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事例2 美食家の悪食【解決篇】

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 拳銃は安野に渡してあるため、こちらは完全に丸腰だ。しかしながら、牽制力を持つようなものを探している暇はない。これがゾンビ映画などであれば、実に都合よく角材などが転がっているのだろうが。

 相手は華奢な女性である。しかし、尾崎の第六感が告げている。危険で油断ならない相手であると――。ただ、こちらと同様あちらも丸腰。力づくで抑えつけることも不可能ではないだろう。尾崎は縁の前へと出ると、そっとドアノブを掴んだ。そして――思い切り扉を開け放つ。

「無駄な抵抗はやめて大人しく観念するっす!」

 部屋の中に向かって声をかけた尾崎は、たちまち背筋が凍っていくのを、嫌というほど味わった。状況によっては、いきなり飛びかかってやろうとも思っていたのだが、それはどうやら危険らしい。なぜなら、先生が解剖用であろうメスを片手に、たたずんでいたのだから。

「お、お、お、お、おっ! おかしな話よねー。私は良かれと思ってやったのに。道端にゴミを落ちてたら拾うでしょう? それは、周囲から賞賛されるべき行為よねぇ? それなのに、どうして私が? ねぇ、どうして私が?」

 突然顔を上げた先生の目は血走り、まるで瞳がウサギのように真っ赤に見えた。口の端からはよだれが垂れ、しかしその表情には恍惚感こうこつかんすら滲み出している。これが本性――。残虐な犯行に手を染め、被害者を喰らった食人鬼の正体。

 外からばたばたと足音が聞こえ、窓の前でぴたりと止まる。安野と麻田が外にスタンバイしてくれたようだ。これで、窓から逃走されるという最悪の結末は回避できそうである。後は、この場で先生を取り押さえてしまえばいい――。頭で考えるのは簡単であるが、しかし先生が凶器を持っている以上、そう簡単にもいかない。

「貴方のやったことは――悪いことなんですよ。名前に対称性のある人間の、非対称な部分を正したところで、誰もそれを望んではいないし、賞賛もしない。そもそも、誰も気にも留めない」

 殺人鬼には殺人鬼なりの思考回路があって、それが一般の人間とは全く構造が異なっているがゆえに、躊躇うこともなく人を殺せてしまうらしい。――縁からの受け売りだった。共有する言語は同じはずなのに、文字通り言葉が通じないのだ。尾崎が先生の行動を理解できないのと同様に、先生は自分のやったことが罪になるということを理解できていないのである。正しくサイコパスと呼ばれる人種であるといえよう。
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