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紅茶の香りと沈黙
14話 窓越しの約束
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「ルシアンさま……ルシアンさま……」
ユリウスは小さな声で、その名前を何度も繰り返した。
そして、ぱっと顔を輝かせて――
「やっと、お名前、教えてもらえました!!」
と、満面の笑みを浮かべた。
そのあまりの無邪気さに、ルシアンも思わず吹き出してしまう。
「ふふ……ご機嫌ですね」
「うん! すっごくご機嫌!!」
それだけのやり取りで、胸の奥がふわりと温かくなる。
ああ、なんて幸せな時間なのだろう。
こんな日々が、いつまでも続けばいいのに――
ルシアンは、そう心から願った。
……けれど、それからしばらくの間、ユリウスは姿を見せなくなった。
「……来ないほうがいいって、自分で言ったのにね……」
寂しさをごまかすように笑って、ルシアンはそっと目を閉じた。
知ってしまった温もりは、消えてしまった時の寂しさを何倍にもする。
来ないのなら、仕方がない。そう思う反面、もう一度だけ――あの笑顔に会いたかった。
そんなある日。
「こんにちは!」
あの元気な声が、窓の外から届いた。
驚いて窓辺に駆け寄ると、そこには笑顔のユリウスが立っていた。
ルシアンの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……ユリウス様……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
ただ、もう一度会えたことが、何よりも嬉しかった。
ユリウスは、なかなか来られなかった理由を、たどたどしい言葉で一生懸命に説明してくれた。
「この前はね、お父様が帰ってきてて……それで一緒にお出かけしてたの。あとね、習い事もあって……ちょっとむずかしくって……」
小さな手をぱたぱたと動かしながら話す様子に、ルシアンは優しく微笑む。
「それから……弟が、ちょっとお熱出しちゃって……」
――弟。
その一言で、ルシアンの時間が止まった。
“弟”――ということは。
それは、私の……子ども。
あの子は、今、どんな顔をしているのだろう。
熱は下がっただろうか。苦しんではいなかったか。
この手で抱いたこともない、我が子。
胸が締めつけられるような思いの中、ユリウスは続けた。
「弟の名前はね、ユリルクって言うんだよ」
その瞬間、ルシアンは小さく息を呑んだ。
ああ――
私の子は、“ユリルク”という名前なのだ。
ただ名前を知っただけなのに、涙がこみ上げてくる。
愛しさと、切なさと、喜びと。
ようやく“つながれた”気がした。
ユリウスは楽しそうに話していたが、ふと黙りこみ、少しだけうつむいた。
「……どうかしましたか?」
ルシアンが静かに尋ねると、ユリウスは大きな瞳に涙を浮かべながら、顔を上げた。
「ルシアンさま……」
「……ぼくの、お母様に……なってもらえますか……?」
ルシアンは、言葉に詰まった。
どう返せばいいのか――いや、それ以前に、窓越しのこの距離では、ユリウスを抱きしめることすらできない。
そのもどかしさに胸が締めつけられていると、ユリウスは目元をこすりながら、ぽつりとつぶやいた。
「ぼく……お母様がいないの」
「遠いお空に行っちゃったんだって……
お父様が、もう会えないって言ってたの……」
その声は静かだったけれど、言葉の一つ一つが重く、痛いほど胸に響いた。
「お母様はね、いつも笑って、ぼくの話を聞いてくれてたんだ。
お父様も、そのお母様を見て、嬉しそうだった……」
ルシアンはそっとハンカチを差し出す。
ユリウスの赤くなった目が、少しでも和らげば――それだけでいい。
「お母様のことを思い出すと、すごく悲しくて……だから、少しずつ忘れようとしてたの」
「でもね、ルシアンさまとお話しするようになって……また、思い出しちゃった。
ルシアンさまって、お母様に似てるんだ。やさしくて、話をたくさん聞いてくれて、頭をなでてくれる手も……あったかい……」
小さな声で、ユリウスは続けた。
「だから……もう、会っちゃいけないのかなって思ったの。
でも……でも……会えないほうが、もっと寂しいんだ……」
「それに……弟にも、お母様がいたらいいのに、って……ぼく、思うんだ」
その言葉に、ルシアンは何も言えなかった。
こんなに小さな子が、こんなにも深い想いを抱え、誰にも伝えられずにいたなんて――
レティーナの優しさも、レオニスの愛情も、弟への思いやりも、すべてを覚えていて。
自分では抱えきれないほどの寂しさと愛を、その胸に詰め込んで、ここに来てくれたのだ。
ルシアンは涙をこらえながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ユリウス様。あなたは、お母様を忘れなくていいのです。――忘れてはいけません」
「あなたが、お母様のことを思い出して、悲しくなるとき。寂しくなるとき――
そのとき、私がそばにいます」
「今は、窓越しで何もしてあげられないけれど……
でも、きっと、いつか。
あなたをちゃんと抱きしめて、頭をなでてあげられる日が来ると、私は信じています」
「あなたに“お母様みたい”って言ってもらえたこと。
私は、それが本当に、すごく、すごく嬉しいのです」
ユリウスは、ハンカチをぎゅっと握りしめながら、静かに涙を流していた。
ルシアンもまた、そっと涙を流す。
