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プロローグ

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「あれぇ? お返事がありませんよぉ? いいですかぁ? もし他の人にねぇ、このことを喋るようならば……」

 田之上は泡を吹いて気を失っている男の顔を踏んづけると――つま先で容赦なく、ぐりぐりとした。頬がえぐれるほど、つま先でぐりぐりとだ。

「こうなりまーす! いいですかぁ? 国家権力が何と言おうが、俺がぶっ殺しに行きますからねー。死にたい? ねぇ、お前ら死にたいの?」

 これが冗談というか、犯罪者を屈服させる手段だというのならば見事な心理操作であろう。けれども、彼との付き合いが長い雅は知っている。それが冗談ではないということを……。かかと落としでもしようと思ったのか、ぐりぐりしていた足を振り上げた田之上に、慌てて声をかける。

「たっ、たのぴー! もう止めとこう。それ以上やると、その人本当に死んじゃうよ!」

 すると、田之上は大人しく暴行をやめ、真顔で雅に向かって口を開いた。

「その、たのぴーって呼び方やめてもらえる? なんか、俺が年がら年中楽しい人みたいな感じになってるから」

 そして感情をたかぶらせながら、まるで雅に対して訴えるかのごとく声を荒げる田之上。

「――世知辛せちがらいのっ! 思っている以上に世の中ってのは世知辛いの! もうどうせならいっそのこと世知辛いって呼んで! それとも、マンモスたのぴーとか言えばいい? ドラッグなだけに!」

 付き合いは誰よりも長いし、出会った当初から田之上のことをニックネームで呼んでいる雅からすれば、今さら改まって田之上さんなんて呼べない。けれども、本人は気に入ってくれていないようで、なかば逆ギレしながら反論をしてくる時があった。

 そんな時の田之上は、大抵気が立っている。ドラッグ密売店の情報を掴んだ一課から仕事を押し付けられたのだから仕方がないのかもしれない。白羽の矢が立った理由はいたってシンプル。一般捜査員には危険だからというものである。

 それに、おとり捜査ひとつをするにしても、様々な手順を踏まねばならず、また証拠を周りから固めなければ、違法捜査になってしまう。このような不確定な要素が含まれている上に危険だと判断された案件などが、たまにこうして六課に回ってくるのだ。

 無駄の六課、無価値の六課。俗称ではスクラップなどと呼ばれる六課だからこそ、ここまで大胆なことが許されるのである。もっとも、何か問題が発生した場合にスケープゴートとして槍玉にあげられるのも六課であるし、始末書なんて日報代わりのようなものだ。
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