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第一章 脱出速度――Escape velocity
1日目
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人間は自由であるが、いたる所で鉄鎖につながれている。
――ルソー
重力を伴わない上昇はないから。
――サン=テグジュペリ
ロシア軍には、この軍隊にしかない特殊な側面がある。
(略)
つまりこの国では、軍隊がしでかしたことに民間人は口を挟むことができない。兵卒はヒエラルキーの最下層にいる。人間ではない。物以下の存在なのだ。
――アンナ・ポリトコフスカヤ
☆
《ポイント12を通過》
《――残りの液体爆弾を全て流し込む。アンカーのストックは残っていたな?》
《ああ。電磁銃(EML)のバッテリーもOKだ》
猛スピードで太陽系に向かう小惑星の上で、今、三人の宇宙飛行士が無骨な船外活動(EVA)用の服を着て、解体作業を行っている。
彼らは、冥王星の宇宙軍の小惑星解体を専門とする部隊“ディープインパクト”の精鋭だ。
物騒な銃を持つ彼は、バーニー・オルクス技術軍曹31歳、メカニックのプロだ。
以下は彼に事前に行なったインタビューである。
バーニー「これから解体に向かうのは直径1.2kmの石鉄隕石だ。エッジワースカイパーベルトの小惑星はTNO・・・太陽系外縁天体というのだが、その殆どは氷でできた小惑星だから、今回のものは希な方だな。
だからこうやって、この電磁銃のバッテリーとコンデンサを調整して威力を上げる必要がある。」
――その電磁銃は何をするためのもの?
「小惑星の中心に爆弾の信管を打ち込むのさ。我々は錨(アンカー)と呼んでいるが、こいつを打ち込んだあと、その穴に液体状の核爆弾を強力なポンプで流し込む。
冥王星宇宙軍伝統の小惑星の解体方法さ」
――その信管を小惑星の中心にうまく打ち込むのは難しそうだね。
「小惑星には、いびつな形をしている奴もいるし、内部に硬度のムラが存在するものもあるからな。そこらへんは天体物理学者が計算をして、その数値をこのパネルにインプットする。だが最終的には・・・スナイパーの勘だよ」
・
そして今その勘が外れたようだ。
アンカーを打ち込む目標が50メートルほどずれてしまったのだ。
アンカーが中心からずれてしまうと、小惑星は綺麗に粉々にならないという。
細胞分裂をするアメーバのように驚異が二つに増えるだけだ。
バーニー「電磁銃の照準が、宇宙線の影響で誤作動を起こしたんだ。まあ十回に一度はあるトラブルだ」
なんにせよ彼らは今、作業のやり直しをしている。
だが悠長にはしていられない。
小惑星は最終的に核爆発で吹き飛ばすわけで、そのとばっちりを受けないように、安全な場所まで宇宙船で避難する時間も彼らには必要なのだ。
小惑星を安全に破壊できる宙域が限られている以上、彼らにはタイムリミットがある。
ディープインパクトでは、それを“死線”――デッドラインと言う。
☆
バーニーは、右手に電子計算機を持った、もうひとりのメンバーの方を向いて尋ねた。
《デニス、残り時間は?》
《デッドラインまで残り三分》
無線から聞こえる仲間の声は、多少ノイズ混じりだ。
太陽系の外縁では、ことさら宇宙線の威力が強い。
20年前、この作業はそれこそ今よりもずっと危険で、放射線被爆との戦いであった。
彼らが着ている最新式のEVA服は、ほとんどの放射線を遮ってくれるが、無線通信への干渉はどうにもならないらしい。
かつて、作業メンバー同士を、通信ケーブルでつないでしまってはどうか、というアイディアが出たが、解体訓練でテストしたところ、メンバーをつなぐケーブルが装備を引っ掛けては倒し、作業効率が60%も落ちた。
ケーブルをさばくためだけに、もう一人メンバーを追加するのは、あまり合理的じゃない。
そもそも彼の通信ケーブルは誰がさばくのだ??
《バーニー、私たち、あまりのんきにはしていられないみたいよ?》
電子計算機を持った彼女――天文物理学者デニス・エヴァンジェリスタは夫の妻であり、幼い双子の母親だ。
ディープインパクトでは参謀役で、物理学的な計算に基づいた冷静な状況分析、及び判断を下すのが彼女の仕事である。
また、フレームが丸いメガネをかけたチャーミングなデニスは、前向きな楽観主義者で、チームのムードメーカーでもある。
はっきり言って彼女が、こんな危険な仕事をしているようには、とても見えない。
白衣を着て職場に向かう姿は、薬剤師か学校の先生といったところだ。
☆
――なぜこんな仕事を?
「ママ友にもよく言われるわ、あんた死ぬのが怖くないのって。
でも人生で宇宙旅行に行こうと思ったら、普通は一生に何回かってところでしょう?