窓という隔たりが、二人の距離を隔てていたとしても――
心と心は、たしかに、深く結びついていた。
ユリウスは小さな声で、その名前を何度も繰り返した。
そして、ぱっと顔を輝かせて――
「やっと、お名前、教えてもらえました!!」
と、満面の笑みを浮かべた。
そのあまりの無邪気さに、ルシアンも思わず吹き出してしまう。
「ふふ……ご機嫌ですね」
「うん! すっごくご機嫌!!」
それだけのやり取りで、胸の奥がふわりと温かくなる。
ああ、なんて幸せな時間なのだろう。
こんな日々が、いつまでも続けばいいのに――
ルシアンは、そう心から願った。
……けれど、それからしばらくの間、ユリウスは姿を見せなくなった。
「……来ないほうがいいって、自分で言ったのにね……」
寂しさをごまかすように笑って、ルシアンはそっと目を閉じた。
知ってしまった温もりは、消えてしまった時の寂しさを何倍にもする。
来ないのなら、仕方がない。そう思う反面、もう一度だけ――あの笑顔に会いたかった。
そんなある日。
「こんにちは!」
あの元気な声が、窓の外から届いた。
驚いて窓辺に駆け寄ると、そこには笑顔のユリウスが立っていた。
ルシアンの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……ユリウス様……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
ただ、もう一度会えたことが、何よりも嬉しかった。
ユリウスは、なかなか来られなかった理由を、たどたどしい言葉で一生懸命に説明してくれた。
「この前はね、お父様が帰ってきてて……それで一緒にお出かけしてたの。あとね、習い事もあって……ちょっとむずかしくって……」
小さな手をぱたぱたと動かしながら話す様子に、ルシアンは優しく微笑む。
「それから……弟が、ちょっとお熱出しちゃって……」
――弟。
その一言で、ルシアンの時間が止まった。
“弟”――ということは。
それは、私の……子ども。
あの子は、今、どんな顔をしているのだろう。
熱は下がっただろうか。苦しんではいなかったか。
この手で抱いたこともない、我が子。
胸が締めつけられるような思いの中、ユリウスは続けた。
「弟の名前はね、ユリルクって言うんだよ」
その瞬間、ルシアンは小さく息を呑んだ。
ああ――
私の子は、“ユリルク”という名前なのだ。
ただ名前を知っただけなのに、涙がこみ上げてくる。
愛しさと、切なさと、喜びと。
ようやく“つながれた”気がした。
ユリウスは楽しそうに話していたが、ふと黙りこみ、少しだけうつむいた。
「……どうかしましたか?」
ルシアンが静かに尋ねると、ユリウスは大きな瞳に涙を浮かべながら、顔を上げた。
「ルシアンさま……」
「……ぼくの、お母様に……なってもらえますか……?」
ルシアンは、言葉に詰まった。
どう返せばいいのか――いや、それ以前に、窓越しのこの距離では、ユリウスを抱きしめることすらできない。
そのもどかしさに胸が締めつけられていると、ユリウスは目元をこすりながら、ぽつりとつぶやいた。
「ぼく……お母様がいないの」
「遠いお空に行っちゃったんだって……
お父様が、もう会えないって言ってたの……」
その声は静かだったけれど、言葉の一つ一つが重く、痛いほど胸に響いた。
「お母様はね、いつも笑って、ぼくの話を聞いてくれてたんだ。
お父様も、そのお母様を見て、嬉しそうだった……」
ルシアンはそっとハンカチを差し出す。
ユリウスの赤くなった目が、少しでも和らげば――それだけでいい。
「お母様のことを思い出すと、すごく悲しくて……だから、少しずつ忘れようとしてたの」
「でもね、ルシアンさまとお話しするようになって……また、思い出しちゃった。
ルシアンさまって、お母様に似てるんだ。やさしくて、話をたくさん聞いてくれて、頭をなでてくれる手も……あったかい……」
小さな声で、ユリウスは続けた。
「だから……もう、会っちゃいけないのかなって思ったの。
でも……でも……会えないほうが、もっと寂しいんだ……」
「それに……弟にも、お母様がいたらいいのに、って……ぼく、思うんだ」
その言葉に、ルシアンは何も言えなかった。
こんなに小さな子が、こんなにも深い想いを抱え、誰にも伝えられずにいたなんて――
レティーナの優しさも、レオニスの愛情も、弟への思いやりも、すべてを覚えていて。
自分では抱えきれないほどの寂しさと愛を、その胸に詰め込んで、ここに来てくれたのだ。
ルシアンは涙をこらえながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ユリウス様。あなたは、お母様を忘れなくていいのです。――忘れてはいけません」
「あなたが、お母様のことを思い出して、悲しくなるとき。寂しくなるとき――
そのとき、私がそばにいます」
「今は、窓越しで何もしてあげられないけれど……
でも、きっと、いつか。
あなたをちゃんと抱きしめて、頭をなでてあげられる日が来ると、私は信じています」
「あなたに“お母様みたい”って言ってもらえたこと。
私は、それが本当に、すごく、すごく嬉しいのです」
ユリウスは、ハンカチをぎゅっと握りしめながら、静かに涙を流していた。
ルシアンもまた、そっと涙を流す。
窓という隔たりが、二人の距離を隔てていたとしても――
心と心は、たしかに、深く結びついていた。
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