80日間宇宙一周

田代剛大

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第一章 脱出速度――Escape velocity

2日目

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♪チョコレートを買いに
チョコレートを買いに
246原宿まで~首都高飛ばして~ゆ~く

小惑星解体の任務を終えたミグは、鼻歌を歌いながら、雪が残る巨大なセメント工場の前を歩いていた。

軍服の上にダッフルコートを羽織った彼女が、今ぼんやりと考えているのは、つい二時間ほど前に終わった記者会見のことだ。

――ディープインパクトの同僚や記者たちは、私のことを思慮深くミステリアスな人物だと思っているようだが、それは身のこなしで得をしているだけだ。

デニスにいたっては、私が小惑星の上で所さんを聴くのは、なにか重大な意味があるのではないかと深読みしている。

彼らをがっかりさせたくないから、未だに言い出せないでいるが、実際には、私は――何も考えていない。

私は、もともとぼ~っとしている性格で、記者会見で険しい顔をしている時も、深刻な問題――例えば、木星の民族紛争や、地球連邦のセンチネル・ドクトリン、月独立戦争の是非――などを考えているわけではなく、今夜のつまみはキャビアがいいか、あたりめがいいかで葛藤しているに過ぎない。

そして今夜はイカが勝利した。

もうじき私の自慢の屋敷にたどり着く。マヨネーズってまだ残っていたかな。



さて、いつもだったら、この二十分後には、ミグがぶら下げるスーパーマーケットの袋に入った缶ビールは、シャワーを浴び終えた彼女の喉を潤しているはずであった。

だがこの日は“いつも”ではなかった。

丘を上がり、屋敷の煙突の代わりに見えてきたのは、飛行機の尾翼であった。

――厄介な侵略者は、突然宇宙の果てからやってくる。

ミグ・チオルコフスカヤは、ビニール袋を握り締めたまま、自分の屋敷の前に呆然と立ち尽くしていた。

彼女は職業柄、ちょっとやそっとのことでは驚かない。

が、今回だけは違った。

自分の屋敷の屋根に宇宙船が突き刺さっている――

――なんで?



恐る恐る屋敷のドアを開けて中に入る。

室内は暗く、頭上からはパラパラと音を立てて、破壊された天井のかけらが絶え間なく降り注いでいる。

その時、彼女は何かに顔を思い切りぶつけた。鼻に激痛が走る。

よく見ると、それは我が家のシーリングファンなどではなく、宇宙船のプロペラだった。

屋敷に墜落した宇宙船は、機首を真下にして屋敷に梁に引っかかり、天井から宙吊りになっているのだ。床は瓦礫だらけだ。

「ったくなんやねん。あの隕石爆破したやつムカつくわ~」

宇宙船の中から人の声がしたかと思うと、プシュッという空気の音を立てて気密ハッチが開き、ロープをつたって中から若いパイロットが降りてきた。

パイロットは辺りを見回し、驚いた口調でこう言った。

「なんやここは・・・瓦礫だらけやないか!この星に一体何が・・・!」

――やったのお前・・・!

ミグとライトの出会いは最悪であった。



ミグの屋敷は一人暮らしをするには大きすぎる。

もともとミグは500年以上もの歴史を持つ、身分の高い将校の家系に生まれた。

父親のユーリも軍人だったし、母親のマリヤは軍所属の天文学者だった。

ミグは両親を尊敬していた。

ユーリは軍人らしからぬのんびりとした雰囲気を持った優しい父親で、マリヤはお人好しの夫を支える明るくしっかりものの母親だった。

冥王星では、軍人は花形の職業であり、子どもなら誰もが憧れた。

とりわけ太陽系を守るため、強大な敵と戦うミグの両親は冥王星では英雄であり、学校の授業参観日ではクラスメイトにたいへん羨ましがられたものだ。

当のミグは引っ込み思案な性格だったので(これは現在も変わらない)、両親が学校に来るのは、照れくさかった。

でも内心は自分の親が誇らしく、嬉しかった。

現在のミグを見れば誰もが、彼女は両親に憧れて、小惑星解体という道を選択したと思うだろうが、幼い頃のミグは、体が弱く、家の中で一日中本を読んでいるようなインドアな子どもだった。

