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第一章 脱出速度――Escape velocity
4日目
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荒涼とした景色が広がるクレーターバレーは小惑星解体の訓練にはうってつけの場所だ。
その大地の形状は、新兵たちが後に降り立つであろう小惑星と似ているし、広大かつ無人なので解体作業の際に用いる爆弾や電磁銃を、野外で実際に使用することもできる。
クレーターバレーには、解体作業をさらに効率化するための装備を研究開発している、P244実験棟があり、その五階には新兵が解体作業で必要な理論と技術を学ぶ講義室があった。
――第94号教室。
ここで『小惑星解体実習A』を担当する講師が、ディープインパクトのメカニック、バーニー・オルクスであり、彼が一方的にがなり立てる授業は、新兵たちに「バーニーの白熱講座」と呼ばれた。
体重が100キロ以上もあるのに、EVA服を着ても敏捷な動きを見せるバーニーは、ある意味キャロット軍曹よりも新兵に恐れられている。
実際に戦ったら、キャロットよりも強いのではないかという噂もある。
だがそれ以上にバーニーが恐ろしいのは、訓練教官の中で最も頭が切れ、弁が立つことだ。
「理屈に合ってない」
「少しは論理的に考えろ」
「やりなおし」
「ちょっと待て、お前分数の足し算はできるのか?」
と、新兵を理詰めで追い込んでいく彼に、反論できるものなど一人もいなかった。
それに比べてミグの授業は、新兵たちにとってはまるで天国であった。
ミグはうつむきながら、ゆっくり静かな声で隕石解体の退屈な体験談をしゃべるだけで、彼女の話など新兵たちは誰も聞いていなかった。
中には
「よう姉ちゃん、最近やったのいつだ」
と、セクハラまがいの野次を飛ばす者まで現れたが、ミグは何も言い返さず、黙ってプロジェクターのスライドを取り替えるだけなのであった。
☆
ところで、バーニーは講義こそ地獄の厳しさであったが、この凶暴なインテリは、新兵の面倒見もよく、積極的に彼らを遊びや食事に誘い、時には貧乏な新兵たちに金銭的な支援もした。
言ってみれば豪快な親分肌タイプで、そのため部下たちからの信頼も厚かった。
ジム・キャロットに対する新兵の恐れが、服従からくるものだとするならば、バーニーのそれは敬意からくる“畏れ”だったのである。
バーニーが、ホワイトボードに勢いよく回路図を書き上げていく。
「いいか、アンカーの内部構造はこうだ!」
そして水性マーカーを放り投げると、さし棒で複雑な回路図が書かれたホワイトボートをバシっと叩いた。
「この仕事をしたいならば、この図は全て頭に入れておけ!オレがいつ質問しても答えられるようにな!まあ配線ミスで爆死したいなら話は別だがな!」
「アイアイサー分かりました!」
と、新兵たちが一糸乱れぬ返事をする。
「よろしい!では、実習に移る!
本時はテキスト第4章67ページからの作業マニュアルに沿って(ガーピー)実戦で使用する装備の使用方法を学んでも(ガーピーガーピー)らう!ユーティリティボックスはチェ(ガピガピガピ)ック
――うるせ――!!」
バーニーは、教室の後ろで立ったまま寝ているライトにさし棒を向けた。
「おいミグ!その器用に寝ているガーピー野郎を起こせ!」
ガーピーといびきをかくライトの隣で教育係が小声で囁いた。
「おいライト、起きろよ・・・」
「ど~でもいいっちゅうねん・・・」
☆
ライトのことはミグに任せて、バーニーは授業を進めた。
小惑星解体用の電磁銃をコンテナから取り出し、新兵の前で抱える。
初めて見る巨大な電磁銃に、新兵の列から声が漏れた。
「こいつはソードオフされたローレンツⅡ型EM銃だ!
マニュアルにも書かれているとおり、これは小惑星の中心にアンカーを射出する装置であり、リキッドニュークはその穴から流し込むことに・・・」
「ちょちょちょ」
と、バーニーの講義を誰かが遮った。
新兵たちがギョッとする。
バーニーは話の腰を折られるのが大嫌いなのだ。
そんな野暮な事をするのは、この部屋では彼しかいなかった。
「お前らが相手にしている隕石って結構大きいんやろ?
そんなしょぼいてっぽうで、ちゃんとタマは届くんか?」
「ライト・・・!」
ミグが慌てる。
――もう勘弁してよ。
「なっなに~!?さんざ居眠りこいて、オレたちの伝統的なやり方に口出ししようってのか・・・」
バーニーは怒りを通り越して、半ば呆れていた。
「ちょっと貸してみ」
ライトはバーニーからひょいと電磁銃を取り上げると、その形状をざっと観察した。
「あ~フレミングの左手の法則で弾が飛ぶようになってんやなあ・・・」
――ミグは脱力した。
フレミングの法則といえば、中学生の頃理科で習うあれだ。
そんな理科の教科書レベルの原理で、レールガンができているわけないだろう・・・
「その通りだ、だからまずそれを置け」
と、バーニー。
――え?
