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第5話|役目の正体
洞窟の中で夜を明かした二人は、夜明けとともに村へと戻った。
村長の家に着くと、マルタが心配そうに駆け寄ってきた。
「お嬢さん! 公爵様! 一晩中どこに……」
「すみません、マルタさん。少し調査が長引いてしまって」
「まあ、無事で良かった。さあ、温かいものを用意しますから」
マルタが台所へ向かった後、エリアナとディートリヒは応接間に通された。
「公爵様、これからどうなさいますか?」
「まず、王都に報告が必要だ」
ディートリヒは窓の外を見た。
「だが、その前に――エリアナ、あなたに聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
「あなたが王宮で担ってきた役目について、すべて教えてほしい」
エリアナは少し躊躇した後、静かに頷いた。
「……分かりました」
-----
温かいスープが運ばれてきた後、エリアナは話し始めた。
「私が王太子殿下と婚約したのは、三年前のことです」
「ああ」
「当時、王宮は混乱していました。先王が崩御され、若い国王陛下が即位したばかりで」
エリアナは遠い目をした。
「貴族たちは、新しい王の足元を見るように好き勝手に動き始めました。賄賂、汚職、派閥争い……」
「それで、あなたが動いたのか?」
「いいえ」
エリアナは首を横に振った。
「最初は、私も普通の婚約者でした。殿下を支え、王太子妃になる準備をしていただけです」
「では、何が変わった?」
「ある日、父が私に言ったんです」
エリアナの声が少し震えた。
「『お前には、特別な役目がある』と」
-----
「父――ヴェルノン侯爵は、国王陛下の側近でした」
エリアナは続けた。
「父は、王宮の腐敗を憂いていました。でも、表立って動けば、すぐに貴族たちの標的になる」
「それで、あなたを使ったのか?」
「……そうです」
エリアナは俯いた。
「父は私に、『悪役』になるよう命じました。王太子の婚約者という立場を利用して、腐敗した貴族たちを炙り出せ、と」
「それは……」
ディートリヒは拳を握りしめた。
父親が娘に、そんな役目を押し付けるなど。
「最初は抵抗しました。でも、父は言いました。『お前にしかできない。お前なら、国を救える』と」
エリアナは微笑んだ。悲しげな微笑みだった。
「父は一年前に亡くなりました。でも、私はその役目を続けました」
「なぜだ? 強要する者がいなくなったのに」
「だって……」
エリアナは公爵を見た。
「本当に、国が救われたから」
-----
「私が最初にしたのは、マーガレット・ウィンザー伯爵令嬢を社交界で侮辱することでした」
エリアナは静かに語り始めた。
「彼女の父――ウィンザー伯爵は、王室への献金を着服していました。でも証拠がなかった」
「それで、あなたが囮になった?」
「はい。私が公の場で彼女を侮辱すれば、伯爵家は私を陥れようとする。その過程で、必ず不正が露呈すると思いました」
「そして、実際にそうなった」
「ええ。伯爵家は私を訴えようとして、財政記録を提出しました。そこで不正が発覚し、爵位を剥奪された」
ディートリヒは唸った。
「だが、その代償としてあなたは『貴族令嬢をいじめる悪女』という評価を受けた」
「それが、私の役目でしたから」
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「使用人の解雇も、同じです」
エリアナは続けた。
「私が解雇した三人は、全員スパイでした。隣国から送り込まれた諜報員」
「どうやって気づいた?」
「彼らの行動パターンに不自然な点がありました。夜中に執務室の近くをうろついていたり、外部の者と頻繁に接触していたり」
「それを王宮の警備に報告すればよかったのでは?」
「できませんでした」
エリアナは首を横に振った。