彼女の両親も、別に自分たちの仕事を娘に継がせたいとは思っていなかったらしく、彼女の好きにさせた。

小惑星の解体という仕事があまりに危険であることを心得ていたからだ。



そしてそれを証明する事件が起こった。

20年前、夫婦が通算100個目の小惑星を解体しようとしたとき、突発的な事故(※2)が起こり、十歳のミグを残して両親は亡くなってしまった。

さらに悪いことは続いた。

夫婦が解体に失敗した小惑星は海王星に衝突し、死者200万人を出す大災害となったのだ。

12人の使用人を抱えていたチオルコフスキー将軍の屋敷は軍に差し押さえられ(※3)、身寄りのないミグは養子に出された。

冥王星の英雄の評価は一気に地に落ち、チオルコフスキー将軍は死んでもなお誹謗中傷にさらされた。

なかには夫婦は冥王星の名を汚した恥さらしであり、その責任は死んでも償いきれないと糾弾するものもいた。

冥王星人にとっては、死の恐怖を克服することこそが人生における唯一の目的であり、本来ならば、国家のために命を投げ出す軍人たちの勇敢な犠牲心は、彼らの星では最も称えられるものであった。

しかし宇宙時代が到来し、自分たちの星の哲学や文化が絶対ではなくなった。

つまり、他の惑星と外交上うまくやっていくためには、スケープゴートが必要だったのである。

相対主義の犠牲者――それがチオルコフスキー夫妻だった。

※2:事故の原因は未だに不明。
※3:冥王星の軍部は、国際世論の厳しい批判を受ける形で、チオルコフスキーの資産を強制的に差し押さえ、海王星の被災者支援に当てた。



ミグの転落人生はここから始まったが、現在はなんとか売却された屋敷を買い戻し、チオルコフスキー家の名誉を守るため一人でここに住み続けている。

かつて、冥王星の政財界や軍部の重鎮が集まった屋敷のダンスホールには、ダイニングテーブルがひとつだけ置かれ、贅沢な個人用食堂として使われている。

このアールヌーボー調のダンスホールは、屋敷の中でもとりわけ美しく、壁には特注のガラスがはめこまれ、その向こうには青いバラの庭園が広がっている。

もちろん今は使用人を雇う余裕などはないので、この庭園もミグが休日一人で手入れをしているのだが、自分が手入れをしたバラが月明かりを受けて輝く様を、ダンスホールで晩酌しながら鑑賞するのは、彼女のささやかな日課となっていた。


いわば、ミグにとって、この屋敷は人生の全てであった。

両親との十年間の思い出のすべてが詰まった大切な場所――まさかそこが今日テロ攻撃を受けるとは・・・

この攻撃で両親の形見はいくつ破壊されたのだろうか。

私のお気に入りの地球の絵画コレクションは無事か?

何も考えず現実逃避をするのは得意だが、それでも胸が締め付けられそうな思いがした。

自分に言い聞かせる――感情的になるな私。じゃないと泣いてしまいそうだ。



「な~んやここ姉ちゃんちか!」

屋敷を破壊した張本人――ライト・ケレリトゥスは、まったく悪びれる様子もなく、リビングのソファに腰を下ろした。

――この男は何者なのだろう?

とりあえず緋色の旅団といったテロリストではないようだ。

だが彼のふてぶてしい態度は、私にはどうにも理解できない。

「なんかメロンソーダとかあらへん?のどかわいたわ。」

――彼は一体何を言っているんだ?

屋敷をめちゃくちゃにした挙句、私に飲み物を冷蔵庫まで取りに行けと言っているのだろうか?

