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第3話|冷酷公爵の違和感
エリアナが王都を去って三日後。
シュタインベルク公爵邸の書斎では、ディートリヒが山のような書類と格闘していた。
「公爵様、こちらが過去三年分のエリアナ・ヴェルノン嬢に関する記録です」
執事のクラウスが、新たな資料を運んでくる。
「ご苦労」
ディートリヒは書類を受け取り、目を通し始めた。
エリアナ・ヴェルノン――彼女が「悪役令嬢」として糾弾された根拠を、一つ一つ検証する作業。
それは、想像以上に奇妙な作業だった。
「クラウス」
「はい」
「この記録を見ろ。二年前、エリアナ嬢がマーガレット・ウィンザー伯爵令嬢を公の場で侮辱したとされる事件だ」
「ええ、有名な話ですね。社交界でも大きな話題になりました」
「だが、この事件の一ヶ月後、ウィンザー伯爵家は王室への献金の不正が発覚し、爵位を剥奪されている」
ディートリヒは別の書類を広げた。
「エリアナ嬢が侮辱したとされる内容は、『伯爵家の財政管理について疑問がある』というものだった」
「それは……」
「彼女は、不正を事前に察知していたのだろう。そして、公の場で非難することで、他の貴族たちに調査の目を向けさせた」
クラウスは息を呑んだ。
「しかし、それでは彼女自身が……」
「悪役になる。その通りだ」
ディートリヒは次の書類を手に取った。
「一年半前、エリアナ嬢が使用人を虐待したとされる事件。彼女が解雇した使用人三名は、後に隣国のスパイであることが判明している」
「まさか……」
「半年前、王室の資金を不正に流用したとされる事件。その資金は孤児院と、北部辺境の村々に流れている。いずれも、王宮が予算を削減した場所だ」
ディートリヒは書類を机に置き、深く息を吐いた。
「すべてが、同じパターンだ」
「同じパターン、ですか?」
「エリアナ・ヴェルノンは、自ら憎まれ役を買って出ることで、王宮と国を守ってきた」
ディートリヒは立ち上がり、窓の外を見た。
「彼女の『悪行』は、すべて国に利益をもたらしている。だが誰も気づかない。いや、気づこうともしない」
「では、なぜ彼女はそのようなことを?」
「それが分からない」
ディートリヒは振り返った。
「彼女には何の得もない。名誉も失い、婚約も破棄され、爵位まで剥奪された。それでも彼女は、最後まで弁解しなかった」
「……公爵様」
「何だ?」
「もしかして、公爵様は……エリアナ様に」
「余計なことを言うな、クラウス」
ディートリヒは冷たく言い放った。だが、その表情には――僅かな動揺が見えた。
クラウスは小さく笑みを浮かべた。
「失礼いたしました。では、引き続き調査を進めます」
「ああ、頼む」
クラウスが部屋を出ていった後、ディートリヒは再び窓の外を見た。
エリアナの顔が脳裏に浮かぶ。
舞踏会で断罪された時、彼女は一切動じなかった。まるで、すべてを予測していたかのように。
そして別れ際、彼女は微笑んだ。
あの微笑みには、諦めと――そして、ほんの僅かな安堵があった。
「役目を終えた、という顔だった」
ディートリヒは呟いた。
だが、彼女の役目は本当に終わったのだろうか?
