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第4話|追放先での再会
しおりを挟む北部辺境の小さな村。
エリアナは、村長の家の一室を借りて暮らし始めていた。
質素な部屋だったが、不自由はない。何より、ここには王宮のような息苦しさがなかった。
「お嬢さん、朝食ができましたよ」
村長の妻、マルタが優しく声をかけてくる。
「ありがとうございます」
エリアナは食卓につき、温かいスープと黒パンをいただいた。
王宮での豪華な食事とは比べ物にならないほど質素だったが、このスープは心から美味しいと思えた。
「お嬢さん、本当に王都から来たんですか?」
マルタが不思議そうに尋ねる。
「ええ。少し……事情があって」
「そうですか。まあ、詮索はしませんけど、困ったことがあったら何でも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
エリアナは微笑んだ。
ここの人々は、彼女の素性を知らない。ただの旅人として、温かく迎えてくれた。
この感覚が、どれほど久しぶりだろうか。
「そういえば、お嬢さん」
村長が深刻な顔で話しかけてきた。
「昨夜も、若者が一人消えたんです」
「消えた?」
「ええ。国境の様子を見に行くと言って出かけたきり、帰ってこない」
エリアナは眉をひそめた。
これで四人目だ。明らかに、何かが起きている。
「村長さん、私も国境の様子を見てきてもいいですか?」
「お嬢さんが? 危険ですよ」
「大丈夫です。少しだけ、様子を見るだけですから」
村長は心配そうだったが、最終的には頷いてくれた。
-----
昼過ぎ、エリアナは国境へと向かった。
セバスチャンを伴い、馬車で森の中を進む。
国境まであと一時間という場所で、エリアナは馬車を止めさせた。
「セバスチャン、ここで待っていて」
「お嬢様、一人では……」
「大丈夫。何かあったらすぐに戻ります」
エリアナは森の中へと足を踏み入れた。
鳥のさえずりと、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
しばらく歩くと、前方に人の気配を感じた。
「誰だ!」
突然、男の声がした。
エリアナが振り返ると、粗末な服を着た男たちが三人、彼女を囲んでいた。
「こんな場所で、貴族の令嬢が一人とは珍しいな」
男の一人がニヤリと笑った。
「私は、ただの旅人です」
「嘘をつくな。その服、その物腰。どう見ても貴族だ」
男たちが近づいてくる。
エリアナは冷静に状況を判断した。三人。武器を持っている。逃げるのは難しい。
「大人しくしてろ。いい金になる」
男が手を伸ばしてきた瞬間――
シュッという音とともに、男の手首に短剣が突き刺さった。
「ぎゃあっ!」
男が悲鳴を上げて後退する。
「次は外さない」
冷たい声とともに、黒い影が現れた。
長身の男が、エリアナと男たちの間に立ちはだかる。
「公爵様……!」
エリアナは驚きの声を上げた。
ディートリヒ・フォン・シュタインベルク公爵が、そこにいた。
「貴様……シュタインベルク公爵!」
男たちは顔色を変えた。
「冷酷公爵が、なぜこんな場所に……!」
「去れ。次に会った時は、命はないと思え」
ディートリヒの声には、一切の慈悲がなかった。
男たちは慌てて森の奥へと逃げ去った。
「公爵様、どうしてここに?」
「それはこちらの台詞だ」
ディートリヒは振り返り、エリアナを睨んだ。
「危険だと言っただろう。なぜ一人で国境に近づく?」
「調査が必要だったんです」
「調査なら私がする。あなたは村で待っていればいい」
「でも……」
「エリアナ・ヴェルノン」
ディートリヒは彼女の肩を掴んだ。
「あなたは、自分の命を軽く見すぎている」
その瞳には、怒りと――心配が混じっていた。
「……すみません」
エリアナは素直に謝った。
ディートリヒは深く息を吐き、手を離した。
「とりあえず、村に戻ろう。話はそれからだ」
-----
村に戻ると、マルタが驚いた顔で二人を迎えた。
「お嬢さん、この方は?」
「えっと……知人です」
「まあ、立派な方ですね。さあさあ、どうぞお上がりください」
ディートリヒとエリアナは、村長の家の応接間に通された。
「それで、公爵様はなぜここに?」
エリアナが尋ねると、ディートリヒは腕を組んだ。
「王太子殿下から、北部国境の調査を命じられた」
「国境の調査……やはり、王宮でも問題になっているんですね」
「ああ。小競り合いが激化している。このままでは戦争になりかねない」
ディートリヒはエリアナを見た。
「あなたも、それを調べていたんだろう?」
「……ええ」
エリアナは頷いた。
「この村では、国境へ向かった若者が次々と消えています。もう四人も」
「四人?」
「はい。みんな、様子を見に行くと言って出かけたきり、戻ってきません」
ディートリヒは考え込んだ。
「さっきの男たちは、おそらく密輸業者か山賊だろう。だが、若者たちが消えているのは別の理由かもしれない」
「別の理由?」
「ああ。もしかすると、誰かが若者を集めているのかもしれない」
「集めている……まさか」
エリアナは顔色を変えた。
「傭兵として、ですか?」
「その可能性がある」
ディートリヒは立ち上がった。
「今夜、国境を調査する。あなたは――」
「私も行きます」
エリアナが即座に言った。