「何日間も宇宙船の中やったから、ろくなもん口に入れてへんねん」

――知らないよそんなこと・・・

ミグは、天井に突き刺さった宇宙船を見上げた。

冥王星のモダンなデザインの宇宙船とは全く形が違う。

――昔の戦争映画でこんなような形の宇宙船を見たな・・・

「聞いてる?」

ミグはハッとした。

――だめだ。現実を受け入れられずに、思考が定まらない。

「メロンソーダ。なきゃコーラでええわ。急いで」

――やはり私に飲み物を取りにいけと言っているようだ。メロンソーダ・・・あったかな・・・

とりあえずミグは冷蔵庫を見に行くことにした。

ライトはつぶやいた。「ぼ~っとした女やな~」



リビングに戻ってきたミグは、ふてぶてしい侵略者に瓶入りコーラと栓抜きとよく冷えたコップをだしてやった(メロンソーダはやっぱりなかった)。

そして彼に詰め寄った。

感情的になることが少ない冥王星人でも、さすがに腹が立ってきたのだ。

「お前とんでもないことをしてくれたな・・・人の家に墜落してきた時は、もっとほかに言うべきことがあるんじゃないのか?」

「なんやお前の星のコーラまっずいなあ」

――聞いてよ。

ライトはミグの出したまっずいコーラを飲みながらマイペースに続けた。

「やっぱコーラは祖国のに限るわ~」

――“祖国”??ってことは・・・

ミグは尋ねた。

「お前・・・もしかして地球から飛んできたのか?」

「そうや」

――地球・・・

「それにさっきから、“お前”ってやめい。」

グラスを置いてライトは自己紹介をした。

「オレは地球一の天才発明家ライト・ケレリトゥス!太陽系で最速の男や~!
どうや惚れたか!?」

自信にあふれた彼の真っ直ぐな瞳に、ミグの心はときめ・・・

・・・くはずもなかった。

とうとう冷静なミグの堪忍袋の緒は切れて、百戦錬磨の軍人は無礼な民間人につかみかかった。

「惚れるかバカ!私の屋敷をどうしてくれるんだ~~!」

「放せ~はなさんかいボケ~!」

気づくと涙目のミグはライトの首を絞めていた。

すっかり取り乱したミグは、パトカーのサイレンの音で我に返った。

ライトがきょとんとする。

「何の音?」

「ああ・・・警察だろ」

「お前通報したんかい!」

――そりゃするだろ普通・・・

「お前には人間のあったかさとかないんか!オレこんな太陽系の果ての星で捕まるやないか!」

そう言うと、ライトはソファから立ち上がった。

そして逃げ出そうとした。

ミグはすかさずライトのジャケットを握り締めた。

「はなせや」

「やだ」

「しばくぞ」

「やだ」



屋敷に警官たちが入ってきた。

そしてミグと同じように、全員がライトの宇宙船のプロペラにしたたかにぶつかった。

なんて絶妙の高さでこの宇宙船は引っかかっているのだろう。

「うわ~ひでえな。テロ攻撃か?」

屋敷内の惨状を見て、警官の一人がつぶやいた。

確かに今のご時世、真っ先に疑うのはそれだろう。

ミグは逃げようともがくライトを力づくで引っ張りながら、警官に状況を説明した。

「お巡りさん!
こいつ(ライト)がこれ(ぶら下がる宇宙船)に乗ってこの屋敷に降ってきたんです!」

「人を雹か何かのように言うなや!言っとくけどな、こっちかておまえの家に墜落したくてしたんちゃうわ!」

――こいつ、この期に及んでまだ減らず口を・・・!

「太陽系一周の最速記録がオレの発明したライトフライヤー号で出せるところやったんやぞ!」

――そうか、この宇宙船の名前はライトフライヤー号っていうのか・・・ってどうでもいい、どうでもいい。

イマイチ事情が飲み込めない警官は

「なら堕ちないように作ってもらわないとね~」

と、腕を組みながら自信なさげにつぶやいた。

その煮え切らない態度にライトが怒鳴った。

「お前らの星が吹っ飛ばした隕石にぶつかったんじゃボケ~!」

――え?