私はもともと宇宙や天体に興味があったわけで、宇宙旅行がタダでさせてもらえるんだから安いものよ。」
――家族は何も言わなかった?
「この仕事を選んだ時は独身だったから。
もちろん結婚して子どもが生まれてからは、退職しようとは思ったわ。
でもほとんどの天文学者は書斎派なの。冷房の効いたオフィスで数字をいじくっているのが好きなのよ。私みたいな現場型は軍にとっては貴重ってこと。
だいたいEVA服って、とんでもなく暑いのよ。一応なかに小型の冷房もついているんだけれど、まるでサウナね。
運動不足の天文学者が私の仕事をやったら、小惑星に降り立つ前に暑さでぶっ倒れて足でまといよ。」
――重労働なわけだ。
「ヘルメットのせいで頭もかけないしね。
私が一番恐れているのは作業中にメガネがずれること。(笑)
まあ冗談はともかく、私は高額なギャラをもらってる。手当ても申し分なしよ。
この子たちの養育費も軍から出ているしね。」
――大体どれくらいもらっているの?
「年間700万ルーブルってところかな。悪くない暮らしをさせてもらってるわ」
――年収2000万円くらいだね。
「いま冥王星は基幹作業の製造業が衰退していて、失業者がたくさんいるわけだから・・・
幸せなんだと思う。
それに工場でミサイルを作っている人たちの方が、怪我や事故の確率は高いわけだし。」
☆
冥王星は軍需産業で栄えた星といってもよい。
太陽系で最も外側に軌道をとる、直径2千kmほどの、この小さな星は、古くから太陽系の番人として、太陽系に接近する危険な天体を迎撃していた。
その防衛にかかる費用は、惑星連合が太陽系防衛費として計上し、冥王星の国家財政を長らく支えてきた。
つまり、西部劇の“みかじめ料”ではないが、惑星連合から資金を徴収することによって、冥王星の経済は成り立っていたのである。
しかし海王星への小惑星衝突によって、状況は変わりつつあった。
太陽系の防衛を冥王星に一手に任せることに対し、各国に疑念が生まれたのだ。
ある極右政治家はこう、うそぶいた。「冥王星はどれだけ信用できる?私はあんな星行ったこともないし、行きたいとも思わない」
かくして、ユニバーサル・スタンダードと言われた一元化の時代は終わり、太陽系の惑星ではマルチバース化――ようは世界のブロック化が進んだのである。
今や、自分の星は自分で守る“自衛”がキーワードとしてもてはやされ、それを象徴する例が土星の急速な発展であることは間違いない。
科学大革命をきっかけに、土星の経済力は右肩上がりで、軍事力は太陽系では冥王星についで第二位となった(※1)。
また、宇宙の警察を自称する地球連邦も、同盟国の天王星に軍を送り、天王星型惑星の軌道の警備にあたっている。
地球連邦軍のフレア・バーンズ提督によれば、天王星の衛星に駐留する連邦軍基地は、海王星に対する復興支援のための中継基地としての役割もある、とのことだが、これはどう考えて巨大化する土星を警戒してのことだろう。
宇宙は一気にきな臭くなった。
※1:惑星連合のデータベースによる。軍事に関する正確な数字は各惑星とも機密扱いであり、例えば、地球連邦の軍事力は公表されている数字の2~5倍だという研究者もいる。
☆
――今まで小惑星は何度解体してきました?
デニス「私自身が解体しているわけじゃないけれど・・・解体に立ち会ったのは40回以上かな」
――その中で一番危険だった任務はなんでした?
「危険・・・危険というか、肝を冷やすのは間違いなく “彼女”と組んだ仕事の時ね。
彼女はどんな状況でも、絶対に小惑星を逃がさない。
他の隊員は、デッドラインの一分前になったら、慌てて撤退をはじめるのだけど、彼女はまるで、近所の公園にピクニックに来たかのように落ち着いているの。
それがデッドラインの10秒前でもよ!
