婚約破棄された悪役令嬢ですが、私の”役目”に気づいたのは冷酷公爵だけでした

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第6話|王都の崩れ始め

 王都、王宮。

 エリアナが去って二週間が経っていた。

 王太子アレクシスは、執務室で山積みの書類に埋もれていた。

「殿下、こちらの件も早急にご判断を」

 侍従が新たな書類を持ってくる。

「分かった。後で……いや、これも急ぎか」

 アレクシスは疲れた様子で書類に目を通した。

 財政委員会の予算配分、貴族間の領地争い、北部国境の警備強化、東部の税収問題……

 どれも以前なら、誰かが事前に整理してくれていたはずだった。

「おかしい……」

 アレクシスは呟いた。

「以前は、こんなに雑務が回ってこなかった」

「殿下、以前とは?」

「エリアナが……」

 アレクシスは言葉を止めた。

 まさか。あの悪役令嬢が、こんなことをしていたはずがない。

 だが、否定できない事実があった。

 彼女が去ってから、王宮の業務が明らかに混乱している。

-----

「殿下、お疲れのようですね」

 ルシアが紅茶を持って入ってきた。

「ルシア……ああ、ありがとう」

 アレクシスは紅茶を受け取り、一口飲んだ。

「少し、休まれた方がいいのでは?」

「休んでいる暇がないんだ。やらなければならないことが山積みで」

「……」

 ルシアは心配そうに彼を見た。

「殿下、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「何だい?」

「エリアナ様が王宮にいらした頃、殿下はこんなに忙しかったですか?」

 その質問に、アレクシスは考え込んだ。

「……いや、そういえば」

「やはり」

 ルシアは小さく息を吐いた。

「エリアナ様は、殿下が気づかないところで、多くのことを処理されていたのではないでしょうか」

「まさか。彼女は悪行ばかり……」

「本当に、そうだったのでしょうか?」

 ルシアの言葉に、アレクシスは何も言えなかった。

-----

 その頃、王宮の廊下では。

 貴族たちが、小声で会話を交わしていた。

「聞いたか? 北部で若者が消えているらしい」

「ああ。国境付近が物騒になっているとか」

「それに、最近王宮の決裁が遅れている。王太子殿下、大丈夫なのか?」

「エリアナ・ヴェルノンが去ってから、妙に混乱している気がするな」

「まさか、あの女が何か手を回していたとか?」

「いや、それはないだろう。悪役令嬢だったんだから」

 貴族たちの会話は、疑念と混乱に満ちていた。

-----

 財務省では、大臣が頭を抱えていた。

「困った……この予算配分、誰がやっていたんだ?」

 副官が書類を見ながら答えた。

「以前の記録を見ると……エリアナ・ヴェルノン嬢の名前が」

「何? あの悪役令嬢が?」

「はい。彼女が王太子妃候補として、予算委員会の一部を担当していたようです」

 大臣は書類を詳しく見た。

 そこには、驚くべき記録があった。

 孤児院への予算配分、辺境の村への支援、医療施設の維持費……

 すべて、エリアナが承認していた。

「これは……」

「大臣、どうなさいますか?」

「これらの予算、すべて凍結されている。早急に再開しなければ……」

 大臣は焦った様子で立ち上がった。

「王太子殿下に報告する!」

-----

 執務室に財務大臣が駆け込んできた。

「殿下! 大変です!」

「どうした、そんなに慌てて」

「エリアナ・ヴェルノン嬢が管理していた予算が、すべて止まっています!」

「何?」

 アレクシスは書類を受け取った。

 そこには、エリアナが承認していた様々な予算項目が記されていた。

「孤児院、辺境支援、医療施設……これらはすべて、エリアナが?」

「はい。彼女の承認なしでは、誰も動かせなかったようです」

 アレクシスは愕然とした。

「では、今これらの施設は……」

「資金が途絶えて、困窮しています。孤児院では食料が不足し、辺境の村では医療が受けられない状態に」

「すぐに予算を再開しろ!」

「承知しました。ですが、殿下……」

 財務大臣は恐る恐る言った。

「エリアナ嬢は、いったい何をしていたのでしょうか?」

 アレクシスは答えられなかった。

 悪役令嬢だと思っていた彼女が、実は王宮の陰で多くの人々を支えていた?