ミグにはなにか心当たりがあった。

――いやそんなはずはない。小惑星解体船ケルベロスのレーダーには宇宙船は一機も補足されていなかったし、解体エリアの安全はデニスと何度も確認したはずだ。

この男の作り話に決まっている。この悪魔め、自業自得の墜落事故を、我々の献身的な活動のせいにするとは許せない。

困り果てた巡査部長は

「とりあえず詳しいことは署で聞こう」

と、部下にライトの確保を命じた。

「オイ連れてっちゃって」

ライトの身柄が拘束される。

横柄な地球人が、手錠をかけられにわかに慌て出した。

「な、なんやねん!オレが何したっちゅうねん!」

ミグは一時の勝利に酔いしれた。

さすが我が冥王星の警察組織。
その正義の信念はぶれない――尊敬に値する。

「ははは彼らの取り調べは厳しいぞ!せいぜい・・・」

と喋りながら、自分の両腕も背中の後ろで拘束されていることに気づく。

――まってまって展開おかしいから。

後ろを振り返るとミグの両腕に警官が手錠をかけていた。

「あ・・・あの・・・」

「一応オタクにも事情聴くから」

――何考えてるんだ、この星のバカ警察は!こっちは被害者だぞ!

ミグも拘束されているのを見て、ライトがざまあみろと言わんばかりに「にゃはにゃはにゃは」と爆笑した。

ミグはたまらず叫んだ。

「こんなの国家権力の横暴だ!こっちは命懸けで隕石解体して、これから一杯やってくつろぐところだったのに・・・!」

そこまで言って、彼女は口をすべらせたことに気づいた。

ライトが何かに気づいた様子で、こちらを睨みつけた。

そして手錠をかけられながら、ミグに近寄って、その尻を蹴飛ばした。

「隕石ってお前の仕業かコラァ!」

ミグは前のめりになって倒れそうになった。

「お前・・・け、蹴ることないじゃないか!」

その様子を見ていた警官は、ミグとライトが痴話喧嘩をしていると思ったらしい。

「なんか仲いいぞ・・・
部長、これはどうやら共犯なのでは・・・?」

「なかなか鋭い推理だぞドンスコイ」

――鋭くないよドンスコイ・・・!



とうとう巡査部長がしびれを切らせて部下に命令した。

「とりあえず二人共連行よろしく」

「は」

その時――

巡査部長の背後から、スーツに身を包んだ品の良さそうな初老の男性が近寄ってきて

「お待ちを」

と、声をかけた。

髪の色はグレーで、高級そうなメガネをかけている。

この紳士が、巡査部長よりもずっと身分の高い人物であることを、ミグは知っていた。

――トリエステ・ピカール卿・・・間違いない。

冥王星で最も優秀な科学者であるとされ、天皇陛下の枢密院の科学顧問、また太陽系科学学会の主事を務める超大物だ。

そんなピカール閣下がなんで我が家に・・・?

ピカールは、意外にもライトにまっさきに話しかけた。

「あの機体は貴方ひとりでお作りになったのですか?」

「そうや」とライト。

天井を見上げて、梁に引っかかった宇宙船をしげしげと眺めるピカール。

「これが個人の発明とは・・・素晴らしい出来栄えですな」

「あ・・・ありがとう・・・」

ライトはいきなり自分の作った宇宙船を褒められて当惑しているようだった。

ライトはピカールからミグの方に向き直り、彼女に小声で尋ねた。

(誰?)

ミグは、目の前の紳士がこの星で最高の頭脳を持つ科学者であることを、彼に教えてやった。

しかしライトの反応は小学生並みであった。

「あのオヤジ、ピカールって名前なの?うぷぷアホな名前・・・」

ミグはライトのケツを思い切り蹴飛ばした。



ピカールはライトに丁寧に自己紹介をした。

「トリエステ・ピカールでございます・・・お話の筋は先程から耳に入っておりました。
太陽系一周という素晴らしい夢が、こんな田舎の星で潰えるのはキミも大変不本意でしょう」