自分の生死に関わることなのに、まるで人ごとみたいなの。」
☆
《ギリギリだなあ》
そうぼやき、バーニーが信管を電磁銃に装填する。
《それじゃあ下がってくれ》
電磁銃の銃口を小惑星の地表に向け、引き金に手をかける。
《射出深度は620mに再設定――》
強烈な閃光とともに、信管が小惑星に打ち込まれる。
親指を立てるバーニーの様子を見るかぎり、今度は成功のようだ。
《よう姫。こっちの準備は終わったぜ》
巨大な電磁銃を肩に担ぎバーニーが、小惑星に開いた穴から後ずさる。
そこへ三人目の宇宙飛行士が、液体核爆弾を流すポンプを引きずりながら近づいてくる。
制限時間は、すでに3分を切っているのだが、その宇宙飛行士はまったく慌てずにポンプのホースを接続し直していく。
彼女のヘッドセットに、宇宙船で待機している臆病な上官の声が響く。
《急げ!もう撤収しないと私たちも吹き飛ぶぞ!》
声の主はディープインパクト隊長、ケヴィン・ハーシェル中尉だ。
彼に関しては、テレビのニュースでお馴染みの人もいるだろう。
数々の小惑星を解体し、太陽系を救ってきた英雄で、おまけに抜群のルックスの持ち主は、実際には危険な作業はすべて部下に任せている。
だが、彼の臆病さによって、ディープインパクトの生還は担保されているというのも、また事実だ。
危険な場所から脱出する際にみせる、彼の宇宙船の操艦技術はピカイチであり、隊員たちも記者会見での彼の調子の良さには辟易としながらも、その“逃げ足の速さ”に関しては少なくとも評価をしている。
また、彼が宇宙船から一歩も降りずに、船内でうろたえているだけだという現状は、彼が現場のやり方に何も干渉していないことを意味する。
ハーシェルは結果的に、最前線で戦う隊員の好きにやらせていることになるのだ。
そして、この――冷静かつ真面目で、与えられた任務は的確にこなすプロフェッショナルにとっては、ハーシェル隊長の指揮能力の無さは好都合であると言えるだろう。
現場経験もない士官学校卒の若造に、偉そうに陣頭指揮をされて作戦の手順をめちゃくちゃにされてはかなわない。
だからメンバーは自分たちの指揮官の無能ぶりを上に報告しない。
実質この部隊は“彼女”が率いている。
☆
――彼女とは?
デニスは答えた。
「ミグ・チオルコフスカヤ。」
バーニーも同じ人物の名を挙げた。
「ミグ・チオルコフスカヤ。」
バーニー「心臓が凍っているんだよ」
デニス「私もそう思う」
バーニー「愛想はないが悪い奴じゃない。
冥王星の連中はまあ、みんなそういうところがある。気難しいというか・・・
ミグは人の心に土足で入っていくようなことはしないし、一日中瞑想をしているような顔をしてやがる。一言で言うならミステリアスなんだ。」
――あなたは冥王星人じゃない?
バーニー「国籍は冥王星だ。だがオレとデニスはカロン出身だから。
気質というか国民性が冥王星のやつらとは違う。」
デニス「私たちの方がおしゃべりよね。」
バーニー「そう、あいつは無口だ。」
☆
《おい無線でハーシェルがまた騒ぎ出したぞ》
マイペースに作業を進めるミグに、バーニーが声をかける。
もちろんミグのヘッドセットにもハーシェルの声は届いている。
彼の声は人を不安にさせるだけで、なんの効果もない。
だから無視しているのだ。
これが“太陽系の盾”の指揮系統の実態なのだ。コンプライアンスもへったくれもない。
人の生き死にが関わる現場には、第三者には理解できないような、奇妙で曖昧なルールが存在しているものなのだ。
ハーシェルはさらにがなり立てる。
《ミグ!今すぐ部隊を撤収させろ!聞いているのか!》
聞いてはいる。しかし事実上のリーダーは、それを聞き流している。
哀れなハーシェルは、今度はバーニーとデニスに怒鳴った。
《オイ!お前ら!ミグを止めろ!》
《すいません、あいつ今爆弾流しているところで・・・オーバー》
ハーシェルをいなすのは、バーニーにとってもたやすいことだった。
ポンプに付いた表示板は、液体核爆弾がまだ35%しか小惑星に送られていないことを示している。
《このままじゃ全員死――》
そこまで聞いて、ミグは腕についたコントロールパネルをタップし、無線通信を打ち切ってしまった。
彼女には一つの確信があった。
ハーシェルにメンバーを置いて逃げるような度胸はない。
あのタイプが最も恐れるのは、世間の評価だ。
危険な最前線で命懸けで戦う英雄――部下思いの隊長というイメージを、彼自身が吹聴している以上、部下を見捨てて一人だけ逃げ帰ってくるわけにはいかないのだ。
さらに不幸なことに、この前の60ミニッツのインタビューで、惑星連合放送の大物プロデューサーであるハロルド・ケプラーに彼はこうビッグマウスをたたいてしまった。
ハーシェル「我が軍では代々受け継がれる誇り高い伝統が存在する。
それは指揮官は部下を決して見捨てないということです。それがたとえ負傷兵でも戦死者でも我々は全員を必ず祖国に連れ帰ります。」
――そのために上官のあなたが犠牲になってもですか?
