婚約破棄された悪役令嬢ですが、私の”役目”に気づいたのは冷酷公爵だけでした

ria_alphapolis

文字の大きさ
2 / 8

第2話|何も語らず去る令嬢

しおりを挟む

「あなたを、このまま一人で去らせるわけにはいかない」

 公爵の言葉に、私は首を横に振った。

「お気遣いは嬉しいですが、公爵様。あなたまで私に関わっては、あなたの立場が危うくなります」

「私の立場など、どうでもいい」

 公爵は即座に答えた。その口調には、一切の迷いがない。

「それに、あなたは誤解している。私は同情でこう言っているのではない」

「では?」

「興味があるのだ。あなたという人間に」

 公爵の黒い瞳が、月明かりの中で私を捉える。

「国のために自らを犠牲にする。しかも誰にも語らず、誰にも理解されないまま――そんな生き方を選んだ人間を、私は初めて見た」

「それは……買いかぶりすぎです」

「そうだろうか」

 公爵は窓辺に歩み寄り、外を見た。

「明日、あなたは王都を去る。おそらく国境近くの辺境へ向かうつもりだろう」

 その推測は正しかった。私は驚きを隠せない。

「なぜ、それを?」

「あなたの領地は北の辺境にある。そして最近、隣国との国境付近で小競り合いが増えている。あなたはそこへ向かうつもりだ」

「……」

「違うか?」

 私は何も答えられなかった。公爵の洞察力は、恐ろしいほど鋭い。

「エリアナ・ヴェルノン。あなたは王都を追放されてもなお、この国を守ろうとしている」

「私は、ただ……」

「いい。今は答えなくていい」

 公爵は私に向き直った。

「だが、覚えておいてほしい。あなたが一人で戦う時代は終わった。少なくとも、私はあなたを見ている」

 そう言って、公爵は部屋を出ていった。

 残された私は、窓の外の月を見上げた。

 誰かに見られている――その事実が、不思議なほど胸を温かくした。

-----

 翌朝、夜明け前。

 私は簡素な旅装に身を包み、屋敷を後にした。

 馬車には最小限の荷物だけ。使用人たちは昨夜のうちにすべて解雇した。誰も巻き込むわけにはいかない。

「お嬢様……」

 馬車の陰から、マリアが現れた。

「マリア! どうして」

「最後まで、お嬢様のお傍にいたいんです」

 彼女の目は真っ赤だった。きっと一晩中泣いていたのだろう。

「ダメよ。あなたには未来がある。私のような追放者についていくべきじゃない」

「でも……」

「マリア」

 私は彼女の手を取った。

「あなたは良い子だから、きっとすぐに新しい仕事が見つかる。王都で幸せになって」

「お嬢様……」

「これは、命令よ」

 私は努めて微笑んだ。

 マリアは唇を噛み締めながら、深々と頭を下げた。

「お嬢様が……どんなに優しい方か、私は知っています。いつか、きっと誰かがわかってくれます」

「ありがとう、マリア」

 私は彼女を抱きしめた。これが最後だと分かっていたから。

-----

 馬車が王都の門を出る頃には、朝日が昇り始めていた。

 振り返ると、白亜の王宮が朝焼けに染まっている。

 あの場所で過ごした日々――それは決して楽しいものではなかった。

 常に気を張り詰め、誰も信じることができず、一人で策を巡らせ続けた。

 だが、後悔はしていない。

「これで、あの国はしばらく持つでしょう」

 私は小さく呟いた。

 王太子殿下とルシア様が結ばれれば、王宮には新しい風が吹く。私が暴いた貴族たちの汚職も、しばらくは沈静化するだろう。

 私という「共通の敵」を失った派閥たちは、一時的に静観するはずだ。

 その間に、殿下が成長してくれれば――この国は、きっと大丈夫だ。

「お嬢様」

 御者が声をかけてきた。老いた御者は、唯一私についてきてくれた使用人だった。

「どうしたの、セバスチャン」

「道の先に、馬車が止まっております」

「馬車?」

 私は窓から外を見た。

 確かに、黒い馬車が一台、道の真ん中に止まっている。そして、その傍らに立つ長身の人影。

「公爵様……?」

 ディートリヒ・フォン・シュタインベルク公爵が、私の馬車を待っていた。

 私の馬車が止まると、公爵が近づいてきた。

「おはよう、エリアナ・ヴェルノン」

「公爵様、どうしてここに」

「見送りに来た」

