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 雪のように白い肌。そこに一雫、血を垂らしたように紅い唇。
 瞬きをする度に、蝶々が舞っているかのような長くカールしたまつ毛。影を落とすのは、瞬く満天の星空のようにキラキラと光に反射する瞳。
 白魚のような手が、桜色の爪先が、揺蕩たゆたう夜の海のような御髪おぐしが、……筆舌に尽くしがたい、唯一無二の美しさを持ったお方はそう、私が憧れてやまない皇国公爵家第一令嬢のイザベラ様だ。
 自分に厳しく、他人にも厳しい。
 その厳しさ故に勤勉且つ淑女としての立ち振る舞いは完璧。
 そして並外れた気位の高さ故に、他人に対して一切の隙も見せない。
 そんなイザベラ様に付き従い、時には頼まれてもいないのに、彼女の代わりにこの手も汚した。
 全ては孤高の美しき令嬢への憧れと、そんな私に隣を歩くことを許してくれたイザベラ様に報いるために。
 だが、それも今日で終わりだ。
 何故なら彼女は別人になってしまったから。

 
 ある日突然、彼女は変わった。
 姿形が変わったと言う訳ではなくて、中身がそのままそっくりすげ替わってしまったようだった。
 
「あ、あなたは確か……アン?よね?」
 いつものように彼女も参加するパーティに参上すると、私を見つけた彼女はぎこちなく微笑んだ。
 瞬く無数のシャンデリアに照らされた彼女は、今日も輝かんばかりに美しい。
 だけどどこか自信がなさそうで、視線を右に左にと彷徨わせている。背中も少し丸まって、落ち着きがない様子だ。
 ただ単に、体調が悪いだけなのかと最初はそう思った。
「ええ、アンですが……イザベラ様、失礼ですが本日はお加減があまりよろしくないようで?」
「あぁ、えーっとそうですわね、ちょっと具合が悪いみたいで……少し休ませてもらおうと思ってたところなの」
 心なしか顔色も悪く見えた。いつもならどんなに体調が悪くても平気そうな顔をして、誰にも悟られないようにする彼女がだ。
 相当重症に違いない。だってなんだか言葉遣いも変だし。つられて私も変な言葉遣いだ。
「それではお先に失礼するわ」
 そう言って彼女は付き添いの弟と共に会場を後にした。あんなにも仲が悪かったはずの彼女の弟と。
 奴はチラリとこちらを一瞥すると、一瞬顔をしかめて、だけど何も言わずに去っていった。
 おかしい。
「ねえ、今日のイザベラ様、なんかちょっと変じゃなかった?」
 噂好きのマリアンヌが、ひそひそと耳打ちをしてきた。彼女ですら変だと思うぐらいだから、周りもみんな変だと思っているのでしょう。
 彼方此方でひそひそと、イザベラ様の様子を見た貴族たちが騒めいている。
「イザベラ様はお加減がかんばしくないそうよ」
「まあっ……でもそれにしたって」
「しかも、ものすごーい高熱のようで、普通なら人に支えてもらわないと立てないぐらいの高熱よ」
 何かを言いかけたマリアンヌの言葉を遮って、大きめの声で話した。
「……それは大変ね」
 納得したように彼女が頷いている。
 周りに聞こえるように話したから、ひそひそ顔を見合わせていた貴族たちも、マリアンヌと同じような反応をしていた。
「ねえ、あなた、イザベラ様が帰られてしまったけど、今日はどうするの?」
 マリアンヌにそう聞かれたが、適当に答えて私も会場を後にした。イザベラ様のいないパーティなんて、いる価値はない。
 
「お嬢様?お早いお帰りで」
 御者のジョンが、ぽかんとだらしなく口を開いてこちらを見ている。
「ええ、イザベラ様が体調を崩して帰ってしまわれたから、ここに留まる理由もないわ」
「えっ、イザベラ様がですかい?」
 ジョンはおかしなこともあるんだなぁなんて言いながら、馬車のドアを開いた。
「黙って」
 無性に腹が立っていたので、彼に八つ当たりをする。
 可哀想な御者は「へいっ……」と言ったっきり、黙々と自分の仕事をこなしている。
 そんな彼を尻目に私は馬車の中で考えた。
 