「冥王星の軍人なら当然のことですよ、ハル。」
☆
母船からの通信を一方的に遮断した彼女は、お馴染みの曲の鼻歌を歌った。
こういう切羽詰った状況では、脱力系の曲が精神安定上、大きな効果を発揮する・・・らしい。
このように、ミグは危機的状況になると、決まって所ジョージの曲を歌うが、この神経は彼女の後ろで装備を宇宙船のコンテナに格納するデニスには、とうてい理解できるものではなかった。
♪後を継ぐのか~農家~
イエスかノーか~農家~
デニスは思った。
なんてくだらない歌詞なのだろう。
そしてクールビューティーな彼女が、どこであのレコードを手に入れているのだろう?
ミグと初めて会ってから、今年でもう6年になるが、全く想像がつかない。
そんなどうでもいいことを考えていると、ここが小惑星の上であることすら忘れてしまいそうだ。
小惑星の上――
デニスはハッとして手に持った電子計算機の画面に目をやった。
――デッドラインが一分を切っている!
このエリア内で解体をしないと、小惑星の破片が太陽系の惑星に落下する可能性があるのだ。
《ミグ!》
彼女は叫んだ。これ以上はマジでやばい。
しかしミグはどこ吹く風で『農家の唄』のサビに入っていた。
♪も~や~せ~よ~この命~
☆
さてちょうど同じ頃、エッジワースカイパーベルトに3枚翼のプロペラ機のような宇宙船が侵入しようとしていた。
宇宙船の名はライトフライヤー号。
翼長はせいぜい20mほどしかない、ちっぽけな宇宙船だったが、そのスピードは、たった一つの例外――ディスカバリー計画のXー零――を除いて太陽系のどんな宇宙船よりも速かった。
携帯食料のクズでちらかった宇宙船のコックピットには、この物語のもうひとりの主役が乗っている。
「にゃ~はっは!もう冥王星か、太陽系も狭いもんやな~!」
操縦桿を適当に動かしながら、声の主は笑った。
オールバックにされた金髪にフライトゴーグルをかけ、革のジャケットを羽織った、大胆不敵な雰囲気を持つ、西海岸訛りの若者――
その野心的な目は、まるで全宇宙が自分の思い通りになると確信しているようだ。
彼の名前はライト・ケレリトゥス。
地球出身の若き冒険家にして、のちにミグ・チオルコフスカヤの終生のライバルになる人物であった。
ライトは理性的なミグとは対極の位置にいる人物で、常に感情の赴くままに行動する自由人である。
今回の冒険の理由も、ちょっと気が向いたから太陽系を一周してみるか、という気楽なものだ。
そしてあわよくば、自身で発明した最新型の核融合パルス式ロケットで、その最速記録を更新するつもりだった。
だが彼の旅は、折り返しに差し掛かった冥王星付近で、横槍を入れられることになる。
ライトフライヤー号の5km先で、小惑星が突然爆発したのである。
衝撃波によって制御を失ったライトフライヤー号は、冥王星の重力に捕まり落下しだした。
慌てて操縦桿を掴み直すライト。
コックピットが傾き出す。力づくで操縦桿を引くが、機体を立て直せない。
「なんやねん!」
ライトからしてみれば、こんな事態はほとんど予想していなかった。
それは彼に危機意識がなかったわけではない。
宇宙は気が遠くなるほど広く、それに対し、この船はとんでもなく小さい。そして桁外れに速い。
さらに小惑星などに遭遇する確率は、仮にそこが木星の小惑星帯(メインベルト)でも1%以下なのだ。太陽系を満たすには小惑星の数は少なすぎる。
つまり、発射されたピストルの弾に向かって、石ころを投げつけてぶつけるのが、ほとんど不可能なように、こんなことはまず起こらない。
だが宇宙は広い。
どうやらこの宙域には、銃弾に石をぶつけるプロフェッショナルがいるらしい。
――絶対しばいたる。ライトはそう心に誓った。
コックピットの傾きはさらに激しくなり、きりもみ寸前だ。
ディスプレーにはアラートが表示される。
ライトがさらに歯を食いしばり操縦桿を引くと、彼の馬鹿力で操縦桿はスポッと抜けてしまった。
もう冥王星への墜落は免れない。
あとは、どれだけ衝撃が少ない場所に落下できるかだ――
冥王星はほとんどが氷の星だ。硬い氷に叩きつけられたくはない。
ライトはコンソールを素早く叩き、落下地点を計算した。
☆
――それでは、天気の方はどうなっているだろう?アリスン?