「そうなの?」
と、小声でミグ。
バーニーは黙って頷いた。
「あんたが機械工学に詳しいのはわかったよ。オレのお仲間だな。
だが、とにかくそれを返してもらおうか大先生。」
「これならちょっといじれば、威力が倍にはなるで!」
ライトは、水を得た魚のようにワクワクしながら言った。
「話聞けよ・・・」
バーニーがそう言った時には、大先生はすでにドライバーを使って、電磁銃を分解し出していた。
☆
第94号教室に爆音と閃光が走った。
出力過剰でプラズマ化したアンカーは壁をぶち破り、訓練所の敷地を0.02秒で駆け抜け、遥か彼方のクレーターを次々と貫いていった。
ライトは三つの間違いを犯した。
許可なくEM銃を撃ったこと。
また、厳禁されている水平撃ちをしたこと。
さらに、室内でそれをしたこと。
改造EM銃の威力を実演したライトは、フライトゴーグルをあげて満足そうに、兵士たちの方を振り返った。
だが、ほとんどの兵士は衝撃波で吹き飛ばされ、床にくずれて呻いていた。
バーニーは新兵たちに怒鳴った。
「午後の実習は来週に繰り越し、1300時から壁の修復工事とする!」
新兵たちの不満の声。
「え~じゃない!突発的な事故が起きた際のリカバリーを学ぶと思え!」
ミグは言葉も出なかった。
――またやらかした・・・
ライトが壁に開けた大きな穴は、午後一時の工事までドミトリー・ブリイキン二等兵のパトラ・ジュリエッタ(※4)で塞がれることになった。
※4:天王星の人気アイドルで、全宇宙的に人気がある。ここでは彼女の等身大ポスター。
☆
ミグは書類の束を抱えて、暗い顔で基地の廊下を歩いていた。
書類の内容は、ライトの監督不行き届きに対する始末書だ。
廊下の傍らには「士官昇進試験のご案内」が掲示されている。
――とうとう私には無縁になったな・・・
「チオルコフスキーさん」
優しい声が彼女を呼んだ。
ミグが振り返ると、ピカール卿が笑顔で近づいてきた。
「少々お時間よろしいですか?」
☆
ピカールの私設研究所が管轄する工業団地では、冥王星最大の戦艦ノーチラス号の組立作業がさらに進んでいた。
この巨大な工場ではおよそ一万人もの人間が働いているが、失業率が高い現在の冥王星では、それでも採用の競争率は190倍にも上った。
もはやここは一つの都市であり、この大事業を指揮するピカールはその市長といっても良い。
ノーチラス号の巨大な胴体部分を横切り、ミグを乗せたカートは工場の内部をさらに奥に進む。
ノーチラス号は全長が2km以上もあり、その全体像は視界には収まらず、よくわからない。
まるで高層ビルが横倒しになって、ガリバー旅行記の巨人のように車輪で運ばれているようだった。
ヘルメットの現場監督が後ろを振り向き、カートの助手席から怒鳴った。
空調と溶接のスパーク音で工場内はけたたましいのだ。
「もともとノーチラス号は、冥王星の各地にある計20箇所の大工場で、32ブロックのパーツごとに建造されました。
航空機の命である垂直尾翼はステュクスのトンボーエアクラフト、主翼フラップはエリスのニュー・ホライズンズといったように。
アビオニクスの一部は土星のプロメテウス社に発注しました。
それをここに集めて、5パーツまでに統合します。」
「ここでひとつに完成させないんですか?」
と、ミグ。
「確かに敷地面積上は問題ありません。もともと更地だったこの場所に32の巨大なパーツを運び入れてから、それを取り囲むように我が組立工場は建設されましたからね。
しかし全長2200m、総重量34万5千トンにもなるノーチラス号を、地上から離陸させるのは大仕事でしてね。
第二段階の5パーツにはそれぞれに原動機とブースターがついており、まあそれを基準に分割したのですが、5つのパーツは完成後そのまま宇宙に打ち上げられ、組み立ての最終段階は軌道上で行ないます。」
「では一度宇宙に打ち上げられたらノーチラス号は二度と地上には降りられない・・・?」
「いえ、この処置はあくまで組立作業の効率化とコストカットのためのものであって・・・あ、着きました。」
カートがピカールのラボの前で止まった。
周りを見渡すと、永遠に広がっているとすら思えたダクトや作業用ステップは姿を消し、そこにはオフィス街のような景観が広がっていた。
居住区、ショッピングセンター、公園、銀行、郵便局に病院・・・ここが工場の中とは思えない・・・
☆
ピカールのオフィスに通される。
ライトをここで引きずったのは、一昨日だったっけ・・・ミグにはもっとずっと前の出来事だったように思えた。
「工場見学は楽しかったですか?」
紅茶を淹れながらピカールが訪ねた。
「驚きました。ノーチラス号は我が国の希望になりますね。
天皇陛下の国土強靭化計画は、ほかの惑星に対する国力の示威として十分に機能し・・・」
このミグの発言にピカールは笑った。
「なるほど、国土強靭化ですか・・・
公表はされていませんが、冥王星の国家予算のほとんどはこの事業に当てられています。
税収を上げるために私企業の法人事業税を2倍にし、歳出を減らすために貧しい者に対する社会保障を打ち切ってね。
こういう人権を無視した無慈悲な一大事業が可能なのは、今のご時世この星だけでしょう。
科学者が働く場所としては、こんな素晴らしい星はありません。」
ミグは返答に困った。
――法人事業税の増額と社会保障費の縮小は、惑星連合からの太陽系防衛費の削減が理由ではなかったのか?
閣下は冗談で言っているのか?
それとも冥王政府に対する真剣な批判なのか?
