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紅茶の香りと沈黙
2話 迎えのない屋敷
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馬車がぎい、と重たくきしんで止まる音に、ルシアンは静かに目を開けた。
窓の外には、かつての実家とは比べものにならないほど壮麗な屋敷がそびえている。
だが、その威容に見とれることなく、彼の視線は玄関前の一人の男へと向けられた。
やや背を丸めた、品のある初老の男性が恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました、ルシアン様。
私はこちらで執事を務めておりますセバスと申します。
主人は少々私用で出ておりまして……本日は私がご案内を務めさせていただきます」
静かな声でそう告げられた瞬間、ルシアンの胸の奥に、ぽつりと小さな寂しさが広がった。
——ああ、やはり。
嫁いできたというのに、最初に顔すら見せてくれないのか。
「そうですか……本日からお世話になります」
ルシアンは小さく返事をし、セバスの後について屋敷の中へと足を踏み入れた。
廊下には金と手間を惜しまず作られた装飾が並び、絨毯は深紅で重厚、壁には由緒ある一族の肖像画が静かに掛かっている。
だが、それらはどこか無機質で、ルシアンにはただ豪奢なだけの、冷たい通路に思えた。
誰ともすれ違うことなく、案内されたのは広く整えられた一室。
扉の前でセバスが再び頭を下げる。
「こちらで旦那様がお越しになるまでお待ちくださいませ。
温かいお飲み物も後ほどお持ちいたします」
そう告げると、セバスは静かに一礼し、音もなくその場を去っていった。
部屋に一人残されたルシアンは、椅子に腰を下ろすと、小さく息を吐いた。
——誰にも会わなかった。
これが「嫁入り」だというのなら、なんとも滑稽だ。
思わず、乾いた笑いが喉の奥で滲みそうになる。
豪華な部屋に通されたものの、どうにも落ち着かない。
ルシアンはそわそわと周囲に目をやりながら、恐る恐るソファに腰を下ろした。
肘掛けに触れる手にも、わずかに緊張がにじんでいる。
——コン、コン。
扉をノックする音に、ルシアンはわずかに背筋を伸ばした。
「どうぞ……」
おずおずと声をかけると、扉が静かに開き、メイドが一人入ってくる。
「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」
そう言って、白い湯気を立てるカップを、ルシアンの前のテーブルにそっと置いた。
染み出すように揺れる湯気を、ルシアンはぼんやりと見つめていたが、はっとして慌てて声を出す。
「あっ……ありがとうございます」
メイドは応えることなく、無言で一礼すると、そのまま静かに扉の向こうへと姿を消した。
扉が閉まったあとも、部屋には紅茶の香りだけが、取り残されたように漂っていた。
部屋に一人きりにされ、どれほどの時間が過ぎただろうか。
カチリ、カチリと時を刻む時計の音だけが、やけに大きく耳に残る。
窓の外は、いつの間にか灰色の空がさらに濃くなり、あたりはじわじわと闇に沈んでいた。
雲に覆われた空は、太陽の位置すら分からず、ただ時間だけが静かに過ぎていく。
——歓迎されていない。
ルシアンは、はっきりとそう悟っていた。
元々、分かっていたはずのことだ。
売られるように嫁いできたこの身に、温かい言葉や微笑みなど、最初から期待するべきではなかったのだ。
けれど……
心のどこかで、この縁談が、ほんの少しでも好意的なものなのではないかと、思っていた自分がいた。
あのとき名前を聞いたときに、胸の奥がわずかに高鳴ってしまった自分が、今はひどく恥ずかしい。
自嘲のように目を伏せた、そのときだった。
——コン、コン。
再び、部屋の扉が小さく叩かれた。
「失礼する」
応える暇もないまま、扉が静かに開く。
現れたのは、長身で凛とした雰囲気を纏う、一人の男だった。