――はいダニー、今日はあいにくの空模様だったけれど、うお座の方から太陽系に接近してきた小惑星22号は、エッジワースカイパーベルトの境界で急速に勢力を衰えて消滅しました。
粉々になった小惑星22号は、3ヶ月後には流星群として、ロマンチックな天体ショーを繰り広げるでしょう。
――恋人たちのデートにうってつけだね、
――ええ、この様子はチャンネル11でも生中継される予定よ。それでは全国のお天気です・・・
――ルソー
重力を伴わない上昇はないから。
――サン=テグジュペリ
ロシア軍には、この軍隊にしかない特殊な側面がある。
(略)
つまりこの国では、軍隊がしでかしたことに民間人は口を挟むことができない。兵卒はヒエラルキーの最下層にいる。人間ではない。物以下の存在なのだ。
――アンナ・ポリトコフスカヤ
☆
《ポイント12を通過》
《――残りの液体爆弾を全て流し込む。アンカーのストックは残っていたな?》
《ああ。電磁銃(EML)のバッテリーもOKだ》
猛スピードで太陽系に向かう小惑星の上で、今、三人の宇宙飛行士が無骨な船外活動(EVA)用の服を着て、解体作業を行っている。
彼らは、冥王星の宇宙軍の小惑星解体を専門とする部隊“ディープインパクト”の精鋭だ。
物騒な銃を持つ彼は、バーニー・オルクス技術軍曹31歳、メカニックのプロだ。
以下は彼に事前に行なったインタビューである。
バーニー「これから解体に向かうのは直径1.2kmの石鉄隕石だ。エッジワースカイパーベルトの小惑星はTNO・・・太陽系外縁天体というのだが、その殆どは氷でできた小惑星だから、今回のものは希な方だな。
だからこうやって、この電磁銃のバッテリーとコンデンサを調整して威力を上げる必要がある。」
――その電磁銃は何をするためのもの?
「小惑星の中心に爆弾の信管を打ち込むのさ。我々は錨(アンカー)と呼んでいるが、こいつを打ち込んだあと、その穴に液体状の核爆弾を強力なポンプで流し込む。
冥王星宇宙軍伝統の小惑星の解体方法さ」
――その信管を小惑星の中心にうまく打ち込むのは難しそうだね。
「小惑星には、いびつな形をしている奴もいるし、内部に硬度のムラが存在するものもあるからな。そこらへんは天体物理学者が計算をして、その数値をこのパネルにインプットする。だが最終的には・・・スナイパーの勘だよ」
・
そして今その勘が外れたようだ。
アンカーを打ち込む目標が50メートルほどずれてしまったのだ。
アンカーが中心からずれてしまうと、小惑星は綺麗に粉々にならないという。
細胞分裂をするアメーバのように驚異が二つに増えるだけだ。
バーニー「電磁銃の照準が、宇宙線の影響で誤作動を起こしたんだ。まあ十回に一度はあるトラブルだ」
なんにせよ彼らは今、作業のやり直しをしている。
だが悠長にはしていられない。
小惑星は最終的に核爆発で吹き飛ばすわけで、そのとばっちりを受けないように、安全な場所まで宇宙船で避難する時間も彼らには必要なのだ。
小惑星を安全に破壊できる宙域が限られている以上、彼らにはタイムリミットがある。
ディープインパクトでは、それを“死線”――デッドラインと言う。
☆
バーニーは、右手に電子計算機を持った、もうひとりのメンバーの方を向いて尋ねた。
《デニス、残り時間は?》
《デッドラインまで残り三分》
無線から聞こえる仲間の声は、多少ノイズ混じりだ。
太陽系の外縁では、ことさら宇宙線の威力が強い。
20年前、この作業はそれこそ今よりもずっと危険で、放射線被爆との戦いであった。
彼らが着ている最新式のEVA服は、ほとんどの放射線を遮ってくれるが、無線通信への干渉はどうにもならないらしい。
かつて、作業メンバー同士を、通信ケーブルでつないでしまってはどうか、というアイディアが出たが、解体訓練でテストしたところ、メンバーをつなぐケーブルが装備を引っ掛けては倒し、作業効率が60%も落ちた。
ケーブルをさばくためだけに、もう一人メンバーを追加するのは、あまり合理的じゃない。
そもそも彼の通信ケーブルは誰がさばくのだ??
《バーニー、私たち、あまりのんきにはしていられないみたいよ?》
電子計算機を持った彼女――天文物理学者デニス・エヴァンジェリスタは夫の妻であり、幼い双子の母親だ。
ディープインパクトでは参謀役で、物理学的な計算に基づいた冷静な状況分析、及び判断を下すのが彼女の仕事である。
また、フレームが丸いメガネをかけたチャーミングなデニスは、前向きな楽観主義者で、チームのムードメーカーでもある。
はっきり言って彼女が、こんな危険な仕事をしているようには、とても見えない。
白衣を着て職場に向かう姿は、薬剤師か学校の先生といったところだ。
☆
――なぜこんな仕事を?
「ママ友にもよく言われるわ、あんた死ぬのが怖くないのって。
でも人生で宇宙旅行に行こうと思ったら、普通は一生に何回かってところでしょう?