「国家繁栄のためには多少の犠牲はつきものですしね・・・」
ミグは、当たり障りのない軍隊の決まり文句をつぶやいた・。
「まあ、あなたのような軍人と、私たちの利害関係が一致している以上は仲良くやりましょう・・・あ、どうぞおかけになってください。」
ピカールはミグに紅茶を出して応接室のソファに座った。
「失礼します。」
ミグも着席した。
「で、どうですか?彼の様子は・・・」
ピカールは本題に入った。
「正直言って私の手には余ります・・・
訓練の半分はサボって家に帰っちゃいますし、彼の始末書は私が代筆している始末です・・・
も、もうあいつを除隊させてください・・・!」
ミグの心の叫びを、ピカールは笑っていなすと
「で、彼はあなたの家では何を?」
と、尋ねた。
「まるで自分の家のように、食べて、寝て、歌って踊ってます・・・」
「ライトフライヤー号はどうなりました?」
老練な科学者は、ライトの生活態度には別に興味がないらしい。
「ああ・・・あれは天井から引き下ろして、屋敷のガレージに運ばせました。
懲りずに毎晩修理していますよ。彼もとっととこんな星を出たいようですね・・・」
ミグがそう報告すると、ピカールは強調するようにゆっくり呟いた。
「それは困りますね・・・
彼にはずっとここにいてもらい、最終的には我々に協力していただかなければ・・・」
――ミグは動揺した。
軍隊でも好き勝手に生きるライトが人の命令に簡単に従うはずがない。
「あの男が協力しますかね・・・?」
「させるのですよ。そこであなたの力が必要なのです」
ピカールは冷徹な口調で言った。
☆
屋敷に帰る途中、ミグは閉鎖されたミサイル工場で失業者たちのデモに遭遇した。
たまたま、『全くやる気がございません』の鼻歌を歌っていたが、この歌詞(※5)が失業者たちの耳に入ると袋叩きに合いそうだったので、デモの近くでは鼻歌をやめた。
「惑星連合は防衛予算をけちるな~!誰のために兵器作ってると思ってるんだ~!」
彼らの声がミグの胸に突き刺さる。
失業問題の原因は惑星連合だけにあるのではないことを、ピカールから聞いてしまったからだ。
彼らが支持するハデス天皇が、自分たちの生活を間接的に苦しめているかもしれないと言ったら、彼らはその事実を受け入れるのだろうか・・・?
――国家のためなら多少の犠牲はつきものだ。
軍人の私は、上官にずっとそう教えられてきた。
だが・・・その犠牲が大きすぎたら、国家そのものがなくなってしまうのではないだろうか?
もうやめよう。
こんな難しいことを考えたくはない。
だいたい、私のような人間が考えたって解決するようなレベルの問題ではないのだ。
こういう問題は、プロの政治家や学者に任せておけばいい。
所さんだってこう教えを説いているじゃないか。
♪早い話が私は空気。空気だから聞こえない、と。
「今こそ万国の労働者が立ち上がる時なのだ~!!がんばろ~!」
「えいえいお~!」
プロレタリアートの切実なシュプレヒコールは、冥王星のくすんだ空に消えていった。
※5:(一時抜粋)
♪働く気もなきゃ銭もない だけど会社も休まない 空気みたいにこの世に浮かぶ
(C)所ジョージ
☆
「ただいま」
ミグが屋敷に帰ると、なんと屋根が直っていた。
「屋根直したのか・・・?」
「まあな」
ライトはリビングのソファーでくつろぎながら、ミグには難しすぎてさっぱりわからない科学雑誌を読んでいた。
「あ、そうそう。あんたの屋敷は古すぎて、使われた木材はもう絶滅してるんやって。
だからちょっと不格好やけど、これでかんにんしてくれ。
でもあんたついてるで。
煙突だけは同じやつが奇跡的に骨董屋で見つかってな。これ領収書。」
ライトは修理や分解だったら、なんでもできるらしい。
――ピカール卿じゃないが、意外と役に立つ人物なのかもしれないな。
そう思いながら、ミグは領収書に目をやった。
――200万ルーブル!!??
「き、君これをどうやって・・・」
「あんたのクレジットカード使ったんや。
チオルコフスキー家は貧しい者の味方じゃってジジイに拝まれたで。あ、礼はええから。」
「ちょっと待て、じゃあ今月の生活費はどうなるんだ!?」
「こんな屋敷に住んどいて、それしか金がないわけちゃうやろ?」
「ないよバカあ!明日からふたりでふりかけご飯だぞ!」
「なんや、お前!あれか、見せかけ貴族か!」
「は~まあいいや・・・ありがとう・・・」
昨夜だったら、泣きながらライトを屋敷から追い出していただろうが、ピカールに頼まれた以上、そうもいかない。
この頼みを聞けば、月収の4倍のボーナスが閣下からもらえる。それに期待しよう。
気を取り直して、ミグはコートを脱ぎ、制服のネクタイを緩めた。
「いいってことよ。あんたには世話になったしな。飛ぶ鳥あとを濁さずや。」
「え?」
「いや、もうじきライトフライヤー号の修理も終わるし・・・明日には消えるから、安心しとくれ」
「そ・・・そんなに早く終わるのか?」
「あんたかてその方がよろしいやろ?悪魔はとっとと帰ります」
ああ、なんて皮肉な状況なのだろう。
今となっては、屋敷から出ていこうとするこの男を引き止めなくてはいけないとは・・・!