辺境へ向かった彼女は、今も何かを守ろうとしているのではないか。
「エリアナ・ヴェルノン……あなたは一体、何者なのだ」
-----
その夜、ディートリヒは王宮に呼ばれた。
王太子アレクシスが、緊急の会議を招集したのだ。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
会議室には、王国の主要な貴族たちが集まっていた。
ディートリヒは部屋の隅に座り、静かに様子を見守る。
「本日お集まりいただいたのは、国境の件についてです」
アレクシスが口を開いた。
「ここ数日、北部国境で小競り合いが激化しています。隣国との関係が悪化しており、このままでは戦争になりかねません」
「殿下、それは」
財務大臣が手を挙げた。
「エリアナ・ヴェルノンが去ってから、急に悪化したように思えますが」
その言葉に、会議室がざわついた。
「まさか、あの女が隣国と通じていたとか?」
「いや、それはないだろう。彼女はもう王都にいない」
「だが、タイミングが不自然すぎる」
貴族たちの議論を聞きながら、ディートリヒは眉をひそめた。
違う。これは偶然ではない。
エリアナが王都にいた頃、彼女は様々な問題を――自ら悪役になることで――抑え込んでいた。
そして今、彼女がいなくなったことで、抑えられていた問題が表面化し始めている。
「シュタインベルク公爵」
アレクシスが彼の名を呼んだ。
「はい、殿下」
「あなたは北部の情勢に詳しい。何か意見はありますか?」
ディートリヒは立ち上がった。
「殿下、この国境での小競り合いは、偶発的なものではありません」
「どういうことだ?」
「誰かが意図的に、緊張状態を作り出しています」
会議室が静まり返った。
「誰かとは?」
「それを突き止めるために、調査が必要です」
ディートリヒは真剣な表情で続けた。
「殿下、私に北部辺境の調査を命じてください。真相を明らかにします」
アレクシスは少し考えた後、頷いた。
「分かった。シュタインベルク公爵に、北部辺境の調査を命じる」
「承知いたしました」
ディートリヒは深く一礼した。
これで、エリアナのもとへ行く理由ができた。
-----
会議が終わり、廊下を歩いていると、誰かがディートリヒを呼び止めた。
「シュタインベルク公爵」
振り返ると、ルシア・クレメント子爵令嬢が立っていた。
「これは、ルシア様。どうなさいました?」
「少し、お話ししてもよろしいですか?」
「構いませんが」
二人は人気のない中庭へと移動した。
「公爵様、あなたは……エリアナ様のことを調べているのですね」
ルシアの言葉に、ディートリヒは眉を上げた。
「なぜそう思われるのですか?」
「勘です。あなたの目が、舞踏会の時からずっとエリアナ様を追っていましたから」
ルシアは悲しそうな表情を浮かべた。
「私、ずっと気になっていたんです。エリアナ様は本当に、悪い人だったのかって」
「……」
「殿下は、エリアナ様が数々の悪行を働いたと言いました。でも、私が見たエリアナ様は……そんな風には見えなかったんです」
「どのように見えましたか?」
「疲れていて、寂しそうで……まるで、何かを一人で背負っているような」
ルシアは目に涙を浮かべた。
「もし、エリアナ様が本当は悪い人じゃなかったら……もし、私たちが間違っていたら……」
「ルシア様」
ディートリヒは彼女の肩に手を置いた。
「あなたは優しい方だ。だが、今はまだ何も分かっていません」
「でも……」
「私が真実を明らかにします。それまで、どうか王太子殿下を支えてあげてください」
ルシアは涙を拭い、頷いた。
「分かりました。公爵様、どうか……エリアナ様が無事でいらっしゃることを祈っています」
「ええ、私もです」
-----
翌朝、ディートリヒは出発の準備を整えていた。
「公爵様、本当に行かれるのですか?」
クラウスが心配そうに尋ねる。
「ああ。北部辺境には、エリアナがいる」
「それは分かっておりますが……危険ではありませんか?」
「危険なのは、エリアナの方だ」
ディートリヒは剣を腰に差した。
「彼女は一人で、何かと戦おうとしている。それを放っておけるわけがない」
「公爵様……」
「クラウス、王都のことは任せる」
「承知いたしました。どうかご無事で」
ディートリヒは黒い馬に跨り、公爵邸を後にした。
北へ。エリアナがいる場所へ。
彼の心には、一つの確信があった。
エリアナ・ヴェルノンは、まだ戦っている。
そして今度こそ、彼女を一人にはしない。
-----
王宮では、アレクシスが執務室で書類と格闘していた。
「おかしい……」
彼は呟いた。
エリアナが去ってから、些細なことが次々と問題化している。
以前なら誰かが処理していたはずの雑務が、すべて彼の元に届くようになった。
貴族たちの小競り合いも増えている。以前は誰かが仲裁していたはずなのに。
「まさか……エリアナが、これらをすべて?」
アレクシスは頭を振った。
いや、そんなはずがない。彼女は悪役令嬢だったのだから。
だが、胸の奥の違和感は消えなかった。
そして彼は気づいていなかった。
自分が、すでにエリアナの不在を――深く後悔し始めていることに。
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