 そう言って、公爵は懐から一通の手紙を差し出した。

「これは?」

「私の領地への通行証と、推薦状だ。もし辺境での生活に困ることがあれば、私の領地へ来るといい」

「そんな……受け取れません」

「なぜだ?」

「公爵様が、追放者の私を庇えば……」

「私を誰だと思っている」

 公爵は僅かに笑みを浮かべた。

「冷酷公爵と恐れられるこの私だ。誰も逆らえない」

 その言葉に、私は思わず小さく笑ってしまった。

「公爵様は、冷酷ではありませんね」

「そうか? 世間の評価は違うが」

「少なくとも、今の私にとっては」

 私は手紙を受け取った。

「ありがとうございます。大切にします」

「それと、もう一つ」

 公爵は真剣な表情になった。

「あなたが辺境で何をしようとしているのか、私には分かる。だが、無理はするな」

「……」

「あなたは十分にやった。これ以上、一人で背負い込む必要はない」

「でも、国境の情勢が……」

「それは私が調査する」

 公爵の言葉に、私は目を見開いた。

「公爵様が?」

「ああ。あなたが気にしている隣国との小競り合い、あれは偶発的なものではない。誰かが意図的に緊張状態を作り出している」

「やはり……」

「あなたも気づいていたのか」

 私は頷いた。

「最近の国境での衝突は、あまりにもタイミングが良すぎます。まるで誰かが、王宮の注意を外へ向けさせようとしているような」

「その通りだ」

 公爵は腕を組んだ。

「おそらく、あなたが暴いた貴族たちの残党が動いている。彼らは王宮内での失地を回復するため、外部に混乱を作り出そうとしている」

「では、私が辺境に行っても……」

「無駄だ。いや、危険だ」

 公爵は私を見据えた。

「彼らはあなたを恨んでいる。辺境であなたを亡き者にしようとする可能性もある」

「それでも、私は行きます」

 私は決意を込めて言った。

「もし本当に貴族たちの残党が動いているなら、現地の状況を把握する必要があります。王宮にいる殿下たちでは、すぐに動けない」

「エリアナ……」

「大丈夫です。私は一人で生き延びる術を知っています」

 公爵は長い沈黙の後、深く息を吐いた。

「……分かった。だが、条件がある」

「条件?」

「月に一度、私に手紙を送れ。状況報告でいい。それさえしてくれれば、私はあなたの選択を尊重する」

「それは……」

「これは交渉ではない。命令だ」

 公爵の口調は厳しかったが、その瞳には――心配の色があった。

「……分かりました。約束します」

「よし」

 公爵は馬車に戻りかけたが、途中で振り返った。

「エリアナ・ヴェルノン」

「はい」

「あなたは、もう一人じゃない。それを忘れるな」

 その言葉を残して、公爵は馬車に乗り込んだ。

 黒い馬車が去っていくのを見送りながら、私は胸に手を当てた。

 温かい。

 誰かに心配されること。誰かに見守られること。

 それがこんなにも、心を満たすものだとは知らなかった。

-----

 王都から三日の道のり。

 私は辺境の小さな村に到着した。

 ここは私の領地の端、隣国との国境まで半日の距離にある場所だった。

「ここが……」

 村は小さく、質素だった。だが人々の表情は明るく、子供たちが元気に走り回っている。

 私はこの村を守るために来た。

 王宮では誰も気にしない、名もない小さな村。だが、ここに住む人々の命は、貴族たちの命と同じように大切なものだ。

「すみません」

 私は村の入り口で作業をしていた老人に声をかけた。

「この村の村長さんのお宅を教えていただけますか?」

「村長? ああ、あの家だ」

 老人が指差す方向に、少し大きな家が見えた。

「ありがとうございます」

「お嬢さん、旅の方かい?」

「ええ、少しの間、この村に滞在させていただこうと思って」

「そうかい。なら、気をつけなされ」

「気をつける?」

 老人は声を潜めた。

「最近、国境の方が物騒でね。夜になると、怪しい連中が行き来してるらしい」

「怪しい連中……」

「ああ。村の若い衆が何人か、様子を見に行ったきり帰ってこないんだ」

 私の背筋に緊張が走った。

 やはり、何かが起きている。

「分かりました。ありがとうございます」

 私は村長の家へと向かった。

 辺境での新しい生活が、今始まる。