 イザベラ様に最後に会ったのは、確か建国パーティの日だったから……二週間ほど前だ。

 あの日皇国の貴族は、ほとんどパーティに参加していて、私も例に漏れず参加していた。
 もちろんイザベラ様のお側で。
 第一皇子だか第二皇子だかなんだか知らん男が、しつこくイザベラ様に絡んできて腹立たしかった記憶がある。
 何でもアレはイザベラ様の婚約者だそうで。
「お前は見た目だけなら皇国一なのに、どうしてそうも冷たい女なのだ」
 とかなんとか言っていた気がする。
「このように心優しきソフィアを見習ったらどうだ」
 とも言っていた。言いながら、隣に立っている冴えない田舎娘の腰を抱いていたような気もする。
 イザベラ様の目の前でなんて不潔、そして不敬、これは死罪。
「イザベラ様に向かってなんてことを!」
「およしなさい」
 ガルルルと歯を剥き出しにして、今にも飛び掛からんとしている私たち取り巻き令嬢を一喝するイザベラ様。
 あまりにも高潔。
「殿下、御言葉ながらわたくしはただ砂糖菓子のように甘いだけの優しさは、本物の優しさとは似ても似つかないものだと存じております」
「フン、何を訳の分からないことを」
 鼻で笑っている。
「頭がよろしくないから、訳が分からないのですわ」
 小声でそう呟く。幸いにも男には何も聞かれていなかったようで、イザベラ様に軽く肘を扇子ではたかれるだけで終わった。
 殿下と呼ばれた男はまるで、見せつけるように田舎娘の腰を撫でている。
 褪せた金髪の、目だけがギラギラとした男と、似合わないドレスを着た田舎娘、下品同士お似合いですこと。と私は思っていたのに、イザベラ様はそう思ってはいないようだった。
 扇子を持つ手とは反対側、その小さくて形の良い桜色の爪が、手のひらに食い込むほど固く拳を握られていた。
 それに気づいたのは多分、私だけだったのでしょう。
 私が気づいてしまった事に気が付いた彼女は、そっと扇子で傷ついた手のひらを隠してしまわれた。
 トンチキ皇子たちが去った後、私たちはいつものようにイザベラ様を囲んでパーティを楽しんだ。
 というよりも、イザベラ様が楽しんでいるように見せていた、という方が正しいのかもしれない。
 そして帰り際、迎えの馬車が入り口まで来るのを待つ間、私とイザベラ様二人きりの空間で、ぽつりと彼女が呟いた。
「わたくしの今までしてきた事、全て無駄だったのかしら」
「イザベラ様……」
 小さな小さな声で寂しそうにお話しするものだから、私は動揺を隠せずに声を震わせてしまった。
 ああ、なんておいたわしやイザベラ様。
 絶対に許さない、あの皇子だかなんだか知らん馬の骨。
 いつか絶対、痛い目にあわせてやりますわ。

 そう誓ったあの日から二週間、イザベラ様はパーティに姿を現すことはなかった。
 私は心配で心配で、使いの者や便りを送ったのに返事はなかった。日に日にあの馬の骨への殺意が増していたある日、ついにイザベラ様が久しぶり公の場に姿を現すとの噂を聞きつけ、今日この場にやってきたというわけである。
「ということは、やっぱりあの馬の骨のせい……」 
 持っていたハンカチをギリギリと強く握りしめる。
 ものすごい顔をしていたらしく、お付きのメイドが私の顔を見て「お嬢様、お顔が……」なんて呟いていた。
 一国の皇子を暗殺するには、どうしたらいいのかしら。と考えながらその日は帰路に着いたのであった。


 ――だけど一年後、私が皇子を暗殺することなく、彼は自滅した。
 なにやら国家転覆になりかねない悪事を働き、それを自分の弟と、その弟の新しい婚約者に暴かれた挙句、国外追放されたらしい。ザマアミロ。
 そうしてまともな方の皇子、馬の骨の腹違いの弟が、第一皇子つまりは皇太子として繰り上がった。
 そんな上手い話があってたまるかと思ったが、真実なので仕方ない。
 そしてまともな方の皇子は新たにイザベラ様……いいえ、の婚約者になったのだ。
 あの時パーティで馬の骨皇子の腕にしがみついていた、田舎娘はどうしたのかって?
 その元第一皇子と一緒に国外追放されたんじゃなかったかしら。興味ないから覚えてないけれど。
 