ノーチラス号の開発は冥王星の全てを賭けた国家プロジェクトだ。
そしてその成功には、ライトの協力が不可欠だという。
もし彼をこのまま帰して、ノーチラス号が失敗に終わったら、それこそ冥王星は終わりだ。
クーデターが起きて、かつての社会主義革命のように多くの血が流れるだろう。
胃が痛くなった。
小惑星解体はマニュアルに沿って機械的に行なえばそれでいい。
しかし今回の問題は・・・ミグにとっては大きなディレンマだった。
――またや。
クローゼットの前でぼ~っとするミグを、ライトはきょとんと見つめていた。
――こいつは度々フリーズしてまうなあ。
「おい、ちょっとあんた。オレが出て行って嬉しかないんか?」
ライトが長考モードのミグに声をかけると
「・・・ゆ、夕食まだだろ?」
と、彼女は答えた。
☆
ダンスホールのダイニングに、ソムリエのような黒いエプロンをつけたミグが料理を運ぶ。
今夜の夕食は、ジャガイモのコトレータと、ビーフストロガノフだ。
どちらも母親マリヤの得意料理であり、ミグはこれだけはわりと美味しく作れる。
「またコロッケ~?」
ライトは駄々をこねた。
「嫌なら食べなくてもいいんだぞ」
と、エプロンを外しながらミグ。
最初の夜に魚料理のフォルシュマークを出した際には、ライトに「ゲロもう一度飲み込んでるみたい」と言われ、食器が乱れ飛ぶ修羅場と化した。
あれ以来、彼女は見栄を張って、自分ができない料理には手を出していない。
ライトが来る前は、ほとんど食事はスーパーかコンビニで済ませていたので、ミグはもう何年もろくに料理をしていないのだ。
――最後に料理を振舞ったのはいつ以来だろう。
食事をしながらミグは記憶を遡らせた。
十年前、彼女はこの屋敷で年上の恋人と(短期間ではあるが)同棲生活をしていた。
頃は幸せだった。
20歳のミグは、まるでおままごとを楽しむ少女のように、彼に尽くした。
料理のレパートリーだって今よりたくさんあったし、彼は、目の前のこいつのように横柄ではなかった。
どんな料理も「美味しい」と褒めてくれた。
――だいたい女性の手料理に対して「ゲロ」という評価はなんだ。
女ってのは好きな男のためにしか料理は作りたくない――
「まあ美味いけどな」
――え?
見ると、ライトが自分の作った料理を――テーブルマナーはともかく――美味しそうに食べている。
「なあ、あんた。」
食事をほおばりながらライトが話しかけた。
「あんた地球好きなの?」
「え・・・?」
ミグはフォークを持つ手を止めた。
「いや・・・この屋敷っていろんなところに地球の写真とか絵が飾ってあるから・・・」
突然、料理を褒められたのが内心嬉しかったのか、ミグのガードは一瞬緩んだ。
「だって・・・美しいじゃないか。まるで闇の中で輝く宝石のようで・・・」
彼女はつい、ガサツな発明家の前で乙女な一面を見せてしまった。
そして案の定、ライトは目の前で笑いをこらえるのに必死だった。
ミグはテーブルの下で、ライトのむこうずねを無言で蹴りつけた。
「なにさらすんじゃお前は~~!」
ミグは構わず続けた。
「なあ・・・誰にも言わないって約束してくれないか」
「あ・・・ああなによ?」
「夢なんだ・・・地球へ行くこと」
☆
突然何かのスイッチが入ったかのように、今のミグはライトに対して心を開いていた。
地球の話は、冥王星では話す機会がほとんどない。
かつての敵国の星を「美しい」と褒め称えるなど、以ての外だ。
いつになく素直な態度の彼女を見て、ライトが少し戸惑いながらも、相変わらず脳天気に言った。
「・・・それって隠すことか?ツアーでも組んで勝手に行ったらよろしいやん」
――それができたら悩んでないよ。
「・・・いや、冥王星って今、惑星連合と関係がギクシャクしているだろう?
太陽系防衛費を削減するために冥王星を準惑星に降格させた、惑星連合の議長国の星に行きたいなんて・・・軍部に知られたらまずいんだよ・・・」
ミグは、彼に正直に事情を説明した。
「よくわからんけど・・・お前はあれやなあ」
ライトは、ビーフストロガノフにフォークを刺した。
「いつも諦めてばっかりやな」
そして食べた。
だが、何気ない彼の一言に彼女の心はざわめいた。
「地球に行きたいなら行けばええやん。軍がどうのなんて関係ないやろ」
ライトは自分なりに誠意を持って、彼女の悩みにアドバイスをしているつもりなのだろうが、冥王星の軍人の彼女にそんな選択肢は考えられない。
少しがっかりした様子でミグは下を向いて食事を続けた。
「・・・みんなが君のように生きていたら、おそらく国家は崩壊すると思うぞ・・・」
「でも、本当に行きたいんやろ?」
「もういいよ、その話は・・・忘れてくれ。今夜の私はどうかしてた。」
「あ、そうだ!」
と、ライトが少年のように微笑んだ。
「明日、あんたもついてきたらええ!」
――え?
「世話になった礼にオレの船に乗せてったるわ!
オレの船は速いで~マッハ6000は出るから、ひと月ちょいで地球へ到着や!」
「で、でも・・・」
ミグの動揺に構わず、嬉しそうなライトは席から立ち上がった。
「心配するな。地球には必ず連れてったる、約束や。
そうと決まれば、最終点検や。もうひと頑張りするで~」
ライトはガレージの方へ歩いて行った。
「ごっそさ~ん・・・」
「ライト・・・」
ミグはライトのことがわかりかねていた。
彼は一体どういう人物なのだろう・・・?