私はもともと宇宙や天体に興味があったわけで、宇宙旅行がタダでさせてもらえるんだから安いものよ。」
――家族は何も言わなかった?
「この仕事を選んだ時は独身だったから。
もちろん結婚して子どもが生まれてからは、退職しようとは思ったわ。
でもほとんどの天文学者は書斎派なの。冷房の効いたオフィスで数字をいじくっているのが好きなのよ。私みたいな現場型は軍にとっては貴重ってこと。
だいたいEVA服って、とんでもなく暑いのよ。一応なかに小型の冷房もついているんだけれど、まるでサウナね。
運動不足の天文学者が私の仕事をやったら、小惑星に降り立つ前に暑さでぶっ倒れて足でまといよ。」
――重労働なわけだ。
「ヘルメットのせいで頭もかけないしね。
私が一番恐れているのは作業中にメガネがずれること。(笑)
まあ冗談はともかく、私は高額なギャラをもらってる。手当ても申し分なしよ。
この子たちの養育費も軍から出ているしね。」
――大体どれくらいもらっているの?
「年間700万ルーブルってところかな。悪くない暮らしをさせてもらってるわ」
――年収2000万円くらいだね。
「いま冥王星は基幹作業の製造業が衰退していて、失業者がたくさんいるわけだから・・・
幸せなんだと思う。
それに工場でミサイルを作っている人たちの方が、怪我や事故の確率は高いわけだし。」
☆
冥王星は軍需産業で栄えた星といってもよい。
太陽系で最も外側に軌道をとる、直径2千kmほどの、この小さな星は、古くから太陽系の番人として、太陽系に接近する危険な天体を迎撃していた。
その防衛にかかる費用は、惑星連合が太陽系防衛費として計上し、冥王星の国家財政を長らく支えてきた。
つまり、西部劇の“みかじめ料”ではないが、惑星連合から資金を徴収することによって、冥王星の経済は成り立っていたのである。
しかし海王星への小惑星衝突によって、状況は変わりつつあった。
太陽系の防衛を冥王星に一手に任せることに対し、各国に疑念が生まれたのだ。
ある極右政治家はこう、うそぶいた。「冥王星はどれだけ信用できる?私はあんな星行ったこともないし、行きたいとも思わない」
かくして、ユニバーサル・スタンダードと言われた一元化の時代は終わり、太陽系の惑星ではマルチバース化――ようは世界のブロック化が進んだのである。
今や、自分の星は自分で守る“自衛”がキーワードとしてもてはやされ、それを象徴する例が土星の急速な発展であることは間違いない。
科学大革命をきっかけに、土星の経済力は右肩上がりで、軍事力は太陽系では冥王星についで第二位となった(※1)。
また、宇宙の警察を自称する地球連邦も、同盟国の天王星に軍を送り、天王星型惑星の軌道の警備にあたっている。
地球連邦軍のフレア・バーンズ提督によれば、天王星の衛星に駐留する連邦軍基地は、海王星に対する復興支援のための中継基地としての役割もある、とのことだが、これはどう考えて巨大化する土星を警戒してのことだろう。
宇宙は一気にきな臭くなった。
※1:惑星連合のデータベースによる。軍事に関する正確な数字は各惑星とも機密扱いであり、例えば、地球連邦の軍事力は公表されている数字の2~5倍だという研究者もいる。
☆
――今まで小惑星は何度解体してきました?
デニス「私自身が解体しているわけじゃないけれど・・・解体に立ち会ったのは40回以上かな」
――その中で一番危険だった任務はなんでした?
「危険・・・危険というか、肝を冷やすのは間違いなく “彼女”と組んだ仕事の時ね。
彼女はどんな状況でも、絶対に小惑星を逃がさない。
他の隊員は、デッドラインの一分前になったら、慌てて撤退をはじめるのだけど、彼女はまるで、近所の公園にピクニックに来たかのように落ち着いているの。
それがデッドラインの10秒前でもよ!