「当時、警備隊長も腐敗していました。報告すれば、スパイたちに逃げられてしまう」
「だから、自分の権限で解雇した」
「はい。そして『使用人を虐待する令嬢』と呼ばれるようになりました」
ディートリヒは深く息を吐いた。
「資金の流用は?」
「あれは、本当に必要だったんです」
エリアナの声に、初めて感情が籠もった。
「王宮は予算を削減しました。孤児院、辺境の村々、医療施設……弱い者たちから切り捨てられていきました」
「それで、あなたが自分の権限で資金を流用した」
「王太子妃候補としての私には、ある程度の予算が割り当てられていました。それを使ったんです」
「だが、それは不正流用と見なされた」
「ええ。でも、子供たちは飢えずに済みました。村人たちは冬を越すことができました」
エリアナは涙を拭った。
「それだけで、十分でした」
-----
ディートリヒは立ち上がり、窓際に歩み寄った。
しばらく沈黙が続いた後、彼は静かに言った。
「エリアナ・ヴェルノン」
「はい」
「あなたは、間違っている」
その言葉に、エリアナは顔を上げた。
「え……?」
「あなたのやったことは、確かに国を救った。多くの人を守った」
ディートリヒは振り返った。
「だが、あなた自身を犠牲にしすぎた」
「それは……」
「父親の命令であれ、自分の意志であれ――誰かを守るために、自分を傷つけ続けることは正しくない」
ディートリヒはエリアナの前に跪いた。
「あなたは一人で、すべてを背負いすぎた」
「でも、他に方法が……」
「あった」
ディートリヒは断言した。
「信頼できる者に相談する。協力者を見つける。一人で戦わず、仲間を作る」
「そんなこと……誰も信じてくれるはずが」
「私は信じる」
ディートリヒはエリアナの手を取った。
「今、あなたの話を聞いて、確信した。あなたは本物の英雄だ」
「英雄なんかじゃありません……」
「いや、英雄だ」
ディートリヒの瞳は真剣だった。
「だが、英雄は一人で戦うべきじゃない。あなたには、支える者が必要だった」
「公爵様……」
「これからは、私がその役を担う」
ディートリヒは立ち上がった。
「あなたが国を守りたいなら、私も協力する。だが、もう一人で背負わせない」
エリアナは、初めて――心から泣いた。
これまで、どんなに辛くても涙を見せなかった。
どんなに孤独でも、笑顔を作ってきた。
でも今、誰かが自分を理解してくれる。誰かが支えてくれる。
その事実が、堰を切ったように涙を溢れさせた。
「ありがとう……ございます」
嗚咽混じりの声で、エリアナは言った。
「ずっと……ずっと一人でした。誰にも言えず、誰にも頼れず……」
「もう大丈夫だ」
ディートリヒはエリアナの頭に手を置いた。
「あなたは、もう一人じゃない」
-----
しばらくして、エリアナが落ち着くと、二人は今後の対策を話し合った。
「まず、若者たちを救出しなければなりません」
エリアナが言った。
「ああ。だが、二人では無理だ。援軍が必要だ」
「王都から兵を呼びますか?」
「それでは時間がかかりすぎる」
ディートリヒは考え込んだ。
「私の領地から、私兵を呼び寄せよう。三日あれば到着する」
「三日……その間に、若者たちが移送されてしまうかもしれません」
「ならば、監視を続けるしかない」
ディートリヒは地図を広げた。
「昨夜の場所を教えてくれ。見張りを立てて、動きを監視する」
「分かりました」
エリアナは地図に印をつけた。
「ここです。国境から二キロほど手前の森の中」
「よし。今夜から監視を始める」
-----
その夜、二人は再び森へと向かった。
今度は慎重に、気づかれないように監視地点を確保する。
「公爵様、あそこです」
エリアナが指差す方向に、昨夜と同じ野営地が見えた。
若者たちはまだそこにいる。鎖で繋がれたまま。
「数は……三十人ほどか」
ディートリヒが呟いた。
「監視の兵士は十五人。全員、隣国の軍服を着ている」
「でも、あれは偽装です」
エリアナが言った。
「動きが軍人のものじゃありません。おそらく、雇われた傭兵です」