嬉しそうにウンウンと頷くライトを、納得いかなそうな顔でミグが見つめる。

ピカールはさらに続けた。

「どうですか?ひとつ司法取引とまいりませんか?」

「へ?」

「率直に申し上げる。我々冥王星は、貴方の技術に非常に興味があります。」

ミグはなんとなく話が読めた。

ピカール卿は物腰こそ柔らかく、人あたりのいい紳士だが、その腹の底は徹底したマキャベリストとの噂だ。

トリエステ・ピカールは15年ほど前、伝統的な隕石解体方法の代案としてはじまったスター・ウォーズ計画において、地表から隕石を迎撃する地対宙ランチャー“メイルシュトローム砲”の開発を指揮したのだが、この砲身が全長700mにもなる巨大なエネルギーランチャーは、メインリアクターの安定化装置の開発に手惑い、実験段階で度々深刻な事故を引き起こした。

一番悲惨な“暴走”は7年前の4月26日に起きたもので、空間をえぐりとって対消滅させる反物質の連鎖反応は広大な実験場を越えて、近隣の村にまで及んでしまった。

軍の出動があと一歩遅かったら、無関係な村民1500人がアンチマターの大津波に巻き込まれていたことになる。

この事故は、冥王星の軍部が隠し通せる規模のものでは到底なく、メイルシュトローム砲は惑星連合に「大量破壊兵器に転用されうる悪魔の技術」だと批判された。

だがピカールは、国際的な批判などどこ吹く風で研究を続けた。

とうとうこのエネルギー学者は、惑星連合の総会に召喚されることになったが、そこで彼は

「私はナイフを作っている職人と一緒です。ナイフ作りが法律で禁止されていない以上、私にはその鋭さを追求する権利があります。ナイフは人を殺さない。ナイフの使い方を決めるのはあなたがただ」

とコメントし、さらに優しい声でこう付け加えた。

「今度はもっとうまくやります。これが欲しい人はいますか?」



ピカール卿は、ライトの技術力を狙っている――

ミグはそう思ってライトの宇宙船を見上げた。

だがこんな粗末な宇宙船の、なにが閣下の目にとまったのかはさっぱりわからなかった。

実際この宇宙船はここに墜落している。

つまりその程度の出来だということを証明しているではないか。

ディープインパクトが採用している宇宙船ケルベロスは、そんじょそこらの核爆発に巻き込まれても墜落しないように頑丈に作られているのだ。

こんな紙のような強度の宇宙船とはわけが違う。

クラシックな宇宙船のマニアでも知られる閣下は、もしかしたら純粋に同じ趣味の仲間が欲しいのかもしれない。

そういった男の子文化は女性のミグには理解しきれないことだった。

ピカールは巡査部長の方を向いて

「あ、キミ達、彼の戒めを外してやってください」

と、丁寧に指示を出した。

「彼は私のラボで個人的に話があります」

――お咎めなしか。悪運の強い奴・・・

ミグがそう思っていると、巡査部長がこう言うのが聞こえた。

「わかりました・・・じゃあこいつだけ連れてっちゃって」

――“こいつ”って・・・私!?なんで~~~!!!



ミグの屋敷に続く、針葉樹の森を南西に抜けると、冷戦時代の影を残す古く貧しい村々があり、さらにその先へ進むと、地平線まで広がる大規模な工場群が視界をおおうようになる。