自分の生死に関わることなのに、まるで人ごとみたいなの。」
☆
《ギリギリだなあ》
そうぼやき、バーニーが信管を電磁銃に装填する。
《それじゃあ下がってくれ》
電磁銃の銃口を小惑星の地表に向け、引き金に手をかける。
《射出深度は620mに再設定――》
強烈な閃光とともに、信管が小惑星に打ち込まれる。
親指を立てるバーニーの様子を見るかぎり、今度は成功のようだ。
《よう姫。こっちの準備は終わったぜ》
巨大な電磁銃を肩に担ぎバーニーが、小惑星に開いた穴から後ずさる。
そこへ三人目の宇宙飛行士が、液体核爆弾を流すポンプを引きずりながら近づいてくる。
制限時間は、すでに3分を切っているのだが、その宇宙飛行士はまったく慌てずにポンプのホースを接続し直していく。
彼女のヘッドセットに、宇宙船で待機している臆病な上官の声が響く。
《急げ!もう撤収しないと私たちも吹き飛ぶぞ!》
声の主はディープインパクト隊長、ケヴィン・ハーシェル中尉だ。
彼に関しては、テレビのニュースでお馴染みの人もいるだろう。
数々の小惑星を解体し、太陽系を救ってきた英雄で、おまけに抜群のルックスの持ち主は、実際には危険な作業はすべて部下に任せている。
だが、彼の臆病さによって、ディープインパクトの生還は担保されているというのも、また事実だ。
危険な場所から脱出する際にみせる、彼の宇宙船の操艦技術はピカイチであり、隊員たちも記者会見での彼の調子の良さには辟易としながらも、その“逃げ足の速さ”に関しては少なくとも評価をしている。
また、彼が宇宙船から一歩も降りずに、船内でうろたえているだけだという現状は、彼が現場のやり方に何も干渉していないことを意味する。
ハーシェルは結果的に、最前線で戦う隊員の好きにやらせていることになるのだ。
そして、この――冷静かつ真面目で、与えられた任務は的確にこなすプロフェッショナルにとっては、ハーシェル隊長の指揮能力の無さは好都合であると言えるだろう。
現場経験もない士官学校卒の若造に、偉そうに陣頭指揮をされて作戦の手順をめちゃくちゃにされてはかなわない。
だからメンバーは自分たちの指揮官の無能ぶりを上に報告しない。
実質この部隊は“彼女”が率いている。
☆
――彼女とは?
デニスは答えた。
「ミグ・チオルコフスカヤ。」
バーニーも同じ人物の名を挙げた。
「ミグ・チオルコフスカヤ。」
バーニー「心臓が凍っているんだよ」
デニス「私もそう思う」
バーニー「愛想はないが悪い奴じゃない。
冥王星の連中はまあ、みんなそういうところがある。気難しいというか・・・
ミグは人の心に土足で入っていくようなことはしないし、一日中瞑想をしているような顔をしてやがる。一言で言うならミステリアスなんだ。」
――あなたは冥王星人じゃない?
バーニー「国籍は冥王星だ。だがオレとデニスはカロン出身だから。
気質というか国民性が冥王星のやつらとは違う。」
デニス「私たちの方がおしゃべりよね。」
バーニー「そう、あいつは無口だ。」
☆
《おい無線でハーシェルがまた騒ぎ出したぞ》
マイペースに作業を進めるミグに、バーニーが声をかける。
もちろんミグのヘッドセットにもハーシェルの声は届いている。
彼の声は人を不安にさせるだけで、なんの効果もない。
だから無視しているのだ。
これが“太陽系の盾”の指揮系統の実態なのだ。コンプライアンスもへったくれもない。
人の生き死にが関わる現場には、第三者には理解できないような、奇妙で曖昧なルールが存在しているものなのだ。
ハーシェルはさらにがなり立てる。
《ミグ!今すぐ部隊を撤収させろ!聞いているのか!》
聞いてはいる。しかし事実上のリーダーは、それを聞き流している。
哀れなハーシェルは、今度はバーニーとデニスに怒鳴った。
《オイ!お前ら!ミグを止めろ!》
《すいません、あいつ今爆弾流しているところで・・・オーバー》
ハーシェルをいなすのは、バーニーにとってもたやすいことだった。
ポンプに付いた表示板は、液体核爆弾がまだ35%しか小惑星に送られていないことを示している。
《このままじゃ全員死――》
そこまで聞いて、ミグは腕についたコントロールパネルをタップし、無線通信を打ち切ってしまった。
彼女には一つの確信があった。
ハーシェルにメンバーを置いて逃げるような度胸はない。
あのタイプが最も恐れるのは、世間の評価だ。
危険な最前線で命懸けで戦う英雄――部下思いの隊長というイメージを、彼自身が吹聴している以上、部下を見捨てて一人だけ逃げ帰ってくるわけにはいかないのだ。
さらに不幸なことに、この前の60ミニッツのインタビューで、惑星連合放送の大物プロデューサーであるハロルド・ケプラーに彼はこうビッグマウスをたたいてしまった。
ハーシェル「我が軍では代々受け継がれる誇り高い伝統が存在する。
それは指揮官は部下を決して見捨てないということです。それがたとえ負傷兵でも戦死者でも我々は全員を必ず祖国に連れ帰ります。」
――そのために上官のあなたが犠牲になってもですか?