「何を言っている。危険だと――」
「公爵様一人では危険です。それに、私はこの地域の地理に詳しいんです」
エリアナは真剣な表情で続けた。
「ここは私の領地でした。どこに抜け道があり、どこが危険か、私は知っています」
ディートリヒは長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「……条件がある」
「条件?」
「私の指示に従うこと。危険だと判断したら、すぐに撤退すること」
「分かりました」
「約束できるか?」
「約束します」
ディートリヒは渋々頷いた。
「では、日が暮れたら出発する。それまで準備をしておけ」
-----
夜。
エリアナとディートリヒは、馬で国境へと向かった。
月明かりだけが頼りの暗い森の中を、二人は静かに進む。
「公爵様」
エリアナが小さな声で呼びかけた。
「何だ?」
「なぜ、私に手紙を書けと言ったのですか?」
ディートリヒは少し驚いた様子だったが、すぐに答えた。
「あなたが無事かどうか、確認したかったからだ」
「でも、なぜ私のことを?」
「……」
ディートリヒは答えなかった。
しばらく沈黙が続いた後、彼は静かに口を開いた。
「あなたは、誰にも理解されないまま、一人で戦い続けてきた」
「……」
「それが、許せなかった」
エリアナは目を見開いた。
「公爵様……」
「私は冷酷だと言われている。人の感情に無関心だと」
ディートリヒは前を向いたまま続けた。
「だが、あなたを見た時――初めて、誰かを放っておけないと思った」
「どうして、ですか?」
「分からない」
ディートリヒは正直に答えた。
「ただ、あなたの瞳を見た時、そう思った。あなたは一人じゃいけない、と」
エリアナは胸が温かくなるのを感じた。
誰にも理解されず、誰にも頼れず、ずっと一人で戦ってきた。
それが当たり前だと思っていた。
でも――この人は、自分を見ていてくれる。
「ありがとうございます」
エリアナは小さく呟いた。
「礼を言われることじゃない」
「いいえ。公爵様が思う以上に、私にとっては大きなことです」
二人の間に、静かな理解が生まれた。
-----
国境まであと少しというところで、ディートリヒが手を上げた。
「止まれ」
二人は馬を止め、周囲を警戒する。
前方に、明かりが見えた。
「何か、いますね」
「ああ。様子を見よう」
二人は馬を降り、木陰に身を隠しながら近づいた。
そこには――驚くべき光景が広がっていた。
数十人の若者たちが、鎖で繋がれている。そして、見知らぬ紋章をつけた兵士たちが彼らを監視していた。
「あれは……」
「隣国の紋章だ」
ディートリヒの声が低く唸った。
「まさか、若者たちを拉致して……」
「奴隷として売るつもりか、それとも兵士として使うつもりか」
ディートリヒは剣の柄を握った。
「どちらにせよ、許されることではない」
「公爵様、どうしますか?」
「あの人数では、二人では対処できない」
ディートリヒは冷静に状況を判断した。
「一度戻って、援軍を呼ぶ。それまで――」
その時、背後で枝が折れる音がした。
「誰だ!」
兵士たちが二人に気づいた。
「まずい、逃げるぞ!」
ディートリヒはエリアナの手を掴み、走り出した。
兵士たちの足音が、すぐ後ろに迫ってくる。
「こっちです!」
エリアナが先導し、森の中の抜け道へと誘導する。
二人は息を切らしながら、必死に逃げた。
-----
ようやく追手を振り切り、二人は森の中の小さな洞窟に身を隠した。
「……大丈夫か?」
ディートリヒが息を整えながら尋ねる。
「ええ、何とか」
エリアナも荒い呼吸を整えた。
洞窟の中は暗く、二人の距離が近い。
「公爵様、見てしまいましたね」
「ああ。隣国が、この国の若者を拉致している」
ディートリヒは拳を握りしめた。
「これは、明らかな宣戦布告だ」
「いいえ、違います」
エリアナが静かに言った。
「これは、隣国の仕業に見せかけた何者かの策略です」
「なぜそう思う?」
「隣国があんな堂々と行動するはずがありません。もし発覚すれば、戦争になる」
エリアナは考えを巡らせた。
「誰かが、両国を戦争に導こうとしている」
「では、黒幕は……」
「おそらく、この国の内部にいます」
二人は顔を見合わせた。
そして同時に、同じ答えに辿り着いた。
「王宮内の、腐敗した貴族たちだ」
ディートリヒが呟いた。
「戦争が起これば、軍需で莫大な利益が生まれる。そして混乱に乗じて、権力を握ることができる」
「そうです。だから私は……」
エリアナは言葉を詰まらせた。
「だから、あなたは王都にいた頃、彼らを抑え込んでいたんだな」
ディートリヒは優しく言った。
「ええ。でも、私が去ったことで……彼らが動き出した」
「あなたのせいじゃない」
ディートリヒはエリアナの肩に手を置いた。
「あなたは十分にやった。これ以上、一人で背負う必要はない」
「でも……」
「今度は、私が一緒に戦う」
ディートリヒは真剣な瞳でエリアナを見つめた。
「あなたを、二度と一人にはしない」
その言葉に、エリアナの目に涙が浮かんだ。
長い間、誰にも頼れず、誰にも理解されず、ずっと一人で戦ってきた。
でも、もう一人じゃない。
「ありがとうございます……公爵様」
エリアナは初めて――心から、誰かに感謝した。
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