こここそパーシヴァルミリタリーファクトリ――太陽系最大の工業地帯である。

灰色の雲にまで届きそうな巨大な煙突からは、白く濁った排気ガスが噴出し、まるでその光景は、神の住む天界を汚すバベルの塔のようだ。

そして、この鋼で出来たバベルの塔は、たとえ神が人間の使う言葉をバラバラにしても、なくなるような代物ではなかった。

冥王星の労働者は言語よりも強力な力――社会主義というイデオロギーで団結し、計画経済の名のもとに新しい塔を次々に建造したのである。

しかし神は、そのイデオロギーすら冥王星の民から奪い取ってしまったらしい。

現在操業している工場は全体の6割程度で、街には失業者があふれているのが現状だ。

よく見ると、煙突の中には煙を吹いていないものがちらほらあることに気づく。



さて、この星の社会主義が行き詰まりを見せた時、冥王星が選んだ道は民主主義ではなく、なんと王政復古であった。

歴史的に法治主義が馴染まなかったこの星において、ラディカルな民主化および自由化は、万人の万人に対する戦いを生むに違いないと、冥王星人は考えた。

そして一度追放されたツァーリをリヴァイアサンよろしく、再び玉座に呼び戻したのだ。

この変動で最も動揺したのは、ほかならぬハデス天皇であった。

悪魔を思わせる青白い顔と漆黒の長髪――ファッションの語源はファシズム(全体主義)と同じだというが、独裁者が好んで着そうなロングコートとブーツ――見た目こそ、粛清、拷問、虐殺――そんな陰惨な言葉をイメージさせるが、実際の冥王ハデスは、国民思いの平和主義者であり、どちらかというと優柔不断なところがあったため、革命にあったというのが正しい。

そんなハデスの立場からすると、せっかく国の統治者という肩の荷が下りて、これから悠々自適に暮らすつもりだったのに、とんだ冷水を浴びせられたことになる。

事実ハデスが王に復帰した際、彼が最初に言った言葉は――「待って、ファイナルファンタジーのセーブが終わってない」だった。

なんにせよハデスが王に復帰し、貧しい労働者の生活は徐々に向上した。

皮肉にもハデスは、社会主義政権ができなかった富の再分配を、専制君主の強権を用いてやってのけたのだ。

前世紀の遺産の人気が、地方の低所得者層にはいまだ根強い理由はそれだ。

だがこれに納得がいかないのはブルジョワ階級――雇用主の方だ。

つまり現在パーシヴァルで問題になっているのは、労働者のストライキではなく、どちらかというと雇用主による工場の締め出し――ロックアウトなのである。

自由経済を求める彼らは、マスコミと一丸になって、惑星連合におけるハデス天皇の消極的な姿勢を追求しだした。

そして現政権批判の決定打になったのが、今月の惑星連合サミットで発表された、冥王星準惑星降格の合意であった。

これにより連合からの防衛予算の規模がこれまで以上にドラスティックに縮小され、ハデスは雇用者からも労働者からもその政治的手腕を疑われるようになったのだ。

工場の壁や塀には

「工場締め出し反対!」

「政府は何をやっているのか?」

「失業者に救済措置を」

「たちあがれ労働者」

「冥王星準惑星降格に反対!」

といった文字が猛りくるっている。

極めつけは

「金持ちは貧乏に、貧乏は金持ちにな~れ♪」

であろう。

これは土星に拠点を持つ、共産主義の過激派テロリスト「緋色の旅団」のモットーであり、近年この星でも貧しい労働者の支持を急速に集めている。

冥王政府が恐れているのは、土星の二の舞・・・本来なら対立すべきイデオロギーを掲げる、緋色の旅団とリベラル派が同じ目的――ハデス政権打破のもとに団結してしまうことである。

雪と氷と光化学スモッグに覆われた惑星は、今、文字通りくすんでいるのである。



ライトはピカールの私設研究所の応接室に案内された。

ホワイトボードには、宇宙ロケットの積載重量の限界を示す公式か何かが殴り書きされている。

宇宙ロケットは打ち上げの際にパワーのあるエンジンを積み込む必要があるが、パワーのあるエンジンは得てして重い。だが重いロケットは当然打ち上がらない。

かといって機体を軽くするためにエンジンと燃料を減らすと、それもやはり打ち上がらない。

よって、さらにパワーのあるエンジンを積む必要になる。だが、さらにパワーのあるエンジンはさらに重い。

このイタチごっこというかディレンマを、文字式を使って表したものが、あれなのだろう。

ピカールはライトをソファに座らせて、棚から紅茶セットを出した。

そしてお湯を沸かして、丁寧にプルティアンティ(アプリコットジャムの入った冥王星のお茶)をいれると、ティーカップを彼の前のテーブルに置き、最後に、製図台に乗った宇宙船の設計図のコピーを手渡した。