「冥王星の軍人なら当然のことですよ、ハル。」
☆
母船からの通信を一方的に遮断した彼女は、お馴染みの曲の鼻歌を歌った。
こういう切羽詰った状況では、脱力系の曲が精神安定上、大きな効果を発揮する・・・らしい。
このように、ミグは危機的状況になると、決まって所ジョージの曲を歌うが、この神経は彼女の後ろで装備を宇宙船のコンテナに格納するデニスには、とうてい理解できるものではなかった。
♪後を継ぐのか~農家~
イエスかノーか~農家~
デニスは思った。
なんてくだらない歌詞なのだろう。
そしてクールビューティーな彼女が、どこであのレコードを手に入れているのだろう?
ミグと初めて会ってから、今年でもう6年になるが、全く想像がつかない。
そんなどうでもいいことを考えていると、ここが小惑星の上であることすら忘れてしまいそうだ。
小惑星の上――
デニスはハッとして手に持った電子計算機の画面に目をやった。
――デッドラインが一分を切っている!
このエリア内で解体をしないと、小惑星の破片が太陽系の惑星に落下する可能性があるのだ。
《ミグ!》
彼女は叫んだ。これ以上はマジでやばい。
しかしミグはどこ吹く風で『農家の唄』のサビに入っていた。
♪も~や~せ~よ~この命~
☆
さてちょうど同じ頃、エッジワースカイパーベルトに3枚翼のプロペラ機のような宇宙船が侵入しようとしていた。
宇宙船の名はライトフライヤー号。
翼長はせいぜい20mほどしかない、ちっぽけな宇宙船だったが、そのスピードは、たった一つの例外――ディスカバリー計画のXー零――を除いて太陽系のどんな宇宙船よりも速かった。
携帯食料のクズでちらかった宇宙船のコックピットには、この物語のもうひとりの主役が乗っている。
「にゃ~はっは!もう冥王星か、太陽系も狭いもんやな~!」
操縦桿を適当に動かしながら、声の主は笑った。
オールバックにされた金髪にフライトゴーグルをかけ、革のジャケットを羽織った、大胆不敵な雰囲気を持つ、西海岸訛りの若者――
その野心的な目は、まるで全宇宙が自分の思い通りになると確信しているようだ。
彼の名前はライト・ケレリトゥス。
地球出身の若き冒険家にして、のちにミグ・チオルコフスカヤの終生のライバルになる人物であった。
ライトは理性的なミグとは対極の位置にいる人物で、常に感情の赴くままに行動する自由人である。
今回の冒険の理由も、ちょっと気が向いたから太陽系を一周してみるか、という気楽なものだ。
そしてあわよくば、自身で発明した最新型の核融合パルス式ロケットで、その最速記録を更新するつもりだった。
だが彼の旅は、折り返しに差し掛かった冥王星付近で、横槍を入れられることになる。
ライトフライヤー号の5km先で、小惑星が突然爆発したのである。
衝撃波によって制御を失ったライトフライヤー号は、冥王星の重力に捕まり落下しだした。
慌てて操縦桿を掴み直すライト。
コックピットが傾き出す。力づくで操縦桿を引くが、機体を立て直せない。
「なんやねん!」
ライトからしてみれば、こんな事態はほとんど予想していなかった。
それは彼に危機意識がなかったわけではない。
宇宙は気が遠くなるほど広く、それに対し、この船はとんでもなく小さい。そして桁外れに速い。
さらに小惑星などに遭遇する確率は、仮にそこが木星の小惑星帯(メインベルト)でも1%以下なのだ。太陽系を満たすには小惑星の数は少なすぎる。
つまり、発射されたピストルの弾に向かって、石ころを投げつけてぶつけるのが、ほとんど不可能なように、こんなことはまず起こらない。
だが宇宙は広い。
どうやらこの宙域には、銃弾に石をぶつけるプロフェッショナルがいるらしい。
――絶対しばいたる。ライトはそう心に誓った。
コックピットの傾きはさらに激しくなり、きりもみ寸前だ。
ディスプレーにはアラートが表示される。
ライトがさらに歯を食いしばり操縦桿を引くと、彼の馬鹿力で操縦桿はスポッと抜けてしまった。
もう冥王星への墜落は免れない。
あとは、どれだけ衝撃が少ない場所に落下できるかだ――
冥王星はほとんどが氷の星だ。硬い氷に叩きつけられたくはない。
ライトはコンソールを素早く叩き、落下地点を計算した。
☆
――それでは、天気の方はどうなっているだろう?アリスン?
――はいダニー、今日はあいにくの空模様だったけれど、うお座の方から太陽系に接近してきた小惑星22号は、エッジワースカイパーベルトの境界で急速に勢力を衰えて消滅しました。
粉々になった小惑星22号は、3ヶ月後には流星群として、ロマンチックな天体ショーを繰り広げるでしょう。
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――ええ、この様子はチャンネル11でも生中継される予定よ。それでは全国のお天気です・・・
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