 そんなはずが……

-----

 その夜、アレクシスは一人で考え込んでいた。

 エリアナのことを思い返す。

 彼女は確かに、貴族たちと対立していた。

 だが、その対立の相手は――今思い返せば、評判の悪い貴族ばかりだった。

「マーガレット・ウィンザー……彼女の父は、献金の不正で爵位を剥奪された」

「エリアナが解雇した使用人たちは……スパイだったと報告があった」

「彼女が流用したとされる資金は……困窮している人々のために使われていた」

 一つ一つ、点が線で繋がっていく。

「まさか……エリアナは、悪役なんかじゃなかった……?」

 その考えが頭をよぎった瞬間、アレクシスは自分の手が震えていることに気づいた。

「いや、そんなはずは……」

 だが、否定できない。

 彼女が去ってから、王宮は明らかに混乱している。

 まるで、大きな歯車が一つ失われたように。

-----

 翌日、宮廷会議が開かれた。

 アレクシスは、貴族たちを前に立った。

「皆、集まってくれてありがとう」

 貴族たちがざわめく。

「本日は、北部国境の件と、王宮内の諸問題について話し合いたい」

 その時、一人の貴族が手を挙げた。

 バルドウィン・ハートレー子爵――エリアナが以前、対立していた貴族の一人だ。

「殿下、その前によろしいでしょうか?」

「何だ?」

「最近、王宮の決裁が遅れております。これは、リーダーシップの問題ではないでしょうか?」

 会議室がざわついた。

「どういう意味だ?」

「殿下は若く、まだ経験が浅い。私たち貴族が、もっと積極的に政治に関与すべきではないかと」

 アレクシスは眉をひそめた。

「貴族の政治介入を強めるということか?」

「そうです。王室のため、国のために」

 ハートレー子爵は偽りの笑みを浮かべた。

 その瞬間、アレクシスは気づいた。

 エリアナがいた頃、このような提案は一度も通らなかった。

 彼女が、どこかで止めていたのだ。

「その提案は、却下する」

 アレクシスは毅然と答えた。

「何? ですが殿下……」

「王政は王が行う。貴族の介入は必要ない」

 ハートレー子爵の顔が歪んだ。

「殿下、それでは国が……」

「この話は終わりだ」

 アレクシスは強い口調で言った。

 エリアナがいなくなった今、自分がしっかりしなければ。

 彼女が守ってきたものを、自分が引き継がなければ。

-----

 会議が終わった後、アレクシスはルシアと二人きりになった。

「ルシア、私は……間違っていたのかもしれない」

「殿下?」

「エリアナのことだ。彼女は、悪役令嬢なんかじゃなかった」

 アレクシスは窓の外を見た。

「彼女は、私が気づかないところで、この国を守っていた」

「……」

「それなのに、私は彼女を糾弾した。婚約を破棄し、追放した」

 アレクシスの声が震えた。

「私は……取り返しのつかないことをしたのかもしれない」

「殿下……」

 ルシアは優しく彼の手を取った。

「でも、今気づけたことは、意味があります」

「だが、もう遅い。彼女は王都を去った」

「ならば、殿下がすべきことは一つです」

 ルシアは真剣な目で言った。

「エリアナ様が守ってきたものを、殿下が守り続けることです」

「……ああ、そうだな」

 アレクシスは決意を新たにした。

 エリアナへの償いは、もうできないかもしれない。

 だが、彼女が守ってきたこの国を、自分が守る。

 それが、せめてもの贖罪になる。

-----

 その夜、王宮の暗い廊下を、一人の男が歩いていた。

 バルドウィン・ハートレー子爵だ。

「くそ……王太子め、生意気な」

 彼は苛立った様子で呟いた。

「エリアナ・ヴェルノンが消えたから、好きにできると思ったのに」

 彼は人気のない部屋へと入った。

 そこには、数人の貴族が待っていた。

「ハートレー、どうだった?」

「ダメだ。王太子は思ったより頑固だ」

「困ったな。エリアナがいなくなったから、王宮を牛耳れると思ったのに」

 貴族たちが不満を漏らす。

「まあいい。北部の計画は順調だ」

 ハートレー子爵は邪悪な笑みを浮かべた。

「若者を拉致し、隣国の仕業に見せかける。そうすれば、戦争が始まる」

「戦争になれば、軍需で儲けられるな」

「そして混乱に乗じて、王太子を排除する」

 貴族たちが笑い声を上げた。

「だが、シュタインベルク公爵が北部に向かったらしい」

「あの冷酷公爵か……厄介だな」

「大丈夫だ。ランカスターに任せてある」

 ハートレー子爵は自信満々に言った。

「公爵一人、どうにでもなる」

-----

 しかし、彼らは知らなかった。

 この会話が、密かに記録されていることを。

 部屋の隅、暗闇の中に――小さな記録装置が隠されていた。

 それは、ディートリヒ・フォン・シュタインベルク公爵が、王都を発つ前に仕掛けておいたものだった。

-----

 王宮の別の場所では。

 クラウス執事が、その記録を受信していた。

「これは……」

 彼は驚愕の表情で記録を聞いた。

「すぐに公爵様に報告しなければ」

 クラウスは急いで手紙を書き始めた。

 公爵が北部で戦っている間、王都でも戦いが始まっていた。

-----

 その頃、ルシアは自室で祈っていた。

「エリアナ様……どうか、ご無事で」

 彼女は窓の外、北の空を見上げた。

「そして、いつか……真実が明らかになりますように」

 月が雲に隠れ、王都に静かな夜が訪れた。

 だが、その静けさの下では――様々な思惑が渦巻いていた。

-----

 アレクシスは、執務室で一人、考え込んでいた。

 机の上には、エリアナの肖像画があった。

「エリアナ……」

 彼は絵に手を伸ばした。

「君は、ずっと一人で戦っていたんだな」

 その目には、初めて――後悔の涙が浮かんでいた。

「すまない……気づくのが、遅すぎた」

 だが、彼の謝罪は――もう、エリアナには届かない。

 彼女は遠い北の地で、新しい人生を歩み始めていた。

 冷酷公爵とともに。
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