「ノーチラス号です」

と、ソファに座りながらピカールは言った。

「我々は現在、宇宙最速の戦艦を建造しております。この戦艦の動力機関をあなたが設計するならば、我々冥王星は今回の墜落事故を不問とし、あなたの地球帰還を最大限援助いたします」

ライトは黙ってノーチラス号の設計図をめくっている。

ピカールは続けた。

「具体的にはこのラボの実験室の一室を貸し出しましょう。資金も好きなだけ提供いたします」

ライトはなおも無言で設計図を見つめている。

「条件としては申し分ないかと。・・・どうですか?」

ライトは設計図をたたんで顔を上げた。

そしてピカールに複雑な表情で言った。

「いや~・・・おたくら、つまりは兵器作ってんねやろ?悪いけどオレ戦争なんて興味ないねん。
悪いな」

ピカールは紅茶を飲みながら、優しい声で説明した。

「あなたは我々についてなにか誤解してらっしゃるようだ。
冥王星が国を挙げて兵器を製造しているのは戦争のためではないのです。
ここで開発されている兵器は、太陽系に接近する小惑星を迎撃するためのものであり、このノーチラスプロジェクトも例外ではありません。」

「難しいことはわからへんけど・・・やっぱ軍には協力でけへんなあ」

ライトは軍隊にアレルギーがあるのか、決してピカールの要求を呑もうとはしなかった。

ピカールは、微笑みながら指を組んだ。

「随分強情なお人だ」

ライトがいつもの調子で馴れ馴れしく喋りだした。

「あいつおったやん。ダイナマイト作った・・・」

「ノーベル」

と、間髪入れずピカール。

「そう。あいつかてトンネルを安全に掘るのにダイナマイト作ったら戦争に使われてごっつヘコんだって聞くで~」

そして、ライトはソファから身を乗り出し、強い口調でこう言った。

「つまり――お前ら軍はいつの世も信用できんのじゃ」

ピカールは、笑みを浮かべた表情こそ変えなかったが、目の奥は笑っていなかった。

ピカールはある書類を懐から取り出した。

「非常に残念です。
あなたはこんな素晴らしいロケットが造れるのに・・・状況把握能力には著しい欠如が見られる」

それは、ライトの開発した核融合パルスロケットの設計図だった。

「あ、それオレのやんか、なんでもうとるんや、かえせ・・・」

どうやらミグの屋敷に突き刺さったライトフライヤー号から勝手に押収したらしい。

ライトが自分の書いた設計図に手を伸ばそうとすると、ピカールは「うふふ」と笑ってごまかしながら、再びそれを懐に入れてしまった。

「うふふってドラえもんか。返せって!オレのなんやから~!」

ライトが困ったオヤジに近づこうとした途端、オフィスのドアがノックされた。

ピカールが「どうぞ」と返事をすると、一人の軍人が入ってきた。

ライトはすぐに気づいた。

「やあ・・・」

――あのでかい女だった。

ミグをオフィスの中に入れて、ピカールはライトに通告した。

「交渉は決裂です。軍法会議での判決を申し渡します。
ライト・ケレリトゥスくん。冥王星軍軌道歩兵師団、特殊任務課“ディープインパクト”に12カ月間の入隊、我が星への奉仕活動を命じます」

「なんやて~~~!!??」

「それまでこの設計図は私が預かっておきますね・・・」

「汚ねえぞピカ!」

ライトはピカールに飛びかかろうとしたが、首根っこをミグにおさえられてしまった。

「さあライトちゃんこっちいらっしゃい・・・」

ミグはライトの襟を掴んだまま、彼をドアの方へ引きずり出した。

ピカールは、紅茶セットを片付けながら

「あなたも一年間軍にいれば、この星のやっていることの正当性が理解できるはずです。頑張って」

と、心にもないエールを送った。

ライトはもがきながら

「な、なんやお前ら、グルか~~!?グルなんか~~!!??」

と、喚いた。

抵抗も虚しく、ライトはミグによってオフィスの外へ強制的に追い出された。

ピカールは微笑んだ。

「それでは一年後再びお会いしましょう・・・運がよければ」
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