自分勝手で礼儀知らず、まるで子どものように純粋で・・・自分の夢や目標に一途だ。
ミグの心には「いつも諦めてばっかりやな」という彼の声がこだましていた。
幼い頃の彼女は我慢強く、わがまま一つ言わない子どもだった。
周りの大人は、そんな彼女を「えらいね」と褒めてくれたが、両親は少し困った表情でこう言っていた。
――もっと甘えてもいいんだよミグ。
だが甘えられる両親はもういない。
何よりミグは歳を取りすぎた。
もう三十を過ぎたいい大人だ。
人生の方向性はほとんど決定したと言っていい。
夢を追いかけるのはみっともないだけだ・・・ミグはそう自分に言い聞かせた。
しかし彼女は、自分の心の中に生まれた、小さな違和感の存在をはっきりと感じ取っていた。
言うならば、それは、少女だった頃の彼女が心の奥底に閉じ込めたままの、名前も忘れた感情であり、それがゆっくりと氷解していくようであった。
――そもそも、なぜ私は彼の惑星に憧れを抱いているのだろう・・・
今夜のライトを見て少しだけわかったような気がする。
私にも、ここではないどこかへ旅立ちたいという思いが、心の中にあるのかもしれない。
テーブルをかたす。
遠くのガレージから宇宙船を修理をする音が聞こえてきた。
その大地の形状は、新兵たちが後に降り立つであろう小惑星と似ているし、広大かつ無人なので解体作業の際に用いる爆弾や電磁銃を、野外で実際に使用することもできる。
クレーターバレーには、解体作業をさらに効率化するための装備を研究開発している、P244実験棟があり、その五階には新兵が解体作業で必要な理論と技術を学ぶ講義室があった。
――第94号教室。
ここで『小惑星解体実習A』を担当する講師が、ディープインパクトのメカニック、バーニー・オルクスであり、彼が一方的にがなり立てる授業は、新兵たちに「バーニーの白熱講座」と呼ばれた。
体重が100キロ以上もあるのに、EVA服を着ても敏捷な動きを見せるバーニーは、ある意味キャロット軍曹よりも新兵に恐れられている。
実際に戦ったら、キャロットよりも強いのではないかという噂もある。
だがそれ以上にバーニーが恐ろしいのは、訓練教官の中で最も頭が切れ、弁が立つことだ。
「理屈に合ってない」
「少しは論理的に考えろ」
「やりなおし」
「ちょっと待て、お前分数の足し算はできるのか?」
と、新兵を理詰めで追い込んでいく彼に、反論できるものなど一人もいなかった。
それに比べてミグの授業は、新兵たちにとってはまるで天国であった。
ミグはうつむきながら、ゆっくり静かな声で隕石解体の退屈な体験談をしゃべるだけで、彼女の話など新兵たちは誰も聞いていなかった。
中には
「よう姉ちゃん、最近やったのいつだ」
と、セクハラまがいの野次を飛ばす者まで現れたが、ミグは何も言い返さず、黙ってプロジェクターのスライドを取り替えるだけなのであった。
☆
ところで、バーニーは講義こそ地獄の厳しさであったが、この凶暴なインテリは、新兵の面倒見もよく、積極的に彼らを遊びや食事に誘い、時には貧乏な新兵たちに金銭的な支援もした。
言ってみれば豪快な親分肌タイプで、そのため部下たちからの信頼も厚かった。
ジム・キャロットに対する新兵の恐れが、服従からくるものだとするならば、バーニーのそれは敬意からくる“畏れ”だったのである。
バーニーが、ホワイトボードに勢いよく回路図を書き上げていく。
「いいか、アンカーの内部構造はこうだ!」
そして水性マーカーを放り投げると、さし棒で複雑な回路図が書かれたホワイトボートをバシっと叩いた。
「この仕事をしたいならば、この図は全て頭に入れておけ!オレがいつ質問しても答えられるようにな!まあ配線ミスで爆死したいなら話は別だがな!」
「アイアイサー分かりました!」
と、新兵たちが一糸乱れぬ返事をする。
「よろしい!では、実習に移る!
本時はテキスト第4章67ページからの作業マニュアルに沿って(ガーピー)実戦で使用する装備の使用方法を学んでも(ガーピーガーピー)らう!ユーティリティボックスはチェ(ガピガピガピ)ック
――うるせ――!!」
バーニーは、教室の後ろで立ったまま寝ているライトにさし棒を向けた。
「おいミグ!その器用に寝ているガーピー野郎を起こせ!」
ガーピーといびきをかくライトの隣で教育係が小声で囁いた。
「おいライト、起きろよ・・・」
「ど~でもいいっちゅうねん・・・」
☆
ライトのことはミグに任せて、バーニーは授業を進めた。
小惑星解体用の電磁銃をコンテナから取り出し、新兵の前で抱える。
初めて見る巨大な電磁銃に、新兵の列から声が漏れた。
「こいつはソードオフされたローレンツⅡ型EM銃だ!
マニュアルにも書かれているとおり、これは小惑星の中心にアンカーを射出する装置であり、リキッドニュークはその穴から流し込むことに・・・」
「ちょちょちょ」
と、バーニーの講義を誰かが遮った。
新兵たちがギョッとする。
バーニーは話の腰を折られるのが大嫌いなのだ。
そんな野暮な事をするのは、この部屋では彼しかいなかった。
「お前らが相手にしている隕石って結構大きいんやろ?
そんなしょぼいてっぽうで、ちゃんとタマは届くんか?」
「ライト・・・!」
ミグが慌てる。
――もう勘弁してよ。
「なっなに~!?さんざ居眠りこいて、オレたちの伝統的なやり方に口出ししようってのか・・・」
バーニーは怒りを通り越して、半ば呆れていた。
「ちょっと貸してみ」
ライトはバーニーからひょいと電磁銃を取り上げると、その形状をざっと観察した。
「あ~フレミングの左手の法則で弾が飛ぶようになってんやなあ・・・」
――ミグは脱力した。
フレミングの法則といえば、中学生の頃理科で習うあれだ。
そんな理科の教科書レベルの原理で、レールガンができているわけないだろう・・・
「その通りだ、だからまずそれを置け」
と、バーニー。
――え?