「よく見ているな」
「王宮で、様々な人間を観察してきましたから」
二人はしばらく、野営地を監視し続けた。
すると、一人の男が野営地に近づいてきた。
豪華な服を着た、明らかに貴族と分かる人物。
「あれは……」
エリアナは目を凝らした。
月明かりの中、男の顔がはっきりと見えた。
「バルトロメオ・ランカスター男爵……!」
「知っているのか?」
「はい。王宮の貴族です。私が……以前、汚職を暴こうとした相手の一人です」
エリアナの声が震えた。
「でも、証拠が掴めず、失敗しました」
「なるほど。復讐も兼ねているわけか」
ディートリヒは冷たく笑った。
「だが、これで証拠は揃った」
「どういうことですか?」
「ランカスター男爵が、この拉致に関わっている。これは決定的な証拠だ」
ディートリヒは懐から小さな装置を取り出した。
「これで記録する。王都に戻ったら、この男を糾弾する」
-----
ランカスター男爵は、監視の兵士たちと何か話をしていた。
その後、一人の若者を指差し、兵士に命じた。
兵士が若者を引きずり出す。
「やめろ! 離せ!」
若者の叫び声が森に響いた。
「見せしめだ」
ディートリヒが低く呟いた。
「反抗的な者を罰して、他の者を従わせる気だ」
「止めなきゃ……!」
エリアナが立ち上がろうとした瞬間、ディートリヒが彼女を引き止めた。
「待て。今動けば、全員を危険に晒す」
「でも!」
「私も歯痒い。だが、耐えろ」
ディートリヒは真剣な目でエリアナを見た。
「三日待てば、私兵が到着する。そうすれば、全員を救える」
「……」
エリアナは唇を噛みしめた。
目の前で誰かが苦しんでいるのに、何もできない。
この無力感は、王宮で感じていたものと同じだった。
「大丈夫だ」
ディートリヒがエリアナの手を握った。
「必ず、全員救う。私が誓う」
その温かさに、エリアナは少し落ち着いた。
「……公爵様を、信じます」
-----
幸い、若者は殴られただけで、命は取り留めた。
二人は夜明けまで監視を続け、村へと戻った。
「お嬢さん、公爵様、また徹夜だったんですか?」
マルタが心配そうに言った。
「すみません。もう少しだけ、お世話になります」
「いいんですよ。困った時はお互い様です」
マルタの優しさに、エリアナは胸が温かくなった。
-----
昼過ぎ、ディートリヒの私兵から連絡が届いた。
「予定通り、三日後に到着するそうです」
ディートリヒが報告した。
「分かりました。それまで、監視を続けましょう」
「ああ。だが、エリアナ」
「はい?」
「今夜は休め。二晩連続で徹夜では、体が持たない」
「でも……」
「これは命令だ」
ディートリヒは微笑んだ。
「今夜は私一人で監視する。あなたは村で待機していろ」
「そんな、公爵様だって疲れているでしょう」
「私は訓練を受けている。これくらいは平気だ」
ディートリヒはエリアナの頭に手を置いた。
「心配してくれるのは嬉しいが、あなたが倒れたら困るのは私だ」
その優しさに、エリアナは頷くしかなかった。
「……分かりました。でも、何かあったらすぐに起こしてください」
「約束する」
-----
その夜、エリアナは久しぶりにベッドで眠った。
公爵が一人で森にいることが心配だったが、信じると決めた。
彼なら、大丈夫だ。
そう思いながら、エリアナは深い眠りに落ちた。
-----
一方、森の中では。
ディートリヒが一人、野営地を監視していた。
「エリアナ・ヴェルノン……」
彼は小さく呟いた。
「あなたは、本当に強い人だ」
三年間、一人で戦い続けた彼女。
誰にも理解されず、誰にも感謝されず、それでも国を守り続けた。
「だが、もうあなたは一人じゃない」
ディートリヒは決意を新たにした。
「私が、必ずあなたを守る」
月が雲に隠れ、森が一層暗くなった。
だが、ディートリヒの瞳は――確かな光を宿していた。
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