてなんとも濃い1日は過ぎた。
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