 そして私は――まだ知らない。

 この小さな村で起きている出来事が、やがて王国全体を揺るがす大きな陰謀の一端であることを。

-----

 その頃、王都では。

 王太子アレクシスは、執務室で書類に目を通していた。

「殿下、エリアナ様が王都を発たれたそうです」

 侍従が報告する。

「……そうか」

 アレクシスは短く答えただけだった。

 彼女が去って、まだ一日しか経っていない。なのに、不思議なことに――王宮が静かすぎる気がした。

 これまでエリアナがいた頃は、常に何かしらの問題が起きていた。貴族の諍い、予算の問題、人事の混乱。

 だが今は、驚くほど静かだ。

「これでいい。ルシアと、平和な日々が送れる」

 アレクシスは自分にそう言い聞かせた。

 だが、胸の奥に引っかかる小さな違和感を、彼はまだ無視していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

病弱令嬢…?いいえ私は…

月樹《つき》
恋愛
 アイゼンハルト公爵家の長女クララは生まれた時からずっと病弱で、一日の大半をベッドの上で過ごして来た。対するクララの婚約者で第三皇子のペーターはとても元気な少年で…寝たきりのクララの元を訪ねることもなく、学園生活を満喫していた。そんなクララも15歳となり、何とかペーターと同じ学園に通えることになったのだが…そこで明るく元気な男爵令嬢ハイジと仲睦まじくするペーター皇子の姿を見て…ショックのあまり倒れてしまった…。 (ペーターにハイジって…某アルプスの少女やんか〜い!!) 謎の言葉を頭に思い浮かべながら…。 このお話は他サイトにも投稿しております。

『悪女と呼ばれた令嬢は、親友の幸せのために婚約者を捨てた』

由香
恋愛
婚約者である王太子を、親友のために手放した令嬢リュシエンヌ。 彼女はすべての非難を一身に受け、「悪女」と呼ばれる道を選ぶ。 真実を語らぬまま、親友である騎士カイルとも距離を置き、 ただ一人、守るべきものを守り抜いた。 それは、愛する人の未来のための選択。 誤解と孤独の果てで、彼女が手にした本当の結末とは――。 悪女と呼ばれた令嬢が、自ら選び取る静かな幸福の物語。

婚約破棄された私が辺境で薬師になったら、元婚約者が後悔し始めました

たくわん
恋愛
病弱で役立たずと侮られ、婚約破棄されて辺境の寒村に追放された侯爵令嬢リディア。しかし、彼女には誰も知らない天才的な薬学の才能があった。絶望の淵から立ち上がったリディアは、持ち前の知識で村人たちの命を救い始める。やがて「辺境の奇跡の薬師」として名声を得た彼女の元に、隣国の王子レオンハルトが研究協力を求めて現れて――。

地味でつまらない私は、殿下の婚約者として相応しくなかったのではありませんか?

木山楽斗
恋愛
「君のような地味でつまらない女は僕には相応しくない」 侯爵令嬢イルセアは、婚約者である第三王子からある日そう言われて婚約破棄された。 彼は貴族には華やかさが重要であると考えており、イルセアとは正反対の派手な令嬢を婚約者として迎えることを、独断で決めたのである。 そんな彼の行動を愚かと思いながらも、イルセアは変わる必要があるとも考えていた。 第三王子の批判は真っ当なものではないと理解しながらも、一理あるものだと彼女は感じていたのである。 そこでイルセアは、兄の婚約者の手を借りて派手過ぎない程に自らを着飾った。 そして彼女は、婚約破棄されたことによって自身に降りかかってきた悪評などを覆すためにも、とある舞踏会に臨んだのだ。 その舞踏会において、イルセアは第三王子と再会することになった。 彼はイルセアのことを誰であるか知らずに、初対面として声をかけてきたのである。 意気揚々と口説いてくる第三王子に対して、イルセアは言葉を返した。 「地味でつまらない私は、殿下の婚約者として相応しくなかったのではありませんか?」と。

『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?

あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。 「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」

処理中です...