「アン、どうかしたの?」
「いいえ、なんでもないですわ」
 きらめく夜空のような瞳が、突然黙り込んだ私を覗き込んでいる。前はこの瞳に自分が映る度に胸が高鳴っていたのに、何故だかどうして今は何も感じない。
「今日はみんなに伝えたい事があって……わたし、エドワード様と今年結婚することにしたの」
「まあっ!ついに結婚なんですのね!」
 頬を染めたイザベラさんの隣で豪快に菓子を頬張っていたマリアンヌが、同じく頬を染めて言う。あなたちょっと食べすぎよ。
 新しい皇太子エドワード様は、月の光のような優しい銀色の御髪をしている。夜の海のような御髪のイザベラ様と、月の光のような御髪を持つエドワード様、まるで童話の世界ね。なんて誰が言ったのかしら。
 ずいぶんロマンチックでおめでたいアタマをしているわ。きっとマリアンヌよ。
 「ねえ、結婚といえば、アンもするんでしょ?」
 内緒話をする乙女のように、声を潜めてイザベラさんが私へ声をかける。
「はい、隣国の商家に嫁ぐことになりました」
「まあ……じゃあ暫くは会えなくなってしまうわね」
 寂しそうに俯く彼女は、あの日最後に見たイザベラ様と少し重なって見えた。
「何も隣国に嫁がなくても良かったのに、そんなにあなたのお家は困窮しているの?」
 意地悪そうに他の令嬢が言うが、別に何とも思わない。何故なら隣国に嫁げるように父に頼み込んだのは私自身なのだから。
「まあっ!エリザベート様は知らないのね、アンの婚約者のこと」
 マリアンヌはそう言って、さっき発言した令嬢を可哀想なものを見るような目で見つめている。
「どういうこと?」
「アンの婚約者はね……」
 何故か私の代わりに説明を始めたマリアンヌの声を聞きながら、窓の外の庭園をぼんやりと眺める。
 イザベラ様と初めて出逢ったのも、この庭園だった。

 私の年齢がまだ十になる前、父が突然連れてきた後妻と血の繋がらない妹に戸惑いと怒りを隠せずにいた頃の話だ。
 その日は皇国でも随一の影響力を持つ公爵家の主催するパーティに来ていた。
 そのパーティで、仲睦まじく家族ごっこを楽しむ父と継母と妹を見ていられず、私はメイドたちの制止を振り切ってこの庭園の隅に逃げ込んでいた。
 顔も碌に覚えていないくせに、亡くなった母を想うと悔しくて悔しくて、涙が止まらずにいたのだ。そうして止まらない涙を拭うために、ゴシゴシと目を擦っていたら、目の前に真っ白なハンカチが差し出された。
「そんなに強くごしごししたら、よくないですわ」
「……だれ?」
 顔を上げると、涙に滲んでよく見えなかったが、大層綺麗な顔立ちの子どもがそこに立っていた。
「わたくしはイザベラ。さあ、これをお使いなさい」
 ぐいぐいと白いハンカチを、やや強引に顔面に押し付けられたので仕方なく受け取った。
 受け取ったハンカチは少しだけ湿っていた。
「あなたお名前は?」
「……アン」
「アン、あなたどうしてそんなに泣いていたの?」
 母が亡くなっていること、父が知らない女を新しい母親だと言い屋敷に連れてきた事、突然妹ができた事をつっかえながらも彼女に話した。
 彼女は黙ってそれを聞いてくれていた。
「奇遇ねアン。わたくしも、つい最近新しいお母様と弟ができたのよ」
「……そうなの?」
 イザベラと名乗る子どもは、なんでもない事のようにそう言った。
「……イザベラは、悔しくないの?」
 そう聞くと、彼女は少し考える素振りをして、それから首を横に振った。
「しかたがないわよ、だって"貴族には跡取りが必要"なんだもの」
 彼女の言っていることはよく分からなかったけど、そう話す彼女は、そうやって自分に言い聞かせてやせ我慢をしている子どもの横顔をしていた。
 少なくとも、家族とうまくいっている貴族の子どもは、私と同じようにパーティを抜け出してこんな庭園の隅っこになんて来ないのだから。
 じいっと彼女を見つめていると、彼女は小さく微笑んで言った。
「わたくしたち、きっといいになれるわ」
 その意見には大賛成だ。
 私が大きく頷くと、彼女は照れたように私の背後に回り、まだしゃっくりが止まらない私の背中を、その小さな手で撫でてくれたのだった。
 
 それから私たちは、定期的に手紙でやり取りをするようになった。
 その日起こったことや新しく教師に習ったこと、新しい母親と妹の愚痴、父の奇行や流行りの小説の内容、そんなことを手紙に綴った。
 対して彼女からの返事は、庭の様子だったり、私が書いた内容に関する事が多かった。
 そんな手紙でのやり取りが何百回と繰り返された頃、あの綺麗だった子どもは美しい令嬢へと成長し、私たちは社交界デビューする年齢になっていた。
 そして知ったのだ。私はこの美しいの置かれた環境を甘く見過ぎていたと。