「そうなの?」
と、小声でミグ。
バーニーは黙って頷いた。
「あんたが機械工学に詳しいのはわかったよ。オレのお仲間だな。
だが、とにかくそれを返してもらおうか大先生。」
「これならちょっといじれば、威力が倍にはなるで!」
ライトは、水を得た魚のようにワクワクしながら言った。
「話聞けよ・・・」
バーニーがそう言った時には、大先生はすでにドライバーを使って、電磁銃を分解し出していた。
☆
第94号教室に爆音と閃光が走った。
出力過剰でプラズマ化したアンカーは壁をぶち破り、訓練所の敷地を0.02秒で駆け抜け、遥か彼方のクレーターを次々と貫いていった。
ライトは三つの間違いを犯した。
許可なくEM銃を撃ったこと。
また、厳禁されている水平撃ちをしたこと。
さらに、室内でそれをしたこと。
改造EM銃の威力を実演したライトは、フライトゴーグルをあげて満足そうに、兵士たちの方を振り返った。
だが、ほとんどの兵士は衝撃波で吹き飛ばされ、床にくずれて呻いていた。
バーニーは新兵たちに怒鳴った。
「午後の実習は来週に繰り越し、1300時から壁の修復工事とする!」
新兵たちの不満の声。
「え~じゃない!突発的な事故が起きた際のリカバリーを学ぶと思え!」
ミグは言葉も出なかった。
――またやらかした・・・
ライトが壁に開けた大きな穴は、午後一時の工事までドミトリー・ブリイキン二等兵のパトラ・ジュリエッタ(※4)で塞がれることになった。
※4:天王星の人気アイドルで、全宇宙的に人気がある。ここでは彼女の等身大ポスター。
☆
ミグは書類の束を抱えて、暗い顔で基地の廊下を歩いていた。
書類の内容は、ライトの監督不行き届きに対する始末書だ。
廊下の傍らには「士官昇進試験のご案内」が掲示されている。
――とうとう私には無縁になったな・・・
「チオルコフスキーさん」
優しい声が彼女を呼んだ。
ミグが振り返ると、ピカール卿が笑顔で近づいてきた。
「少々お時間よろしいですか?」
☆
ピカールの私設研究所が管轄する工業団地では、冥王星最大の戦艦ノーチラス号の組立作業がさらに進んでいた。
この巨大な工場ではおよそ一万人もの人間が働いているが、失業率が高い現在の冥王星では、それでも採用の競争率は190倍にも上った。
もはやここは一つの都市であり、この大事業を指揮するピカールはその市長といっても良い。
ノーチラス号の巨大な胴体部分を横切り、ミグを乗せたカートは工場の内部をさらに奥に進む。
ノーチラス号は全長が2km以上もあり、その全体像は視界には収まらず、よくわからない。
まるで高層ビルが横倒しになって、ガリバー旅行記の巨人のように車輪で運ばれているようだった。
ヘルメットの現場監督が後ろを振り向き、カートの助手席から怒鳴った。
空調と溶接のスパーク音で工場内はけたたましいのだ。
「もともとノーチラス号は、冥王星の各地にある計20箇所の大工場で、32ブロックのパーツごとに建造されました。
航空機の命である垂直尾翼はステュクスのトンボーエアクラフト、主翼フラップはエリスのニュー・ホライズンズといったように。
アビオニクスの一部は土星のプロメテウス社に発注しました。
それをここに集めて、5パーツまでに統合します。」
「ここでひとつに完成させないんですか?」
と、ミグ。
「確かに敷地面積上は問題ありません。もともと更地だったこの場所に32の巨大なパーツを運び入れてから、それを取り囲むように我が組立工場は建設されましたからね。
しかし全長2200m、総重量34万5千トンにもなるノーチラス号を、地上から離陸させるのは大仕事でしてね。
第二段階の5パーツにはそれぞれに原動機とブースターがついており、まあそれを基準に分割したのですが、5つのパーツは完成後そのまま宇宙に打ち上げられ、組み立ての最終段階は軌道上で行ないます。」
「では一度宇宙に打ち上げられたらノーチラス号は二度と地上には降りられない・・・?」
「いえ、この処置はあくまで組立作業の効率化とコストカットのためのものであって・・・あ、着きました。」
カートがピカールのラボの前で止まった。
周りを見渡すと、永遠に広がっているとすら思えたダクトや作業用ステップは姿を消し、そこにはオフィス街のような景観が広がっていた。
居住区、ショッピングセンター、公園、銀行、郵便局に病院・・・ここが工場の中とは思えない・・・
☆
ピカールのオフィスに通される。
ライトをここで引きずったのは、一昨日だったっけ・・・ミグにはもっとずっと前の出来事だったように思えた。
「工場見学は楽しかったですか?」
紅茶を淹れながらピカールが訪ねた。
「驚きました。ノーチラス号は我が国の希望になりますね。
天皇陛下の国土強靭化計画は、ほかの惑星に対する国力の示威として十分に機能し・・・」
このミグの発言にピカールは笑った。
「なるほど、国土強靭化ですか・・・
公表はされていませんが、冥王星の国家予算のほとんどはこの事業に当てられています。
税収を上げるために私企業の法人事業税を2倍にし、歳出を減らすために貧しい者に対する社会保障を打ち切ってね。
こういう人権を無視した無慈悲な一大事業が可能なのは、今のご時世この星だけでしょう。
科学者が働く場所としては、こんな素晴らしい星はありません。」
ミグは返答に困った。
――法人事業税の増額と社会保障費の縮小は、惑星連合からの太陽系防衛費の削減が理由ではなかったのか?
閣下は冗談で言っているのか?
それとも冥王政府に対する真剣な批判なのか?