薄明かりの中でも、その姿ははっきりと分かる。
ルシアンが、ずっと心の奥で憧れていた相手——
レオニス・カレドールその人だった。
窓の外には、かつての実家とは比べものにならないほど壮麗な屋敷がそびえている。
だが、その威容に見とれることなく、彼の視線は玄関前の一人の男へと向けられた。
やや背を丸めた、品のある初老の男性が恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました、ルシアン様。
私はこちらで執事を務めておりますセバスと申します。
主人は少々私用で出ておりまして……本日は私がご案内を務めさせていただきます」
静かな声でそう告げられた瞬間、ルシアンの胸の奥に、ぽつりと小さな寂しさが広がった。
——ああ、やはり。
嫁いできたというのに、最初に顔すら見せてくれないのか。
「そうですか……本日からお世話になります」
ルシアンは小さく返事をし、セバスの後について屋敷の中へと足を踏み入れた。
廊下には金と手間を惜しまず作られた装飾が並び、絨毯は深紅で重厚、壁には由緒ある一族の肖像画が静かに掛かっている。
だが、それらはどこか無機質で、ルシアンにはただ豪奢なだけの、冷たい通路に思えた。
誰ともすれ違うことなく、案内されたのは広く整えられた一室。
扉の前でセバスが再び頭を下げる。
「こちらで旦那様がお越しになるまでお待ちくださいませ。
温かいお飲み物も後ほどお持ちいたします」
そう告げると、セバスは静かに一礼し、音もなくその場を去っていった。
部屋に一人残されたルシアンは、椅子に腰を下ろすと、小さく息を吐いた。
——誰にも会わなかった。
これが「嫁入り」だというのなら、なんとも滑稽だ。
思わず、乾いた笑いが喉の奥で滲みそうになる。
豪華な部屋に通されたものの、どうにも落ち着かない。
ルシアンはそわそわと周囲に目をやりながら、恐る恐るソファに腰を下ろした。
肘掛けに触れる手にも、わずかに緊張がにじんでいる。
——コン、コン。
扉をノックする音に、ルシアンはわずかに背筋を伸ばした。
「どうぞ……」
おずおずと声をかけると、扉が静かに開き、メイドが一人入ってくる。
「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」
そう言って、白い湯気を立てるカップを、ルシアンの前のテーブルにそっと置いた。
染み出すように揺れる湯気を、ルシアンはぼんやりと見つめていたが、はっとして慌てて声を出す。
「あっ……ありがとうございます」
メイドは応えることなく、無言で一礼すると、そのまま静かに扉の向こうへと姿を消した。
扉が閉まったあとも、部屋には紅茶の香りだけが、取り残されたように漂っていた。
部屋に一人きりにされ、どれほどの時間が過ぎただろうか。
カチリ、カチリと時を刻む時計の音だけが、やけに大きく耳に残る。
窓の外は、いつの間にか灰色の空がさらに濃くなり、あたりはじわじわと闇に沈んでいた。
雲に覆われた空は、太陽の位置すら分からず、ただ時間だけが静かに過ぎていく。
——歓迎されていない。
ルシアンは、はっきりとそう悟っていた。
元々、分かっていたはずのことだ。
売られるように嫁いできたこの身に、温かい言葉や微笑みなど、最初から期待するべきではなかったのだ。
けれど……
心のどこかで、この縁談が、ほんの少しでも好意的なものなのではないかと、思っていた自分がいた。
あのとき名前を聞いたときに、胸の奥がわずかに高鳴ってしまった自分が、今はひどく恥ずかしい。
自嘲のように目を伏せた、そのときだった。
——コン、コン。
再び、部屋の扉が小さく叩かれた。
「失礼する」
応える暇もないまま、扉が静かに開く。
現れたのは、長身で凛とした雰囲気を纏う、一人の男だった。
薄明かりの中でも、その姿ははっきりと分かる。
ルシアンが、ずっと心の奥で憧れていた相手——
レオニス・カレドールその人だった。
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