 私の新しいお母様は、意外なことに私にも優しく、そして良い母親であろうとしてくれていた。
 私は最初こそ警戒していたが、そんな毒気のない継母に完全に絆され、もはやあの頃の悔し泣きを忘れるかの如く平和な日常を過ごしていた。
 そんな私とは対照的に、イザベラは辛く冷たい幼少期を送っていたようだ。ようだというのは、その頃は私がそれを知らなかったから。
 彼女の継母は、彼女を産んだ実の母よりも位の高い家の令嬢だったようで、それ故に彼女を見下し辛くあたっていたと後から噂で聞いた。
 特に実の母に似て、年々美しく育っていくイザベラに女として嫉妬をしたのか、彼女が歳を重ねるごとにその陰湿さは増していったそうだ。
 ある時、イザベラからの手紙が途絶えた時期があった。
 一ヶ月後に手紙が届いて、そこには風邪を拗らせてしまい、手紙が書けなかったことに対する謝罪の言葉が綴られていた。
 一ヶ月も風邪を引くなんて大変だったなあと思って、可哀想な彼女へ何か贈り物をしたいと父に相談した。
 そうしたら、いつもはバカみたいにヘラヘラしている父が何故かものすごく怖い顔をして、
「魔除けのまじないがかかった護身用の短剣なんてどうかな」
 と言っていた。
 女の子に短剣なんてアホかと思って、父の顔を睨みかけてやめた。
 珍しく真剣な顔をしていたからだ。
 あんなに真剣な顔をしている父を見たのは、後にも先にもあの時と、私が隣国へ嫁ぎたいと言い出した時だけだ。
 そして私は父の助言通り、短剣を贈ったのだった。ドレスの下に仕込めるように、特注のベルトもつけて。
 その後、暫くしてから彼女の継母が投獄されたとの噂を耳にした。
 一体何をしたのか、公爵家は公にしなかったが、一部の大人たちは何かを知っているかのように安心していた。
 父もその大人たちのうちの一人だった。
 
 それから数年後、いよいよ社交界デビューの日。
 私は待ちに待ったパーティに心躍らせ、そして庭園ぶりに会うおともだちに胸を高鳴らせていた。
 そうこうしているうちに、後ろから声をかけられる。
「アン、久しぶりね」
 美しく育った公爵家のご令嬢は、眩しすぎて直視できなかった。
 嗚呼、これが今まで文通していた私のおともだちなの?本当に?と謎の感動すら覚えた。
「イザベラ……」
「わたくし、ずっとあなたに会いたかったの」
「わ、わ、私も!」
 ぎゅっと手を握られて、自分の頬が赤く染まるのが分かる。
「そこで何をしている。早く行くぞ」
 突如、上から不躾な声がかかる。
 声のした方向を見ると、何とも傲慢ちきな、くたびれたおじさんがこちらを見下ろしていた。なんて失礼なジジイ。
 私が睨みつける前に、握りしめていた手をそっと離したイザベラが、おじさんの方を向いて言った。
「はい。お父様」
 ……お父様?こんなくたびれた失礼なおじさんが?
 口パクで「後でね」と私に言うと、イザベラはさっさと歩き出した彼女の父親の後をついて、足早に去っていった。
「……ねえ、アレ、本当にイザベラの父親なの?」
 いつの間にか背後に立っていた己の父に、聞いてみる。
「アレとか言うな、アレでも一応公爵様だぞ」
 父は矛盾した言葉を返してくる。
「……自分もアレって言ってるけど」
「……私はいいのだ」
 二人で顔を見合わせたあと、私たちも会場へと入っていった。

 そこで目にしたのは、貴族相手に威張り尽くすさっきの失礼なジジイと、会場のどの照明より美しく輝くイザベラだった。
 会場の貴族たち、特に男たちの視線は、その美しい令嬢に釘付けになっていた。
 必然的にそんな男どもに放置された令嬢たちは、彼女に敵意剥き出しの視線を送るはめになっていた。
 中には、私のように羨望の眼差しで彼女を見つめる令嬢もいたけれど。確かマリアンヌもそのうちの一人だった。
 挨拶回りが終わって、大人は大人たちと、そして子どもは子どもたちと集まり始めた頃に、やっと私は彼女の元へと辿り着けた。
「やっと会えたわ、イザベラ」
 そう言って彼女の肩を叩こうとして、手が滑って背中を叩いてしまった。
「ッ……!」
 小さく息を呑む音が聞こえて、彼女の肩がピクリと跳ねた。違和感を感じた私は、謝るよりも先に尋ねてしまった。
「……どこか痛いの?」
「どうしてそんなこと、思ったの?」
 強めの口調で問われる。心なしか彼女の顔はこわばっていた。
「あの、この屋敷は、薔薇がたくさん咲いている庭園があるって聞いたの……だから、一緒に行かない?」
「えぇ、いいわよ」
 答えになっていない私の言葉に彼女は頷くと、素早く身を翻して扉に向かっていった。