「国家繁栄のためには多少の犠牲はつきものですしね・・・」
ミグは、当たり障りのない軍隊の決まり文句をつぶやいた・。
「まあ、あなたのような軍人と、私たちの利害関係が一致している以上は仲良くやりましょう・・・あ、どうぞおかけになってください。」
ピカールはミグに紅茶を出して応接室のソファに座った。
「失礼します。」
ミグも着席した。
「で、どうですか?彼の様子は・・・」
ピカールは本題に入った。
「正直言って私の手には余ります・・・
訓練の半分はサボって家に帰っちゃいますし、彼の始末書は私が代筆している始末です・・・
も、もうあいつを除隊させてください・・・!」
ミグの心の叫びを、ピカールは笑っていなすと
「で、彼はあなたの家では何を?」
と、尋ねた。
「まるで自分の家のように、食べて、寝て、歌って踊ってます・・・」
「ライトフライヤー号はどうなりました?」
老練な科学者は、ライトの生活態度には別に興味がないらしい。
「ああ・・・あれは天井から引き下ろして、屋敷のガレージに運ばせました。
懲りずに毎晩修理していますよ。彼もとっととこんな星を出たいようですね・・・」
ミグがそう報告すると、ピカールは強調するようにゆっくり呟いた。
「それは困りますね・・・
彼にはずっとここにいてもらい、最終的には我々に協力していただかなければ・・・」
――ミグは動揺した。
軍隊でも好き勝手に生きるライトが人の命令に簡単に従うはずがない。
「あの男が協力しますかね・・・?」
「させるのですよ。そこであなたの力が必要なのです」
ピカールは冷徹な口調で言った。
☆
屋敷に帰る途中、ミグは閉鎖されたミサイル工場で失業者たちのデモに遭遇した。
たまたま、『全くやる気がございません』の鼻歌を歌っていたが、この歌詞(※5)が失業者たちの耳に入ると袋叩きに合いそうだったので、デモの近くでは鼻歌をやめた。
「惑星連合は防衛予算をけちるな~!誰のために兵器作ってると思ってるんだ~!」
彼らの声がミグの胸に突き刺さる。
失業問題の原因は惑星連合だけにあるのではないことを、ピカールから聞いてしまったからだ。
彼らが支持するハデス天皇が、自分たちの生活を間接的に苦しめているかもしれないと言ったら、彼らはその事実を受け入れるのだろうか・・・?
――国家のためなら多少の犠牲はつきものだ。
軍人の私は、上官にずっとそう教えられてきた。
だが・・・その犠牲が大きすぎたら、国家そのものがなくなってしまうのではないだろうか?
もうやめよう。
こんな難しいことを考えたくはない。
だいたい、私のような人間が考えたって解決するようなレベルの問題ではないのだ。
こういう問題は、プロの政治家や学者に任せておけばいい。
所さんだってこう教えを説いているじゃないか。
♪早い話が私は空気。空気だから聞こえない、と。
「今こそ万国の労働者が立ち上がる時なのだ~!!がんばろ~!」
「えいえいお~!」
プロレタリアートの切実なシュプレヒコールは、冥王星のくすんだ空に消えていった。
※5:(一時抜粋)
♪働く気もなきゃ銭もない だけど会社も休まない 空気みたいにこの世に浮かぶ
(C)所ジョージ
☆
「ただいま」
ミグが屋敷に帰ると、なんと屋根が直っていた。
「屋根直したのか・・・?」
「まあな」
ライトはリビングのソファーでくつろぎながら、ミグには難しすぎてさっぱりわからない科学雑誌を読んでいた。
「あ、そうそう。あんたの屋敷は古すぎて、使われた木材はもう絶滅してるんやって。
だからちょっと不格好やけど、これでかんにんしてくれ。
でもあんたついてるで。
煙突だけは同じやつが奇跡的に骨董屋で見つかってな。これ領収書。」
ライトは修理や分解だったら、なんでもできるらしい。
――ピカール卿じゃないが、意外と役に立つ人物なのかもしれないな。
そう思いながら、ミグは領収書に目をやった。
――200万ルーブル!!??
「き、君これをどうやって・・・」
「あんたのクレジットカード使ったんや。
チオルコフスキー家は貧しい者の味方じゃってジジイに拝まれたで。あ、礼はええから。」
「ちょっと待て、じゃあ今月の生活費はどうなるんだ!?」
「こんな屋敷に住んどいて、それしか金がないわけちゃうやろ?」
「ないよバカあ!明日からふたりでふりかけご飯だぞ!」
「なんや、お前!あれか、見せかけ貴族か!」
「は~まあいいや・・・ありがとう・・・」
昨夜だったら、泣きながらライトを屋敷から追い出していただろうが、ピカールに頼まれた以上、そうもいかない。
この頼みを聞けば、月収の4倍のボーナスが閣下からもらえる。それに期待しよう。
気を取り直して、ミグはコートを脱ぎ、制服のネクタイを緩めた。
「いいってことよ。あんたには世話になったしな。飛ぶ鳥あとを濁さずや。」
「え?」
「いや、もうじきライトフライヤー号の修理も終わるし・・・明日には消えるから、安心しとくれ」
「そ・・・そんなに早く終わるのか?」
「あんたかてその方がよろしいやろ?悪魔はとっとと帰ります」
ああ、なんて皮肉な状況なのだろう。
今となっては、屋敷から出ていこうとするこの男を引き止めなくてはいけないとは・・・!
ノーチラス号の開発は冥王星の全てを賭けた国家プロジェクトだ。
そしてその成功には、ライトの協力が不可欠だという。
もし彼をこのまま帰して、ノーチラス号が失敗に終わったら、それこそ冥王星は終わりだ。
クーデターが起きて、かつての社会主義革命のように多くの血が流れるだろう。
胃が痛くなった。
小惑星解体はマニュアルに沿って機械的に行なえばそれでいい。
しかし今回の問題は・・・ミグにとっては大きなディレンマだった。
――またや。
クローゼットの前でぼ~っとするミグを、ライトはきょとんと見つめていた。
――こいつは度々フリーズしてまうなあ。
「おい、ちょっとあんた。オレが出て行って嬉しかないんか?」
ライトが長考モードのミグに声をかけると
「・・・ゆ、夕食まだだろ?」
と、彼女は答えた。
☆
ダンスホールのダイニングに、ソムリエのような黒いエプロンをつけたミグが料理を運ぶ。
今夜の夕食は、ジャガイモのコトレータと、ビーフストロガノフだ。
どちらも母親マリヤの得意料理であり、ミグはこれだけはわりと美味しく作れる。
「またコロッケ~?」
ライトは駄々をこねた。
「嫌なら食べなくてもいいんだぞ」
と、エプロンを外しながらミグ。
最初の夜に魚料理のフォルシュマークを出した際には、ライトに「ゲロもう一度飲み込んでるみたい」と言われ、食器が乱れ飛ぶ修羅場と化した。
あれ以来、彼女は見栄を張って、自分ができない料理には手を出していない。
ライトが来る前は、ほとんど食事はスーパーかコンビニで済ませていたので、ミグはもう何年もろくに料理をしていないのだ。
――最後に料理を振舞ったのはいつ以来だろう。
食事をしながらミグは記憶を遡らせた。
十年前、彼女はこの屋敷で年上の恋人と(短期間ではあるが)同棲生活をしていた。
頃は幸せだった。
20歳のミグは、まるでおままごとを楽しむ少女のように、彼に尽くした。
料理のレパートリーだって今よりたくさんあったし、彼は、目の前のこいつのように横柄ではなかった。
どんな料理も「美味しい」と褒めてくれた。
――だいたい女性の手料理に対して「ゲロ」という評価はなんだ。
女ってのは好きな男のためにしか料理は作りたくない――
「まあ美味いけどな」
――え?