 そして私たちはあの時のように、薔薇が咲き誇る庭園の隅っこでこれまであったことを話した。
 さっき背中を触られた時、反応してしまったのは、折檻として鞭打ちされた傷痕が痛んだからだそう。
 そうして私は初めて、何年も彼女がとんでもない継母と実の父親に虐げられていた事実を知ったのだった。
 一ヶ月彼女から手紙が届かなかったあの時も、彼女は自分の父親が後妻として選んだ女の手により、死の淵を彷徨っていたのだ。
「な、何にも知らないで、私……呑気な事ばっか手紙に書いて……ごめんなさい」
 自分の不甲斐なさに地面に膝をつきそうになる。そんな私を励ますかのように彼女は言った。
「いいえ、謝ることなんて何もないのよアン。むしろ感謝しているのよ。わたくし、あなたの便りが心の支えでしたから」
 それを聞いた私は泣き出しそうになるのをグッと耐えた。
 そんな悲惨な状況下でも、彼女は自分を見失わず、そしていつか家族にも認めてもらえるようにと、血の滲むような努力をしていた。
 ただし随分後になってから気づくことなのだが、その努力の方向性が少しズレていたのか、あまりにも自分にも他人にも厳しく成長してしまった彼女は、その天性の美貌と継母が投獄された原因という事実も相まって、いつしか周りに悪女と囁かれるようになってしまっていたのだった。
 
「どうして、私に全部教えてくれたの?」
「だってあなたはわたくしの、たった一人のでしょ」
 美しく微笑む彼女は、もう庭園の隅っこに逃げ隠れて、優しい未来を待っているだけの子どもではなかった。
 それは、現実を受け入れて、強く生きようとする大人の女性の横顔だった。
 だからその日から、私は彼女のことをイザベラと呼ぶのを止めた。
 敬意と愛を込めてイザベラ様と呼ぶことにしたのだ。

 懐かしい思い出に浸っていると、いつの間にかマリアンヌが話終えていたらしい。
「まあ……そんなやり手なのね、アンの婚約者様は」
 驚きを隠せない声色で、イザベラさんが呟いた。
 マリアンヌは何故か自分が誉められたかのように、鼻高々としている。
 そんな彼女にクスリと笑って、がここにいたら、なんて言うかなと考える。
 きっとこうね。
 「アン、またあの頃みたいにお手紙を交換しましょう。あなたに頻繁に会えなくなるのは少し寂しいけれど、あの頃に戻ったみたいで楽しみだわ」
 


 ◆
 


 あの日から何年も経った。
 旦那様との異国での暮らしは悪くない。
 嫁いだ国は海に囲まれた小さな島が連なる列島諸国で、お屋敷はその小さな島のうちの一つの、一番高いところにある。夜になると満天の星空と、そんな夜空に照らされた静かな海がよく見える。
 
 あれからマリアンヌとは定期的に会っている。
 彼女は代々海運業を生業としてきた貴族に嫁ぎ、何故か旦那の仕事についてまわり、ついでに私のいる島にも立ち寄るのだ。
 そして、母国の近況を教えてくれる。もちろん旧友たちの話も。
 その度に、いつか私の知っている彼女が帰ってきてくれるんじゃないかという、淡い期待は打ち砕かれるのだ。
 もういい加減、認めざるを得ない。
 彼女が帰ってくることはもうないのだと。

 マリアンヌが何度目かの訪問を終え、帰ったある日の夜に、私は昔イザベラ様に贈ったものとお揃いの、魔除けの短剣を島の崖から海へと投げ入れた。
 その日は月の無い、静かな夜だった。
 嫁いだ後、薄情にも音信不通になってしまった私を心配して、優しいは私宛に何通か手紙を送ってくれていた。
 読まずに取っておいた、その手紙全てを暖炉に焚べる。
 私はもう、生まれ故郷のあの国には帰らないつもりだ。
 この国で子を産み育て、妻としての役目を果たし、そしていつか永遠の眠りにつくその日まで。

 

 さようなら。
 私のおともだち、イザベラ

 

 
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