見ると、ライトが自分の作った料理を――テーブルマナーはともかく――美味しそうに食べている。
「なあ、あんた。」
食事をほおばりながらライトが話しかけた。
「あんた地球好きなの?」
「え・・・?」
ミグはフォークを持つ手を止めた。
「いや・・・この屋敷っていろんなところに地球の写真とか絵が飾ってあるから・・・」
突然、料理を褒められたのが内心嬉しかったのか、ミグのガードは一瞬緩んだ。
「だって・・・美しいじゃないか。まるで闇の中で輝く宝石のようで・・・」
彼女はつい、ガサツな発明家の前で乙女な一面を見せてしまった。
そして案の定、ライトは目の前で笑いをこらえるのに必死だった。
ミグはテーブルの下で、ライトのむこうずねを無言で蹴りつけた。
「なにさらすんじゃお前は~~!」
ミグは構わず続けた。
「なあ・・・誰にも言わないって約束してくれないか」
「あ・・・ああなによ?」
「夢なんだ・・・地球へ行くこと」
☆
突然何かのスイッチが入ったかのように、今のミグはライトに対して心を開いていた。
地球の話は、冥王星では話す機会がほとんどない。
かつての敵国の星を「美しい」と褒め称えるなど、以ての外だ。
いつになく素直な態度の彼女を見て、ライトが少し戸惑いながらも、相変わらず脳天気に言った。
「・・・それって隠すことか?ツアーでも組んで勝手に行ったらよろしいやん」
――それができたら悩んでないよ。
「・・・いや、冥王星って今、惑星連合と関係がギクシャクしているだろう?
太陽系防衛費を削減するために冥王星を準惑星に降格させた、惑星連合の議長国の星に行きたいなんて・・・軍部に知られたらまずいんだよ・・・」
ミグは、彼に正直に事情を説明した。
「よくわからんけど・・・お前はあれやなあ」
ライトは、ビーフストロガノフにフォークを刺した。
「いつも諦めてばっかりやな」
そして食べた。
だが、何気ない彼の一言に彼女の心はざわめいた。
「地球に行きたいなら行けばええやん。軍がどうのなんて関係ないやろ」
ライトは自分なりに誠意を持って、彼女の悩みにアドバイスをしているつもりなのだろうが、冥王星の軍人の彼女にそんな選択肢は考えられない。
少しがっかりした様子でミグは下を向いて食事を続けた。
「・・・みんなが君のように生きていたら、おそらく国家は崩壊すると思うぞ・・・」
「でも、本当に行きたいんやろ?」
「もういいよ、その話は・・・忘れてくれ。今夜の私はどうかしてた。」
「あ、そうだ!」
と、ライトが少年のように微笑んだ。
「明日、あんたもついてきたらええ!」
――え?
「世話になった礼にオレの船に乗せてったるわ!
オレの船は速いで~マッハ6000は出るから、ひと月ちょいで地球へ到着や!」
「で、でも・・・」
ミグの動揺に構わず、嬉しそうなライトは席から立ち上がった。
「心配するな。地球には必ず連れてったる、約束や。
そうと決まれば、最終点検や。もうひと頑張りするで~」
ライトはガレージの方へ歩いて行った。
「ごっそさ~ん・・・」
「ライト・・・」
ミグはライトのことがわかりかねていた。
彼は一体どういう人物なのだろう・・・?
自分勝手で礼儀知らず、まるで子どものように純粋で・・・自分の夢や目標に一途だ。
ミグの心には「いつも諦めてばっかりやな」という彼の声がこだましていた。
幼い頃の彼女は我慢強く、わがまま一つ言わない子どもだった。
周りの大人は、そんな彼女を「えらいね」と褒めてくれたが、両親は少し困った表情でこう言っていた。
――もっと甘えてもいいんだよミグ。
だが甘えられる両親はもういない。
何よりミグは歳を取りすぎた。
もう三十を過ぎたいい大人だ。
人生の方向性はほとんど決定したと言っていい。
夢を追いかけるのはみっともないだけだ・・・ミグはそう自分に言い聞かせた。
しかし彼女は、自分の心の中に生まれた、小さな違和感の存在をはっきりと感じ取っていた。
言うならば、それは、少女だった頃の彼女が心の奥底に閉じ込めたままの、名前も忘れた感情であり、それがゆっくりと氷解していくようであった。
――そもそも、なぜ私は彼の惑星に憧れを抱いているのだろう・・・
今夜のライトを見て少しだけわかったような気がする。
私にも、ここではないどこかへ旅立ちたいという思いが、心の中にあるのかもしれない。
テーブルをかたす。
遠くのガレージから宇宙船を修理をする音が聞こえてきた。
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